プリンス「ピアノ&ア・マイクロフォン 1983」国内盤の開封ビデオ公開 音源アーカイヴィストのインタビューも公開
9月21日に発売されるプリンスのアルバム「ピアノ&ア・マイクロフォン 1983」の開封ビデオが公開となった。
国内盤のCDは、当時のエンジニアだったドン・バッツのライナーノーツの日本語訳付。CD+LPのデラックス・エディションの国内盤には、英文ライナーノーツ(ドン・バッツ、リサ・コールマン、ジル・ジョーンズ)の日本語訳付となる。なお、歌詞・対訳はアルバムの性格上、収録されない。
今回は貴重な、プリンスの音源のアーカイヴィスト、マイケル・ハウ氏が、「ピアノ&ア・マイクロフォン 1983」他を語ったエクスクルーシヴ・インタビューを以下に掲載する。
——様々なレコード会社でA&Rとして活躍してきたあなたが、プリンス音源のアーカイヴィストになったきっかけを教えてください。
マイケル:私は長年ワーナー・ブラザーズで仕事をしてきて、プリンスが亡くなるまで彼のA&Rだった。プリンスが亡くなったあと、彼の財団の手伝いをするためにワーナー・ブラザーズを退社して、アーカイヴィストとして働くことになったんだ。
——では彼らに頼まれてアーカイヴィストになったということですね?
マイケル:その通り。仕事の依頼があったときは二つ返事でOKしたよ。
——あなたがアーカイヴィストになられて、一番初めに出されたシングルが「Nothing Compares 2 U」ということでよいのでしょうか?
マイケル:そうだよ。
——それはどのような判断からですか?
マイケル:曲はおそらくプリンス以外のアーティストが歌った、プリンスが書いた最大のヒット曲だ。世界的にヒットしたよね。そもそも彼はこの曲を1984年に書き、ファミリーに提供したんだが、1985年にファミリーがリリースした時はオリジナルとはずいぶん違う形の曲になっていた。私がこの曲の2インチのマルチ・トラック・アナログ・マスターを見つけたとき、何かスペシャルなものが含まれているんじゃないかと期待したんだが残念ながらそういうものはなかった。でも、シネイド・オコナーのヴァージョンを知っている人たちにとって、一番最初のプリンスが書いた時のヴァージョンを聴いてもらうことは価値があると思って、最初のリリースとしてふさわしいと判断したんだ。
——1984年時代の一覧を作成している時に、この2インチのマルチトラック・リールを発見したとのことですが、年ごとに音源をまとめているのでしょうか?
マイケル:そうだね。テープに書いてある年代順に音源をまとめている。ミュージアムも年代順に展示物が並べてあるだろう?そういう感覚なんだ。商業的なことを考慮して単に古い順に発表していくかどうかはわからないけれどね。
——何年くらいから、音源が残されているのでしょうか?
マイケル:今のところは1977年のテープが一番古いけれど、年代が書いてないものもあるし、おそらくそれより古いものもあるだろう。多分君はそのタイトルや詳細について聞きたいだろうけれど、残念ながら現時点ではいろいろな制約があるからその質問には答えることができないんだ。喋ったらクビになってしまうからね(笑)
——わかりました。言える時が来たら教えてくださいね。
マイケル:もちろん!
——さて、「Nothing Compares 2 U」のプロモーション・ビデオとなったリハーサルの映像も公開されましたが、このような映像もたくさん残っているのでしょうか?
マイケル:残っているよ。
——ということは今後そのような映像が公開される可能性はあるんですね。
マイケル:多分ね。まだはっきりわからないけれど、もちろんその可能性は十分あるよ。
——アルバムとして初めて、発売されるのが、この「ピアノ&マイクロフォン 1983」ですが、これは1983年のものですね。これはどのように発見されたのでしょう?カセットに入っていたとのことですが。
マイケル:そう、カセットに入っていたんだ。この音源のブートレグは過去にも出回っていて、私もそれを聴いたことがあるんだが、どれもサウンドのクオリティは低かった。パフォーマンスに関しては申し分がなく、感動的だったので、アーカイヴィストになってすぐにこのマスターテープがどこかにないかと探していたんだ。そしてラッキーにもマスター・カセットを発見することができた。彼が直接吹き込んだカセットが、だよ。そのカセットには彼の直筆で「Side 2」と書いてあった。つまりそれはカセットのB面で、聴いてみると「コールド・コーヒー&コケイン」と「ホワイ・ザ・バタフライズ」が録音されていた。それで私たちはそれがマスター・テープだということを確信したんだ。
——かなりエキサイティングな瞬間だったでしょう?
マイケル:うん、この仕事の醍醐味はそれだよ(笑)
——カセットの音をクオリティの高い音にするのは、大変でしたか?
マイケル:カセット・テープはマスターとしては一番理想から遠い素材だ。でも当然私たちに選択肢はなかった。ただ、35年前の、ケースにも入っていないカセットだったことを思うと、テープの状態はかなり良かった。それをバーニー・グランドマンがバランスを調整して、可能な限り高品質のサウンドにしてくれたんだ。
——ではバーニー・グランドマンのマスタリングには満足しているんですね。
マイケル:素晴らしい仕事をしてくれたと思うよ。彼は長年に亘ってプリンスの仕事をしていて、彼の信頼が厚かった。だから彼以外のエンジニアに頼むことはありえなかったよ。彼にはとても感謝している。
——これがアルバムとして一番最初にリリースされるのはなぜでしょう?
マイケル:まず、プリンスの別の面を知ることができるパフォーマンスだから。この時代はプリンスがピアノを弾くことをほとんどの人が知らなかった。彼のピアノを聴いたり、プレイしているところを見たりする機会はほとんどなかったので、このアルバムはとても新鮮だし、新しい発見をしたような気持ちになるだろう。次に、プリンスが亡くなる直前のツアーはピアノ&マイクロフォン・ツアーだった。だからそのツアーを見た人たちはこのアルバムがまるでそのツアーが継続しているような、そのツアーの続きを聞いているように感じるだろうと思ったのさ。
——アルバムの中では7曲のメドレーと単体の2曲が収録されてますが、1枚に入れられる関連性があったのでしょうか?
マイケル:このアルバムは私たちが発見したテープそのものなんだ。あのテープをそのままリリースすることが重要だと思ったんだ。何も加えず、何も削除しない当時のテープを、そのままアルバムとしてリリースするべきだと思ったんだよ。同じ日に別の曲を録音した可能性もあるけれど、今のところは見つかっていないんだ。