清塚信也
2019年8月16日(金)、邦人男性クラシック・ピアニスト史上初の日本武道館単独公演を行った、清塚信也。クラシックのみならず、『コウノドリ』などのドラマや映画、舞台の劇伴も手掛け、ついには念願のインストバンドも結成。巧みなトークも人気で、クラシック・コンサートらしからぬ長いMCも不可欠な要素となっている。
10月12日(土)のWOWOW独占放送を前に、コンサートを振り返っての想い、音楽観、人生観を尋ねたインタビューが届いたので紹介する。
――初の日本武道館公演を終えて、どんなお気持ちでしたか?
不思議な感覚でしたね。「武道館だから」という重みももちろんあるんでしょうけども、こんなにも演出から何から、いろいろな人が携わってくれて、皆でつくり上げるコンサートは普段はあまりないので。僕もチームプレイの中の一人に過ぎず、「俺が成功させたんだ!」という想いはほぼなかったです。それが楽しかったし、幸せでした。
――コンサートはクラシックで幕開け、ドラマ『コウノドリ』などの劇伴音楽やロックも交え、ジャンルを越えて展開。セットリストは何を軸に組み立てられたのでしょうか?
今まで僕を起用してくれたり目を掛けてくれたりした方々へのお礼、という想いが実はありました。ドラマや映画、コンサートなど、いろいろな形でつくらせていただいた曲たちを武道館という場で演奏して、総集編という一つの形にしたかった。なるべく多くの、今までお世話になった方々へのお礼を言いたいな、と思っていたんです。
――中でも印象的だったのは、インストバンドSEEDINGとして披露された激しいロックナンバー「Dearest“B”」です。
かなり熱く演奏していましたね。テンポはアルバム音源の1.5倍ぐらいになっていましたし、あれはレコーディングでは絶対できない演奏。僕、映像を観返して笑っちゃいましたもん(笑)。元々インストバンドをつくりたかったし、ロックをやりたかったんですけど、必然性が欲しいな、と。ルーツであるクラシックと繋げるにはどうしたらいいかな?と考えた時、「ベートーヴェンってロックだよな」と気付いて。2020年はオリンピック・パラリンピック・イヤーであると共に、ベートーヴェン生誕250周年でもあるので、「親愛なるベートーヴェン(Beethoven)へ」という意味で「Dearest “B”」という題名を付けました。
――幼い頃からクラシックの英才教育を受けて来られた中で、一見対極にあるようなロックへの想いはどのように育まれたのでしょうか?
僕の母親も「ロックをあまり聴くな」と言うタイプで、クラシックしか聴かせてもらえず、その反動もあったのでしょうが……いいロックを聴いている時って、実は驚くほどクラシックと通ずるものがあるんですよね。逆にクラシックの作曲家も、もし300年命があって現在もまだ作曲していたら、ロックに辿り着いたんじゃないかな?という想いもあるし。ベートーヴェンの「月光」の第三楽章、「熱情」の第三楽章などを聴いていると、「ピアノじゃ足りない!」というような想いを感じるんですよ。また、僕にとって音楽というのは人と繋がるためのもので、「ピアノが弾きたくてやっている」という感じでもなくて。ロックの人と人とを繋げる力には、クラシックにはないすごさがあるので、そこへの憧れというのもありますね。
――ジャンルを越えて人と人とを繋ぎ、クラシック音楽を広めたい、という使命感もあるのでしょうか?
それはあまりなくて、結果的にそうなっている、という感じですね。中学生の頃、コンクールで難しい曲を演奏して1位を初めて獲った時、演奏会でその曲を弾き出したら、会場の人たちの頭の中に「?」マークがババババッと点くのが分かって、すごくショックだったんです(笑)。そこで僕は、「これは、上手く弾く前に、どれだけいい音楽かを説明する必要があるぞ」と感じたんですね。僕の今の活動が“クラシックを広めている”ように見えるとしたら、そこがルーツだと思っていて。やっぱりまずは知ってもらわないと。
――コンサート終盤では、全国のヤマハ音楽教室から選ばれた子どもたちと共演、11人でピアノを奏でた『第九』『ボレロ』は圧巻でした。後世を担う次世代へ繋ぐ、という想いもあったのでしょうか?
それもうっすらとした狙いの一つではありました。“子ども×自信”は人類の宝。自信を持った子ども以上に可能性のある音楽家っていないんですよね。僕自身もコンクールで1位を獲ったことは、その肩書以上に、「自信を持てる」という意義が大きかった。スポーツと一緒で1回勝負なので、そこでベストを出すのはすごく難しいんですよ。彼ら・彼女らがこの先音楽家になるかどうかは分からないけども、今後生きていく上で、緊張の中で何かを決めなきゃいけない瞬間の直前に、「そうだ、武道館で弾いたもんな」とふと思い出して、少しでも人生の味になってくれればうれしいですね。
――コンサートではトークの時間も充実。いつ、どのように話術を磨き上げられたのですか?
母が怖かったので、母への言い訳を考えていた子ども時代じゃないですかね(笑)。中学生の時に「話しながらコンサートしなきゃ」と感じた時、「恥ずかしいことはできないな。しゃべるからには何かしらの形にしなくては」という意識は既にあって。ステージの上に立ったら、歩く動作から何からすべてショーの一つだ、と僕の師匠の中村紘子さんもおっしゃっていましたし、「俺はピアニストだから、しゃべりが面白くなくたってしょうがない」とは最初から捉えていなかったです。それであれこれやっているうちに「笑いを取る」という方向に……(笑)。もちろん誰かに弟子入りしたこともなく(笑)、自分なりに落語を聴いたりバラエティー番組を観たりして学んでいき、開拓していきました。でもやはり、笑いを取れた時が一番「良かった」と言ってもらえることが多いし、(お客さんの)心が開いて演奏を聴いてくれている感じがあった時なんですよね。
――やはり、常にコミュニケーションを大切になさっているんですね。
僕は、人と繋がることの他に「財産になったな」と思うことが人生においてないんですよ。車を買ったとかいい服を買ったとか、そんなことは全然自分の財産になっていなくて。宝物になったものと言えば、人との思い出ばかりですから。これはもう音楽家を越えた話で、生きていることのアイデンティティーが、僕にとっては「深く人と繋がること」しかないので。音楽は、人と繋がるための材料なんです。
清塚信也
――武道館公演は3時間40分という長丁場。あれほど強いタッチで弾き続けられて、指は大丈夫なのでしょうか? どのようにケアをなさっているのですか?
いや、ケアはまったくゼロです。コンサート当日も知り合いの整体師さんを大阪から呼びましたが、共演者にだけ施術してもらいました(笑)。まず僕はすごく体力があって頑丈で、それだけは自信があるんですね。それに、子どもの頃から日に10時間以上は練習していたので、たった3、4時間演奏しようがそれほどダメージはないんです。まだまだ弾けますよ。ま、他の人たちは労うよりも引いてましたけども(笑)。
――最長どのぐらいのコンサートだったらできそうですか?
(エリック・)サティに「嫌がらせ(ヴェクサシオン)」という曲があるんですね。(譜面上の)たった3段を何十時間と繰り返し弾かなければいけない、という。あれはさすがにできないかもしれないですね。楽しかったら1日中できるんじゃないかな?と思いますが、お客さんのほうが付いて来られないでしょうね(笑)。
――WOWOWのオンエアを通じてコンサートをご覧になる方へ、メッセージをお願いします。
たぶん、武道館でインストはあまり聴けないと思うんですね。このコンサートでは、“楽器の音楽”がどれだけの可能性を持っているか?を打ち出せたと自負しております。ピアノだけ取っても、クラシックからオリジナル、ソロからバンドから、連弾、ヴァイオリンとの共演などいろいろな表情を見せるので、「ああ、音楽ってこんなに可能性があるんだ」と改めて、このコンサートを観て感じていただければ、と思っております。
清塚信也
広告・取材掲載