宮本浩次 撮影=吉場正和
椎名林檎との「獣ゆく細道」、東京スカパラダイスオーケストラとの「明日以外すべて燃やせ」でのコラボレーション、高橋一生への「きみに会いたい-Dance with you-」の楽曲提供およびプロデュースなどなど、宮本浩次のソロ活動は多岐に渡っていて、密度が濃くて、完成度がきわめて高い。ハイペースかつ自由自在に展開している宮本浩次名義でのソロ活動はいよいよ本格化してきており、「冬の花」、「昇る太陽」、そして映画『宮本から君へ』の主題歌として制作されて、横山健が参加している「Do you remember?」と、曲調もジャンルも制作過程もまったく異なるソロ作品をリリースしている。歌謡曲、ラップ、メロディアスなロックなどのテイストが宮本浩次というフィルターを通すことによって、さらなる輝きが加わっていく。一連のソロ活動からは宮本浩次の可能性の大きさと、彼の音楽表現の途方もなさも見えてくる。ソロの始まりから最新シングル曲「Do you remember?」までの流れ、さらに今後の展望を聞いていく。
——ソロ活動をやると決めたのはいつ頃なんですか?
エレファントカシマシの30周年ツアーをやる前にはメンバーに話していましたね。シングル「夢を追う旅人」をリリースした頃(2016年8月)かな。「30周年を華やかに盛り上げて、なんとしてもツアーを成功させて、その流れで、俺は存分にソロをやりたいんだ」って、みんなに宣言しました。
——一般的にバンドをやっている人間がソロ活動を始めるのは、煮詰まって気分転換で、というケースが多いと思うのですが、バンド活動が充実していて、素晴らしい成果をあげたタイミングでソロ活動をスタートするのは、実にアグレッシブでクリエイティブだと思います。
ありがとうございます。47都道府県ツアーも大きなチャレンジだったので、退路を断つ、という意識もあったと思います。まずツアーを成功させて、その後のさいたまスーパーアリーナ2days、スピッツとMr.Childrenとの共演を含むライブがあって、『紅白歌合戦』にも出場することができて、前向きな気持ちのまま、ソロに行けたんですよ。しかも非常に幸せなことに、椎名林檎さん、東京スカパラダイスオーケストラという、本当に優れた日本のトップミュージシャンたちから『Wake Up』のツアー終了直後という信じられないタイミングで共演の打診があったんです。
——コラボレーションはソロに合わせて、計画していたことではないんですね。
まるで計ったようなタイミングなんですが、まったく偶然ですね。あのタイミングで彼らとコラボレーションできたのは本当に幸せなことでした。あのコラボレーションを終えて、ドラマの主題歌の「冬の花」リリースということになったのですが、この「冬の花」までの一連の流れはロケットスタートと言ってもいいぐらいの勢いがありましたね。
——確かに、宮本さんのソロ活動の幅の広さ、可能性の大きさの一端が見えてくる始まり方です。ソロ活動を決めた時点で、ソロでの道筋のようなものは考えていたのですか?
エレファントカシマシは初期においては、RCサクセション、ストリート・スライダーズ、ローリング・ストーンズ、ビートルズなどのロックバンドからたくさん影響を受けて、「ファイティングマン」、「珍奇男」、「デーデ」に象徴されるようなロックバンド然とした楽曲を中心にやってきました。ただ、そうした中でもメロディを重視した「風に吹かれて」「偶成」「今宵の月のように」みたいな曲もあれば、「ガストロンジャー」みたいな曲もある。それって、日本人特有の自由さの表れだと思うんですよ。私が小学校・中学校で慣れ親しんだ歌謡曲もまさしく自由で。例えば、沢田研二さんにしてもファンキーなもの、ロックンロール、あらゆるものをやっている。
——多様性は日本の音楽の魅力のひとつですもんね。
そう、つまりエレファントカシマシというフィルターを通して様々なジャンルの音楽を表現することが、われわれの最大の特徴であり、武器なんですよね。だから宮本浩次のソロでは、私単体としていろんな音楽をやってみたいと思いました。例えば、「冬の花」だったら、私の思うところの歌謡曲にしたかったし、高橋一生さんに楽曲提供した「きみに会いたい-Dance with you-」だったら、ジャミロクワイのファンクに感化された白人のファンクを自分なりに追究してみたかった。いろんなジャンルの音楽をバンドというフィルターを通さずに、歌手・宮本浩次のテイストでやってみたいという希望というか野望というか、夢は持っていました。
宮本浩次
——椎名林檎さんとのコラボレーション曲「獣ゆく細道」の歌詞からも、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーション曲「明日以外すべて燃やせ」の歌詞からも、宮本さんが新境地を開拓していこうとする意志と通じる精神みたいなものを感じました。
あまり短絡的な言葉は使いたくないんですが、椎名林檎さんもスカパラも、長く音楽をやってきているわけで、同志とまでは言わないですけれど、どこか通じるものがあるのかもしれませんね。もちろんあくまでも曲が主体だし、「獣ゆく細道」は椎名林檎さんの曲、「明日以外すべて燃やせ」は東京スカパラダイスオーケストラの曲なんですけど、その歌詞の中から、おっしゃるとおり、ある種、30年活動してきたエレファントカシマシや宮本浩次に対する信頼と優しさを感じました。あれだけ私が思いきって歌えたのは、それぞれの歌の根底に、そういうものがあるからなのかなと思っています。椎名さんとはコラボレーションを経て、『ミュージック・ステーション』に出たり、『林檎博』(『椎名林檎 (生)林檎博'18 ―不惑の余裕―』)のステージで共演したり、紅白にも出ることができましたし、東京スカパラダイスオーケストラとも、彼らの大切な大阪城ホール(『2018 Tour『SKANKING JAPAN』ファイナル公演 “スカフェス in 城ホール”』)という大きな舞台で共演を果たし、また『ミュージック・ステーション』にも出ました。そうした流れの中でも甘い意味ではなくて強い意味での信頼と優しさを、彼らから強く感じました。
——一方的なものではなくて、それぞれが双方向で刺激しあったり、鼓舞しあったりするコラボレーションだったのではないでしょうか?
そうであったら、うれしいですよね。私としては感化されたどころの話じゃなくて、とても大きな影響を受けてますね。新しい出会いがこれほど人間を奮い立たせて、ポジティブな前向きな気持ちにさせてくれるものだってことを実感しました。誰もがそうだと思いますが例えば、クラス替えとか席替えとかあって、新しい出会いがあると、免疫力がアップするというか(笑)、脳が活性化するというか、エネルギーが湧いてくるじゃないですか。私の場合は椎名林檎さん、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーションによって、俺にはまだこんな力があったのかという発見をしたし、あらためて出会いの素晴らしさをまざまざと感じました。
——小林武史さんがプロデュースした、ドラマの主題歌である第一弾配信シングル「冬の花」も見事な作品です。歌謡曲の王道の要素が入っていて、日本人の琴線に触れる歌になっていながら、<ただゆけ><わたしが負けるわけがない>といった歌詞に象徴されるアグレッシヴな意志も詰まっています。一般的に演歌や歌謡曲って、運命を受け入れたり、哀れんだり、悲しんだり、という傾向が顕著ですが、それとは真逆のベクトルがあって、宮本さんだからこそのポジティブな曲になっています。「冬の花」というモチーフも、はかない花ではなくて、厳しい寒さの中で咲く強靱な花という印象に変わりました。
そう言っていただけると、うれしいですね。ドラマの曲だから、もちろんドラマを前提に作っているんですが、ソロ活動をスタートした自分の覚悟と重なる部分もあるし、同時に、聴く人の覚悟とも重なる部分もあると思うんですよ。<わたしという名の物語は最終章>というフレーズもそうですが、自分のソロ活動のスタートの思いを表した狼煙みたいなところもあって。ドラマの主題歌という形を借りて、私のソロへの思いはもちろん、みんなの思い、人間の叫びを高らかに歌い上げている歌になりました。
宮本浩次
——「冬の花」に続いて配信でリリースされた「解き放て、我らが新時代」も宮本さんならではのラップ曲です。ラップにしたのはどうしてなんですか?
やってないことの中でもラップは特にやりたかったことのひとつなんですよ。本当は韻を踏んだり、いろいろと決まりはあるんだろうけれど、ラップの人たちって、言葉を自由に操っていて、言葉を自由に解き放っているということを常々感じていて、すげえなと思っていました。いつか自分もシンプルなリズムの上で、縦横無尽に言葉を叫びたいなって。そんな中で、ソフトバンクのCMソングの依頼があって、令和に変わる時期でもあり、<しばられるな><新時代>という明解なコンセプトがすでにCMのクリエイターからお題としてあった。ラップをやるんだったら、ここしかないんじゃないかと思って、思いっきり自由にやった感じです。自分なりのラップなんだけど、思い切ってのびのびと歌うことができました。
——「解き放て、我らが新時代」は音源の他にも弾き語りライブでの形態、横山さんたちとのバンド形態もあって、<しばられるな>という意志がダイレクトに伝わってきます。恵比寿LIQUIDROOMでの初のソロ弾き語りライブでもガツンと来ました。
ありがとう。あのライヴの日は私の誕生日だったんだけど(笑)、いろんな意味でスタートの日だったからあの空間の緊張感と躍動感は今思い出しても本当に最高でした。
——ソロだからこそできることを追究していくのかと思っていたので、「昇る太陽」、そして今回の「Do you remember?」と、バンドサウンドであることは驚きでした。これは?
「昇る太陽」も「Do you remember?」も私にとっては完全なトライアルなんですよ。「Easy Go」からの3部作という位置付けでもあるけど、「Easy Go」はブルーハーツやHi-STANDARD、Ken Yokoyama、海外だと、グリーンデイなどに強い影響を受けながら作った音楽なんです。この形式はエレカシではむしろ封印していた部分なんです。まるで童謡のような美しくてシンプルなメロディを、軽快でスピード感のあるハードなサウンドで表現することをあえて実践した第一弾が「Easy Go」なんです。
この曲はテレビドラマの『宮本から君へ』の主題歌として作った曲なんですけど、『宮本から君へ』という新井英樹さんの作品があって、池松壮亮さんという俳優さんが演じている主人公がいて、真利子哲也監督が目指している世界があって、その3つとエレファントカシマシの30年の歴史を遡って、青春を取り戻すべく作ったのが「Easy Go」だった。その応用編として「昇る太陽」があり、決定打となるのが「Do you remember?」。やってないことをやるという意味では「冬の花」や「解き放て、我らが新時代」と同じ意識なんですよ。いずれにせよエレファントカシマシはレッド・ツェッペリンを神と讃える男たちですから(笑)。今回、横山健さんのあのギターとサウンドに対して精一杯の歌で応えたのが「Do you remember?」です。
——「Do you remember?」はノスタルジックなテイストもあるんだけど、そうした要素も含めて、ひとかたまりでアグレッシブに疾走していけるところも素晴らしいです。シンプルだけど、味わいもあって、深みがあるところも魅力的です。30年前の時点でのリアルタイムなのか、回想なのかの違いはありますが、「Easy Go」の<陽だまりの公園>と「Do you remember?」の<光射す あの公園>というのは同じ公園ということですよね。
そうですね。「Do you remember?」は実は「冬の花」とも繋がっていて。「冬の花」の<涙にけむる ふたりの未来>と、「Do you remember?」の<きみに語った夢の夢>とでリンクしています。曲調こそ違えど、ここで初めて宮本浩次のソロとして、歌が合体したということですね。「冬の花」でスタートした宮本浩次のひとつの完成形として、「Do you remember?」があって、同じ人間が作っているということはっきりひとつの形になった。完成形と言っても、あくまでもピースのひとつの完成形。今はアルバムの曲を作っている段階なので、そういう意味での完成はまだ先ですけど。
宮本浩次
——「Do you remember?」は映画の『宮本から君へ』の主題歌で、真利子哲也監督からの依頼で制作がスタートしたとのことですが、どんな作り方だったのですか?
「Do you remember?」は、例えば「ファイティングマン」ではテーマになり得ない、言うなれば様々な経験を経た大人が思い描く夢の青春ソングだと思っています。青春の真っただ中にいる10代が作ると、これから得るであろうことを歌うしかないんですが、50代の大人が作ると、そうはならない。私は孫引きで、ヴィクトル・ユーゴーの言葉らしいんだけど“50代は老年の青春時代”っていう言葉が好きでよく引用するんですけど、横山健、JUN GRAY、Jah-Rah、宮本浩次、この4人が集まってのリハーサルの2日間、12~13時間はまさしく青春そのものでした。大人たちが本気の青春を全力をあげて追い求める。それをアートと言ってもいいと思うんですよ。
——宮本さんのアートの定義は?
アートというのは、そこにないものを生み出していくこと。現実の月夜の風景よりも、優れた画家が描いた月夜のほうに感動するのと同じように、すでに失われたものを4人の猛者たちが音楽のスペシャリストとして、ひとつの楽曲に向かい合ったときに、奇跡のように青春が甦って、音楽として描かれていく。この作品に深みがあるのは、「宮本から君へ」という映画と相まって、大の大人たちが全力でその失われた青春像を追い求めているからではないでしょうか。
——歌詞もリハーサル中に完成したのですか?
「Do you remember?」の2番以降の歌詞は、2日間のリハーサルがあったからこそ、出てきたものですね。
——この4人でのリハーサルの時の空気って、エレファントカシマシの初期の頃の空気に近いものはあるんですか?
はい。近年はかなり違った作り方をしていましたけど。例えば、『Wake Up』というアルバムは30周年ツアーの合間に作ったアルバムで、宮本浩次であるとか、アレンジャーの村山☆潤であるとか、誰かがトラックを作って、できあがったギター、ベース、ドラムのフレーズを練習して、形にしていくというやり方だったんですよ。それはそれで40年近くかけて自然にそうなっていったひとつのスタイルなんだけど、「Do you remember?」で新鮮だったのは歌詞も曲も未完成で、神話のようにドロドロした状態のものを4人の名工がそれぞれ自分のフレーズを作って、合わせて形にしていったこと。デモテープで作った「Do you remember?」に息吹が吹き込まれていく瞬間を4人で共有しながら作っていった。その過程でこの曲の本質がなんなのか、理解も深まっていった。
例えば、横山健のすごいギターが来た、そこにJUN GRAYが息のあったベースを合わせていく、さらにJah-Rahのすさまじいドラムが入ってきた、その音に刺激を受けて、私から<さよなら こんにちは>って言葉が出てきて、みんなが喜ぶっていう。互いに刺激しあいながら、ひとつの曲を完成させる、これこそまさにバンドの真髄ですよね。これは私が望んで望んでやまなかったことだし、これはエレファントカシマシでも復活させるべく、努力していかなきゃいけない部分だなと痛感しました。リハーサルとレコーディング含めて、4日間くらいしかなかったんだけど、4人の大人のミュージシャンたちがドキドキ、ワクワク、興奮、緊張しながら、1曲を作り上げるのは奇跡のような時間でした。
宮本浩次
——この4人編成で夏フェスにも出て、楽曲を作るだけでなく、一緒にステージに立ちました。この経験は大きかったですか?
いい経験になりました。……思うところはたくさんありましたね。「Do you remember?」、実は3月か4月にはレコーディングしていたんですよ。それからかなり時間が経過して、レコーディングで大人の青春をやってた私が、いざ『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019』のステージに立ったときには、あの時の純粋な気持ちではなくなって、ただの大人っぽい“ザ・忖度”みたいな人間になってしまっていた。メンバーを気にしたり、観客を気にしたり。もちろん歌うときは全力だったし、演奏も素晴らしかったし、この4人でライブをやるのは初めてだったので、ドキュメンタリーとしてのおもしろさもあったと思うんですが、私個人としては納得がいかない部分があった。エレファントカシマシもそうですけど、バンドって、長年やってると、スタイル、型ができるんですが、この4人のバンドではまだ何もスタイルがないんですね。歌だけに集中すればいいのに、不慣れで型がないゆえに、宮本浩次が一番落ち着かない兵六玉(ひょうろくだま)ぶりを発揮して、未完成な感じをさらけだしてしまった(苦笑)。
——バンドの始まりって、そういう部分も醍醐味になるのではないですか?
乱暴な言い方になるかもしれませんが、確かにそういうバンドの未完成さが、やってておもしろいと感じる部分もあるにはあるんですよ。「Do you remember?」のシングルの初回盤には、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019』のライブ音源も入っていて(「昇る太陽(Live from ROCK IN JAPAN FES. 2019.8.10)」)、それなりのクオリティーのものにはなっている。ただ、個人的には改善の余地がかなりあった。その反省を活かして、『WILD BUNCH FEST.2019』では4人のサウンドはより進化したものになった。1曲一緒に作ったからといって、そのままバンドがうまくいくかというと、そうではないとわかりました。バンドになるには共有する時間がもっともっと必要だった。そうじゃなきゃ、日曜のサークル活動みたいになってしまう。それぞれ自分の持ち場があるので、1曲だけだったら、初めて出会う4人が真剣に音だけでコミュニケーションを取ることによって、奇跡の瞬間が生まれる可能性はあるし、実際に「Do you remember?」のリハーサルとレコーディングはダイヤモンドのような時間だった。バンドのおもしろさと難しさを改めて感じました。
宮本浩次
——カップリングにはビートルズの「If I Fell」のカバーが入っています。宮本さんの歌も横山さんとの美しいハーモニーも麗しいギターも実に魅力的です。この曲をカバーすることにしたのは?
歌謡曲、ラップ、メロディのあるロックンロールがそうだったように、英語の歌詞のカバー曲も私にとってトライアルだったんですよ。アルバムにはカバーを入れたいな、ビートルズがいいかなあって漠然と思っていて。たまたま「If I Fell」をオムニバスのCDで聴いて、英語はさっぱりわからないんだけど(笑)、ともかく曲が素晴らしい。「Do you remember?」といい対照になった。健くんと私の歌のハーモニーはかなり新鮮だと思うよ。
——新たな恋の予感が描かれた曲だと思うんですが、ソロ活動って、新たな恋とも通じるところがあって、重なる部分もあると感じました。
カップリングも横山健じゃないと意味がないと思っていたので、彼に頼みました。彼はたくさんカバーをやってて、カバーを自分のものにするのが得意な人なんですよ。で、お願いしたら、“俺もビートルズ、大好き”って言って、楽しんでやってくれました。サウンドも彼がリーダーシップを取って、アコギもエレキもドラムも彼がやってます。
——スネアの質感もオリジナルに則ってますね。
ブラシでやってます。いい感じになりました。ただ、私の英語だけが心配でしょうがない(笑)。
——ソロ活動の今後の展望を教えてください。期間限定的なものなのですか? それとも継続していくものなんですか? その場合、エレファントカシマシとの兼ね合いはどんな感じで?
当たり前のことなんですが、エレファントカシマシは自分の基本だし、バンドのスタイルを追求していく場所なので、今後もずっと続けていくものですよね。そこはソロも一緒。ソロも続けていきたい。バンドとソロって、国語と数学くらい違うんですよ(笑)。全然違うからタフな作業だし、体力もかなり使うんだけど、国語も得意だけど、数学も得意というところを目指したい。土台はエレファントカシマシなんだけど、そこに甘えず、宮本浩次というソロの歌手として、思い切って自分のやりたいことをやってみたい。まあ宮本浩次歌手宣言ですね(笑)。
世の中にはいい曲がいっぱいあるじゃないですか。この間、喫茶店に行ったら、ボサノヴァが流れていて、それがいいんですよ。シャンソンみたいな音楽もいい。やりたいことがたくさんあるし、歌いたい歌がたくさんある。歌手・宮本浩次がトライアルしたいものがいっぱいある。昔、国勢調査に歌手って書いたことがあるんですが、今も職業欄があったら、“自由業”、もうちょっと細かく書く場合は“歌手”って書いてます。これからいろんな歌を歌えたらいいですね。
——宮本さんがソロ活動をやることによって、エレファントカシマシもさらに活性化されて、相乗効果がありそうですよね。
そこも期待していただいていいんじゃないでしょうか。
取材・文=長谷川誠 撮影=吉場正和
宮本浩次