広告・取材掲載

広告・取材掲載

ACIDMAN・大木伸夫インタビュー 1stにして00年代ロックの金字塔『創』をいま改めて語る

アーティスト

SPICE

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

2000年代の日本のロック名盤を語るなら、絶対に欠かせないこの1枚。2002年にリリースされたACIDMANの記念すべきデビュー・アルバム『創』が、17年の時を経てアナログ盤として復活する。オリジナルのマスター・テープを使って最新リマスタリングを施した、聴き馴染んだ『創』の世界が変わるほどの豊かな音像は、まさに圧倒的の一言。数量限定生産だが、なんとしてでも手に入れてほしいスペシャルなコレクターズ・アイテムだ。そしてリリース日の10月30日からは、全国6か所を回る『ACIDMAN LIVE TOUR“創、再現”』がスタート。ACIDMANにとって初の試みとなるアナログ盤と再現ライブ、二つの新たな挑戦に挑む大木伸夫の胸のうちは?

――あらためてじっくり聴き直しましたけども。『創』はいいアルバムですね。

僕も久しぶりに通して聴きましたけど、いいアルバムだなと思います。もちろんヘタクソだし粗削りなんだけど、潔くて若々しいし、良かったですね。

――アーティストのファースト・アルバムにはその人の全てがある、なんて言いますけどね。大木さんにとって『創』はどういう存在ですか。

今になって客観的に見ると、“このボーカリスト”はすごいフラストレーションがあって、日々を斜めから見ているな、でもそこがかっこいいなというふうに聴きましたね。この子に会ってみたいという感じがしました。尖っているというよりは、物事をあきらめちゃってる。希望を捨てたような、でも希望を忘れられないで嘆いている。手を差し伸べたくなるような子だなと思いました。

――面白い。実際どうだったんですか。当時の大木伸夫は。

本当にそういう人間だったと思います。あらためて客観的に聴いて、自分の記憶通りの声でしたね。人間って、声に出るんだなと思いました。もちろん人気にはなりたかったし、CDが売れたいとは思ってましたけど、ロック・スターになりたかったわけでもないし、大木伸夫自身が売れたいと思ったこともないし、そこそこのところで音楽をずっと続けていくのが目標だったので。ファースト・アルバムが売れたときに、過去のインタビューでも何度も話してますけど、心が冷めてしまった。「そういうつもりでやってるんじゃないんだ」という、尖りなのか、勘違いなのか、若気の至りなのか、若さゆえの美しさなのか。そういう気持ちがあふれていましたね。

――本当に興味深いアルバムで、当時思ったのは、ハードコアやパンクの匂いも感じたわけです。たとえばBRAHMANと並べてもおかしくない曲もあるし、Dragon Ash的な日本のミクスチャー・ロックに通じるところもある。モグワイとか、ああいうインスト・バンドを思わせるところもあって、グランジっぽさもある。この人たちは一体どこから出てきたんだろう?と思って、インタビューで大木さんにそこを聞くんだけど、バックグラウンドを明かしてくれないわけですよ。「ルーツは特にないです」とか言って。

ヘヴィメタルでしたからね(笑)。言えることと言えば。

――これに影響を受けたとか、これを目指すとか、そういうこともないし、「ほかの音楽は全く聴きません」とか言うから。それは真実なのか、何か隠してるのかと(笑)。

いや、本当なんですよ。何も隠してないです。でも今おっしゃっていただいたBRAHMANとかDragon Ashとか、今でこそ友達だけど、身近な音楽の影響はすごく受けていると思います。でも当時は本当に音楽を全然聴いてなかったんですよ。ルーツと言えるのはヘヴィメタルぐらいで。

――その要素が一番アルバムの中にないという(笑)。

そうそう(笑)。その反動でできたんだと思います。僕らの世代がそうなのかもしれないですけど、いろんなものを雑食で、深く掘ることをあんまりしなかったんですよ。流れてきたものを気軽にというか、さらっと受け止めてさらっと表現してしまう世代の始まりだったと思っていて。本当はそこから深くディグって、いろんなストーリーを感じさせる、その大切さが今ならわかるんですけど、20代前半の頃はそんなこと全く考えていなかった。とにかく楽しければいいし、興奮すれば良かったので、いろんな雑食の感じが出ていると思います。

――完成したときに、達成感はあった?

ありました。インディーズのときもそうなんですけど、自分たちが作った作品がお店に並ぶという概念が、僕の中ではすごく大事なことだったので、ずっと通っていたレコード屋さんの“A”のところに置いてある、あの感動はすごかった。それが2~3枚でも嬉しかったのに、『創』のときは何十枚も並んでいる。だけど、それが十何万枚か売れたんですけど、トップ10とかに入ってくると、気持ちがざわざわしてくる。「これはちょっと怖いぞ、どうなっちゃうんだろう?」って。「ただ音楽をやりたいためにやってるんだから、有名人になりたいわけじゃない」とか言って、スタッフさんの熱を思いっきり下げてしまったこともありました。でもよく考えたら、全然有名人になってないんですよ。ただバンドの中で売れたというだけで、もっと指さされるのかな?と思ってたんだけど、自分が思っていたのと全然違ってた(笑)。勘違いしてましたね。

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

――当時、これが十何万枚売れた理由って、何だったと思います?

いや、もうね、これはいろんなもののミックスだと思います。僕らに実力があったとかではなくて、明らかにいろんな人の力のおかげです。ただメンバーも僕も、数字では知ってるけど、すごい売れてるとは思ってないんですよ。未だに理解できていない。だからもったいない経験をしてるんですよ。「目標何万枚」「みんなで頑張ろう」とか言って、苦労してやっと手に入れたというわけじゃない。ライブではお客さんが何十人というのが当たり前だと思っていたし、ただCDがお店に並ぶだけで嬉しかったし、それ以上に大きな夢を描いていたわけではなかったから、突然「あれ、お金持ちになれるかも?」みたいな(笑)。なりたいなんて思ってないのに「なれるかも。でも普通に街を歩けなくなるのは嫌だ。何だろうこのざわざわした感じ」みたいな。だから、すごく贅沢な経験をさせてもらったのにも関わらず、ちゃんと味わえてない。

――残念ですねえ。

そう(笑)。でも今思うと、売れた理由は全てのタイミングが合ったからだと思いますね。音楽シーンも含めて。当時はヒップホップが全盛の頃だったんですけど、インタビューで「なんで今ロックなんですか」って、けっこうな数の人に言われたんです。「誰もロック・バンドやってないのに、なんでやってるんですか」みたいな。俺の周りはみんなロックやってたから、「え、世の中はそうなの?」と。むしろ「ラッキー、これはチャンスだ」と。そういう状況に一石を投じる意識はすごく強かったと思います。そういうことでみんなも聴いてくれたんだと思うし、一つの刺激がそこにあったんだと思いますね。

――歌詞、どうですか。今読み返すと。

いいなと思います。ぶっきらぼうというか、うまく言えないけど、最終的にはポジティブなんだけど、ネガティブが元にあって……さっきの歌い方の話に似てるんですけど、この世界をどこかであきらめて、俯瞰して、唾吐いてるような気持ちで書いていて、でもあきらめきれないであがいている、若者の心理が出ているなと思います。

――のちにトレードマークになる、大木さんの宇宙観ですけどね。このアルバムではそこまで強調されていないような気が。

いや、でも、ほとんど宇宙観だと思いますよ。

――まあそうですけどね。抽象的な言葉が多いせいかな。

それはあります。当時は抽象的なものを目指してました。これも本当にひねくれていて、みんなにわかってほしいのに、わかりやすい言葉で共鳴するのは嫌だったんですよ。なるべく抽象画でありたい。

――それはのちにわかるんですけどね。当時は「赤橙」とか、意味わかんなかったですよ。左利きの犬が笑うって何だとか。オレンジ色の砂をまく少年って何だとか。シーンが結びつかなくて。

情景なんですよね。

――そう、そう思って納得しました。これが絵とか映像ならわかるなって。

そういう、アートと言われるものが好きだったんですね。もちろん今はもっとキャパが広がっているから、わかりやすい大衆的なものの良さも理解できているんですけど、本当に好きなのはアーティスティックなものです。映画でも、あんまり大衆に広がっていないもののほうに感動してしまいますね。

――じゃあ、今歌っても恥ずかしいとか、照れる歌詞はない。

照れる歌詞はないです。歌い方ではありますけど。言葉と、あとメロディは恥ずかしいものはないです。もう客観視できてることもあって、「いいこと言うなあ」とか思います。たとえば「バックグラウンド」の<狂う拡張リズム>って、パッと聴くと「何だ?」って考えるだろうけど、僕はそれを感覚でとらえちゃうから、「わかるわー」って感じなんですよ。映画で言うと『ポーラX』でしょ?みたいな。

――ああー。そういう納得の仕方。それと演奏に関しては、技術的なことはともかく、今聴くとどんなことを思いますか。

若々しさの表れではあるけれど、エネルギッシュですよね。

――ですね。佐藤さんのベースとか、こんなにラウドだったっけ?って思うぐらいブンブンいってる。

当時のディレクターさんからは、ベースがネックだと言われていたんですよ。それを逆手にとって、エンジニアがベースを思いっきり上げてみたら、それが功を奏してかっこよくなったという(笑)。

――なんと(笑)。「造花が笑う」とか「バックグラウンド」とか、ベース始まりの曲がめっちゃかっこいい。

それはね、僕の作戦もありました。ベースだけじゃなくて、3人全員にスポットを当てようと。3人しかいないから、ベース始まり、ギター始まり、ドラム始まり、一発始まりの4パターンしかないんですよ。それを(収録曲に)振り分けている。

――なるほど! そうか。

1曲目はギター始まりで、「造花が笑う」はベースで、「アレグロ」はドラムのカウントから。「赤橙」は全員一発で、「バックグラウンド」と「at」はまたベース。「spaced out」はドラムで、「香路」は全員かな。そして「シンプルストーリー」はギターから。バランスを取って組み立てた記憶がすごくあります。3人が並列に見えるように、頑張ってやってましたね。

――その話、初めて聞いたかも。あと、前から気になってたのが「Your Song」のイントロの、リハーサルみたいな話し声。あれは?

あの曲は、シークレット・トラックにしようとしてたんです。当時流行ってたんで。10分ぐらいあけて、ごにょごにょって話し声が聞こえて、曲が始まる。と思っていたんだけど、意外と評判が良くて「もったいなくない?」と言われ、シークレットにするのはやめて。あの話し声は、これ載せられないと思いますけど、全部演じてます。4テイクぐらい録ってます。

――載せましょうよ(笑)。それ面白い。

当時は全く伝わらなかったんですけど、僕と佐藤くんはギターとベースをセッティングして、口笛吹いたりしていて、一悟くんは「ワン、ツー、スリー、フォー」を練習しているという、めちゃくちゃシュールな笑いなんですよ。カウントを練習する奴っていないじゃないですか。「ワン、ツー、スリー、あれ? ワン、ツー、スリー、フォー」って(笑)。――という笑いなんです。

――そうだったのか(笑)。気づかなかった。

「もっと練習っぽく」「もっと声張って」とか言って。4テイク録りました。

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

――楽しくやってますねえ。

楽しくやってましたよ。サークルの延長じゃないけど、まだ現実を知らないというか、絶対に結果を残すぞというプレッシャーもないし、遊んでやろうみたいな。嫌なガキたちだったと思いますけど。

――最高です。そろそろアナログ盤の話しましょうか。これは単純に作りたかった?

作りたかったんです。先ほどおっしゃっていただいたように、デビュー前から音楽を全く聴かなくなってしまって、聴くものといえば友達からもらったものとか、街で流れるものとかで、家ではアナログ・プレーヤーも持っていたのにほとんど聴かなかった。レコードもあったけど、かっこいいから置いてただけ。それが3年ぐらい前に、なぜかアナログを急に聴きたくなりだした。友達の映像監督のアキさん(小田切明広)がアナログマニアだったこともあって、いつかはアナログかなというイメージはあったんですけど、ふとウェブを見ているときに、シガー・ロスの――音楽を聴かない間に、唯一聴いていたのがシガー・ロスなんですけど、そのシガー・ロスのアナログが出ることを知って、ポチっとして、元々持ってたアナログ・プレーヤーで聴いてみたら、すっっごい良かった!
CDが悪いというわけじゃないけど、違う周波数の音が流れている感覚が体に伝わって、CDは耳で聴くけどアナログは体で音を浴びている感覚になって、「こんなに違うんだ!」と。今まで音楽業界にいたのにちょっと恥ずかしいぐらい、これはヤバイと思って、シガー・ロスのアナログを全部集めてCDと聴き比べてみると、全然疲れないし、気持ちが浄化されていくのを感じて。そこからプレーヤーとスピーカーを一新して、アンプも買って、自分の好きなアナログだけ買うようにして。ポスト・クラシカルというジャンルが好きで、それをずっと聴いてます。夜な夜な、くらーい曲ばかり。

――それで、自分も作りたいと。

アナログだと自分の声、自分のギターがどう聴こえるのかな?という単純な興味ですね。アナログの魅力を今まで、音がいいとかジャケットがでかいとか、それだけで受けとめていたんですけど、実際聴いてみると、針を落とす、針を掃除する、盤を拭くとか、一つの儀式のような気がしてくるんです。音楽をめちゃくちゃ大切に聴いている感覚が味わえて、「自分の音楽もこういうふうに聴いてもらいたいな」と思った。もちろんサブスクで簡単に聴いてもらうのも大賛成で、まずは月額いくらで聴いてもらったり、YouTubeで無料で聴いてもらったりして、Bluetoothで飛ばしてイヤホンで聴くのも全然あり。そしてそれをいいと思ったら、ちゃんとしたモノで1つ1つ丁寧に、ホコリを取って針を拭いて、針を落として、20分ぐらいの間だけどゆっくり聴いて、終わると盤をひっくり返す。その面倒くささを「こんなに贅沢なことはない」と思うようになったので、自分も出したいと思いましたね。

――折しも、アナログ・レコードの生産量が伸びている時代でもあります。

アナログの市場は広がってきているとはいえ、ほかのロック・バンドの枚数を見るとそこまで多くない。でも勇気出して倍行こうと思ったら、予約の段階で枚数をクリアして、本当にありがたいです。だから次も行けるんじゃないか?と思ってますね。次は『Loop』だとか言って、何年かに一回再現ツアーをやっていく。そうすると、あと11年は食えるなと(笑)。

――言うと思った(笑)。

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

――そして、アナログ発売日の10月30日からスタートする『ACIDMAN LIVE TOUR“創、再現”』ですけどね。アナログ盤と再現ライブはそもそも連動していたんですか。

両方考えていたんです。『創』の再現ライブをやりたいなというのは前からあって、レコードを作りたいなという気持ちもあって、同時にやればレコ発みたいになるし、ちょうどいい時期にハマった感じですね。

――再現ライブは、誰かの何かを見たとか、きっかけは?

記憶は定かではないんですけど、GRAPEVINEか、くるりか、TRICERATOPSか、先輩たちがちょっと前にやってたんです。それを見て、面白いアイディアだなと思った記憶があります。そのときには自分たちでやろうとは思っていなかったんですけど、面白いことやるんだなというのがインプットされていたんでしょうね。

――ノスタルジーでやるということではなく。

全然ないです。単純に、当時狭い会場でしかこの楽曲たちを表現してないのは、もったいないなと思うんです。でっかい場所で聴いてもらいたいなというのと、アナログ・レコードを出したいなというのと、ビジネス的な発想と(笑)。3本柱な感じかな。

――当時から全然やってない曲とかも――

あります。「揺れる球体」とか、やってないですね。あとはたまにやる曲はあるけど、10年ぶりとかの曲もあります。

――非常に楽しみです。当時を知る人も、知らない人も、ぜひ見てほしい。そしてアナログ盤もチェックしてもらえれば。

よろしくお願いします。

――このジャケット、本当に幻想的で美しいですよね。アナログ盤の大きさで部屋に飾りたい。

奄美大島だったかな。曲を聴いて、カメラマンさんが写真を撮りに行ってくれた。水中撮影で。

――裏ジャケの、幾何学模様も独特で。

でもアナログでは無くしちゃおうと思ってます。「ベンゼン環」っていう化学記号なんですけど、薬剤師の観点でいうと、それをデザイン化するのはちょっと照れ臭くて。

――あと、ブックレットのメンバーの顔写真が小さすぎて誰だかわからない。今も全く同じことをやってるという(笑)。

本当はこれも載せたくなかったんですよ。ビデオはしょうがないけど、なるべくメンバーを写したくない。これもひねくれなんだけど、自分たちを売りたいという発想が全くなかったので、そういうふうにしたかった。最初、ジャケットに自分たちの写真をという話もあって、笑っちゃいましたけどね。「何言ってるんだ? だから日本の音楽は終わってるんだよ」って。今もそれは思います。お客さんを、音楽以外のところで誘引してお金をもらおうとする輩が多すぎると思って、そこは今でも戦おうと思ってます。そんな、リスナーをバカにしちゃだめだよって思いますね。

取材・文=宮本英夫  撮影=西槇太一

関連タグ

関連タグはありません