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清春の中に渦巻く激しい葛藤と迷いを赤裸々に語る「今のあり方を何とか突破したい」

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清春 撮影=森好弘

清春 撮影=森好弘

デビュー25周年を迎え、9月には初のカバーアルバム『Covers』をリリースした清春。どんなときでもカリスマ的な存在感を発揮し、リスペクトと熱烈な支持を浴び続けている彼だが、今回おこなったインタビューでは自分自身に対する懸念、そしてシーン全体として乗り越えなければいけない点など、さまざまな葛藤や迷いを赤裸々に口にしてくれた。過去を振り返ることはあっても、そこへの執着はほとんどなく、その眼差しは次を見据えている。自分はいったい、何をどうするべきか――。そして、清春の口から何度か飛びだす「突破」という言葉。人生のほぼ半分を音楽に捧げてきた男の貪欲な姿勢は、ミュージシャンだけではなく、何かの物事に打ち込むすべての人間に突き刺さってくる。果たして、何を突破しようとしているのか。清春らしい言い回しを交えながら語ってくれた。

――現在、Amazon Prime Videoで配信中の『無限の住人 IMMORTAL』で、オープニングテーマ「SURVIVE OF VISION」を担当されていますが、同作の主人公は不死身……というか「死にたくても死ねない」という悩みを抱えながら長年生きています。清春さんも長く音楽活動を続けていらっしゃいますが、「やめたい」と思った瞬間はありませんか。

音楽に関して言えば、ライブをやめたいと考えたことはないけど、レコーディングは「もういいかな」と思うことはありますね。これまで数えきれないくらいレコーディングを経験してきて、どこかで「また、やるのか」という気分になることがあります。システムとして当たり前のように組み込まれているけど、それってどうなのかなって。やりはじめたら、自分が納得できるところまで仕事をしてしまうので。

――完璧なものを作ろうという気持ちから、そういう考えに至るわけですね。

そうかもしれないです。歌詞を書き、スタジオにこもって、長ければ何ヶ月も続けなければいけない。そんなとき、ふと感じるんです。そうやってスタジオでずっと歌うことは、「ものを作る」という意味とは少し外れているんじゃないかって。「この声は、もはや素材でしかなく、あとで編集をするために録っているんじゃないか」という疑念が生まれて「もっと良くしたい」という欲が出てくると、そういう形の作業の方に傾いてしまうし、そうなると自分本来の歌とかけ離れてしまうことが多々あるんです。

――当然ながら、声を加工したりミスやズレを修正したりしますもんね。非常に人工的なものになるとは思います。

ライターさんで言えば、Webサイトとかで掲載されるのと一緒ですよね。書いたものを編集者さんが綺麗に直したりする。

――駆け出しの頃とかは、編集者が文章に直しを入れすぎて、もはやこちらが書いたものではなくなっているときがありましたね。物書きは必ずそういう経験をしていると思います。

それと近いものがあるかもしれない。人に届けるためには、そういう作業は絶対に必要なんだけど。昔は今ほど(声や音を)いじったりできなかったし、だからこそレコーディングに緊張感が漂っていましたね。今は何でもできるから、生っぽさも薄らいでいる気がする。もう「一発録り」とか、そういうリアリティは求められていないんじゃないかな。「一発録りだからすごい」というワケでもなくなった。たとえばスポーツは記録が目に見えるし、肉体を使っていることが分かる。ミスがあっても、編集しようがない。でもレコーディングは極論、どうにかなる。だからこそ結果が見えない。それが僕にはどこかもどかしいんです。

清春 撮影=森好弘

清春 撮影=森好弘

――スポーツは、ミスを含めておもしろいところもあります。そういえば8月にバラエティ番組『ダウンタウンDX』(読売テレビ系)で「歌詞を覚えない発言」がありましたよね。今、ネット検索で「清春 歌詞」と打ち込んだら、候補ワードで「覚えない」と出るんですよ。

え、そうなの。すごい(笑)。

――番組内で、「歌詞をきっちり歌うという概念がない」と答えていらっしゃいましたよね。もしかするとオンエアでは他の発言がカットされていたかもしれませんけど。

いや、あのままですよ。20代前半で黒夢をはじめてから今までずっと、ほとんど正確に歌ったことはない気がします。今回のカバーアルバムは別だけど、自分で書いた歌詞だったら「それでいいかな」と。覚えている曲なら全体の7割くらい。覚えていない曲は一文字も覚えていないけど、メロディを聴いたら自然と出てくることは多い。覚えていなくても、そのとき自分が感じていることを歌っていいと思うんです。歌詞が分からなくなったら、思いついたことを歌ったり、あえて歌わずに空白を作ったり。確かにファンの人にとっては、思い入れの深いフレーズがあったのにライブでそれが全部飛ばされたら、「えっ」となるだろうけど。ただ、僕にはそれが決して重要ではない気がする。

――ミスではないということですね。

そう。大切にしたいのは、自分が今、何を表現したいか、どんなことを言いたいかなんです。たとえば曲、写真、映画とか、出来上がってもそれはすべてその当時のもの。1週間後には全部過去になる。数日も経てばメイクや髪型も違っている。作品ってどれも今を押さえたものだし、すぐ過去のものになる。僕は、自分の昔の写真を見ることは少ないし、本音を言えばあまり昔の曲も聴きたくないんですよね。

――でも『Covers』では「忘却の空」をセルフカバーしていて、しかもMVでは、2000年のリリース当時に発表したMVの映像と写真も使っていますよね。その点はどうですか。

そうですね、確かに20年前の映像や写真を使いました。このMVでは、あのときの自分の姿を後ろに背負っている気持ちで作りました。僕の中では、「20年も経ったけど、自分はまだやっているんだな」という感覚。

【清春】「忘却の空」from『Covers』【MV】

――自分はまだやっている、というと?

20年前と変わらず、今も音楽をやっているなって。ファンのみなさんのおかげで続けることができた。決して「今もやっているぞ。俺はすごいだろ」ではなく、感謝みたいなもの。いろんなブームがあって、さまざまな音楽があって、その流れの中でたくさんの人が去っていった。自分がこうやって長くやれているのは、本当にファンの人たちがいるからなんですよね。長くやること自体は別にすごくないから。みなさんのおかげでここまでやることができました、という感謝のMVです。そういう意味で過去を使いました

――「忘却の空」は当時、現象的な曲でした。今でも熱烈な支持が根強いドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)の主題歌。あのドラマはストリートカルチャー、カラーギャングなど象徴的な若者像が描かれていました。「忘却の空」を聴くとIWGP(『池袋ウエストゲートパーク』の略称)のことや、当時の若者の姿が思い浮かびます。ちょうど2020年にはアニメ化もされますし。

「忘却の空」は、僕を助けてくれてますよね。この曲があることによって、その後の自分の活動をうまく乗せてくれた。当時はドラマの影響力もまだまだあったし、その主題歌となると広い世代に知ってもらえた。あんな風にみんなに知ってもらえた曲が生まれたことが、ミュージシャンとして長く活動ができた要因の一つです。

――当時はまだ、主題歌とドラマが一体になっていた時代ですね。

今でも街で声をかけられるんです。「清春さんの曲、昔の彼氏が聴いていました」とか。大体みんな「昔の彼氏」なんだけど(笑)。

――ハハハ(笑)。

IWGP=忘却の空=SADS=清春という風に印象を繋いでくれる。ほかにも、久保田利伸さんの「LA・LA・LA LOVE SONG」を聴くと、すぐに『ロングバケーション』が浮かぶじゃないですか。だけど今は選択肢が増えてテレビ自体もかつてほどの影響力は強くはないから、そういう繋がり方って難しい。ミュージシャンとして辛いのは、実はすごく数が売れているのに、意外と曲が記憶に残らないことなんです。

――消費されていくということですね。今はドラマではなく、TikTokなどSNSで曲が使われる。しかもトレンドがどんどん移り変わるし、サビの部分だけ使われたりする。曲としてはかつてほど記憶に残りづらいかもしれません。

「忘却の空」は、ミリオンには全然及ばなかったんですよ。CDの売り上げは、50万枚くらいだったかな。でも、そうやって20年経っても記憶に残っている人がいるのが、この曲の大きいところ。ミュージシャンは記憶商売だから。そういえば「忘却の空」って、ドラマタイアップのために作ったわけではないんですよ。

清春 撮影=森好弘

清春 撮影=森好弘

――ドラマが作られる前から、曲はすでにあったんですよね。

そうそう。当時「とあるバンドか、もしくは黒夢の曲を使いたい」というオファーがあったんだけど、そのとあるバンドがたまたま休んでいて、黒夢も無期限活動停止になるタイミングだった。で、「SADSを始めるんですけど、次のシングルはもうできあがっているんですよね」と話したら、関係者の人が聴いてくれて「いいじゃん。ドラマにぴったり。これでいきたい」となって。

――そんなエピソードがあったんですね。

当時は、イメージが合えばどんどんタイアップがハマっていったし、自分も「そっか、次はドラマなんだ」という感覚だった。脚本もまだ読んでいなくて、そもそもこのドラマがヒットするかどうかもまったく分からなかったですし。でも結果的にブームになりましたよね。出演していた俳優のみなさんも、今では一流の主演級ばかり。

――長瀬智也さん、窪塚洋介さんや、あと妻夫木聡さん、阿部サダヲさん、高橋一生さんらも出演していました。

そういえば去年、窪塚くんと会ったんですよ。お互い、実はそれまで会ったことがなかったんです。だけど、IWGPがあって、その出演者と主題歌という関係性だけで、何だかずっと知っているような仲に感じられました。そういう部分も含めて、この曲には助けられました。だけど今はライブでは「忘却の空」をほとんどやらない。トゥーマッチすぎて。最近、フェスに間違えて出ちゃうことがあるんだけど……。

――間違えて(笑)。

うん、間違えて出てしまう。そういうフェスとかだと、「忘却の空」をやるとたくさんの人と共通項があって、楽しんで聴いてもらえるんです。

――逆に毎年恒例となっている年末公演で、「忘却の空」は今年演奏される予定ですか? せっかくセルフカバーもされましたし。

まだ分からないけど、やらないんじゃないかな。「忘却の空」をやっても、あまり盛り上がらないんですよ。

――いやいや、そんなことはないでしょう!

本当に反応が薄いんですよ(苦笑)。武道館のような会場でやると「おおー!」となるんだけど、1000人くらいのライブだと、基本的に僕のことを熱心に追ってくれている人の方が多いから、もっとコアな曲が受け入れられる。そういう雰囲気の中で「忘却の空」をうっかりやっちゃうと、「出たよ」とスカした感じになる。なんかね、黒夢のときからそういうのって変わらないというか。これが世間と現場の感覚の差なのかなって。

清春 撮影=森好弘

清春 撮影=森好弘

――でも「忘却の空」のセルフカバーを聴くと質感が変わっていることが分かりますし、ほかのカバー曲もレパートリーとしてできたので、ライブの幅は広がりますよね。

ただ、ライブって実はそれほど変わったことはできないですよね。ベースとなるものはいつも同じだから。最近はよく「ライブって何なんだろう」と考えるんです。

――深遠な話ですね。

ライブには型(かた)がある。何とかその型を取っ払いたいんだけど、でもバンドスタイルって基本的にはギター、ドラム、ベース、ボーカルがいて、人の前で演奏をする。それ自体は決して変わったことではない。手品やサーカスのように、何が出るのか分からないわけではない。そういう型がある限りは、びっくりするようなマジックは起きようがないと僕は考えていて。

――それぞれ楽器隊もポジションは決まっていますからね。

みんな楽器を持って演奏をし、僕は歌う。それ以上のことは基本的にはやっていない。そこにどのような面白みを見つけてもらったらいいのか、すごく考えるようになった。日本のバンドの中には、どこか冴えない風貌だけど「楽器を持ったらマジックが起きる」みたいな。表現者として甘い感覚を楽しむ風潮がある。でも自分は「それじゃあ、その上にはいけない」とずっと思ってやってきた。楽器や歌が上手い、歌詞が良い、MCがおもしろいではなく「その先に一体何があるのか」って。当たり前のことをちゃんとクリアした上で「じゃあ何が起きるのか」に取り組まなきゃダメなんです。これがプロだと思っています。僕はまだ、それがなかなか突破できない。世の中には当然、流行が作られる。音楽で言えば、フェスは長く続いている流行ですよね。たまに間違えて出てしまうけど。

――強調しますね、それを(笑)。

でもフェスは基本的にバンドがたくさん集まって、大きなステージで演奏して、お客さんは新しいバンドを知ったり、ご飯を食べたりするイベント。語弊を恐れず言えば「ただそれだけ」かもしれない。でも、出るからにはそれ以上のものを何とか追求したいんです。自分はそこで何ができるのかって。

――これは決してフェスのあり方に対してどうこうではなく、清春さんご自身のモチベーションというか、意識の部分ですね。

うん、フェスに出る自分についての話ですね。お客さんに「何回も、何回もこの人のライブを見てきたけど、やっぱりすごい」と驚かせるものをやりたいんです。芸術家という意味でのアーティストとして、自分をどう見てもらうか。そのためにはどんな努力をした方がいいのか。

清春 撮影=森好弘

清春 撮影=森好弘

――なるほど。そういえば、清春さんはゲリラライブなどさまざまなサプライズを仕掛けてきましたよね。

いや、僕のことじゃなくてもいいんです。ミュージシャン全体のことというか。音楽番組を観ていても、バンドの紹介のされ方が、「歌詞がおもしろくて刺さる!」「フェスの常連!」とか。「それってどうなんだろう」となるんです。演出側にそうやって説明されないと、もう誰かに刺さらない時代になっているのかなって。

――もっとミュージシャンや音楽として本質的な部分をアピールしなきゃいけないし、また聴き手にそれを知ってもらわないといけないということですか。

そういうことかもしれない。一つ言えることは、自分を安売りしてはいけない。僕らは自分自身が価値だからさ。たとえばニューヨークでライブをやったとき、3000円くらいのチケット代だったんですよ。日本より断然安い。だけど人の数が多いし規模が大きいから、それでもやれちゃうんです。日本だと国民の数を考えるとそうはいかない。ワンマンライブをやるなら、どうしても高額のチケット代になってしまう。グッズだって高くなりますよね。じゃあ、いかにしてその安くないチケットやグッズを買っていただいて、ライブを観てもらえるようにするか。そうしてもらう価値を、自分たちでどれだけ高めていけるか。ずっと自問自答しています。

――25周年を迎えてもなお、そうやって考え込んでいるんですね。このインタビューで清春さんの内面を知ることができました。

そうなんです。今のいろんなあり方を何とか突破したいですね。

取材・文=田辺ユウキ 撮影=森好弘

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