ザ・クラッシュ、英・ロンドン博物館で開催中の「ロンドン・コーリング」展のレポートが到着

史上最高のロック・アルバムの1枚ザ・クラッシュ「ロンドン・コーリング」の40周年記念盤発売に合わせて、ロンドン博物館(Museum of London)にて11月15日から「The Clash: London Calling」展がスタート。メンバーのミック・ジョーンズ、ポール・シムノンらも来場した前夜祭的なオープニング・パーティと展覧会の模様のレポートが到着した。
「ザ・クラッシュ・ロンドン・コーリング」展(@英ロンドン博物館)レポート
史上最高のロック・アルバムの1枚といわれる「ロンドン・コーリング」をクラッシュがリリースしてから今年で40周年。これを記念して、ロンドン博物館で「ザ・クラッシュ:ロンドン・コーリング」展が開かれている。11月15日のオープニングに先立ち、14日に行われたプレビュー・イベントに招待されたので、行ってきた。
プレビューというから、展示を1日早く見られるだけかと思っていたら、何と博物館の入口に長蛇の列ができている。一体何百人招待されていて、何があるのか。やっとのことで中へ入ると、広い博物館の中央ホールにDJブースが設置され、バーやカリブ料理のストールが並び、クラッシュの曲が大音響でかかる中、ここでまず勢いをつけてから隣の展示ギャラリーへ乗り込もうという趣向であるのがわかった。
バーの近くでいきなりミック・ジョーンズに遭遇。業界関係者やファン(または業界関係者でファン)とにこやかに談笑している。次々に差し出されるLPやポスターにもいやな顔一つせずせっせとサインに励む。
ポール・シムノンとペニー・スミスの目撃情報もあったが、残念ながら彼らは見逃す。ペニー・スミスは、「ロンドン・コーリング」のあの有名なジャケット写真を撮影したフォトグラファー。ポール・シムノンがフラストレーションからベースを床に叩きつけるシーンを切り取ったこの1枚は、「ロックンロールのもっとも象徴的イメージ」との称賛を受けた。彼女はまた独特のモノクロ素粒子のバンド写真で、クラッシュのハードな視覚イメージを確立するのに大きく貢献している。
ドン・レッツがDJブースに入り、「Rock the Casbah」を炸裂させる。それまでおとなしくシャンパンを飲んでいた人たちもたまらず踊り出す。ドンもクラッシュと切り離せないキャラクター。70年代からの旧友で、彼らにレゲエ、ダブを紹介し、バンドの映画を作り、ミックとは一緒にバンドを組んだこともある。
他にブラーのデーモン・アルバーンやプライマルのボビー・ギレスピーもフロアを歩き回っている。ホールの中は、こんなクラッシュ・ラブ!のミュージシャンたち、バンドと深いかかわりを持つ関係者たち、そして音楽関係者たちが、ロンドン中から全員集合したのではないかと思われる賑わいだった。
さて、人観察ばかりしていないで、ギャラリーの展示を見にいこう。一部屋に約150点という展示は、決して大きな規模ではない。しかし、メンバーの私物、未公開のバンドの記録を含む秘蔵コレクションを一つ一つ見ていくと、その奥深さに感動させられる。ジョー・ストラマーが愛用したタイプライター、ジョー、ミック、ポールによる手書きの歌詞やメモ、アルバムの曲順表、ライヴ・スケジュール、写真、ステージ衣装、楽器、バックステージ・パスのようなこまごまとしたメモラビリア…。
圧巻はなんと言っても、ジャケットにも映っている、破壊されたポール・シムノンのベース・ギターだ。1979年、ニューヨークのパラディアムにて叩き壊されたフェンダー・プレシジョン・ベース。ポールはこの日のライヴで、セキュリティが席を立とうとする観客を制止したことにひどく苛立っていたという。
79年は、英国にサッチャー政権が誕生した年。その強引な経済改革に押しつぶされそうになった若者たちは鬱憤を溜め込んでいた。また、社会正義を希求し、フラストレーションを糧にパンク・バンドとして飛び出してきたクラッシュも、世界的に成功したことにとまどう皮肉なジレンマに陥っていた。そんな時代のピリピリした空気感と、バンドのテンションが、この1本の割れたベースに集約されているように感じられた。40年後の今、そこから何か進化したのだろうか。思わずこんな思索をしてしまう展覧会だった。
シリアスなコンテンツばかりではない。拡大された「ロンドン・コーリング」のジャケットを背景にした撮影コーナーでは、各自セルフィーに励んだり、その辺にいる有名人を連れてきて一緒に記念撮影したり、皆楽しんでいた。衣装の展示、写真の展示の前で、人々は口々に「あっ、これ覚えてる!」「これも覚えてる!」を連発し、ここへ来ている人たちの多くがはるか昔にクラッシュと濃い時間を共有したことがわかる会話が聞けた。
「プレビュー」は、実に3時間に及ぶ大ローンチ・パーティだった。パーティ後、ハマースミス&シティという路線に乗って帰った。この路線は、ウェストウェイ(「London’s Burning」の歌詞)、ハマースミス・パレイ(「(White Man)in Hammersmith Palais」)など、クラッシュのロンドン・ランドマークをいくつも通って西ロンドンへ向かう、いわばクラッシュ線だ。ふだん見慣れた窓外の風景もこの日ばかりはちょっと違って見えた。何といってもロンドンはクラッシュを育て、彼らに偉大なインスピレーションを与えた都市なのだ。
「ロンドン博物館で行われるこの展覧会では、この画期的な2枚組アルバムの曲作りとレコーディングの背景や影響を与えたもの、そして、ザ・クラッシュが20世紀最強の影響力を持つブリティッシュ・バンドへ昇り詰めていく過程で、首都ロンドンの街がどのように彼らに影響を与えたかについても考察します」(ロンドン博物館のプレス・リリースより)
レポート:清水晶子(ロンドン在住ジャーナリスト)
広告・取材掲載