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樋口真嗣ロングインタビュー『小松左京音楽祭』で数多の伝説が一夜限りの復活~ 「人生の節目節目に小松左京がいた」

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樋口真嗣

樋口真嗣 (撮影:西耕一)

『小松左京音楽祭』が2019年11月30日(土)に、成城学園 澤柳記念講堂で開催される(主催:小松左京音楽祭実行委員会、共催:スリーシェルズ)。

SF作家・小松左京(1931年-2011年)の代表作『日本沈没』を原作とするラジオドラマ版、テレビドラマ版、映画版という3つのサウンドトラックを復元するほか、映画『さよならジュピター』(1984年)や映画『エスパイ』(1974年)の音楽を甦らせるなど、貴重な演奏の数々によって音楽面から小松ワールドを味わい尽くす。特別ゲストに、歌謡界の超大物歌手・五木ひろし(テレビドラマ版『日本沈没』の主題歌・挿入歌を歌唱!)、そして日本フォーク界のレジェンドアーティスト・杉田二郎(映画『さよならジュピター劇中歌を歌唱!)を迎え、演奏をオーケストラ・トリプティーク(指揮:松井慶太)とプログレッシヴロックバンドの金属恵比須が務める。小松ファンなら、現在、世田谷文学館で開催中の小松左京展「D計画」(~12月22日)と併せて、絶対にスルーすることのできない、超貴重なイベントといえるだろう。

この世紀の催しを発進させたのが樋口真嗣、乙部順子、西耕一、樋口尚文の四名から成る小松左京音楽祭実行委員会である。その筆頭のポジションにある映画監督・特技監督の樋口真嗣(1965年9月、東京生まれ)に、このほど話を聞くことが叶った。樋口は2006年リメイク版の映画『日本沈没』や、『シン・ゴジラ』(2016年)、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015年)などの監督で知られる、その領域における第一人者だ。現在は『シン・ウルトラマン』(企画・脚本:庵野秀明、監督:樋口真嗣、製作:円谷プロダクション 東宝)の2021年公開に向けて撮影の真っ只中にある。その多忙の合間を縫ってインタビューを敢行。音楽祭が実現に至った経緯や彼の思いをたっぷりと語ってもらった。

(撮影:西耕一)

(撮影:西耕一)

■耳で反芻した『日本沈没』の音楽を再現させたくて

──今回の『小松左京音楽祭』の呼びかけ人のひとりとなった経緯からお聞かせいただけますか。

僕らが子供の頃は、まだ家庭用ビデオなどがなかったので、面白そうと思った映画やテレビ番組をなかなか見れませんでした。だから朝、新聞が配達されたら、オヤジがトイレにこもって読むより先に、新聞をもぎ取り、テレビ欄をチェックして一日の予定を決めていました。ただ、そうやって見ても、面白いと思ったものを録画できないから繰り返し見ることはできない。そういう時にどうするか? カセットレコーダーで録音していました。面白かったと思うテレビドラマや映画の音を録音して耳で反芻する。あの映画がどんなだったか、思い出すのにはすべて耳を通しての記憶でした。

最初にカセットで録音したのは、テレビドラマ版の『日本沈没』(1974年)。小学校3、4年の頃でしたね。ラジオドラマの『日本沈没』(1973年)の時は、家にオープンリールのデッキしかなくて、子供には操作が難しく、録音できなかったんです。その後に、親父がカセットデッキを買ってきたので、カセットテープで録音できるようになりました。

親父のテープをこっそりくすねて、テレビ版の『日本沈没』だったり、テレビ放映された映画『キングコング対ゴジラ』などを録音していましたね。それを聴いて、自分で口で再現してました。追体験するには耳からしかなかったんでね。あとは、雑誌のグラビアですね。写真を観ながら、音楽を聴く。それで頭の中で組み立て直す。再構成する。それがビデオのない時代の我々の最大の娯楽でした。

聴いているうちに、ここで音楽が流れるから気持ちいい、このタイミングで音がでるとカッコいい。こういうのが俺は好きなんだと、映画における音楽のありようを、そして、スコアの大事さを知りました。

(撮影:西耕一)

(撮影:西耕一)

──そのようにして劇伴音楽、サントラ(サウンドトラック)の魅力に取り憑かれていったんですね。

そうです。渋谷の東邦生命ビルにあった「すみや」(2008年1月閉店)という映画のサントラ専門店にもよく行きました。映画のDVDが3000円で買える時代に、画がないサントラだけで6000円ですよ。でも! これがほしい!

映画を追体験するのが冬の時代だった頃に育ったので、音楽だけで映画以上の体験ができる特異体質になりました。もはや超能力ですね。そのうちだんだん効果音やセリフさえ邪魔に思えてきて(笑)。

そうなると、サントラを聴きながら「あれ? あの曲が入っていない」「この曲はレコードと劇中とでは違う!」ということがわかってくる。編集が違ったり、編成が違ったり。『宇宙戦艦ヤマト』だと「交響組曲は劇中で使ってるのと違うな?」とか。それでもやもやしてくる。そのもやもやをどうやって解消するか? 多くの場合は、ビデオが出たらいいや、と、それでゴールなんです。

……なんですけど! 僕らのような、ある一定の年代だけなのでしょうか、ビデオだけでは満足できないんです。交響組曲的なものではなく、オリジナルのスコアの、あの譜面を! というところまで行きついてしまう。

1990年代の半ば頃、テレビドラマ版『日本沈没』をレーザーディスクでだしましょう!と私が提案し、アミューズから発売されました。それで今度は、「テレビドラマ版『日本沈没』のサントラも出せないだろうか」と提案したんです。というのも、その頃はいろんなサントラ音源の発掘企画が盛んで、vapの「ミュージックファイルシリーズ」といった、Mナンバーが全部載っているCDもよく発売されていたんですよ。テレビドラマ版『日本沈没』の音源テープは、なんとか探し出して見つかりました。ところがマスターテープの保存状態が悪く、劣化して再生できなかった。しかも譜面も消失してしまってるという。そうなると、もう完全に諦めるしかなかった。

── 夢はそこでいったん破れてしまった、と。

はい。でも、自分の人生には、節目節目で小松左京さんが現れるんです。あの時の挫折から、かれこれ20年以上の歳月が流れました。2019年の秋に小松左京展「D計画」が世田谷文学館で開催されることになりました。そんな折です。2019年6月29日、渋谷でスリーシェルズ主催の「伊福部昭百年紀7」というコンサートが開催され、聴きに行き、打ち上げにも楽しく参加させていただきました。

ゴジラ音楽で名高い伊福部昭やその門下生の映画音楽をオーケストラで再現する「伊福部昭百年紀」シリーズは、以前自分がゲストに招かれたこともあり、これまでも足を運んできましたが、ビデオだけでは満足できない僕らのような人種にはたまらない企画です。演奏をおこなうオーケストラ・トリプティークさんは、他にも渡辺宙明、冨田勲、宮内國郎などマニア心をくすぐるような作品を生演奏で再現してくれた。そういった活動は大変に有難いと思った。譜面が残っていない作品は耳コピからスコアを起こしなおす、という心意気も素晴らしい。

そして僕はハッと気付きました。テレビドラマ版『日本沈没』のサントラを甦らせてくれるのは、オーケストラ・トリプティークさんしかいないのではないか。その時、世田谷文学館の小松左京展と、オーケストラ・トリプティークさんが一本の線で繋がったのです。『小松左京音楽祭』が閃いた瞬間でした。

より詳しく言えば、その直接的なきっかけとなったのは、「伊福部昭百年紀Vol.7」の中で『ゴジラ対メガロ』(作曲:眞鍋理一郎)を生演奏で聴いたことでした。サントラで聴いてきた「メガロ」は、当時の音声トラックではこの狭い帯域しか使えなかったんだろうと、時代的な制限も感じていました。それがオーケストラ・トリプティークによる生演奏で聴くと、音楽として豊かで、宝物を見つけたような思いでした。

多くの人たちは、正直な話、僕らの世代でも「メガロ」をまたいで行く人はいるのですが、再発見でしたね。「映画の中ではこうだったよね」「ジェットジャガーはああだよね」という記憶をリセットされるような体験でした。音楽単体ではこんなに良いんだ、という切り口があるんだなと。そういう楽しみを小松左京作品でも味わえるはずだと。それが今回の音楽祭を構想した始まりです。

スリーシェルズ「伊福部昭百年紀vol7」(最前列左から三人目が樋口真嗣)

スリーシェルズ「伊福部昭百年紀vol7」(最前列左から三人目が樋口真嗣)

■「抒情的な廣瀬健次郎」と「叙事詩的な佐藤勝」

── 演奏会に向けて、スコアの復元作業はすでに完了したそうですね。

はい。テレビドラマ版『日本沈没』の譜面をパソコンで再生したデモ音源を聴き、もう泣きそうになりましたね。一発目のデモ音源からど真ん中でした。

や、やっと! これまでセリフや効果音が入っていた。それがキレイな、純粋な音楽の状態で聴ける!! ドラマを観ていた人は「うわあー! あったーッ!」と思い出せるはずです。音楽の設計からして映画版とは全く違うんですね。映画の重厚さとは違う、キャッチーなサウンドとメロディーライン。

テレビドラマ版『日本沈没』(1974年)の音楽を担当したのが廣瀬健次郎さん。他の東宝のアクション映画でも使っていたお気に入りのスコアを散りばめているんですね。日本沈没のために書いた曲と、それ以外で書いた、お気に入りの曲も。廣瀬健次郎の総決算、全部入りですね。組曲としても、当時のテレビをイメージした、後半戦の釣瓶打ちから泣かせに至る部分の生演奏が本当に楽しみです。

あの当時のテレビドラマは、音声トラックとしては、S/N、帯域が少ないじゃないですか。使える帯域の少ないなかでセリフや効果音とケンカしないのに「音楽」を書いているスゴさですね。ドラマの音声のミックスダウンで立ち会えなくても、絶対に絞られない音楽を書くのは、いわゆるオーケストラとは違う鳴らし方をしているんでしょうね。それが生演奏で聴けるのは、楽しみです。

テレビドラマ版『日本沈没』(1974年)の企画はゴジラシリーズ等を手掛けてきた田中友幸プロデューサー(1973年映画版の製作者)が立てたものですが、いろいろと調べていくと、テレビドラマ版の音楽を手掛けた廣瀬さんはもともと東宝の中で田中友幸プロデューサー作品系列ではなく、(当時ライバルと言われた)藤本真澄プロデューサー作品の音楽に多く携わってきた人なんですね。つまりクレージーキャッツだったり、若大将シリーズの音楽面を支えてきた。そんな人が、『日本沈没』というスペクタクルをやっている。廣瀬さんは『ど根性ガエル』が1972年で、『日本沈没』は1974年なんです。ユーモアとスペクタクルを両立してやっていたという、その面白さがあるんです。

一方、映画版『日本沈没』(1973年)の音楽を作ったのが佐藤勝さん。こちらもデモ音源で聴かせて頂いて、生演奏の演奏上の揺れやフィーリングを調整して、「これはイケるじゃん!」と。こんなに複雑で重層的で、リズムのとり方も、即興的なものもあって。クラシックの正確さだけでない。違うところからも攻めている。

重厚な心を描き、運命を描く叙事詩的な佐藤勝版『日本沈没』と、ものすごく抒情的なメロディアスで、ある時はテンポがはずんで、歌い上げたりする廣瀬健次郎版『日本沈没』の違い。同じ物語の音楽でもこれだけ違うんだなあ、と。だけど両方ありだなあ、とは僕も子供の頃から思っていました。

どちらの『日本沈没』の音楽も、廣瀬健次郎さん、佐藤勝さんが一番脂の乗っていた頃の総決算ですね。総力戦です。音楽的な「D計画」! こんなチャンスを与えて頂けて小松左京先生、本当に有難うございます!!

スリーシェルズ「 佐藤勝音楽祭」(2017年)より、樋口真嗣(中央)

スリーシェルズ「 佐藤勝音楽祭」(2017年)より、樋口真嗣(中央)

■五木ひろしが『日本沈没』を歌う歴史的瞬間

── テレビドラマ版『日本沈没』の主題歌「明日の愛」と挿入歌「小鳥」(いずれも作詞:山口洋子、作曲:筒美恭平、編曲:ボブ佐久間)を歌ったのが五木ひろしさんでした。今回の音楽祭には、なんと五木さんが出演し、かの名曲を復活させることになりました。

五木さんの出演決定は、いや、もう……どうしましょうね、まさかと思いました。

今回、いろんな運命の歯車があったと思うんです。小松左京氏のマネージャーだった乙部順子さんに相談に行ったことをきっかけとして。ロケットスタートでした。そういう流れの中で、薄々「ありかな」と思っていたけれども、「いくらなんでも」と。でも「ダメ元でもあたって砕けてみますか!」と。

それで五木さんに面会に行ったのは、台風の翌日で、首都圏の交通網は殆ど止まっていましたね。ここで遅刻したらない! 歩いてでも這ってでも五木さんの事務所まで行かなきゃ!と。でも、こんなことってあるんですね。出演を承諾していただきました。良かった。擦り切れるほどレコードを聴いてましたから。

── 樋口さんご自身もこの曲をカラオケで好んで歌っているそうですね。

それこそペーペーの頃、先輩とカラオケに行くじゃないですか。自分と同世代の歌を歌うと「そういうの歌うなよ」と……。でも、そんな先輩にも「明日の愛」はOKなんですよ(笑)。「これなら歌える!」と拙いながら歌ってきました。私とか、庵野(秀明)とか……。

庵野なんて結婚式の二次会で「明日の愛」を歌いますからね。歌い出しが「さようならと泣かないで」ですよ! 結婚式の二次会で(笑)。

── 今度は五木ひろしさん本人の生声で聴けるのですから、感慨もひとしおでは?

「明日の愛」をずっと聴き続けてきた僕らの「耳」としては「五木さんは本物」ですからね。そして、無理をお願いして歌って頂くB面の「小鳥」。劇中ではかなりの頻度で使われていました。歌詞をみると、明らかに『日本沈没』に沿わせた内容なんです。

これ、言っちゃっていいのかな? 五木さんも、レコーディング以来の歌唱になるそうなんですね。史上初ならぬ史上二度目。おそらくステージだと初ではないでしょうか。これは歴史的な瞬間です。これを逃したら絶対にあとで悔しがると思います。

五木ひろし

五木ひろし

■数々の伝説が一気に甦る

── 音楽祭ではラジオドラマ版『日本沈没』(1973年)の音楽も演奏されます。

作曲は田中正史! 『サスケ』『妖怪人間ベム』『黄金バット』の作曲者!

ラジオの『日本沈没』は親父と聴いていました。日本鋼管提供でしたね。加藤武(1929年-2015年)さんが田所博士でした。その後、僕が監督した『日本沈没』(2006年)にも加藤さんに出て頂いたんです。今まで映画でもテレビでも必ず田所博士と対立して田所博士に殴り飛ばされる憎まれ役の山城教授という役でした。待ち時間にいろいろとお話できたのに、ラジオドラマ版『日本沈没』についてのお話を聞けなかったのは残念だったなあ。

ラジオドラマ版は夜中の放送で、あの当時のAMラジオはいろんな音が混じっていて、スパイの交信音みたいな「ピピピピ」って。「どこまでが本当の音楽なのか?!」と思っていました。それがクリアな音質で聴ける! 復元されたスコアをデモ音源を聴くとめちゃくちゃカッコいいんですよ。

── 音楽祭では、やはり小松左京の小説を原作としたSF特撮映画『エスパイ』(1974年)の音楽も演奏されます。こちらの音楽を担当したのは平尾昌晃、京建輔、主題歌・劇中歌を尾崎紀世彦(1943年-2012年)が歌っていました。

当時、僕を映画『エスパイ』に連れて行ってくれたのは叔母でした。というのも、叔母は尾崎紀世彦のファンで「紀世の歌が聴けるんでしょ」と(笑)。

映画『エスパイ』は、今見ると凄いですね。先を取りすぎた感じです。今撮り直したいなあ。

今回の『エスパイ』演奏でも、尾崎紀世彦さんに主題歌を歌って頂きたかったですね。事務所の近くでよくお見かけしたんです。飲み屋で近くで飲んでいたり、でも話しかけることはできませんでした。

BGMを作曲したのは平尾昌晃さんと京建輔さんですが、京さんの音楽でおなじみなのは『科学戦隊ダイナマン』ですが、「あれカッコよかったよなあ」って遡ると、ああ!『エスパイ』!……なんです。

『日本沈没』の音楽って、どちらかと言えば“土着”的じゃないですか。対する『エスパイ』は“インターナショナル”ですよね。エレピの音。あれがカッコいい! あのへんが再現されるのが、とても楽しみですね。

(撮影:西耕一)

(撮影:西耕一)

── 映画『さよならジュピター』(1984年)の同名劇中歌を歌った杉田二郎さんの出演も、このたび決定しました。同曲が生歌唱にて披露されますね。

はい、そうです。これも夢のようです。以前、小松左京さんから、『さよならジュピター』の歌の作曲を杉田さんに依頼した時の話を聞いたことがあります。杉田さんがなかなかあげてこないから、ホテルに缶詰めにして無理矢理書かせた、とおっしゃっていました。

映画『さよならジュピター』が公開されたのは僕が高校三年の頃でした。ついに、日本でも宇宙を舞台にした本格的なSF映画をやります、しかも小松左京さんが原作、脚本、総監督!……ということで僕も非常に興奮しました。

今までの、妥協の中で作られてきたSF映画が変わるんじゃないか、と。「これは受験なんかしている場合じゃない!」と。歴史が動く瞬間ですから「これはいかなきゃ!」。まだ高校生で、映画の仕事をするなんて全然考えてもいなかった頃なのに「でも!絶対に観たい!」と。

かつてない精度のミニチュアを作り、それをモーションコントロールカメラで撮影している、今までの日本の特撮では考えられないことでした。知り合いを頼って撮影を観に行かせていただきました。親には模擬試験や美大受験のデッサン会に行くと言って……。そこで、人垣のなかに、大きな身体をした小松左京先生がいらして、遠巻きに見ていましたね。その時のことが契機となって、僕は映画界に入っていったんです。その意味でも、僕にとって、重要度の高い作品なんですね。

杉田二郎

杉田二郎

── 小松さんは神戸高校のOBで作った「牧神座」という劇団で脚本・演出を手掛け、『暗礁』という作品では合唱曲の作詞作曲もしていました。今回その曲が発見されました。

当時、その劇団で一番美人だった女優が小松左京さんの奥さんになったというのがいい話ですね。今回発見された「合唱曲」は、初演より後には誰も聴いた人がいないと思います。それこそ史上二度目ですよね。

世田谷文学館の小松左京展に行くと、小松さんの使っていたヴィオラやいろんな音楽関係の展示があり、びっくりしました。小松さんの家は、そういう音楽一家というか、トラップ一家(『サウンド・オブ・ミュージック』及び『トラップ一家物語』に登場する家族)みたいなもんだったんですね。兄弟で弦楽四重奏をやったり、高島忠夫さんとはタンゴバンドを組んでいらした。

── 音楽祭の会場となる成城学園 澤柳記念講堂にメイソン&ハムリンという大変由緒あるピアノがあります。それはニューヨーク・スタインウェイに次ぐアメリカの名器であり、1957年に伊福部昭氏が選定して東宝が購入、東宝スタジオ録音センターで長年使用されてきたピアノです。これを今回の音楽祭で使用するんですよね。

メイソン&ハムリンのピアノが残っていたんです。日本に3台しか存在せず、しかも現在演奏可能なのは澤柳記念講堂に寄贈された一台だけという。数々の東宝映画で奏でられ、もちろん『日本沈没』の音楽録音でも使われた名器です。これを使った生演奏で小松作品の音楽を聴けるのも超貴重。最初で最後づくし。本当にこれを逃したら令和を生きていけませんね。

── 新世代プログレシヴロックバンド、金属恵比須が出演することも話題です。『日本沈没』が発表された1973年は、ピンク・フロイド『狂気』、キング・クリムゾン『太陽と戦慄』、EL&P『恐怖の頭脳改革』、イエス『海洋地形学の物語』などがリリースされた、プログレにとっても重要な年。プログレがSF的な題材を扱うことも多いことから、その時代の音を再現できるアーティストとして白羽の矢が立った、と。

金属恵比須を強力に推している俳優の髙嶋政宏さんからも「小松左京さんで何かやるんだって?!」と訊かれました。「あれ(金属恵比須の出演)はスリーシェルズの西(耕一)さんの発案?」と。

彼らの出演が発表されると各方面から「え? 金属恵比須とコラボ?」「それ俺も聴きたい!」と反響が大きくて。 彼らの出演は、スコアが再現される、という喜びだけでない、オーディエンスとしての楽しみがありますね。マジで楽しみです。

金属恵比須 (撮影:飯盛大)

金属恵比須 (撮影:飯盛大)

■思い出の小松左京

── 樋口さんは先ほど「人生の節目節目に小松左京さんが現れる」とおっしゃいました。

そうなんです。小学校二年の冬休みに『日本沈没』(1973年)を観て、人生が狂ってしまった。映画って凄いな、と思った最初の経験がそれでした。

それから何十年も経って、まさか自分に『日本沈没』をリメイクというお話が来るとは思ってもみませんでした。だから即座に「やれるなら俺がやる!」と。さっそく小松さんにご挨拶に行って、色んな話を伺いましたが、もう緊張して何も憶えていないですね。

完成試写会を2006年、日本武道館でやったんです。当時、小松さんの事務所「イオ」は九段と市ヶ谷の間の、一口坂の途中にあったんです。試写会のあと、小松さんから電話があって「ここで飲んでるから来なさい」って。「これは絶対に説教だな……、どうしよう」と。でも、行ったら、すっかりゴキゲンでした(笑)。それからお亡くなりになるまで短い間ではありましたが、とても良くして頂きました。

小松左京(1982年) (提供:イオ)

小松左京(1982年) (提供:イオ)

── そこではどのような話をされたのですか。

もちろん『日本沈没』の話はしましたけど、とにかくゴキゲンに酔っ払っていて、僕が質問したことに対して、全く別な話で返してくるんです。しかも、その話が面白い。そして長い!(笑) だからそのまま別の長い話を「これ面白れえな」と聞いていました。

先生が書かれた小説の話もいろいろと伺いました。今回、小松左京音楽祭があるとわかっていれば、もっと音楽についても質問したかったですね。

── 小松さんは2011年に他界されました。

思い出深いのは、マネージャーだった乙部順子さんから「小松先生のお別れ会をやります」と相談された時のことです。乙部さん曰く「ただお別れをして、昔の映像を流すのでは小松さんは喜ばないと思う!」と。過去のものや昔の思い出の写真ではなく「これからの小松さんを見たい!」「だから作って!」と(笑)。

そこで、小松左京さんをロケットに見立てて、宇宙に還してあげる映像を考えました。すると乙部さんから「これがいいと思うの!」とガンガン注文がでてくるんです。

途中で会場が暗転して、天才プラネタリウム少年だった大平貴之さんの作ったメガスターという有名なプラネタリウムを使って、満天の星空の中で松尾貴史さんにナレーションを読んでもらいました。そのイヴェントに関わった全員に乙部さんから満遍なく注文がでて、それにみんなが応えていく! 凄かったです。その後、小松さんのお墓に報告に行ったら、お墓が完全な球体で、感動しました。

最初は小学生ながら無理して読んでいた読者だった僕が、最後は、ほんの束の間ですが小松さんと一緒の時間を過ごすことができた。自分にとって本当に「良かった」と思います。

その乙部さんにも大いにご協力いただいた今回の小松左京音楽祭。これほど楽しみなことはありません。このコンサートのためにも早く『シン・ウルトラマン』の撮影を終えないと!(笑)

小松左京(1984年) (提供:イオ)

小松左京(1984年) (提供:イオ)

インタビュー・構成=西耕一
構成協力=安藤光夫
取材日=2019年10月22

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