鼓童の齊藤栄一(右)と地代純
新潟県の佐渡島を活動の拠点とし、日本全国・世界各国で公演を行う太鼓芸能集団の「鼓童」。今年11〜12月に「鼓童 ワン・アース・ツアー 2019『道』」が文京シビックホール大ホールほかで上演される。メンバーの齊藤栄一と地代純に、公演の意気込みや、鼓童の生活について聞いた。
1982年に鼓童のメンバーとなった、中心的舞台メンバー。太鼓合宿「鼓童塾」の塾長や、「ヨーロピアン太鼓カンファレンスワークショップリーダー」として熱くパワフルなワークショップを展開。
●地代純(じだい・じゅん)・千葉県出身
高校時代、和太鼓部で活動。2011年、研修所に入所し、2014年よりメンバー。太鼓、踊り、チャッパなど鳴り物を担当。
ベテランの齊藤と若手の地代が思う『道』の魅力
齊藤栄一
ーー『道』という演目はこれまで、新しい要素を加えつつ、伝統も引き継ぎつつ、何度も再演されてきた演目です。今回はどのような点が見どころなのでしょうか?
齊藤:『道』という演目はその名の通り、鼓童が歩んできた道なのです。鼓童ができてもうすぐ40年になるわけですが、鼓童ができる前の「佐渡の國鬼太鼓座」時代も含めて、当初からやられている方たちがどういう思いで舞台に立ってきたのか、まず自分たちで勉強して、それをまたその時代時代に合わせ、次の世代に伝えていくという作業をして。それが『道』というプログラムです。
初演の時から、プログラムも変わっていますし、メンバーも変わっています。その時々に学んだことをプラスして、また次の若い世代に伝えていく。それを繰り返してきました。
僕の場合は82年から、鼓童の結成が81年なので、ほぼ結成当初から入っています。鼓童のいろいろなことを知っている立場なので、自分でもこれまでやってきたことを振り返りながら、そして、また新しい世界に自分でも進もうとしています。
ーー鼓童のブログでは、鼓童の前身の鬼太鼓座時代からのメイン演目のひとつ・大太鼓を導く「謎の僧」のこと書かれていましたよね。
齊藤:はい。あれは僕の中でも新しい挑戦になっています。……僕は、鼓童結成当初に入った時のことを、個人的には「中世暗黒時代」と呼んでいるんです(笑)。前身の「鬼太鼓座」というグループは、鬼の太鼓の一座と書くぐらい、ストイックを突き詰めたようなグループで。その鬼太鼓座から独立する時に、太鼓の童になろうということで、僕の先輩たちが鼓童を作ってくださった。名前は童になったんですが、結成当初はまだ鬼でした(笑)。そこから少しずつ童を目指していこうとなって。よくも悪くもそういう世界があったこと、そういう歴史があったことを伝えられればいいなと思って、その化身が、僕がやっている「謎の僧」というわけです。
地代純
ーー地代さんにとって『道』の見どころはどこでしょう?
地代:最初に齊藤が言ったように、「モノクローム」や「沖揚げ音頭〜三宅」、「屋台囃子」など、僕が生まれる前から受け継がれている演目は、少しずつでも形を変えたり、キャストを変えたりしながらも、受け継がれています。反対に、2019年から新曲「有頂天」も入っていたり、映画音楽で使われている「The Hunted」という演目があったり、あまり舞台では演奏してこなかった「HITOTSU」という演目があったりします。
そういういろいろな要素が絡み合って、一つの2時間のプログラムができています。そこには超ベテランから、中堅から、若手、超若手までの20~60代が出演しています。いろいろな音が舞台上で絡み合って、ひとつの作品になっているところをぜひ見ていただけたらうれしいです。
ーー地代さんご自身は『道』は何回目の出演なのですか?
地代:僕は初めてなんです。秋からのツアーから参加しています。
ーーそうなのですね。今、どんなお気持ちなのですか?
地代:最初は、既にできているプロダクションに入るということで、すごく緊張していました。どういう風にやったらいいのか、演出の船橋から演出ノートをちょっと見せてもらったり、前回キャストの人にいろいろなことを聞いたり、自分なりに準備をしました。でも結局、それをなぞるだけでは面白くないので、自分がそこにいて、その舞台上の音を出す意味を考えて。新しい風になれればいいかなと、今は思っています。
過酷な研修所生活……「人生で一番濃い2年間」
鼓童提供/撮影:岡本隆史
ーーそもそもお二人とも、なぜ鼓童に入られたのでしょうか? 鼓童との出会いについて伺いたいです。
齊藤:僕が鼓童に入ったのは、80年代でバブリーな時代でした。はっきり言って、僕、仕事したくなかったんです(笑)。あの頃は何やっても生きていけるような世の中だったので、僕は世の中を舐めきっていて、会社勤めなんてしたくないなと思っていた。そんな時に、たまたま見たのが鬼太鼓座の舞台だったんです。話を聞いたら、この人たちは仕事もせずに、太鼓だけ叩いて、お金をもらって、佐渡島という島で共同生活をして、しかも世界中を回っている。
それをね、僕は高校2年生の時に聞いたんです。もう憧れますよ。当時の僕は、全然太鼓にも興味もなかったし、そもそも叩いたこともなかったんですけど、その話を聞いていいなと思って、高校3年生の夏休みに佐渡に遊びにいって「入りたいんです」といったら「いいよ」と言われて(笑)。口約束でしたね。高校を卒業して、佐渡に渡って……だから最初は何の志もありませんでした。
ーー和太鼓に触ったこともなかった齊藤さんが、鼓童に魅せられた瞬間はどんな時だったのですか?
齊藤:自分が責任を持って鼓童に入った以上、上に上がっていきたいわけですよ。とにかく太鼓のポジションを一つでもいいからゲットして目立つようにしようと目指していたんです。そのうちに、ワークショップを鼓童の中でやる機会が増えてきまして。94年ぐらいからです。舞台で自分が稽古してきたものをどうだ! と提示するのではなくて、皆さんに太鼓を叩いていただくことをやり始めたら、なんというか“一方通行”ではなくなったんです。
それまでは「これだけ頑張ってやったんだから、見てください」という気持ちが強かったんですけど、ワークショップをやることで、皆さんがどういうことを求めているかを考えるようになって、気持ちをちゃんとキャッチボールすることを学んだんです。
もともと太鼓って、それぞれの村にあって、ドンと叩けばみんなが集まってくる楽器。太鼓があるところに必ず人が集まってくるし、太鼓を叩くことによって、周りの人同士もつながる。エネルギーを持った楽器だなということにやっと気づけたんです。
ーー地代さんは高校から和太鼓をやっていらっしゃったんですよね?
地代:はい。僕は高校生の時に、部活動で和太鼓に出会いました。僕の学校は千葉県の進学校で、卒業したらみんな大学や専門学校に進学するような学校だったのですが、僕は大学に行ってもやりたいことはないな。だけど、太鼓はやりたいなと思って、鼓童も含め、いろいろなプロの団体を見ていました。鼓童には約2年間の研修期間があるのですが、そのカリキュラムが当時はすごく魅力的に思えたんです。太鼓以外にも、茶道の授業や、畑の時間があって。いままで経験したことばかりでしたし、自分の人生の糧になるなと思ったんです。
齊藤:いやぁ、志が高いなぁ(笑)
地代:それに、高校生の時に、鼓童の舞台を見ていました。本当に格好いいなと思ったし、なんでこんなに楽しそうに太鼓を叩くんだろうと思っていたことを今でも覚えています。
鼓童提供/撮影:岡本隆史
ーー研修所の話を伺いたいのですが、地代さんは魅力的と仰っていましたが、なかなか厳しい生活だったのではないでしょうか?
地代:はい、実際に入ると、ガラッとイメージ変わりました(笑)。朝がとにかく早くて、僕らの時は4時50分起床でした。冬なんてまだ暗くて夜ですよ。廃校になった木造の校舎で集団生活をしているのですが、携帯電話の持ち込み禁止ですし、テレビも見れない。パソコンも使えない。周りと連絡を取るのは文通でした。
齊藤:手紙はいっぱい書けるんだよね(笑)
地代:そう、逆に書きなさいと言われました(笑)。部屋には暖房器具もなくて、寝る時は湯たんぽを用意して、厚手のコートを着て寝るという生活でした。
ーーすごいですね……今振り返ってみて、どうでしたか?
地代:今思うと、人生の中で一番濃い2年間だったなと思います。もう戻りたくはないですけど(笑)、でもその2年間が今の自分を作っていていると感じます。確かに2年の間に辞めたいと思ったことはあります。でも、携帯もパソコンもない環境で、自分が本当に何がやりたいのか、向き合う時間だったと思います。
ーーその中で和太鼓を続けられたというのはなぜなのですか?
地代:結局、和太鼓が好きだったというのが一番だったと思います。それに、高校生の頃に見た鼓童の舞台の衝撃がやっぱり忘れられなかった。それが一番心の支えになったんじゃないかなと思います。
ーー齊藤さんからご覧になって、研修所の生活は変わってきていますか?
齊藤:僕が入った頃はまだ研修制度はなかったので、鼓童に入ったらいきなり先輩と同じ生活をしていました。朝は5時50分起床で、体操したら、5時から10キロ走る。だいたい50分ぐらいのペースで帰ってくるんです。それで1日太鼓の稽古をやって、午後の稽古が終わると、今度は60分ランニング。体が起きている状態なので12キロぐらい走る。土曜日は1時間早く起きて、20キロ走って……。あ~戻りたくない(笑)
ーーやはり、心も体も追い込むことで、精神が研ぎ澄まされるのでしょうか?
齊藤:それはあったと思います。他に面倒なことを考える必要がないんです。稽古も朝から晩まで体力稽古ということで、本当に余分なことは考えなくていい。そういうメリットはあったと思います。無理矢理なところもありますが、体力的なこと、精神的なことはかなり鍛えられるので、そのあとの自分の自信になるとは思います。
真正直に太鼓を叩く
齊藤栄一
ーーお二人は年齢差もありますが、同じ舞台を作るという意味では同志です。その年齢差という部分に関してはどう考えてらっしゃいますか?
齊藤:鼓童は、先輩・後輩という関係はあるんですけど、板の上に乗ってしまえば、全然関係がないです。誰がソロをやるかというのも、立場の上下ではなくて、演出に選ばれた人がしっかりそれを務める。それだけです。僕も後ろで支える場面もあれば、真ん中で演奏する場面がありますし、年齢差とか関係ないですね。一緒に太鼓を叩く同志です。
地代:本当、齊藤は一番元気ですよ(笑)。キャリアが上に行けば行くほど元気な気がするなぁ。
ーー地代さんは高校生の頃に憧れた舞台に立っているわけですが、齊藤さんの横で太鼓を叩いている時に、ちょっと感慨深いというか、感動したりはしないのですか?
地代:しますよ! もちろん!
齊藤:あはは、逆に変な気になりますよ。「ファンだったんです」と言われてもね。もちろんそういう時期もあったでしょうけど、普通にフラットな関係性です。
ーー改めて、鼓童という団体の魅力を教えてください。
地代:鼓童の魅力としては、みんな仲がいいというところですかね。変な馴れ合いという意味ではなく、舞台上ではフラットで、稽古中もいろいろなことを上からも下からも言い合える。それは貴重な財産だと思います。それから、先輩方が作ってくださった鼓童の音。鼓童にしかない、鼓童にしか出せない音や所作、間の作り方があります。見えないけれど、それも僕ら鼓童の財産だなと思っています。
齊藤:そうですね、馴れ合いではなく、ちゃんとものが言える関係というのは、鼓童ならではだと思います。その関係があるからこそ、作り出す音、空間にもいい影響を与えている。やっぱり先輩が高圧的だと、萎縮して音が硬くなると思うし。いろいろとアイディアを出しあえる空気感があってこそ、みんなの気持ちが一つに合わさって、音がお客さんに届いているという実感があります。
地代純
ーー最後に今回の『道』。改めて、どんな方に見て欲しいですか? 最後に一言お願いします!
地代:昔からの鼓童のファンの方々にももちろん見ていただきたいのですが、特に今の日本の若者たちにも見ていただけたらうれしいです。今のこの世の中は、YouTubeなどで見たいものがあればすぐ動画で見られるデジタルな世の中。でも動画では伝わらないものがここにあると思うんです。太鼓の振動やナマモノの良さが詰まっていると思うので、ぜひ僕と同年代の若者たちにも見ていただきたいです。
齊藤:僕が鼓童の中で一番いいなと思っていることは、飾らずに叩けること。自分のその時の気持ちを太鼓で表現しているというか。そのときの心の言葉を太鼓で演奏できているグループだと思うので、その真正直な感じを見ていただけるといいなと思います。いろいろ飾ればもっと派手にできると思うんですけど、僕たちは真正直に太鼓を叩くだけ。あとはお客さんに感じていただければいいなと思います。いろんな方に見て欲しいです。