日本のロック・フォークの原点、URCレコード50周年記念でトータル21タイトル発売

日本最初のインディーズ・レーベル「URCレコード」50周年記念プロジェクトとして、トータル21タイトルのリリースが決定した。
はっぴいえんど、フォーク・クルセダーズ、遠藤賢司、加川良、高田渡、なぎらけんいち、五つの赤い風船など時代を超えて輝く名盤と、金延幸子、休みの国など再評価が高い希少盤19枚のリイシューに加え、田家秀樹選曲による新たなベスト・アルバム, 和久井光司選曲によるレア・シングル・コレクションが2月19日、3月4日、3月18日に発売される。
また、URC50周年記念プロジェクト21タイトル発売を記念して、シンコーミュージックとタワーレコードとのスペシャル・コラボレーションも決定した。
URCレコード50周年記念ムック『URCレコード読本』(シンコーミュージック・エンタテイメントより 2020年3月発売予定)では、“日本初のインディーズ・レーベル”と呼ばれるURCレコードの歴史を、50周年の節目に改めて徹底検証。所属したアーティストたちや関係者への最新インタビューと、識者による全作品解説で、日本のポピュラー・ミュージックを一変させた先駆的レーベルの実像に迫る。
そして、URC50周年記念プロジェクト21タイトル発売を記念して、TOWER RECORDSとのコラボアイテムが発売。フロントには往年のURCレコードロゴをプリント、バックには50周年記念のロゴとNO MUSIC, NO LIFE.のロゴをプリント。今回のためだけに製作されたTシャツとなる。
今、なぜ「URC」なのかーー。
二つのことについて触れなければいけない。
一つは、昨年の3月に幕を下ろした「平成」という時代についてである。
今更言うまでもないかもしれないが、音楽史上最も激しい変化があったのが「平成」の30年余りだった。
88年、アナログ盤が全面的にCDになった。カラオケの普及とディスコブーム、ドラマ主題歌の全盛もあいまって音楽業界が空前の好景気に沸いたのが90年代後半だった。そんな状況も2000年代に入って徐々に変わって行く。
CDの売れ行きは下降し、代わって配信が主流になった。アナログからデジタルへ。音楽の聴き方も作り方も一変してしまった。
何が変わったか。
音楽から「時系列」という概念がなくなった。「リアルタイム」という要素が消滅した。
その曲が何年に生れたのか、その曲を歌ったり作ったりした人はどんな人で、そこにはどんな背景があったのか。僕らが音楽を聴くときに重要に思っていた「ストーリー」が不要になった。2019年に生まれた歌であろうと1969年に発表された曲であろうと、全てが同じ土俵で選ばれ、聴かれるようになった。
音楽が「時代」から解き放たれた。ただ、である。
そうした変化を手放して肯定してしまっていいのだろうか、と思う。
昔から「歌は世に連れ」と言われるように、音楽はその時代を反映している。それは、曲や詞だけではない。レコーディング環境も関わっている。テクノロジーの変化を無視するわけにはいかない。今のようなデジタル万能とは対極のような手作りの中で生まれた曲がほとんどだろう。そして、そのことが何でも可能になったデジタル時代の若者たちに新鮮に映っている。
「70年代ってどんな時代だったんですか」
80年代生まれの若いバンドやミュージシャンからしばしばそうした質問を受けるようになったのは2000年代になってからだ。
ネット世代の若者たちの音楽のアンテナは、当時、僕らが想像だにしなかった可能性を秘めている。
だからこそ、今「URC」なのだ、と思う。URCは日本で最初に誕生したインディーズのレコード会社である。“UNDERGROUND RECORD CLUB”(アングラレコードクラブ)が正式名称だ。
発足は69年2月。そもそもは68年2月に出る予定だったザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が政治的な理由で発売中止になったことが発端だった。
自分たちの歌いたい歌がメジャーなレコード会社で出せないなら自分たちで出そう。第1回の配布シングルは、アマチュア時代のフォーク・クルセダーズのメンバーと作詞者の松山猛で組んだフォーク・グループ、ミューテーション・ファクトリーの「イムジン河」。メジャーで出せなかった曲だ。ディレクターはザ・フォーク・クルセダーズの一員、北山修だった。
当初は会員制の自主販売組織として始まったものの入会希望者が多すぎて69年の8月から市販するようになった。流通を通さずに各レコード店や楽器店約130店と直接販売契約を結ぶ。まさにインディーズの原型である。
そこから70年代半ばに至る約7年。“商業ベースにのらない歌”は、どれも「平成」の“商業音楽”全盛の中で育った聴き手には信じられないものばかりだろう。
“商業ベースにのせない”ということは何を歌ってもいいということだ。規制も制約もない。プロもアマもない。まだ「シンガーソングライター」という言葉すらない。その人が思ったことを思いつくままに歌う。
それは「自由の歌」でもあった。二つ目のことについて触れようと思う。
「平成」の30年余りの中で最も歴史的な出来事が東日本大震災だったことに異論を挟む人はいないだろう。
工場が被災しCDが作れなくなった。ライブをしたくとも電力事情が許さなかった。「当たり前のこと」が「当たり前ではなくなった」中で音楽に何ができるか。ミュージシャンだけでなく音楽に関わる全ての人が「生き方」を考えざるをえなくなった。
「URC」のアーティストはほとんどが10代後半から20代前半。彼らに共通していたのは「お手本」がない、ということだった。
「軍歌」や「文部省唱歌」で育った「大人たち」とは相いれない価値観。「僕らの歌がない」ということから始まった。
日本の音楽史上、若者たちの「生き方」が音楽になった最初の例が60年代後半から70年代にかけてのフォークやロックだろう。「URC」は、その最大の拠点だった。「昭和」の若者たちの「どう生きるか」という自問の産物が「URC」だったのだと思う。
彼らがなぜ、こうした音楽を残したのか。
それを知ることで音楽が違って聞こえるに違いない。それは僕らがやらなければいけないことだろう。今、なぜ「URC」なのか。
20世紀が終わり21世紀になった。
世の中は良くなっているのだろうか。
そして、若者たちは未来に希望を持てているのだろうか。
50年前に生まれた音楽が、82年前に書かれた小説『君たちはどう生きるか』がベストセラーになる「令和」の若者たちにどんな風に聴かれるか。
彼らが求める「生きるヒント」がこの中にあることを願うばかりだ。
「URC50th」は、そののためにこそあるのだと思う。田家秀樹
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