宮本浩次 撮影=吉場正和
椎名林檎とのデュエット曲「獣ゆく細道」と東京スカパラダイスオーケストラとのコラボ曲「明日以外すべて燃やせ」をはじめ、自身が出演もした月桂冠THE SHOTのCM曲「going my way」、「冬の花」と「ハレルヤ」のドラマ主題歌2曲、映画『宮本から君へ』のために書き下ろし、横山健と共にレコーディングした「Do you remember?」などなど、12曲中9曲がタイアップやコラボ等ですでに発表されている、という、ソロアルバムとしてはファーストなのにいきなりベストアルバムみたいな状態で世に放たれる『宮本、独歩。』。
以下、いかにしてこのアルバムが生まれるに至ったかについて、宮本浩次が語ったインタビューだが、本作に留まらず、エレファントカシマシ30周年(2017年)の一連の活動以降も、それ以前のキャリアも含めて総括するテキストになった。
■自分のソロのスタートは、小学校2年
──遡ると、ソロをやりたいというのは、それこそ20年くらい前、打ち込みで作った『good morning』(2000年)や、小林武史さんと作った『ライフ』(2002年)の頃から言っておられましたよね。
そうですね。
──そのときはやらなかったけれども、今回はやったというのは、どう違ったんでしょう。
やっぱりその、自分のことを歌手だとずっと思っていて。エレファントカシマシというバンドでやっているから、その中で歌の係をやってきたんだけど、もっと遡って言えば、エレファントカシマシに入る前から歌が好きだったし、合唱団(NHK東京児童合唱団)にも入っていた。今回こうやっていろいろ取材を受けて、「ソロのきっかけは?」とか訊かれる機会が多いから、自分でも考えることが多かったんだけど、小学校2年で合唱団に入った時からソロの意識は持ってたんだ、と思うようになって(笑)。レコードも出しているし──。
──はい。「はじめての僕デス」(1976年。宮本の独唱で『みんなのうた』でオンエアされ、当時の小学生はみんな知っているくらいヒットした)ですね。
そこなんですよ。ソロのスタートはそこ。合唱団の23期生だったんだけど、その一員で……実はあの合唱団っていろんな活動があって。当時は『みんなのうた』以外にも、『歌はともだち』とか、NHKホールで定期的にやる児童向けの番組があって。演奏会も定期的にあって、年末にホールで歌を歌ったりとか。そのへんからスタートしているわけ、自分の歌手生活は。
中学生になって今のメンバーと出会ってから、ずっとバンドで歌い続けてきたけど、ソロっていう意味ではずっとソロなのよ、歌手という部分ではね。エレファントカシマシが素敵だから、そこを土台にして歌を発表してきたんだけど、『ライフ』とか、『good morning』に関して言うならば……『ココロに花を』(1996年)と『明日に向って走れ-月夜の歌-』(1997年)っていう2枚のアルバムは、エレファントカシマシ史上ではいちばん売れたし、最高のアルバムになりました。「悲しみの果て」から始まって、新しい事務所になって、プロデューサーの佐久間(正英)さんや土方(隆行)さんと一緒に作ってね。
で、一回売れたあとに、新しいチャレンジがしたくなるんですよ。「次はじゃあどうやっていくか」っていう。その時点で16年ぐらいエレファントカシマシをやっていて、そのあとどうするかっていったときに……だから、今とちょっと似てるんだけども。
宮本浩次 撮影=吉場正和
──はい。30周年の活動が大成功に終わったあと、次はどうするかという。
そう。そのときに実験というか、新しいこと、まだやってないことを……たとえば、『good morning』で打ち込みをやってみたのもそうだし、小林武史さんとニューヨークでレコーディングして『ライフ』を作ったのもそうだし。
当時、俺が好きだったのは、たとえばナイン・インチ・ネイルズとかさ、ベックとかさ。レディオヘッドもそうだし、プライマル・スクリームも、ロックバンド然としてるんだけど、打ち込みを使ってたじゃない? ザ・ストーン・ローゼスも、あれだけの演奏力を持っていながら打ち込みも使っている。だから、「ガストロンジャー」はモロにその影響も受けていると思うし。そういう意味では、あの頃も新しいものにチャレンジしていて。バンドの名前で作った作品ではあるけれども、サウンド面ではね。……いいですか? 今ので答えになってますか?
──はい。というか、確かに似てますね、その頃と今って。
そうなの。だから、くり返しですよね。たとえば『生活』っていうアルバムで、僕が初めて全曲ギターを弾いてることも、それに近いと思うんです。これまでもひとつずつ、実験してやってきてるのね、宮本浩次がやりたいことを。そのパートナーが……今まではエレファントカシマシっていうすばらしい仲間たちだったけど、今回は違うっていう。たとえばね、ドラムはトミ(冨永義之)しか知らなかった。でも今回のアルバムは、屋敷豪太さん、ヨッチ(河村吉宏)、椎野恭一さん、山木秀夫さん、4人のドラマーとやっている。4人全部それぞれ色が違うし。もちろんトミも違う。
それによって、エレファントカシマシっていうものがどういうものか、客観視できるし、その良さも自分の中でわかってるつもりなんです。それで、30周年のエレファントカシマシの成功が、取りも直さず『宮本、独歩。』に、より力強く……この30周年が成功したからソロをやってるわけじゃ、実はないんだけども。
──もっと前から決めていたんですよね。
そう。30周年のツアーが終わったらソロをやるって、メンバーにも、事務所のスタッフにも宣言して、スタートしてるし。だから──このアルバムの初回盤にも入ってるけど、リキッドルームでのバースデー・ライブ(2019年6月12日)はソロでやる、って決めていたから、1年以上前から会場は取っていたし、そこでソロをスタートさせるっていうのは決めた上での30周年だったんだけど。幸い、それが大成功した。エレファントカシマシの30周年をみんな盛り上げてくれたし、CDも売れたし、成功もできたっていうのは、すごく後押しにはなってる。
宮本浩次 撮影=吉場正和
■エレファントカシマシの30周年は、宮本浩次の40周年
──でも、前にうかがった話だと、(ソロは)もうちょっとゆっくりやるつもりだったんですよね。30周年の翌年、ニューアルバム『Wake Up』のツアーが終わったら、ちょっと休んで、旅行に行ったりして、というような。
そう。
──で、ソロ・アルバムを、自分の世界をじっくり突き詰めて作ろうと思っていたら、その前に表舞台にひっぱり出されたみたいな。
その一番最初が、スカパラと林檎さんとのコラボで。特に林檎さんとの曲は『紅白』にも一緒に出た。それは本当に真剣勝負だったし、スカパラとのコラボも、すごく緊張感の高い、最高のコラボだったと思うし、そのふたつをやることによって、なんて言うんだろうな。さらに表舞台に居続けることができるきっかけになったと思うんです。そのあとのソフトバンクのCMとかもそうですけど。
──一連のCMや、ドラマの主題歌とかの話って、椎名林檎・スカパラとのコラボのあとに話が来たものなんですか?
月桂冠THE SHOTのCMは「Going My Way」っていう曲で、出演もするっていう。あれはもともと、話自体はあった。あと『宮本から君へ』の話もあった。テレビドラマ版にエレファントカシマシで「Easy Go」を書いたじゃない? いつになるかわからなかったんだけど、「映画になる場合はまたよろしくお願いします」っていう話にはなっていたから。
宮本浩次 撮影=吉場正和
──じゃあそれ以外はなかったんですね、当初は。
うん。でも、幸いなことにね、すごくいろんなものが……まあ、そういう物事ってさ、おもしろいもんでね。俺がああいうふうにやろうと思って全部計画を立てたり、あるいは誰かが計画をしてくれて、それを1年通してやった、ということでは全然ない。でも、30周年のエレファントカシマシのホール・ツアーが成功したこと、ベスト・アルバムが売れたこと、紅白歌合戦に出たこと。それはやっぱり、ものすごく世の中の信頼を勝ち得た、大きな出来事だったと思う。その流れのあとに、スカパラや林檎さんの話っていうのはあったと思うんですよ。
あと、エレファントカシマシにおける30周年の歩み、紅白歌合戦に出る、というのに先立ってさ、宮本浩次のNHK合唱団時代からの流れっていうものもあって。おふくろに連れられてさ、小学校2年のときにNHKの放送センターに行って。私が「はじめての僕デス」を歌ったのが10歳のときだったの。そこからちょうど40周年で、『みんなのうた』で「風と共に」という歌を歌った。
——そうでしたね。
「あ、10歳のときか! もう40年になるのか!」って私も思い出したんだけど。だから、30周年の活動っていうのは、単に動員が多かっただけじゃなくて、エレファントカシマシにとってもそうだし、宮本浩次にとっても、非常に大きな区切りだったんですね。不思議な巡り合わせなんだけど、40年前に『みんなのうた』で歌ってた人が、また『みんなのうた』をやっている、さらに紅白に出る。っていうひとつの流れが、幸いにつながったというかね。そういういろんなことがあった中での、『宮本、独歩。』のスタートだったと思う。
だから、この1年っていうのだけ見ると、自分とは全然関係ないところでオファーが来ているようだけど、その40年の歩みとエレファントカシマシの30周年っていうのが、すごく社会的な信頼を得る出来事だったのかな、っていうふうには思います。
宮本浩次 撮影=吉場正和
■失敗できない、緊張を強いられる場面というのは、むしろ望むところじゃない?
──そのオファーに全部応えて曲を作っていく、しかもこの1年の間に。というのは、うれしいことではあるけど、大変でもあるじゃないですか。
まあ、そうですね。
──そこで忙しすぎたり、混乱したりはしなかった?
いやいや、そんなことないです。やっぱり私、常に曲を書いていて、頼まれなくても常に作ってますから、慌てるっていうことはなかった。それにほら、自分ひとりで作ってるわけじゃないから。今までは、たとえばバンドのメンバーをパートナーにして作ったりとか、村山潤さんをパートナーにする、蔦谷好位置さんをパートナーにする、小林武史さん、亀田誠治さん、それぞれ音楽部門でのパートナーはいたんだけど。
たとえば『後妻業』ってドラマがあって、関西テレビのプロデューサーが会いに来て、「こういう歌をお願いします。このドラマはですね……」って具体的に。だからプロデューサーがパートナーになるわけよ。自分ひとりじゃない。映画の音楽を作ったり、コマーシャルの音楽を作ったり、テレビドラマの音楽を作ったりっていうことは、的がすごくはっきりしてるから。バンドのアートのように、混沌としたところから自分の道を作るっていう、つかみどころのないものじゃなくて、『後妻業』ってドラマの主題歌であるとか、ソフトバンクのCMである、しかも「しばられるな」ってコピーまでもらって、歌詞の一部に入れるっていう。
それは、困るどころか、彼らと一緒にその曲を作るっていうことに全力をあげられるから、むしろ私の中では、非常に力を発揮しやすい。自分の歌をそこで活かして、どうやって彼らに楽しんでもらえるか、ワクワクドキドキですよね。ドラマが盛り上がるように、CMが盛り上がるように、全力で作るんですよね。
——なるほど。
それで、新しいパートナーと一緒に、一個一個作っていった。年末にソフトバンクのコマーシャルで「恋人がサンタクロース」——ユーミンの名曲を歌ったり、『COVERS』って番組で小坂明子さんの名曲「あなた」を歌うとか。そういうのも全部、パートナーがいて、一緒に考えてるのね。彼らと一緒に素敵なものを作るっていう。
だから、そんなに大変とは……もちろん大変なんだけど、その大変さっていうのは、緊張感のある、甘えが許されないっていう意味でのもの。メンバーや環境についつい甘えがちな宮本浩次が、そういう表舞台で、失敗できない、緊張を強いられるというのは、むしろ望むところじゃない? やりがいのある舞台に、よくぞ誘ってくれた。だからほんと夢中でやってきただけで、大変とか思うヒマもないっていう。だってね、ソフトバンクのCM曲が1曲あったら、普通はそれアルバムの1曲目ですよ?
■労働を元気でできるっていうことは、それが目的じゃない?って思うようになった
──そうですね。そういう曲が膨大にあるアルバム。
こんなにね、すごいタイアップばっかりで。しかもアルバムとしての統一感がある。すごいよ? だから私が思ったのは、40年かけて、宮本浩次とエレファントカシマシでやってきたことを、この1年間でダイジェストで作れたような。すさまじいハイクオリティのパートナーと共に、ほんとに緊張感のある、いちばん良いものを作ったと感じています。
──当初思っていた「こんなソロ・アルバムを作ろう」というような作品は、またいつか作ればいいか、という感じですか?
ああ、それね。俺、最近気づいたことがあって。結局はその、労働を元気でできるっていうことは、それが目的じゃない?って思うようになってきたわけ。元気に働いているってことが、自分にとっての本分っていうかさ。生きてるってそういうことかな、みたいに思うところもあって。今こうやって働いてる、しかも歌の仕事や音楽の仕事、ライブの仕事で自分の力を出している、これ以上の喜びってないんじゃないか? って思うわけ。
そうするとね、俺は、まあどんな形であれ歌を出すわけだから。自分でやりたいことを……たとえば今みたいな、すごい緊張感のあることを立て続けにやるのもやりたいことだし、最初にソロでやりたいと思っていた歌っていうのもね、やりたいことではあるとは思うんだけど。
宮本浩次 撮影=吉場正和
でも、今のこれこそがやりたいことだよね、きっと。やっぱり表舞台で、みんなに楽しんでもらえること。歌を通じて。……だから、時期によって、たとえば今回みたいな話が来なくなったら、今度はそういう歌を作ると思う、俺は。結局、どんな形であれ、みんなに歌を届ける仕事をし続けてさえいるならば、あとはどうでもいいなっていうふうに思ってるのね。その環境に合ったやりかたで、まだやっていないことを、残された時間の中でやっていく。自分がやりたいことを1曲でも多く形にしていくっていうことなのかな。
──で、ツアーがありますよね。まだフェスでの短い時間しかライブを観れていないので、楽しみですが。
はい。もうリハーサルをやっていて、メンバーは、ドラム・椎野恭一さん、ベース・TOKIEさん、ギター・名越由貴夫さん、キーボード・蔦谷好位置さんっていう、今100%信頼できる人たちとやっていて、乞うご期待なんだけど。けっこういろんな曲をやっていて、「獣ゆく細道」とかも、ちゃんと練習していて。
──あ、やるんですね。
うん、全部自分で歌おうと思って。エレファントカシマシの曲もやるんだけど、アレンジを完全に変えてやる曲があったりして。だから、すごくバリエーションに富んだ、おもしろいものを見せられると思います。まあ失敗を恐れずに、いろいろやろうと思っています、はい。
取材・文=兵庫慎司 撮影=吉場正和
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