髙木竜馬
2018年に第16回グリーグピアノ国際コンクール 第一位ならびに聴衆賞を受賞、TVアニメ『ピアノの森』では反田恭平や牛牛らとともにメインピアニストとして雨宮修平役の演奏を担当したことでも話題を集めた若きピアニスト・髙木竜馬。現在ウィーン在住の彼が、2020年8月23日(日)より東京・千葉の6会場でソロ・リサイタルツアーを行う。今年生誕250周年を迎えたベートーヴェンの名曲ソナタ《悲愴》《月光》《テンペスト》《熱情》を携えて行われる今回のリサイタル。ウィーンでの留学生活や今後の目標とともに髙木に話をきいた。
■特別な “ふるさと” からスタートできる幸せ
――今回のリサイタルツアーは、午前と午後の二回公演という日も多いですね。ベートーヴェンの名曲中の名曲ソナタ4曲の連続演奏という内容も考えると、コンディションの調整にも気を遣われるのではないでしょうか。
こういう時期ですので、客席数の半分まで入場制限をしなくてはいけない会場もありまして、午前と午後の二回公演にするのが一番の策では、ということになりました。最後の一公演以外はすべて午前と午後の二回公演の演奏です。
確かに、今回の曲目は精神的にも消耗する内容で、「世界で最も難しいプログラム」 と言っても差しつかえないと思います。でも、僕自身、演奏している時が最も 「生きているな」 と感じられる瞬間なので、こんなに多くの演奏の機会に恵まれるのは本当に幸せです。一つひとつの演奏会でベストを尽くして、少しでもこの4曲の神髄に、そして、ベートーヴェンという人物に近づけたらと思っています。
――多くの公演が、髙木さんのご出身地の千葉県で開催されますね。特別な思いはありますか?
はい。僕は生まれも育ちも千葉県ですし、千葉は特別な “ふるさと” です。小さな時から応援してくださっているファンの方々も大勢いらっしゃいますし、留学してからも、コンクールの時など、多くの方々が声援を送って支えてくだっています。久々のリサイタルが、まず初めに生まれ故郷で開催されることが本当に嬉しいです。
髙木竜馬
■今だから聴かせたい、ベートーヴェンがソナタに託した”生きる希望”
――今までにも、この4曲連続演奏したことはありますか?
4曲をまとめてというのは初めてです。なので、それぞれ独立して1曲で演奏する時と、少し解釈も変えなくてはならないと考えています。例えば、「この2曲の間に、この曲が入るのであれば、通常は試みないけれども、今回だけこの部分をもっと強調してみようかな……」という感じです。
――どの曲にも、悲劇的な中に、光や希望というものが見出せるように思えます。
僕自身は、基本的に “絶望の4曲” と捉えています。どの作品も、全体を通して絶望感が全面的に出ていますが、だからこそ、緩徐楽章であるそれぞれのソナタの第2楽章の明るい希望を感じさせる部分の美しさは格別ですね。
ただ、さらに全体を俯瞰してみると、それぞれの一曲だけで人生が終わっているのではなく、これら4曲すべての作品を通して、ベートーヴェン自身が希望をつかみに行くためにもがいている姿がリアルに伝わってくるように思えるんです。作曲家自身の精神の成長の過程と言いますか……。どの曲も、それぞれに、もがき方が違うんですが、何かを模索する姿はどれも一致しているんじゃないかなと感じています。
――今年はベートーヴェンの生誕250周年という記念年ですが、現在の状況を踏まえて、思うところはありますか?
生誕250年という記念すべき年でもあり、コロナ禍という状況下だからこそ、ベートーヴェンを演奏するというのは大きな意義があると思っています。
今回演奏する4曲は、1802年という年を挟んで、およそ9~10年の間に書かれています。
“ハイリゲンシュタットの遺書” を書いた、この1802年がベートーヴェンの人生の最も重要な転換点で、この遺書が書かれる前と後では、全く作品に反映されている精神状態が違うんです。遺書を書く前は、聴力を失うことへの恐怖、そして、音楽家としての地位を確立していたために難聴であることを公表することが出来ない苦悩や絶望感に打ちひしがれていた。これらの葛藤から逃れられるのは、唯一、“諦観”の中にあると。要するに、死です。
髙木竜馬
「神はなぜ私にこのような仕打ちを与えたんだろう」 と何度も運命を呪って自殺を考えた。ところが、遺書を書いているうちに、少しずつ彼の精神が高揚してきているんです。希望を見出したというか、多分、遺書をしたためたことによって自らに打ち勝ったのかもしれません。遺書も後半になると、「私は芸術のために生まれ、自分が果たすべきだと感じている全ての事を成し遂げないうちに、この世を去ってゆくことはできないのだ……」と。そこから彼の人生は変わるんです。
今、コロナ禍で世の中がガラッと変わって、演奏会も簡単にできないですし、音楽との関わり自体を変えなくてはならないところにきている。僕自身も最初の頃はウィーンにいたので、これ程まで身近に恐怖を感じたことはありませんでした。生きるか死ぬかという状態でしたので、演奏会なんて、とても考えられない。学校ももちろん休校という中で、「音楽って何のために必要なんだろう」 というようなことを毎日考えていました。
そして、いろいろ見つめ直したのですが、やはり行きつくところは結局、音楽で……。こういう曲を勉強してみようとか、より解釈を深めようと考えながら、結局、僕自身、音楽に救われたことで、自分自身を奮い立たせ、寄り添ってくれるものが音楽であると認識しました。
幸せな時もいいですけれど、辛い時にこそ響くものがあるのが音楽ではないかと、改めて思うことができたんですね。そうしたら、困難……、現在で言えば、コロナとの闘いですが、それに打ち勝つ私たちの姿が、ベートーヴェンの人生にリンクするように思えてきたんです。
実際、これからも困難な闘いになると思うのですが、私たちは生きる以上、決して降伏して白旗をあげるのではなく、打ち勝つことを目標としていかなくてはいけない。だからこそ、今ベートーヴェンの作品を演奏することに、より意義があるのではないかと感じています。
髙木竜馬
■音楽家の軌跡を身近に感じるウィーンでの留学生活
――現在は、ウィーンの国立音大と、イタリアのイモラのアカデミーの両方で勉強されているのでしょうか。
ウィーンに住んでいまして、月に1、2回ほど、イタリアに通っています。イモラは個人レッスンしかないので、行ける時を選んで3~4日滞在してレッスンを受けに行く感じです。今、師事しているのはペトルシャンスキーというロシア出身の先生で、ゲンリヒ・ネイガウスの最後の弟子といわれる方です。
――ネイガウス楽派とは、ロシア伝統奏法の本流と言われますが、具体的にどのような奏法なのでしょうか?
実は、ロシアにはネイガウス楽派・イグムノフ楽派・ゴリデンヴェイゼル楽派・ニコラーエフ楽派からなる、4つの伝統的な楽派がありまして、僕はもともとエレーナ・アシュケナージ先生についていたので、まずイグムノフ楽派の流れを汲む奏法を学びました。フレーズの頂点でフッと抜くんですね。それが、ゾワッというくらい耽美的で……。最も尊い楽器である “歌” をピアノで表現しなさいということなんです。
一方で、ネイガウス楽派の場合、定義がちょっと難しいんです。今、僕が師事しているペトルシャンスキー先生は、強弱の記号についても、例えば、作曲家の心の葛藤や嘆きの表現であれば、それを一つひとつの生きた言葉に置き変えて、より大きな世界観を表現するきっかけを与えてくれます。オペラのようにドラマティックで、人生そのものを見ているような、より大きな世界や情景を表現するために緻密に楽譜を読み込んでゆく……、そのような一つの曲作りのプロセスみたいなものが、ネイガウス楽派の考えなのかなと思っています。
髙木竜馬
――高校を卒業してウィーンに留学されていますが、ウィーンに暮らしてみて一番良かったと思うことは?
音楽的な環境が充実していることですね。演奏会も多いですし、立見席や学生席もあって、5~6 ユーロ(立見)、10~20ユーロ(学生席)くらいで毎日いろいろな演奏会を聴けます。
あと、ホイリゲというウィーン風の居酒屋に行くと、「シューベルトが毎日ここに来て飲んでたんだよ」 とか、「ベートーヴェンが毎日来てたんだよ」 とか、飲みに行くだけでもそんな話題が出てくるんです。音楽家の軌跡を日常の中で感じられて、彼らの生き様を本当に手の届くところで追うことができるのがウィーンの魅力ですね。僕の知人なんか、「シューベルトが住んでいたアパートに住んでるんだよ」 っていう感じです。
■実は酒豪?! 音楽以外にハマっていることは?
――ホイリゲと言えば、実は髙木さんはかなりのお酒好きと伺ったのですが……。酒豪伝説もあるとか?
はは、実はビールが好きなんですけれど、ウィーンの居酒屋はビールを置いてないんですよ。なので、ワインで始めるんですが、店の隣の畑でできたブドウのワインなのでとにかく安い。だから、勢いよく飲んでしまうと、後でパーンと来るんです。ただ、本番前は体調管理のために、お酒は飲まないようにしています。
――ビール好きなら、ミュンヘンに留学したほうが良かったのでは?
ハハハ。そういえば、ミュンヘンのオクトーバーフェスト行きました! もう、スゴかったですよ。数千人規模の入る大きな会場のど真ん中で、一時間に一回、乾杯の歌というのがあって、みんなで机の上に乗って一気飲みのスピードを競うんです。これが、ブロック対抗でして。
実は……、僕、ブロック優勝者になったことがあったんです。そしたら隣のブロックのチャンピオン、2メートルくらいの大男が僕のところに来て、「おい、お前がここで優勝したらしいな」 って言って、彼のブロックに連れて行かれて、どうやら彼と戦ったらしいんです。結局、そこでも僕が勝ったらしいんですが、僕自身、すっ倒れて何も覚えていないので、これは全部、後日、友人に聞いた話なんですが……(笑)。
髙木竜馬
――他に音楽以外でハマっていることはありますか?
サッカーがスゴい好きですね。小さな時から、ずっとやってたんです。留学してからもウィーンの日本人会のチームでプレイしていました。小中はゴールキーパーをやっていました。
――ゴールキーパー! 突き指したら大変じゃないですか。
しょっちゅうしてました……。
――英才教育でピアノ第一の生活かと想像していました。
いえいえ、とんでもない。その頃、師事していたアシュケナージ先生も、「たくさんやってこい!」 みたいな感じで。日曜日にレッスンがあったんですが、午前中はサッカーの試合に行って、その後、すぐユニフォームを脱いで、頭とかして、スッ飛んでレッスンに行ってました。
――サッカーから、ピアノのレッスンへ。そんなに、すぐに頭を切り替えられるものなんですね。
ピアノにとっても運動は大切なんです。ある意味ピアノもスポーツみたいなところがあって、反射神経なんかも大切なので、いい訓練になりました。
――ちなみに、誰のファンですか?
キーパーを始めたのは、オリバー・カーンの影響です。日本でもワールドカップ開催の時に話題になりましたね。
髙木竜馬
■各国で学んできた”種”を日本で咲かせられたら
――今後のキャリアにおけるビジョンについては、どのように考えていますか?
ウィーンやイタリアの他にも、ワルシャワなどでも素晴らしい先生について、いろいろな奏法を伝授して頂いたのですが、その黄金の種を日本に持ち帰って、いずれ大輪の花を咲かせられたらいいなと思っています。もちろん、僕自身の演奏を通して、ということもありますが、日本には才能のある若い方々がたくさんいますから、教えることで後世に伝えていけたらと考えています。
あと、グリーグ国際コンクールで優勝したので、グリーグの音楽の魅力伝えるというのは、僕の使命だと思っています。いずれは、グリーグ全曲を録音してみたいな、という夢はありますね。
あともう一つ。演奏会のシリーズとして、アニバーサリーイヤーにスポットをあてていきたいですね。ソロでもいいですし、二台ピアノや室内楽で、知られざる曲も紹介できたらいいな、と思っています。来年はリストやプロコフィエフ、再来年はストラヴィンスキーとドビュッシー。3年後の2023年がグリーグ・イヤーであり、ラフマニノフ・イヤーでもありますし、シリーズで続けていけたらいいですね。そういう意味では、今回のベートーヴェンは、僕の気持ちの中では、その出発点として捉えています。
――ファンの皆さんに向けて、メッセージを。
今、再び大変な時期で、そんな中で演奏会に行くのは怖いと思われるかもしれませんが、一同、万全の対策で臨む予定ですので、ぜひ会場にお越しいただけたら嬉しいです。
そして、ベートーヴェン自身が、生きる希望を託したソナタ4曲を通して、そのエネルギーを全身で感じて頂けたら幸いです。僕自身、そういう演奏ができるよう精一杯頑張りますので、ぜひ皆さまを会場でお待ちしています!!
取材・文=朝岡 久美子 撮影=池上夢貢
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