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WANDSのギタリスト・柴崎浩。様々なアーティストから引っ張りだこの高い技術と幅広い音楽性はいかにして培われたのか?【インタビュー連載・匠の人】

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柴崎浩

柴崎浩

その道のプロフェッショナルにご登場いただくインタビュー連載「匠の人」。今回は、21年ぶりのニューアルバム「BURN THE SECRET」をリリースしたWANDSのギタリストとしてはもちろん、T.M.Revolutionや相川七瀬などのツアーに参加、反町隆史、相川七瀬、TRF、みやかわくんへの楽曲提供など、作曲家としても才能を発揮している柴崎浩。高いテクニックと幅広い音楽性を併せ持ったギタリスト/ミュージシャンとしてのキャリアから見えてきたのは、理想の音、理想の音楽を追い求めるストイックな姿だった。

――「匠の人」は、その“道”のプロフェッショナルとして活躍するアーティストを対象にしたインタビュー連載なんですが、第2回目はテリー・ボジオさんが登場してくれたんですよ。

あ、そうなんですね。以前、テリー・ボジオさんに「息子がファンだから、サインをくれ」って言われたことあるんですよ。

――ええっ?!

T.M.Revolutionのリハーサルスタジオに来てくれて、「T.M.Revolutionの音楽とバンドが大好きなんだ」って。自分が崇拝するミュージシャンからサインを求められるなんて、不思議な感じでしたね。

――いきなりすごいエピソードですね……。直近の話題といえば、やはりWANDSのニューアルバム『BURN THE SECRET』のリリースです。手ごたえはどうですか?(※取材はリリース直後でした)

数日前からめっちゃエゴサしてるんですけど(笑)、けっこう「いいね!」言ってくれる人が多くて嬉しいですね。もちろん、自分ではいいと思うアルバムを作ったけど、リスナーの評価はわからないので。

――新ボーカリストの上原大史さんがファンのみなさんから受け入れられているのも素晴らしいなと。

それはすごいと思います、僕も。新しくファンになってくれた人もそうだけど、「ボーカリストが代わったWANDSなんて認めない」と言ってた人たちも魅了しているのはすごいですよね。

――本当にそう思います。後ほどWANDSのこともしっかり聞きたいのですが、まずは柴崎さんが音楽やギターに興味を持った入り口から教えてもらえますか?

はい。中2くらいのときにアコースティック・ギターを買ってもらったんですよ。きっかけは事故だったんですけどね。姉に「ピアノの弾き語りの譜面を買ってきて」とおつかいを頼まれたんですけど、間違えてギターの弾き語りの本を買ってしまって(笑)。何となくその本を見てたら、コードを抑える形が書いてあって、面白そうだなと思って、アコギを買ってもらって弾き始めたんです。その本はフォークソングの教則本で、好きな曲を弾いていたというより、コード譜に従ってアコギを触ってたという感じですね。好きなプレイヤーがいて、「あんなふうに弾いてみたい」という次元では全然なかったです。僕、テニス部だったんですけど、弦の代わりにテニスのガットを張ったりしてましたから(笑)。

――(笑)弾き語りで歌ったりも?

やってましたね。アコギを始めたのと同じ時期に、バンドを組んだんです。そのときはボーカルだったんですけど、キーボードがいなかったから、家にあったピアノをバンドスコアを見ながら自己流で弾き始めて。だからボーカル兼キーボードですね。オフコースのコピーバンドだったので、小田和正さんの役をやってました。

――なんと! オフコースが好きだったんですか?

大好きでした。ハーモニーが綺麗だし、コードも凝っていて。今振り返ってみると、そういうところが素敵だなと思っていたんだと思います。

――中学生がオフコースを演奏するって、難易度が高くないですか? 特に鍵盤とボーカルって……。

そうですよね(笑)。でも、レコードを聴きながらバンドスコアを見て弾いてるうちに、少しずつ覚えて。習ったことはほとんどないんですけどね。5才か6才くらいのときに6か月くらい習ってたらしいんですけど、まったく興味がなくてやめさせられたみたいです(笑)。文化祭で演奏したときは、みんなビックリしてましたね。「柴崎、歌上手いんだね」って。

――何だかモテそうなエピソードですね(笑)。エレキギターに興味を持ったのは?

高校生のときです。テレビでLOUDNESSのライブを観て、それが衝撃的で。「何だ? この歪んだギターの音は?!」と思ったし、めちゃくちゃカッコよくて。エレキギターは借りて持ってたので、「ヘビーメタルだ!」って感じになってからはギターキッズですね(笑)。海外のメタルバンドも聴くようになって、コピーしはじめました。

――憧れのギタリストはやはり、LOUDNESSの高崎晃さんですか?

そうですね。VOW WOWの山本恭司さんも好きでした。恭司さんのギターは「速弾きがすごい」みたいな次元とは違う凄さがあるぞと感じていましたね。当時、NHK教育で『ベストサウンド』という音楽を教える番組があって。恭二さんが出演した回は全部見てましたね。

――マイケル・ランドゥに影響を受けたことも公言してますよね。

マイケル・ランドゥは音楽の専門学校に通っていた頃に聴き始めたんだと思います。バンドでデビューする道のほかに、スタジオミュージシャンと呼ばれる人がいることを知って。その頃からマイケル・ランドゥが参加したレコーディング作品を聴き漁るようになったんです。惹かれたところ、影響を受けたところは全部なんですけど、まずはサウンドですよね。時代性もあるんですが、80年代のマイケル・ランドゥはエフェクトを駆使した音を出していて、「一体、どうやって作ってるんだろう?」という興味がありました。さらに深く聴いていくと、ギターのタッチやフィーリングもすごく気持ちよくて、どんどんハマって。90年代前半になると、彼自身のバンドですごくストレートな音も出していて、80年代と比べると別人のようなんですけど、じっくり聴くとやっぱりタッチが素晴らしくて、「これもいいぞ」と。

――なるほど。ちなみにヴァン・ヘイレンは聴いてました?

付かず離れずという感じでしたね。ただ、自分がカッコイイと思うギタリストの多くはヴァン・ヘイレンの影響を受けている感じがします。そのことに気付いてからは、「やっぱり本家はすごい」と思うようになりました。

――ヴァン・ヘイレン流のタッピングも練習しました?

多分したと思うんですけど、僕はタッカン(高崎晃の愛称)びいきだったんで(笑)。あとはドッケンのジョージ・リンチも好きでした。TOTOのスティーヴ・ルカサーとか、いろいろ聴いてましたね。

――ハードロック、ヘビーメタルだけじゃなくて、すごく幅広いですね。

結局、「音楽が好き」というだけだと思うんですよ。ただ、10代、20代の頃は、「ロックをやる人はロックだけ」「ジャズをやるんだったらジャズのマインドで」みたいな感じがあって。「おまえのジャンルは何だ? ハッキリしろ」という雰囲気があって、ずっと違和感を感じてました。「いや、全部好きだし」っていう(笑)。今の若い人たちのほうがもっとジャンルっていう垣根なく自由にやってる印象がありますね。

――音楽系の専門学校に通っていた時期は、どんな将来像を描いていたんですか?

とりあえずギターでメシ食おうと思ってました。大学を1年弱で辞めて、専門学校に入ったので、もう後戻りできないなと。

――大学に通いながらバンドをやる選択肢はなかった?

性格的に器用ではないんですよね。大学は商学部だったんですけど、簿記の授業を受けながら、「自分がやりたいことは明らかにこれじゃない」と思ってしまって。音楽を知りたいという欲求が高まっていたし、本屋で立ち読みしながら(笑)、知識を入れてたんですけど、どうしても限界がある。だったら、音楽の専門学校に行ったほうがいいなと。

――在学中からギタリストとして活動していたそうですね。

はい。講師の方からギターの仕事をちょこちょこいただくようになって。バイトしながら、ときどきギターの仕事をするという感じで、スタジオミュージシャンと言えるようなものではなかったですけどね。

――柴崎さんの名前が広く知られるようになったのは、WANDSのギタリストとしてデビューしたときでした。バンドでデビューするということはずっと考えていたんですか?

実はあんまり考えてなかったんですよ。きっかけはBeingの「BADオーディション」で。雑誌の広告で知ったんですけど、オーディションに関わりのあるギタリストの一覧も載っていて、そのなかにスタジオミュージシャンの名前もあったんです。ミュージシャン部門に演奏音源を送ったら、WANDSの話が来たっていう感じなんですね。思っていたのとは違ったけど、プロとして始められるなら、やってみようと。

――しかもミリオンセールスを連発するバンドになって。

そうですね。ビックリしました。

■90年代と比べると、今の方が出したい音が出せるようにはなってる。ただ、いつまで経っても音色の追求の旅は終わらない

――これまでに柴崎さんは、第1期から第2期までのWANDSで上杉昇さん、abingdon boys schoolで西川貴教さん、そして第5期WANDSで上原さんというボーカリストと組んできました。ボーカリストによって、ギターのアプローチに違いはありますか?

いま名前が挙がった人たちで言えば、上杉と西川くんは、自分で方向性を決めて、牽引するタイプで。僕はそれを補佐しつつ、持っているアイデアをぶつけていくというか、広めの柵のなかで野放しにやらせてもらってる感じで(笑)。上原の場合は、成り立ちも特殊だし、誰に言われるわけでもなく、「自分が引っ張らないとダメでしょ」と思ってやってます。今後はどうなっていくかわからないし、それが楽しみでもありますね。3人とも強力なボーカリストだから、ギターがちょっとくらいハミ出してもいいというのは共通点ですね。

――ボーカリストが強力だからこそ、ギタリストとしての個性も出せる?

そうですね。ウザめなギターというか(笑)、曲を聴いていて、「歌に集中したら、ギターがいきなり前に来た」みたいなところがあってもいいのかなって。個性を出そうって特別考えてるわけではないですけど、バランスとして、強力なものが一つだけあるより、ちょっとガヤガヤしていたほうがおもしろく聴けると思うんですよ。

――確かにWANDSの曲を聴いていると、要所要所でギターがガーン!と出てきますよね。テレビの音楽番組でもすごく目立ってます。

それは嬉しいですね。いい演奏してるなと思われたいというのは、やっぱりあるので。

――上杉さんとはWANDSを脱退した後、al.ni.coでも活動されました。90年代のオルタナティブ・ロックのテイストを取り入れたバンドでしたが、柴崎さんもオルタナに興味を持っていたんですか?

好きでしたね。上杉の影響も大きいですけど、ニルヴァーナ、サウンドガーデン、ストーン・テンプル・パイロッツ、パール・ジャムとかを聴いて、「かっこいいな」と思って。バンドによってはギターがちょっと下手だなって思ったけど、とにかくサウンドがカッコよかった。テクニカルなものを否定しているというか、カウンターカルチャー的なところもあって、すごく新鮮でした。と言いつつ、al.ni.coでもギターソロは弾いてましたけどね。

――では、90年代のWANDSと現代のWANDSではどうですか? 20年以上経っているわけで、当然、ギターサウンドやプレイにも変化があると思うのですが。

そうだな……。90年代のWANDSで、思い描いてたギターサウンドを出せてたかというと、微妙なんですよ。自分のなかの理想を目指して、日々、試行錯誤していたというか。「こういう音にしたい」と思いつつ、「ちょっと違ったな」というのを繰り返してたんですよ。今のほうが、録音、サウンドメイク、楽器、機材などの知識も増えたし、演奏の腕も上がったので、出したい音が出せるようにはなってますね。ただ、いつまでたっても音色の追求の旅は終わらないです。

――まだ理想の音には届いていない、ということですか?

というより、感覚が日々変わっていきますからね。一ヵ月前に「すげえ気持ちいいな」と感じてた音でも、いま聴くと「あれ、ちょっと違うな」ということもあったり。そうすると、また音の追求が始まりますからね。あと、いままで知らなかったサウンドを聴いて「いいな」というものがあると、「この音はどうなってるんだろう?」って分析したくなるし。いつまで経っても終わらないですね。

■ひと言で言うと、自分で聴いて気持ちいい音を出したいだけなんです

――バンド活動の一方で、反町隆史、相川七瀬、TRF、みやかわくんなどに楽曲を提供されていますが、作曲家としての活動に関してはどう捉えていますか?

以前からやりたいと思っていたわけではなくて。わりと何もしてなかった時期があって、先輩のミュージシャンから「曲を書いてみないか」と言ってもらったのがきっかけですね。楽曲を提供することで何かを得たというよりも、ビーイング時代の経験を活かせたという感じかな。WANDSの初めの頃は、どれだけ曲を提出しても、すべて不採用だったんです。プロデューサーから「おまえの曲はここがダメなんだよ」と言われても、「この人、何を言ってるんだろう?」という感じで(笑)。つまり、よくわかってなかったんですよ。でも自分なりに分析して、研究が深まっていくうちに、「そういうことか」とつながってきて。織田哲郎さんの曲を聴いて、「なるほど、よくできてるな」とわかってきたり。

――それはつまり、売れる曲のメソッドを得たということですか?

うーん、要点をはっきりさせる、ということだったり。「こうすれば、このフレーズが印象に残る」だったり。メロディアスでなくても、印象的なフレーズにする方法もある、とか。作曲は難しいですね。日々、勉強です。

――ライブのサポートやスタジオの仕事に関しては?

自分のなかでは30才を過ぎた頃からセッションライブに参加するようになったことが大きかったですね。ジャズ・サックスプレイヤーの山口真文さんのセッションに入れてもらったんですよ。ベースはIKUOさんで、ピアノは亡くなってしまった入江宏さん、ドラムはいろんな方がいたんですけど、有名な人ばかりで。

――当然、ジャズの要素が求められるんですよね?

そうですね。山口さんは「ロックのプレイヤーを使って、コンテンポラリーなジャズフュージョンをやる」という認識があったと思うんですけど、自分にとってはやり馴れないコード、コードチェンジが多かったり、アンサンブルの考え方とかすごく幅が広がりました。セッションライブは決まったこと、あらかじめ用意したことをパフォーマンスするのではなくて、「今日のメンバーでどういう音楽が作れるか」というクリエイティブな態度が大事で。即興的に音楽を作り上げていくなかで、プレイヤーとして鍛錬されましたね。音楽的なボキャブラリーも必要だし、人間性も出るし。会話に置き換えると、相槌とかオウム返しだけじゃなくて、いい返しをしたり、たまには自分から話題を提供しないと、盛り上がらないじゃないですか。そういうことが演奏を通して行われてる感じですね。

――それは素晴らしい経験ですね。

そう思います。すごいミュージシャンばかりだったし、演奏していると、素晴らしいハーモニー、リズム、音色がバンバン出てきて。それを体感するだけでもレベルが引き上げられる感覚があったし、録音したものを持ち返って、みんながどんな演奏しているのかを分析したり。自分の演奏に納得できることはなかったし、ずっと練習してましたね。

――「こういう音を出したい」「こういう演奏をしたい」という願望を実現するために、奏法、サウンドメイクを含め、追求し続けている、と。

みんなそうだと思いますけどね(笑)。ひと言で言うと、自分で聴いて気持ちいい音を出したいだけなんですよ。それを分析すると、状況や場面に合わせて、タイム、タッチ、音色などを考えて演奏している感じですね。たまには刺激も必要だし……最近、ギターを代えたんですけど、それも自分のなかでは小さな革命でしたね。2002年くらいからずっとミュージックマンLukeばっかり弾いてたんですけど、NISHIGAKI GUITARSに出会って、「いいな」と思って。まあ、まだまだ気になるところはあるので、さらに旅するかもしれないけど(笑)。

――新しい音楽もチェックしてますか?

話題になっているものは聴きますね。若いミュージシャンが作る音楽にカッコいいものが多くて、「自分たちの世代とは感覚が全然違うんだろうな」と感じてます。それこそジャンルの壁がないし、自由だなって。まだそこまで分析はできてないんですけどね。

――派手にギターが鳴っている音楽を復権させたい、という気持ちもありますか?

うん、ちょっとはありますね。今って、「ギターヒーローって何ですか?」という感じだけど、それは少し寂しいので。そういう考え方自体が古いのかもしれないけど、ギターにもっと注目が集まるといいなという気持ちはあります。

――世界的にギターの売上が上がっているというデータもあるし、プレイヤーにも注目が集まるようになるかもしれないですよね。今はWANDSが中心だと思いますが、ソロアルバムの構想はないんですか?

なかなか腰が重くて(笑)。インストゥルメンタルの作品を作ってみたいとも思うんですけど、まずはWANDSでの活動を優先したいと思ってます。

――第5期WANDSが始まったばかりですからね。ちなみにギターの練習って、どれくらいやってるんですか?

普段はわりとやってるんですけど、今年はWANDSの楽曲制作が続いていたので、あんまりやれてなくて。アレンジや作曲に集中すると、意外と練習できないんですよ。レコーディングでギターのダビングをしているときに、「テクニックが劣ってきてる。まずいな」という感じもあったので、最近は世界中のすごいプレイヤーの動画を見て、研究してます。

――参考にしているのはベテランのギタリストですか?

いや、有名無名、若いベテラン問わず、すごいプレイをしているギタリストがそこら中にいるんですよ。そういった人たちの演奏を見て、真似することもありますね(笑)。

取材・文=森朋之

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