亀井聖矢
ソロ・リサイタルという形で、亀井聖矢が東京オペラシティ コンサートホールに帰ってきた。同ホールは2019年に優勝した日本音楽コンクールで演奏したステージであり、亀井にとっては特別な舞台である。過日のインタビューでも、これまでの「集大成」と位置づけ、気合いを込めて臨みたいと語っていたリサイタルだ。以下にレポートするとおり、プログラムは重量級。入場者数に制限はあったものの、会場には期待に満ちた眼差しで多くの聴衆が集った。(2021年7月25日(日)開催)
幕開けはリストの「ラ・カンパネラ」だ。いつもはアンコール・ピースとして披露することの多いこの作品を、今回はあえて冒頭で演奏した。やや緊張気味であったが、主要メロディーやバスラインを丁寧に歌いあげ、リリカルかつドラマティックな演奏で、この作品の繊細さを示した。
リストのロマンティシズムと技巧性溢れる世界は、次の曲目へとつなげられた。ベッリーニ=リストによる「『ノルマ』の回想」である。「オペラの物語を想像しながら聴いていただきたい」とコメントしてから演奏へ。身体を柔軟に使いながら、音域ごとに音色を見事に使い分ける。声部の管理を隅々まで行き届かせたその演奏は、まさに歌とオーケストラとが織りなす歌劇を思わせ、亀井らしいダイナミックで構築力のある形へとまとめ上げた。
続いてはラヴェルの「夜のガスパール」。3曲からなるこの作品であるが、亀井は演奏前に、題材となったアロイジウス・ベルトランの幻想的な散文詩の内容をそれぞれ紹介し、聴衆の想像力を促した。
「オンディーヌ」では、透明感のある音色で、音階やグリッサンドを滑らかに響かせ、逆説的な言い方になるが繊細さを大胆に表現していた。濁りのないきめ細かなペダリングで、ラヴェルの描いたレイヤーを丹念に形成した。「絞首台」では情景を鮮烈に伝える。どの音楽的場面も勢いや惰性に任せることなく1音1音を丁寧に鳴らし、不気味さ、静けさ、そして哀しさを表現した。「スカルボ」では静と動のダイナミズム鮮やかに、作品のもつ敏捷さと変化とを歯切れよく描く。こちらも何層もの音楽的レイヤーが見えてくるような演奏だった。最終音は驚くべきことに、鳴らした後から一瞬ボリュームが膨らんだように感じられた。ピアノの物理的な発音機能として、出した音は当然減衰するはずなのだが、ペダル操作なのだろうか、魔法のように不思議な聴体験をすることができた。あらためて、亀井自身が作品の中に読み込んでいる情報量の多さ、そしてそれらを趣味よく鋭く表現する力に圧倒された。
休憩を挟み、後半はベルクのピアノ・ソナタでスタートした。演奏に入る前に「第一次世界大戦前夜、崩壊を予感させる不協和音が響きますが、ふと現れる美しさを楽しんでいただきたい」とコメント。緩急を豊かにつけ、音に方向性を持たせながら叙情的に聴かせたその演奏は、作品への敬意を存分に感じさせるものだった。
プログラムも佳境を迎え、ラフマニノフのソナタ第2番(1931年版)へ。ベルクから一転、非常に音数の多いピアニスティックな作品であるが、第1楽章は響きを混濁させずにハーモニーの機能性を明快に伝える演奏だった。こちらも勢いに任せることなく、ひとつひとつのモチーフやフレーズのキャラクターを念入りに提示させてゆく。第2楽章もクリアな響きで進め、やや清潔すぎる雰囲気のように感じられなくもなかったが、続く第3楽章では亀井らしい高い運動性能とロマンティシズムのバランスが絶妙で、作品を完全に自分のものにしているといった印象を与え、実に堂々たる演奏だった。
そこからトークを挟むことなく最後のプログラム、バラキレフの東洋風幻想曲「イスラメイ」へと突入。精彩な輝きを持った音に喜びが乗り、ゆったりとした中間部でも流れよく切れ味が心地よい。快活で生命力みなぎるフィナーレを飾った。
「好きな曲を詰め込んだら、こんな大変なプログラムとなってしまいましたが、なんとか最後まで弾くことができました」と晴れやかにコメントする亀井に、客席からは盛大な拍手が送られた。ここで、いわゆる「謎解き」が趣味の亀井らしい仕掛けが、配布されたプログラムにあったことを解説した。
「『音符と音符の間』を読み解いていくことが、今回のコンセプトです」と寄せた冒頭のメッセージ文に、実は「新たなる世界へ」という隠れメッセージが存在していたのだ。これには客席からもどよめきが上がった。12月にはオール・ショパン・プログラムのコンサートを行うという亀井。「これからはまた、まったく違う世界へと踏み出し、みなさんと幸せな時間を過ごしていきたい」と語った。
そしてアンコールでは再びリストの世界へ。まるでシャンソンのように、語るような歌心をもって「愛の夢」を披露。メロディーラインの浮かび上がらせ方も自然で、感動的であった。そして締めくくりにもう一曲、得意の「マゼッパ」を演奏。軽やかな質量の音符の全てに気持ちがきちんと乗っている。構成感の伝わる見事な表現力で、重量級プログラムを完遂した。
取材・文=飯田有抄 撮影=鈴木久美子
広告・取材掲載