左から 堀義貴(株)ホリプロ社長、市村正親 (Photo:福岡諒祠)
チャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』を原作に1960年に初演されたミュージカル『オリバー!』。救貧院を追い出された少年オリバーが、子どもたちにスリをさせているスリ集団の元締めの老人フェイギンをはじめ様々な人と出会い、数奇な運命をたどる物語だ。トニー賞、オリヴィエ賞も受賞したこの傑作ミュージカルは、1968年に映画化されると今度はアカデミー賞で6冠に輝く。そして1977年には『レ・ミゼラブル』『メリー・ポピンズ』などを手掛ける名プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュがプロデュースし荘厳な超大作として生まれ変わらせた。残念ながら日本では1990年の帝国劇場公演以降上演が途絶えていたが、新たな演出も加わり、31年ぶりにいよいよ再登場。しかも、フェイギン役は、キャメロン・マッキントッシュ直々のご指名で市村正親が演じる。“満を持して”という期待感が満ち満ちている2021年版『オリバー!』。8月に行われた歌唱披露イベントの直後に、市村と、この巨大プロジェクトの実現を可能にした株式会社ホリプロの 堀義貴 代表取締役社長に話を聞いた。
――まずは『オリバー!』歌唱披露イベントの感想からお伺いします。
市村 子どもたちから純粋さとエネルギーをもらえました。この子たちの将来のためにも僕はしっかりしなきゃと、俳優の原点に立ち返らせらてもらえる感じがして、ありがたいです。
堀 『ビリー・エリオット』(2017年初演、2020年再演)の時から思っていたけれど、本当に今の子どもたちのスキルは高いですね。今日も改めてそう思いました。これだけスキルがあると、また次に違うことが出来るなと思わせられます。今回も昨年の『ビリー・エリオット』に出ていた子が5人出演しますが、あの子たちが『ビリー~』の次に出る舞台がなかったらすごくもったいなかった。だからこのタイミングで『オリバー!』が出来るというのはよいめぐり合わせです。
――今回の『オリバー!』は、世界的な大プロデューサーであるキャメロン・マッキントッシュ製作版だというのも注目ポイントですね。おふたりともマッキントッシュ氏とのお付き合いが長いと伺っています。彼はどういう方ですか?
市村 最初に出会った時は真っ黒の髪だったけれど今はもう白くなって、僕たちも旧い付き合いになったなって思いました(笑)。でも昔も今も変わらず、情熱家です。ぜんぜん、じっとしていないの。エネルギッシュ、これに尽きるかな。
堀 『メリー・ポピンズ』(2018年)で来日してくださいましたが、来日してすぐに劇場に行き、ずっとオーケストラピットの打楽器のところで指示を出していたそうです。思い起こせば『ラブ・ネバー・ダイ』(2014年初演、2019年再演)――これはホリプロが大型作品をやる自信を持つマイルストーンになった作品で、もちろん市村さんにも出演してもらっていましたが、この時も作者のロイド=ウェバー氏が来て、いきなり開幕前日にオーケストラスコアを全部変えちゃった。それも思い出し、プロデューサーとはこういう人なんだ、毎日上を目指して作品を新しくしていくバイタリティがある人たちなんだと思いました。
――フェイギン役は長いことマッキントッシュ氏が市村さんに演じてほしいとラブコールを送り続けていたとか。市村さんはそれをどう受け止めていたのでしょう。
市村 やはり光栄ですし、そう言ってもらえるというのは、役者冥利に尽きます。ただマッキントッシュさんが僕にやらせたいと言っても、やる場所がなければ叶わないからね。しかもこれだけ子どもがいっぱい出る作品ですので、一般的な作品以上に上演が難しいでしょう。そう思っていたのですが、『メリー・ポピンズ』の初日にマッキントッシュさんが来て、会食をしていたその席で僕が冗談で「いいなあ女優さんは。僕も女優だったらメリー・ポピンズがやりたいよ」と言ったら「君には君の役があるじゃないか! 何を言っているかわかっているだろう」と言われて。でも会社がどう言うかなあと思ったら、だんだんやる方向に向かっていって、僕としては“しめしめ”でした(笑)。
市村正親
――マッキントッシュ氏の情熱がホリプロを動かした形ですね。
市村 そうなんですよ。
――改めて堀社長、『オリバー!』を上演するに至った経緯をお聞かせいただけますか。
堀 まず最初のキーワードは“マシュー・ボーン”、およびそのプロデューサーの“ロバート・ノーブル”。2つ目に“ビリー・エリオット”、そして3つ目に“メリー・ポピンズ”。この3つが重ならないと『オリバー!』はやっていなかったと思います。
キャメロン・マッキントッシュさんとのお付き合いでいえば、僕らより四季さんや東宝さんの方が長いですが、僕らはロバート・ノーブルさんとの付き合いがありました。今ノーブルさんは『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』などのプロデューサーもやっていらっしゃる方ですが、もともとマシュー・ボーンと一緒にニュー・アドベンチャーズを立ち上げた方です。マシュー・ボーンの新作がかかれば、僕らは来日公演を実現させてきました。昨年も、コロナの影響で中止にはなりましたが本当は『赤い靴』をやる予定でした。
ある時、「『メリー・ポピンズ』をミュージカルにする、これはサー・キャメロンが製作するんだけれど、マシュー・ボーンが振付をするから観に来なよ」と、ノーブルさんから声がかかったんです。この時、ホリプロは『ビリー・エリオット』を狙っていて、『メリー~』も同時期に上演していましたので、両方とも観ようと渡英し、まず『メリー~』を観てから、次の日に『ビリー~』を観たんです。そして『ビリー~』の日本上演のオファーを出したんだけれど、ホリプロは断られてしまいました。一方で『メリー・ポピンズ』は、観劇直後に「ホリプロでやりませんか」とお話をいただきました。でも僕らはあの巨大なセットを見て、これは日本の劇場では無理だと思い、僕らの方からお断りをしたんです。
――その時点では2作品とも上演の可能性が消えたんですね。
堀 ええ。ただ、しばらくするともう一度ホリプロに『ビリー・エリオット』のチャンスが回ってきて、やれることになった。『メリー・ポピンズ』もダウンサウジングした演出のものが出来て、それが様々な地域でやっているからもう一度観に来てくれと言われ、ホリプロのスタッフとTBSさんとで今度はオーストリアに観に行き、やることに決めました。
そして『ビリー・エリオット』に取り掛かるのですが、2年間で子どもの成長を含め見ていくという、僕らが経験したことのない規模のオーディションをやったんです。イギリスのスタッフは子役を子役として扱わないんですよ。ひとりひとりを大人扱いして、それは僕らにとっては目からうろこでした。そこで、ダンスも演技も全く出来なかった子どもがどんどん上達していく様をつぶさに見たんです。子ども相手だから日々色々なことが起こるのですが、それに対応していくうちに、僕らも自信がつき、その勢いで(同じく子役が重要になる)『メリー・ポピンズ』も出来ちゃったんです(笑)。
堀義貴
――「出来ちゃった」んですか(笑)。そのサクセスストーリーと『オリバー!』がどうクロスするのでしょう?
堀 実は、もう10年以上前から「『オリバー!』をやらないか」と言われていたんです。先ほども話にもあがりましたがマッキントッシュ氏ご本人から「ミスター市村にフェイギンをやってほしいから、観に来てほしい」と声がかかった。ミスター・ビーンで有名なローワン・アトキンソンがフェイギンをやっていた2009年の公演の時です。でも市村さんがスケジュールの都合上どうしても行けなかったので、僕が行きました。まだ『ビリー・エリオット』をやろうと思う前です。観に行ったら、「こんなに大勢子どもが出てくるのか!」と驚き、日本では(労働基準法の制限の)20時までに終わらせないといけないし無理だ、うちでは出来ませんとお断りしました。
そうして、『メリー・ポピンズ』です。初日観劇のために来日したマッキントッシュさんと会食している時に、「ぜひホリプロと一緒にまたやりましょう」というようなお話をしていると「じゃあ堀さん、『オリバー!』をあげるよ」と言うんですね。内心「『オリバー!』、出てきちゃった!」と思った反面、あの『ビリー・エリオット』と『メリー・ポピンズ』をやって、自信がついちゃったんでしょうね(笑)、半ば自分たちが“子役扱いのプロ”のつもりになっちゃって、いや、今なら出来るのでは? という気持ちがムクムクと沸いてしまった。それで、前回の日本公演の主催でもあり、長年お付き合いのある東宝さんにお声がけし、一緒にやりましょうということになってスタートしたのが今回の『オリバー!』です。
――すべてが繋がっているのですね。一方で、このコロナ禍で、子どもたちがたくさん出演する『オリバー!』をやるのは挑戦的だなと思ったのですが……。
堀 それはもう、たまたまです。2021年上演を目指して動き出していて、まさかコロナがこんなことになると思っていなかった(苦笑)。でも昨年、コロナ禍の中『ビリー・エリオット』が再演できて、それに出演していた彼らが今度はまた『オリバー!』に出る。ここまでの流れはすべてひとつの“ロングストーリー”です。もっと言えばキャメロン・マッキントッシュ製作の『キャッツ』が1983年に日本で初めて上演されてから、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』も大ヒットして、その『ミス・サイゴン』には市村さんが出ていた。全部が『オリバー!』に繋がっている。そしてマッキントッシュ氏自身が一番最初にプロデュースし、一番思い入れのある『オリバー!』をぜひ市村さんで、と言われたら、もうその“ロングストーリー”に乗るしかない。断る理由はありません。
――「『オリバー!』をあげるよ」という言葉からもマッキントッシュ氏のホリプロへの信頼が伝わってきますが、初日をご覧になったという日本版『メリー・ポピンズ』について、マッキントッシュ氏はどんな感想を仰っていましたか?
堀 本当にうちのスタッフをすごく褒めてくださいました。日本の劇場の構造上、客席の上をメリーが飛ぶのは大変なハードルだったんです。でもそれも上手くいき、一緒にお食事をした時は本当に機嫌が良くて。むこうのスタッフに聞いたら、「あんなに機嫌の良いキャメロンはめったにない」と言っていました。そもそも『メリー・ポピンズ』は大がかりなこともあり、どう考えても採算が取れない見込みだったんです。それをやると決めたホリプロ、そしてやれちゃったホリプロにすごく期待をしているんだと思います。『オリバー!』も、僕が見た2009年のロンドンバージョン(2008年プレビュー、2009年~2011年)のままをやるんだと思ったら全然違う、今回の日本版のための新演出になっている。ここでもさらに作品を良くしようとしている姿勢、それを日本のプロダクションに委ねてくれているというのはとても光栄なこと。オフ・ウエストエンド、オフ・ブロードウェイの役割を東京が担っているという気概でやっています。
――そして俳優・市村正親という存在が、『オリバー!』上演には欠かせなかった。ホリプロにとって、市村さんはどういう存在ですか?
堀 本人を前には言いづらいですが……(笑)。
市村 (マネージャーに)テープ録っておいて!
堀 (笑)。こんなに振り幅の広い俳優さんはいない。(『ミス・サイゴン』の)エンジニアのような調子良く軽妙な役をやるかと思えば、(『炎の人』の)ゴッホのような苦悩の役もやる。そしてどちらの役も見事にハマっていく。明るい役は、無理なく明るくなるし、泣かせるシーンも無理なく泣かせられる。そして稽古場では一番若手かのように動く。共演した方が市村さんをお手本にするというのは当然のことだと思います。ホリプロミュージカルの中では、教授のような存在ですね。後輩たちに、経験で、身体で様々なことを教えてくれています。作り手としては「次の市村さんの作品は何にしよう」といつも考えているし、市村さんからもどんどんアイディアを出してくれる。それに刺激されてこちらも色々な手を出したくなる。そもそも「これは向いていないな」とかを気にする必要がないんです。そういう意味ではとても稀有な俳優です。
――マッキントッシュ氏が惚れ込むのも当然ですね。
堀 キャメロン・マッキントッシュ製作ミュージカルは、通常は全部オーディションなんです。イギリスのスタッフが来て、しかもそこで決めず、すべてイギリスに持ち帰り、最終的に全部キャメロン・マッキントッシュが決める。その中でオーディションがないのは市村さんだけなんですよ。わざわざ「ミスター市村でやってほしい」って来るんだもの。マッキントッシュさんは世界中の俳優さんとお付き合いがあるはずなんだけれど、その中でも“市村正親”という確固たる存在感が彼の中にあるんだと思います。
市村 うふふ!
――ちなみに、市村さんから見た堀社長はどういう方ですか?
市村 マッキントッシュさんと同じようなエネルギーを感じます。あとは、子どもの持つ好奇心を失わない人。自分の好きなことに夢中になっちゃう子っているじゃないですか。僕の目には、社長はそんな風に見えています。でも今の話を聞いて、『オリバー!』の上演ひとつとっても、僕の知らないところでこんなに膨大なことをなさっていたんだから、やっぱり「社長!」と思いました。これからは気軽に声がかけられなくなっちゃうかも(笑)。でも好奇心旺盛な情熱家、僕にとっての社長はそういう人です。
市村正親
――そして今まさに挑んでいるこの『オリバー!』。市村さんは改めてこの作品をどう見ていますか。
市村 マッキントッシュ製作作品はもう何本もやっていますが、すべての原点は『オリバー!』にあったんだなと思っています。ここは『レ・ミゼラブル』に繋がるなというシーンもあれば、『ミス・サイゴン』の要素を感じるなというシーンもある。稽古をしていても、フェイギンと(『ミス・サイゴン』の)エンジニアは相似形のように思えてきます。エンジニアはバーガールの女の子を利用して稼いでいるけれど、フェイギンは子どもたちを利用して稼いでいる。エンジニアが齢をとるとフェイギンになるんだなと思う。両方の作品を知っているだけに、すごく楽しいです。
――確かに、銀の燭台が出てきて「あ、『レミゼ』!」と思ったりも。
市村 そうそう、燭台があるでしょ。それにフェイギンが取り出す宝箱は、エンジニアが隠した宝箱だよ! 色々、重なるんです。
――今、市村さんが堀社長のことを好奇心旺盛な情熱家と仰いましたが、堀社長はご自身で「やりたい!」という情熱と、企業家としての判断はどうバランスを取っていらっしゃるのでしょう。
堀 僕、自分がやりたくてやった作品は『ビリー・エリオット』くらいですよ。あとは、ホリプロには金森美彌子さんという稀代のプロデューサーがいますので、彼女にうまく騙され、誘導されているんです(笑)。だって『ラブ・ネバー・ダイ』なんてホリプロがやれると思っていなかったもの。やることになりましたって事後報告ですよ(笑)。「初演は赤字ですから」と言われて「あ、そうですか」とハンコを押すしかない。ある種、彼女に投資しているようなところがあるかな。でも彼女に限らず、「これをやりたい」と言われて、もちろんやめとけと言うこともあるけれど、(採算がとれるかは)目をつぶって通すこともありますよ。
堀義貴
――採算が取れなくても、長い目で見ればプラスになるということでしょうか。
堀 難しいですね……、演劇のあるべき姿を追求しているだけかもしれません。『オリバー!』の取材の場で言うのも変かもしれませんが、こういう大型作品は誰だってやりたいんですよ(笑)。でも若手のプロデューサーには、「みんなが知っているハッピーな作品もいいけれど、演劇はジャーナリスティックじゃないとダメだ」と言っています。演劇で戦争を見せることはできませんが、戦争になったらこんなことが起こるんだと、お客さんの想像力に訴えかけることができる。今度やる『HANA』(2022年1月)も沖縄を舞台にした作品です。こういう作品はどんどんやっていって欲しい。一方で『メリー・ポピンズ』あり『オリバー!』あり。これは、幕が下りて劇場の扉が開いたら、スキップして帰れるような作品。子どもたちが一生懸命やっているのを見て、大人が頑張ろうと思わないはずがないんです。これは子ども向けのミュージカルじゃなく、子どもに教えてもらうミュージカル。その精神は『ピーターパン』から続いていますね。現代は世の中にメッセージなんてない、意味はないとさんざん言われているけれど、劇場に来たらどの作品にもメッセージがあって、それで自分の気持ちが贅沢になる。お客さんは自分の人生の財産を(チケット代として)買うんだから、絶対に何かしらは、持って帰っていただかなければと思って、作品を作っています。
――市村さんは、今の堀社長の演劇に対する思いに、共感するところはありますでしょうか。
市村 全部共感しました! 僕も、ジャーナリスティックな作品と、スキップして帰れる作品、両方がやれる俳優になりたいなと改めて思いました。こういう話を直に聞けたことが嬉しかったです。いつもはこんな深い話はしませんから。僕は、社長が買ってきた作品に出演し、一生懸命やって、初日が終わったあとに社長の顔を見るのが楽しみなんですよ。上手くいかなかったときは会いたくないけれど(笑)。でも、僕は何回も社長の幸せそうな顔を見ている。それも励みのひとつです。こういう信念があったんだなと思うと、より身を引き締めて頑張らなきゃと思いました。
堀 こちらこそありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
取材・文:平野祥恵 写真撮影:福岡諒祠