showmore
およそ2年ぶりとなる3rdアルバム『seek』のリリース、そして実に3年半ぶりとなる全国ツアー『contact』を開催中のshowmore。「今ここで動かずに殻に閉じこもるのは、なんかダサい」と語る彼らに、コロナ禍を経て生み出された作品と、有観客での全国ツアーに込められた想いを存分に語ってもらった。
──前作『too close to know』から2年振りとなるアルバム『seek』をリリースされますが、前作から今作までの間に、世界がものすごく大きく変化してしまっていて。showmoreとしては、予定していた東名阪ツアーが中止になってしまいましたが、その中でも、スタジオライブの映像を公開されたり、チャリティライブを企画されたり、ライブハウスと協力して、徹底した感染対策の中で有観客公演を早めに行なったり、様々な活動をされていましたけども、この期間で感じたこと、考えたことというと、どんなものがありますか?
根津:今までは音楽をやれていれば幸せだったことが多かったんですけど、ライヴができなくなってしまったので、自分の人生とか、幸せの定義をすごく考えるようになりました。そのときに、ライヴができないにしても、やっぱり音楽がないと私は生きていけないんだなということを実感して。大変な世の中になってしまったけど、だからこそもっと自由に、もっと自分らしく、みんなも好きなふうに生きていこうよっていうメッセージを込めて、音楽をやりたいなと思うようになりましたね。そういう変化がありました。
──それまでは違っていたんですね。
根津:今までは自分のために音楽をやっていて、人にメッセージを届けるということをあまり考えていなかったんですよ。だけど、たとえば社会情勢みたいなものにも目が向くようになったというか。社会の仕組みとか、働き方とか、今まで当たり前に受け入れてきたものに疑問を持って、考えるようになりました。
──井上さんから見て、根津さんが少し変わってきた印象もありました?
井上:なんか、落ち着いたというか(笑)。
根津:ふふ(笑)。
井上:今まではがむしゃらにshowmoreの活動を進めていくことを考えていたけど、コロナのこともあったし、もうひとつのキッカケとして、コロナ前夜だった昨年の2月に、結成当初からの目標だったリキッドルームでのワンマンライヴをソールドアウトできたことも大きかったと思うんです。それまではなるべく多くの人に広げていくこと、もっと聴いてもらうことを目標にしていたけど、目標中間地点まで行ったことで、お互い明確にシフトチェンジしたというか。これまで聴いてくれた人に対して真摯に向き合うこと、広げるというよりは自分達がかっこいいと思えることをしっかりやっていこうと思ったし、コロナ禍になってからは、自分達がインディペンデントで音楽をやっていくことや、自分達を大切にしてくれたベニューや、自分達のことを本当に考えてくれている人達に対して、アーティストとして何か協力できることはないかを考えながらやってきたんですよ。だから、今までは自分達のことに必死だったけれど、いろんなことをもう少し俯瞰的に見れるようになったかなと思いますね。焦らず、落ち着いて、地に足がついてきたのが、去年から今年にかけての活動だったかなと思います。
showmore
──そういったシフトチェンジをすることに関しては、お2人とも同じ考えだったんでしょうか。
根津:基本的には井上くんが考えて進めていくんですけど、その提案に反発することはほぼないですね。
井上:細かいズレは都度話し合いますけどね。何かをするときに、それはダサいんじゃない? 嘘なんじゃない?ってチューニングして、お互い納得しながらやっていくので。ただ、もう長くやってきていますし、8〜9割はほぼ同じことを考えていて、したとしても微調整ぐらいになってきました。
──昔は反発しあうこともあったんですか?
根津:結成してすぐの頃はギスギスしてたときもありましたね(笑)。
井上:結成半年ぐらいが一番やばかったね(笑)。
根津:もともと私はシンガソングライターとして10年ぐらい活動していて。そのときのあるあるというか、「俺と一緒にやろうぜ」みたいなことを言ってくるプロデューサーの人って、言い方が悪いですけど、結構わんさかいるじゃないですか(笑)。私もまだ若かったので、誰とどう関わったらいいのかよくわからなかったし、関わったこともあったんですけど、うまくいかなかったんですよ。それで曲を書けなくなってしまった時期があったから、私はもう二度と誰かと一緒に音楽をやらないって決めたんです。だから、井上くんから話をもらったときも最初は断っていたんですよね。それが半年間ぐらい続いたんだっけ?
井上:うん。根気強く口説きましたからね(笑)。プレゼン資料を作ったりとか。
根津:そうそう。(井上は)マジメだから、こういうふうにやって、ここまで売れますっていうのをプレゼンしてくれて。その熱量に負けてじゃないですけど、まあ、やってみるか……って。でも、バンドが始まってから半年間ぐらいは、お互いが思っていた以上にギャップが激しくて(笑)。
井上:根津はあくまでも自分のために音楽をしていて、本当の意味でマイペースなアーティストタイプで、僕は広げるためにはとか、仕事として成り立たせるためにはということを考えていたから、ものすごくマイペースな根津にイライラしていたところもあったんですけど。でも、バンドからユニット編成になったり、WWWとかリキッドルームのワンマンを経たりしていくことで、もっと柔軟なスタンスでいようかなと僕は僕で思うようになったし、根津は根津で、社会の中でのアーティスト/ミュージシャンという立ち位置に自覚的になっていって。そうやってお互いが半歩ずつ歩み寄ったことで、今はだいぶ自然な形に落ち着きましたね(笑)。
──昔の根津さんは、鎧を着ていたというか、殻をかぶっていたというか、尖っていたというか。
根津:そうですね(笑)。
──だけども、井上さんはそれ以上にすごく魅力的なものを感じていたと。
井上:そうですね。天才だなと思ったし、(根津も自分のことを)天才だと思っていたタイプだったんですよ。私が一番みたいな。
根津:いや、思ってないよ! それは語弊がある!(笑)
井上:でもなんか、全能感に溢れていたっていうかね(笑)。根津は全然練習しないし、音楽をアカデミックに聴いたり、分析したりしないんですよ。本当に自分の好きなようにやっているんだけど、僕がこねくりまわすように作ったものを遥かに飛び越えるものを作っていたし、僕にそういうものは絶対に作れないので。ただ、その感じで続けていても、早晩に立ち行かなくなるのも目に見えていたから、このままだと5年後に音楽を続けられなくなるよ?って。続けていく形はいろいろあるかもしれないけど、生業としてやるにはこのままじゃいけないでしょ?っていう話をしてました。
根津まなみ
──根津さんとしては、そこからスタンスが少しずつ変わっていって。
根津:でも、人にメッセージを届けることを考えるようにはなったけど、こういうふうに受け取ってほしいとか、こういう疑問を持っていますということを直接的に歌うのは、いまだに苦手なんです。苦しくなるというか、気持ちよくなくなってくるので。だから、どこか商業的になりきれないというか。
──実際に、showmoreの楽曲ってすごく絶妙なバランスで成り立っていますよね。ポップな部分はあるんだけど、主流とは少し違うというか、ひねりを効かせているというか。
井上:オルタナティブなところはありますね。そこは音楽ジャンル的な意味ではなく、アティテュードとして。これだけたくさんの人がいたら、主流のもの、メインカルチャーにあまりピンと来ない人もいると思うんですけど、その中には、僕らの感性にうまくハマってくれる人、こういうものを心地よく感じる人もいるんじゃないかなって。あと、そういう人って、いろんな過程で疎外感を受けることもあると思うんです。そういう人達を、僕らが救うわけでは決してないんですけど、「こういう音楽もあるんだしな」って、安心してもらえたらいいなという意味で、オルタナティブという精神性は常に標榜してますね。
──結成当時から変わった部分と、変わらずにあり続ける部分があると。今回のアルバム『seek』についてですが、お話にもあったように、自分の生き方や、showmoreとしての活動など、いろんなことを探している時期に制作されたのもあって、このタイトルになったんですか?
根津:そこもありますね。ただ、今回の作品に関しては、わりと群像劇的に書けたというか、誰かのストーリーのように書けた部分があって。私としては、このアルバムで誰かの人生を肯定したかったんです。あなたの人生は、あなたの考えは、決して間違っていない。いろんな考え方があっていいし、それぞれの生き方を探し求めていけばいいんだよっていう。そのことを伝えたかったですね。もちろん自分達のことでもあるんだけど、誰かの、あなたの話という感じです。
──そのメッセージは「STYLE」という曲に強く表れていますね。〈そのままでいいんじゃない〉という歌詞を、ゆったりとしたレゲエに乗せていて。
根津:そうですね。私としては珍しく明るい気持ちで書けました(笑)。この曲はshowmoreとしても新しいんですよ。
井上:この曲で初めて作曲クレジットにshowmore以外のメンバーが入ったし、かつ、アレンジ面でも僕はほとんど手を加えていないんですよ。
──そうだったんですね。
井上:「STYLE」は、SIRUPのサポートを一緒にしているベーシストのFunkyと、ギタリストの野村帽子くんがやっているBreaking Atomsというユニットが作ってくれたトラックを、ほぼそのまま使っていて。これまでは僕ら2人だけで作ることの矜持だったり、いわば意固地になっていた部分もあったんですけど、自信がついてきたことで自然と外からの血を取り入れられるようになったし、それを自然体でできるようになったんですよね。そういう意味では、自分達にとって一番新しい作り方をした曲かもしれないです。
根津:このトラックのおかげで、この歌詞が出てきたところもあるんですよ。私としては、誰かの人生を肯定したいとは言ったんですけど、そこまで重い感じにはしたくなかったんですよね。そもそも私が「大丈夫!」とか「明日が来るから!」みたいな歌詞がすごく苦手なんですよ。「いつか晴れる」みたいなことを歌う日本の音楽文化みたいなところに、「ん?」って思うところがあって。
井上:「止まない雨はない」とか?
根津:「止まない雨はない」って言葉がホント嫌いなんですよ。
井上:いいじゃん、別に(笑)。
根津:いや、止まない雨はあるから。ずっと雨季みたいなときって誰しもあると思うし、私としては、無理やり明るい気持ちにさせたいわけでもないんです。だから、肯定はしたいけど、「なんだっていいんじゃない?」っていうぐらいの本当に軽い気持ちで歌いたかったんですよね。それをこのトラックが受け入れてくれたと思うし、この曲じゃなかったらこの歌詞は書けなかったと思います。
井上惇志
──群像劇というお話の通り、収録曲の曲調はかなり幅広いですし、波もすごいですよね。たとえば、中盤の「strobo」「devilgirl」「snowflakes」の流れとか。
2人:はははははは(笑)。
──ここはすごくいい意味でカオスだなと思いました。この3曲はバンド時代に作られていたそうですね。
井上:曲順は結構難しかったですね。アルバムとしては、ひとつのまとまったサウンドスケープにするというよりは、打ち込み系の曲と生音系の曲をうまく同居させて、それこそ群像劇的なものとして絶妙なバランスで落としこもうと思っていて。「strobo」は当時の形ではなく、TiMT(PEARL CENTER/Mime/Pistachio Studio)くんに新しい感性でアレンジしてもらって、「devilgirl」は初期に作ったパロディ曲で、僕としてはおふざけと皮肉を込めているんですけど、おもいきって振り切ったものを入れてみようと思ったので、シーンチェンジ的にど真ん中に入れたりとか。
──ちなみに、「devilgirl」に込めた皮肉というのは?
井上:「devilgirl」は、Freddie Hubbardの「Red Clay」という曲をオマージュしているんですけど、デモの段階で根津が歌っていたキーは、Bmだったんですよ。それをカラオケで言うところの+2、要は全音上げて、無理やりC#mにしていて。それはなぜかというと、Freddie Hubbardの「Red Clay」のキーがC#mで、このキーってアドリブを取るには難易度がかなり高いんです。それで、ジャズセッションじゃないけどジャズの曲をやるセッションみたいなものがあるんですけど、そういうセッションだと難しいからみんなキーを半音下げてCmで演奏するんですよ。そうすることで難易度も下がるんですけど、それがものすごくダサいなと思って(笑)。
──(笑)。であれば、我々は演奏するのが難しいキーでやってやろうじゃないかと。
井上:あくまでもこれはうんちくレベルの話で、別に聴く人が知らなくてもいい部分なんですけど、ただおふざけをするんじゃなくて、そういう部分を入れることで音楽的な強度を足したかったし、パロディをやるのであれば、そういう矜持をひとつ持っておくことが大事だと思うんですよね。そこがある分、いくらでもふざけられると思うので。
──「snowflakes」もこれまでなかったタイプの曲ですよね。メランコリックなんだけど、すごく激情的で、でも美しくて。
根津:この曲の大枠は私が作ったんです。今も聴くんですけど、エレクトロニカがすごく好きな時期があって。あと、同時期にポストロックもよく聴いていたので、ちょっと綺麗でメランコリックな曲が書きたいなと思って、雪がちらちらと舞っている北海道の景色をイメージして作ったんです。それをバンドに持っていったら、私以外みんな北海道出身なので、「北海道の雪はこんなに甘くない」って言われて(笑)。
井上:地吹雪で死にそうになりますからね、北海道は。
根津:それであの激しいアレンジになりました(笑)。
井上:ミックスのときに、「雪女に呪い殺される感じでお願いします」ってエンジニアの人にお願いしました(笑)。あと、今まではギターを入れないことをひとつの枷にしていたんですけど、今作でそこを大々的に取っ払ったんです。それで、バンド時代は僕のルーツにあるジャズの方向にしていたんだけど、改めて根津が持ってきたデモにあったポストロックやシューゲイズ的なサウンドスケープを出すために、トラックメイカーが弾くギターではなく、ちゃんとしたギタリストが弾くギターを入れようと思って、竹之内一彌くんというギタリストにお願いして弾いてもらったりとか。あと、歌詞もちょっとリライトしてもらいました。もともとは適当英語みたいな感じだったんですよ。
根津:私がGoogle翻訳したものだったので(笑)。
井上:うん。そこはそれでよかったんです。showmoreでは、あえて日本語英語的なものを使おうと思っていたので。たとえば、前作に収録している「I don’t love you」という曲も、“アイ、ドント、ラブ、ユー”と歌ってもらったり、「dryice」(ドライアイス)というタイトルも、本来はdryとiceの間にスペースが入りますがわざと詰めた表記にしたり。そこは、英語をモチーフにしてはいるけど、あくまでもドメスティックなものを標榜するために、敢えてそういうことをしていたんです。その部分の頑なさも柔軟になってきて、英文法的に100%正しいわけじゃないけど、ある程度意味が通るものにしよう、とか。
──大元は昔に作ったものではあるけど、いろんな制約を外して、今の形にしたと。
井上:そうですね。この数年間で変わってきた考え方とか、積み上げてみたものをしっかりアウトプットできた曲かなと思います。
showmore
──アルバムを締め括るのが、「I love you」という曲で。アナログ感のある始まりから打ち込み的な方向に進んでいくという、両方の部分が印象的にあるアレンジになっていますね。
井上:最初に入っているのは、(根津が)「こんなメロディができたんだけど」って歌い出して、じゃあ即興でコードつけてみようと思って、一番最初に合わせたときに録ったボイスメモをそのまま使ってるんですよ。その部分もレコーディングしていたんですけど、試しに入れてみたら、すごくいいものになりましたね。曲としては、過去を振り返りすぎるのではなく、過去を心に置きながらも前を向いた感じにしたかったので、SIRUPで一緒にサポートしているShin Sakiuraにアレンジをお願いしました。
──歌詞のイメージもボイスメモを録った時点からあったんですか?
根津:歌詞はサウンドができてからですね。なんか少し巫女的な話になってしまうんですけど、みんなが合わせている音を聴いていたら、「I love you」っていう言葉がパっと見えてきて。
──でも、なぜまた「I love you」という言葉が出てきたんだと思います?
根津:端的に言うと、自分の人生が満たされ始めた感覚があったんですよね。それまでは全然満たされてなかったんです。それこそ「I don’t love you」って歌詞を書くぐらいだったので(笑)。だけど、歌手として、ミュージシャンとしての人生が満たされてきて、自分の人生が……完成したわけではないんですけどね。でも、成立してきたっていうのかな。
井上:組んだ当時はそこが魅力でもあったし、今も変わっていないところはあるんだけど、やっぱり根津はどこまでいっても自己中心的な人なんですよ。
根津:ははははは(笑)。
井上:自分のことだけ考えて、自分のことが一番好きで、自分の──。
根津:いや……(苦笑)。
井上:そこはいい意味でね? だからこそ作れた世界観みたいなものがあったんですけど。それが少しずつ自分達のやりたいことができるようになってきた中で、根津の歌詞の切れ味がちょっと弱まっていた時期があったんです。それこそ、前作は歌詞が書けなくて、レコーディングブースでリライトして、結局その日はバラしたこともあったりして。
根津:うん、ありました。
井上:そこはやっぱり、自分が変わっていくことに対しての戸惑いがあったと思うんですよ。ここまで活動してきて、一つずつ目標を達成していったことで満たされてきた部分があって、もちろんそれは自信にも繋がるし悪いことではないですが、そこで満足してしまった自分に戸惑い停滞してしまった。でも、そのタイミングでコロナが来たことで、根津に関しては、今までは自分のことばかり考えていたけど、自分の大切な人が傷ついていることに対する憤りとか、愛を与えたいみたいな変化が出てきたし、自分が満たされてきたことを受けいれたことで、相手のことも考えられるようになったというか。
根津:ああ。そうだね。周りの変化というよりは、自分自身の変化を受け入れられるようになった。
──そこは本当に大きいですよね。なにせ「I don’t love you」だったわけですから(笑)。
根津:ははははははは(笑)。
井上:今もそういうところは全然あるんですけどね(笑)。無償の愛みたいなタイプではなくて、奔放な感じではあるので。出会った頃はもっと無軌道な人間でしたし。
根津:井上くんと出会った頃が一番トゲトゲしてた(笑)。ただ、ああいうときにしか書けないものはやっぱりあったし、前作はそういう尖った部分をものすごく詰め込んだアルバムだったんですよ。ただ、聴いているとすごく疲れちゃうから(笑)、次は明るいものを作りたいねっていう話はずっとしていて。
井上:重苦しかったからね(笑)。
根津:そう。作った本人達ですら、一周聴くとヘトヘトになるから。あと、世間的にもまだまだ雰囲気が暗いので、だからこそ明るさを持って作りたいねというのは、最初から最後まで持っていたテーマではありましたね。
井上:まあ、世間の曲と比べると、じゅうぶん湿っぽいんだけどね(笑)。
根津:そうそう。そこは私たちなりの明るさ。
showmore
──そのアルバムを持って、3年半ぶりの全国ツアーが決定しています。
井上:正直、かなり迷ったんですよ。
根津:うん。ツアーを本当にやるのかどうかは。
井上:正直にいうと、インディペンデントでやっているので、動かないほうが安パイではあるんです。動くと転んでケガをする可能性もあるし、ツアーをやっても採算なんかまったく取れないので。ただ、これに関しては、何か説明できる理由があるわけじゃなくて、今ここで動かずに殻に閉じこもるのは、なんかダサいなと思ったんですよね。
──とにかくこのままでいるのはよくないと。
井上:これは根津と僕で考え方が違うかもしれないけど、僕としては、ライヴは不要不急だと思うんです。やっぱり医療や食や住居に比べると、最優先ではないと思うので。でも、不要不急なものこそが人間活動だと思うから、すごく大事なものではあるんですよ。それに、不要不急だからこそ、触れていないと忘れてしまうし、やっぱり人の心って絶対じゃないから、ファンだったけれども、そこまでなくても大丈夫ということになってしまうと思うし、たぶん、僕らもそうなってしまうんですよ。ツアーをやらなくても、配信で稼げるからいいやとか。それは非常によくないし。
──確かに。
井上:だから、プロとして、お金を稼ぐという点で考えたら、今はやるべきではないんだけど、今やることが5年後、10年後の種まきになるんじゃないかなって。だから、緊急事態宣言下でいろんなことがあって、怨嗟渦巻く時期に決めなきゃいけなかったから、本当にどうしようか迷ったんですけど、そこはもう批判覚悟でやろうと。今はやるべきじゃないかもしれないけど、「また半年後」にとか「情勢がクリアになってから」と言っていたら、ものすごく大切なものを失ってしまう気がしたので。だから、予感ベースの話ではあるんですよね。明確な論拠があって、「だからやるんだ」というわけでなく、言ってしまえば、やりたいし、やらなきゃいけないと思ったからやるというのが、今回のツアーについては大きいかもしれないです。
根津:井上くんはサポート業もあるので、コロナ禍でもライヴの数は多いほうだと思うんですけど、私の場合はかなり限られていて、ライヴという機会が本当になかったんです。でも、たまに歌わせてもらうと、ステージで全細胞が爆発している感じがすごくあったし、リハーサルですら全身が滾る感じがあって。やっぱり私がリアルに生きている感覚を感じるのはライヴしかないと言ったらちょっと大袈裟かもしれないけど、やっぱりライヴというものを忘れたくないっていう気持ちはすごく強くて。
──忘れたくないというのは、それこそお2人とも同じ考えであって。
根津:もちろん不安な面はあるんですけどね。ただ、とにかくできる限りの感染予防対策はしますし、そもそも私はライヴハウスで育った人間なんですよ。ずっとライヴハウスでバイトさせてもらってきたから、少しでもそういう場所に光を当てることができるのなら、自分ができるだけのことはやりたいなって。だから、いろんな感情はあるんですけど、一言で言ったら、楽しみですね(笑)。
井上:うん。音源も重要だけど、やっぱりライヴが僕らの本分なので。
根津:そうだね。絶やさずにやっていきたいし、やっていこうと思ってます。でもなんか、お客さんの顔を見たら泣いちゃいそうな気がしていて(笑)。
──初日の1曲目とか、こみあげてくるものがありそうですね。
根津:いやぁ……なんか、ステージのことを想像してるんですけど、それを予感してます。ちょっと危ないかもしれないですね(笑)。
取材・文=山口 哲生 撮影=ハヤシサトル