織田哲郎
80年代から活躍する稀代のヒットメーカーが自身初のワンマンステージを開催!「とっておきの秘技も準備。いままでに見たことのない織田哲郎が見られると思います!」80年代から現在に至るまで自身の曲はもちろん、多くのアーティストに楽曲を提供し数多くの大ヒット曲を世に送り出してきた織田哲郎が、10月16日(土)大阪BIG CAT、17日(日)名古屋ReNY limited、31日(日)東京 日本橋三井ホールにて『織田哲郎LIVE TOUR2021 天上天下唯我独奏』を開催する。昨年は新型コロナウイルスの影響により、急きょスタジオからの配信ライブもおこなったが、今回のライブは40年以上に及ぶ音楽キャリアにして初めてのワンマンステージだ。そこで、準備に余念がない織田哲郎にインタビュー。ツアーにかける思いなどを聞いてみた。
――今年は弦アレンジで聴かせる『幻奏夜V』で始まり、夏には相川七瀬さんの25周年ツアーにギタリストとしてサポート参加。そして10月のツアー『織田哲郎LIVE TOUR2021天上天下唯我独奏』で、一年のラストスパートに向かっていくという流れになっていくと思いますが。
「そうですね。相川のライブはとても印象深いツアーでした。もともと相川ってプロデュースしているときから自分がどういうふうにギターを弾いたら楽しいか、そういう要素を多く取り入れた曲が多かったんですよ。彼女のサウンドは最初からギター以外はコンピューターでシンセとサンプラーで作っていて、デビューから1,2年後くらいにはプロツールスというものが出たのですぐに使い始めたんですけども、そういうデジタルなもので作った上にエレキギターを重ねるというレコーディングでした。どんなオケを作ると最後にギターを楽しく弾けるか、いつもそれを考えていたんです。90年代の後半ですか、あの頃はスタジオにこもってなにかやっていないといけない状況だったんですけど、当時のことを思い出したりして、相川とのツアーはとても楽しかったです」
――こういった形でツアーにサポート参加したのは初めてだったようですが。
「ええ、初めてだったんですよ」
――織田さんがもっとも多くの曲を提供したのが相川七瀬さんだったようです。
「まあ、結果的にそうなったようですね」
――シングルだけでも50曲以上あります。
「そんなに作ってます? そんなにありましたっけ? 相川の場合は楽曲提供というよりも、もうほとんどコンビというか、ユニットみたいなものでしたね。相川がいてくれたおかげで世に出すことができたサウンドがいっぱいありますから。たとえばZARDだったりTUBEの場合、あくまでも楽曲提供の立場でしたけど、相川の場合はちょっと違うというか。自分でこういう曲を書きたい、世に出したいと思っても自分のキャラにあわないし自分がやるのもちょっと違う、かといって依頼もないようなタイプの曲が当時頭の中に色々溜まっていたんですね。それが相川にはまって、相川がいてくれたからそういう曲を世に出せたっていうのがありますね」
織田哲郎
――なるほど。そういったサポートにまわるツアーから一転して、こんどは「ツアー史上初のワンマンステージ」とのことですが。
「ですねえ! ハイ!」
――ワンマンとはありそうでなかった。初めてとは意外でした。
「そうですねえ」
――なぜ、ここでワンマンをやろうということになったのでしょうか。
「まあ、やったことないことをやってみたかったんですよね。そういうイメージはないかもしれないけど、俺ってとりあえずいろいろと機材だったりなんだったり、プロツールスもそうだけど、なにか新しいものが出るととりあえず試してみる質なんですよ。それは昔からシンセサイザーだ、パソコンだと、ずっとそうなんですよね。ただそれを使っていかにも新しいことやってる感だけを売りにするのはあまり好きじゃなかったんです。なので、そういうのはあまり前面には出さないでやってきました。それでも新しい機材とかには非常に興味があるし、なにか新しいことをやってみたいなと。まあ、新たなトライということですよ」
――このアイデアは、いつ頃から出てきたものですか。
「たとえば機材的には最近、空間系のものとかいっぱい買っていたんですよね。こういうことをライブでやりたいなと思ってて、アイデア自体はいろいろあったんです。ただ、今回はいろんなテクノロジーを駆使した形でのライブを一人でやっちゃおうと。そう思ったのは今年に入ってからです。もう、今年も今年。今年の春頃ですかね。昨年からコロナのこともあって、いろいろと不安定な状況じゃないですか。でもなにかやらないといけない。だったらいいよ、俺、やりたいことあるから一人でやっちゃおうかって感じでしたね(笑)」
織田哲郎
――昨年も、スタジオからの配信ライブを直前に決められて実現させました。
「あれは本当に直前(数日前)でしたね(笑)」
――配信ライブのさきがけの形になり、会場での復活ライブ的なものも織田さんがさきがけでした。
「結果的にそうなりましたね」
――では、今年の活動の集大成的なものが今回のワンマンステージになりますか。
「ハイ、そうですね」
――昨年同様、大阪、名古屋、東京の3か所になります。今回のみどころは?
「とっておきの秘技もやっちゃいますよお!見たことない織田哲郎が見られるというのはありますね」
織田哲郎
――いままで見たことがないというのは? あらゆるジャンルの曲を網羅されている織田さんなので…。
「う~ん、なんだろう? たとえば、(●●を指して)これを演奏している俺はさすがに見たことないでしょ(笑)」
――確かにないですね。
「●●みたいなこととかね。まあ、いろんな、なんだろうな? 一人で音楽をやるというのもいろんな形があるわけで、当然、アコースティックの弾き語りという部分もあるわけですよ。だけど、いまいろんなテクノロジーを駆使することで、こんな風に一人でも世界を広げられる。そういうことを提示できるものがあるんじゃないかな。たとえば、音楽を構築しているところから見てもらえるとも思いますよ」
――というのは?
「要するに、ループを組んでいきながらリズム体を作って楽器やって、コーラスも重ねていって。そのようなことをやったりしていくことで、厚みがある音楽をお見せすることもできるわけで」
――その際の選曲はご自身でされるわけですか?
「ハイ。基本は自分の曲。あとは提供した曲のアレンジ。こんなアレンジしちゃおうかなとかね」
――まったく別のアレンジになると。
「そうですね」
織田哲郎
――『幻奏夜』では弦楽器でのアレンジでしたが、そのシリーズとはまた別のアレンジになると。そうなると一つの曲が幾通りにも広がりますね。
「そうですね、ハイ。楽しみにしてもらえればなと思います」
――昨年のツアーでは、「世の中が沈みがちなのであえてロック色を濃くしてハッピーになれるようにしたい」とのことでしたが。
「そうです。今回はさて、なんでしょうね?」
――現在、リハーサルが進んでいる状況と思いますが、手応えはいかがですか。
「しんどいですよ(苦笑)。大変ですわ(笑)。これは本当に、自分史上一番大変なライブかもしれないなあ」
――ワンマンということで。
「そうですねえ。一番大変かもなあ。それだけに、多くの人たちに見ていただきたいんですよ」
――ツアーのタイトルが『天上天下唯我独奏』。唯我独尊ならぬ唯我独奏。このタイトルに込められた意味とはなんでしょうか。
「ワンマンらしくというか、とにかく一人でやっちゃうよということを強調できるタイトルにしました!」
織田哲郎
――各地でオープニングアクトの方もいらっしゃいます(大阪=広沢タダシ、名古屋=七尾旅人、東京=佐藤タイジ)。
「ハイ。最初から最後まで一人だけというのもちょっと寂しいかなと思って、どうせだったらゲストを呼んで、1曲でも2曲でも一緒にやるみたいな部分があってもいいかなと」
――なるほど。さて、このツアーが終わると11月14日(日)には沖縄(かでな文化センター)でチャリティーライブ『あしたのうた』が開催されるそうですが。
「沖縄のひとり親世帯の子どもたちに対するチャリティーです。実は沖縄に部屋を借りて、20年近くになるんですよ」
――沖縄には縁があると。
「縁がありますね。ただ、ここのところなかなか行けてないですけどね。ちなみに小枝(マネジャー)も偶然、沖縄にずっと住んでいたんです。彼女は沖縄で子育てしてたから、そういう部分でいろいろ思うところもありましてね。たまたま沖縄の状況がどうかという話をすることがあって、コロナ禍になってから、派遣切りとかいろんなことで契約社員、アルバイトのシングルマザーのお母さんたちが苦しい状況にあると。そういう人たちのために、なにかちょっとでも力になれればと思って。こちら(東京)にもありますけど、子ども食堂とか、就学支援みたいなものを県が窓口として持ってあるんですけども、そういうのって基本的に寄付金で成り立ってるところがあるんですよね。なので、コンサートのチケットの売り上げから少しでもお渡しできればと思って。俺も小枝(マネジャー)も沖縄にはお世話になってるのでね、なにか還元して感謝の意を表せたらなと思っています。コロナ禍にあるライブですから、なにか意味のあることをやりたいなっていうところですね。なにか恩返しができればと思います」
――こちらは地元のミュージシャンの方が参加されるようですが。
「古謝美佐子さんや新良幸人withサンデーさん、D―51さん、沖縄ではみなさんご存じのアーティストさんに参加していただいてます。古謝さんはいつも沖縄のライブでサポートをしてくれているパーカッションのチコちゃんを通して、私のライブを見に来ていただいたことがあるんです。新良さんはパーシャクラブという沖縄で人気のあるバンドのボーカルで、同じバンドのサンデーさんという太鼓の方と二人で参加してくれます。D―51さんは昔、テレビの番組で一緒になったことがありますね。というわけで、今回の趣旨に賛同していただいたアーティストの方に参加していただきます。基本的には、沖縄県の方たちにそういう活動を知ってもらえればというところですね。もともと沖縄でライブやるときは沖縄で知り合った沖縄のミュージシャンと一緒にやるんですね。そういったつながりからやらせていただいてます」
織田哲郎
――ところで、来年2022年は、ソロデビュー40周年に王手をかける年になります。83年ソロデビューですので、2022年は39周年。いよいよ40周年が見えてきます。
「40年なんて、もう意味が分からないっすねえ(笑)」
――ミュージシャンとしての活動はすでに40年を超えていることになりますが。
「そうですねえ。WHYでデビューしてからでいうと、もう40年以上ですか。確か、ソロデビュー30周年のときはDVD出したりしてるんですよね。もうすぐ40周年か…うひょ~(笑)」
――なにかやらないといけないですね。
「少なくとも新譜がほしいところです(笑)」
――アルバムがほしいですね。
「いくらなんでも(新譜はほしい)。本当、なにかやらないといけないですねえ」
――では、この3日間のライブツアー『織田哲郎LIVE TOUR2021 天上天下唯我独奏』を前に、ファンの方にメッセージをお願いします。
「とても面白いものが見られると思うので、ぜひ来てほしいなと。しかも今回逃すと、次は(ワンマンライブを)いつやるかわからないしなあ(笑)。一人でこういう形をまたやるかどうかはわからないですから。もう二度とやらないかもしれないし(笑)」
――あまりにも準備が大変なので?
「そう(笑)」
――これは余計に見逃せないですね。
「見逃すと二度と見られないシーンとかあると思うんでね、ぜひ今回見ておいてほしいなと思います!」
取材・文=新井宏