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長澤知之、デビュー15周年にたどり着いた人生賛歌『LIVING PRAISE』を語る――「誰かの記憶に残ることは、ちょっとぜいたくだなと思うから」

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長澤知之 撮影=ハヤシマコ

長澤知之 撮影=ハヤシマコ

まるで彼自身の歩みさながらのどっしりとしたビートの上を印象的なホーンフレーズが踊る幕明けから、アニバーサリーイヤーなどどこ吹く風の「らしさ」と、決して色あせない輝きを存分に感じさせる、長澤知之の8年ぶりのフルアルバム『LIVING PRAISE』。今年でデビュー15周年を迎えた希代のシンガーソングライターが変われずに、いや、変わらずにいたまなざしが結晶となった12編の人生賛歌は、むしろ今こそ時代が求めるかのごとく優しく鳴り響く。所属音楽事務所のオフィスオーガスタのアーティストが一堂に会した『Augusta Camp 2021』では、同期の秦 基博とともにイベントをもり立て、11月7日(日)群馬、高崎club FLEEZよりアコースティックツアー『LIVING PRAISE TOUR 2021 〜Acoustic ver.〜』をいよいよスタートさせる長澤知之が語る。彼の言葉は、それ自体が時折、歌詞のようにロマンチックで、純粋で、そっと寄り添う。誰もが人生という映画の監督であり、主役であり、脚本家であるなら――2006年にシングル「僕らの輝き」でシーンに放たれたその光は、ここからどんな未来に向かうのだろう?

長澤知之

長澤知之

 ●精神的なところは正直、変わってない●

 ――YouTubeで期間限定公開されている対談『音楽とお笑いと、長澤知之と村上(マヂカルラブリー)』を観て、15年という時間を感じましたよ。今や「長澤知之を聴いてました」という人が世に出てくる時代だぞと。

 あの収録のときは何だかずーっと申し訳ない気持ちで、終始緊張してました(笑)。

――村上さんは当然、緊張しただろうけど、長澤くんまで(笑)。

自分の音楽を好きと言ってくださる方と話すと、めちゃくちゃ緊張しますね。もちろんうれしいけど、ちゃんと答えなきゃいけないなと。ありがたい限りですよね。

――そんなアニバーサリーイヤーに、約8年ぶりのフルアルバム『LIVING PRAISE』がついに完成して。

いずれアルバムを作るつもりで、曲が出来上がったら出していこうと去年から配信リリースを続けてきたから、制作期間的には結構長くて。アルバムとして曲を並べて、『LIVING PRAISE』というタイトルを付けて、ジャケットが決まって初めて実感が湧いてきて……今はそれを自分で聴きながら散歩したり、そういう楽しみ方をしてますね。

――ここ2年はコロナ禍で世界が変わって、制作期間中にここまで人生に変化が訪れることもなかなかないと思いますけど、それはやっぱり今作にも関係してきた?

関係しましたね。スタジオに集まっちゃいけなくなって、それならできることしようと思って家で制作できる環境を整えたり、打ち込みで熱心に作ってみたり。

――精神的なムードの変化というより制作環境が変わった方が大きくて、それが作品に落とし込まれた。

そうですね。言ったら、精神的なところは正直、変わってない。歌うこともそんなに変わってないというか、根本の部分では同じことをずーっとやってる気はしますね。

――ミュージシャンで変わった人/変わらない人は二極化していて、変わらない人の特徴は、そもそも自分は社会に適してないと思ってるというか、元々生きづらかったから音楽を選んだわけで、「コロナになってもやることは変わらない」と。

そうかもしれないですね。めっちゃ音楽が好きな人は世の中がどうなっても自分が好きなことを追求するから、結局、「あのアーティストの新譜を聴いた」みたいな話をしたり、黙々と新しいエフェクターを作ったり……自分の周りにはそういう人が割と多くて。オタクは強いというか(笑)、好きなことに夢中になれる人はやっぱり強いなと。

――それこそマヂカルラブリー村上さんとのYouTube対談で、長澤くんが「自分が好きなことをやり続けた方が、信頼できる人が集まる」と言っていて。「めちゃ自己分析できてるやん! 大人になったなー」と思いましたよ(笑)。

ハハハ!(笑) だって、自分が繕ったようなことをいい人ぶって話しても、絶対にボロが出るというか疲れるし、それを続けてたらストレスだなと。自分がいいと思って作った曲をいいと言ってもらえるほどの喜びはないし、となると感性も似てくると思うので、話せる話題も増えていく。そういう人と一緒にいる方が……何だかんだ付き合いも長くなると思いますね。

――まさに、長澤知之の人生そのもの。

うん、そう思う。

●どこかでずっと、部屋の隅を見続けながら一日が終わっていくような人間の曲を書き続けたいと思ってる●

長澤知之

長澤知之

――『LIVING PRAISE』は今だからこそ、変わらない長澤知之の輝きが時代にフィットしたというか、より響くものになった気がします。「だから長澤知之の音楽が好きなんだ」と、ふに落ちました。

えー! どこ?(笑)

――「宙ぶらの歌」の<なんでもないかなしみはどうしたらいいの/わからない/誰の目にもうつるようなものじゃないけど/くるしいのに>という一節を聴いたとき、形はないけど確かにあるこんな気持ちを歌にしてくれる人が他にいるのかと。分かってほしいと心のどこかで思ってる自分を、めちゃくちゃ感じましたね。

「宙ぶらの歌」には何人か思い浮かぶ人がいて、その幾つかのノンフィクションを一つの人格にすることでフィクションにして。そこに自分が小さい頃に考えていたことを乗せて歌ったんだけど……弱さを人に吐露するのをためらう人は多いと思う。自分は希望に満ち溢れた曲も好きだし、バカみたいなことを歌うのも好きだけど、どこかでずっと、部屋の隅を見続けながら一日が終わっていくような人間の曲を書き続けたいと思ってる。自分自身にもそういう時期があったし、そのときに音楽を聴いて何だかちょっとホッとすることもあったから。

――あと、「広い海の真ん中で」でも同じように感じて。この曲には<綺麗な絶望>というフレーズがあって、人生に降り掛かる後悔とか喪失感を、こんなにも感動的に歌うことができる。ただ堕ちていくだけでも、腫れ物に触るように接するわけでもない。かと言って、「前を向いていこう」とも違う切り取り方で。

絶望についてよく考える時期があって、テレビを観ていると救いようのないニュースも流れるじゃないですか。例えば「Back to the Past」(2019年発表)という曲は、未来の自分が今の自分=過去を見て「あのときはものすごく大事な瞬間だったな」と思う曲でしたけど、「広い海の真ん中で」は、もう後がない。人生がここで終わるだろうと思った男が、「あの時期はかけがえのないものだったんだな」と悟る。自分の妄想の中でそう悟ることによってシミュレーションしてるんですよ。そうしたら……今を生きる喜びが少し増えるかなと。

●どっちか一つを極論みたいに切り取るんじゃなくて、どっちも歌って、それを肯定する●

長澤知之

長澤知之

――「朱夏」は青春に代わる言葉ということで、「朱夏色」の<僕が見ていたい夢/それは君からすればとても嫌な現実>というラインは、響き次第では苦しくも聴こえることなのに、とても朗らかで。

喜びをテーマに歌う曲は世の中にたくさんあるけど、同時にキツいこともあるよねと。さっき言った絶望にしてもそうだけど、今の時代に孤独感を感じることは往々にしてあるから、どっちか一つを極論みたいに切り取るんじゃなくて、どっちも歌って、それを肯定する。そこに例えば、今そばにいる人、もう会えない友人だとか知り合いだとか……振り返ったときに、そのはかなさと素晴らしさを大事にしたいなと思うから、どっちも同居させて。

――「羊雲」は地元・福岡の日々を回顧するような歌で、「青いギター」からは開き直りとか覚悟みたいなものも感じたり……制作していく中で改めて自分はこういう人間だな、ミュージシャンだなと思うことはありました?

ウルフルズのトータス松本(Vo.Gt)さんが吉田拓郎さんに提供した「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」(1998年発表)みたいな感じもあるけど、いつも視点的にちょっと上から自分を見ていて。自分に使命が与えられてるなんて思ったことはないし、このやり方が正しいかは分からないけど、今は自分が自分を認められることをやれている。それを「(ちょっと上にいる自分が)見てくれてるんじゃないかな?」みたいな考えが頭の中にありますね。僕なら僕、奥くん(=筆者)なら奥くん、それぞれが監督で、それぞれが主役をやっていて、自分の瞳がカメラだとしたら、観たものをフィルムに写して素晴らしいドキュメンタリー映画を作っていく。それをできるだけいいものにしたいという感覚で。そういう意味では、今の自分も悪くないかな。

――言わば、長澤知之という人生=映画の監督であり、主演であり、脚本家であり。

そう。そして、それは誰もがね。

●自分が知り得ないことは歌えないし、自分が分かってないことは書けない●

長澤知之

長澤知之

――長澤くんは、「あんまり好きじゃないなーと思うような曲を、茶化すように曲を書き始めることがある」みたいなことも言ってましたけど、気の進まないことをあえてやるんだ(笑)。

僕はブラックユーモアが大好きで、そういう要素を曲に組み込みたいなと。でも、作ってるときは「これは多分、発表しねーだろうな」と思ってる(笑)。だけど仕上がっていくうちに、「こういう形でユーモアが成立してるのは好きかもな」と。

――やけにしゃれてるなと思った「クライマックス」が、そういうアプローチから生まれたと知るとまた面白いし、タイトル曲とも言える「My Living Praise」は、敬愛するビートルズからの引用もありつつ、これぞ長澤知之の生きざまというような曲で。

「生みの苦しみ」とはよく言いますけど、自分は表現することが好きだし、むしろそういう形でしか言えないこともあって。例えば、こうやって会話してるときにメロディに乗せずに話すと非現実的なことも、メロディはそれを現実にしてくれるというか、その橋渡しになってくれる。いいツールだなといまだに思うし、ヘンな言い方をすれば正当化してくれる。表現方法として一番自分に適してるし、性に合ってるのかなと。

――面と向かっては言えないことも、歌にはできる。

そう。自分が知り得ないことは歌えないし、自分が分かってないことは書けないけど。

●自分の作品を世に残すことは、結構不思議なことだと思うんですよ●

長澤知之

長澤知之

――ちなみに、今回のアルバムでとりわけ思い出深い曲は?

「ポンスケ」や「My Living Praise」はギタリストの宮崎遊くんと2人でアレンジして作った曲なんですけど、それが新鮮で楽しかったなー。彼を紹介してくれたシンガーソングライターの谷口貴洋も大阪出身だから、彼らと話してるとよく奥くんの話題も出るし(笑)、「またみんなで呑みに行けるようになったらいいね」という話をしたりもして。遊くんはとにかく音楽が好きで、音楽に夢中で、キラキラしてて……そういうのはマジで大事だなと思う。ステージを観ても思うけど、ただ義務的にやるのではなくて、本当に音楽を楽しんでやってる人が好きで。例えば、ザ・フーのキース・ムーン(Dr)はドラムを叩いてるときはめちゃめちゃうれしそうだし、ザ・ストーン・ローゼズが再結成するときも、リハーサルスタジオでレニ(Dr)が楽しそうに叩いてて……そういうのをるとキュンとしちゃうんですよ。「すげー分かるー! やっぱりそうだよね!!」と。これからも、そういう人たちと一緒に仕事ができる人生でありたいですね。

――11月にはアコースティックツアー『LIVING PRAISE TOUR 2021 〜Acoustic ver.〜』も控えてますが、最後に長澤知之の音楽を待ってくれている人たちに一言もらえれば。

15年でリリースしたフルアルバムが3枚=5年に1枚だなんてオリンピックのような枚数だけど(笑)、それが誰かの人生に流れて、そのシナプスに宿ることは僕にとってミラクルなので。そういうことが増えたらいいなと思うし、こういうふうに時間を設けてもらってアルバムについて話せるのもうれしい。自分の作品を世に残すことは、結構不思議なことだと思うんですよ。それを聴いてもらえて、誰かの記憶に残るのは、ちょっとぜいたくだなと思うからこそ、長澤知之というミュージシャンについていつか振り返ることがあったとき、悪い思い出にはしたくないなと思うんですよね。   

取材・文:奥“ボウイ”昌史 撮影:ハヤシマコ

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