大野和士 (撮影:長澤直子)
ザルツブルクのイースター音楽祭で上演され、その後ドレスデンのゼンパー・オーパーで上演されてから〈オペラ夏の祭典2019-20 Japan⇔Tokyo⇔World〉として2020年に日本で上演される予定だったワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。コロナの影響で一年延期となり、今年(2021年)の8月に東京文化会館で上演を予定していたが、初日前におこなわれる最終舞台稽古の直前に関係者にコロナ陽性が出て、2回予定されていた本番の舞台が中止となった。
この待望のプロダクションが新国立劇場でようやく上演される運びとなった。初日を11月18日(木)に控え、一部のキャストに新しいメンバーが入ったリハーサルも順調に進んでいる。演出はイェンス=ダニエル・ヘルツォーク、指揮は、このプロジェクトの総合プロデューサーでもある新国立劇場オペラ芸術監督の大野和士だ。このほど新国立劇場のリハーサル室で大野に話を聞いた。
ーー 昨年の公演が延期になり、そして何よりも今年8月の東京文化会館における上演が初日直前に中止になったのは残念でした。その時、マエストロはどうされましたか?
この《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、オリンピック関連事業として上演されることが決まっていましたが、まず2020年が中止になりました。東京文化会館が主催する今年8月の公演はオリンピックの文化事業で、11月の新国立劇場における上演は私どもの劇場の主催公演である、というようにそれぞれ性質は違っています。しかし、今年の7月の3週間、私たちはここ新国立劇場においてリハーサルをおこないオペラを作り上げてきました。長い作品ですし、難しい歌、繊細な歌が多いのですが、皆が全力を尽くし、複雑な動きの演出にも慣れ、やっと東京文化会館におけるリハーサルにまで漕ぎつけ、オーケストラも入り、一度全体を通したリハーサルも終了し、さあ最終舞台稽古(ゲネプロ)だというところまでいって、関係者に感染者がでました。感染拡大を防ぐため、ゲネプロは中止せざるを得ませんでした。ゲネプロを飛ばして初日を迎えられないか?ということは検討しましたが、やはり演出的にも音楽的にも一度通しただけで本番というのは怖い部分がありますし、プロフェッショナルな態度ではないと判断し、公演は断念しました。
特にかわいそうだったのは、ヴァルターを歌う予定だったノルベルト・エルンストさんという歌手が、この8月の公演のみ参加予定だったことです。彼はウィーン国立歌劇場で、これまで《マイスタージンガー》のダーヴィット役を約200回も歌ってきた人で、この東京での公演がヴァルター役のデビューになるはずでした。中止になっても皆で集まってお疲れ様会をするわけにもいきませんから、外国からのキャストには個別に連絡をし、特にエルンストさんには「どこかで何かまたご一緒出来ることを心から願っています」というメッセージを伝えました。キャストに少しの変更はありますが、皆がまた集結してついに今月公演が行われます。
ーー 《マイスタージンガー》は大野さんご自身にとってどのような関わり、または思い入れのある作品なのでしょうか?
私は、かつてミュンヒェン(ミュンヘン)のバイエルン国立歌劇場に留学していたときに、劇場の稽古でピアノを弾かせてもらっていました。この歌劇場では7月に必ずオペラ・フェスティヴァルがあり、その最後の演目は7月31日の《マイスタージンガー》と決まっています。私が留学していた頃はヴォルフガング・サヴァリッシュさんが指揮をしていらっしゃいました。その関連のリハーサルでピアノを弾かせてもらい、とにかく難しいのでアシスタント指揮者に必死についていった思い出があります。
その時に、この作品で最も美しいと思ったのは、第二幕のエーファとヴァルターが駆け落ちをしようとするところの音楽です。自分たちの愛を誰も認めてくれないのならばと、二人がひっそりと町の城門を出て行こうとするところで鳴る、ホ長調からロ長調の音楽があるんです。それが本当に美しい弱音で奏でられます。清澄なる純愛の温かい響きがするのです。それまで《マイスタージンガー》に対して持っていた、圧倒的な作品というイメージを大きく覆される出来事でした。子供の頃に《マイスタージンガー》を初めて聴いたのは前奏曲です。荘厳で、トランペットが活躍して、というイメージがありました。もしくは第三幕の合唱の場面「Wach auf!/目覚めよ!」など。そういうところが耳に残っていました。ところが自分が実際に演奏し、そして本番の公演でサヴァリッシュ先生がこの二重唱の場面で、二人のひそひそ話のところではこういうジェスチャーでオーケストラを抑えて…。それを靴職人の親方ハンス・ザックスが彼らに気がつかれないように様子を伺っているのです。その音楽がまるでザックスの、二人を行かせてあげたい、という気持ちのように美しかった。
自分が《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を初めて指揮する機会があったのは、カールスルーエのバーデン州立歌劇場でした。カールスルーエは、ワーグナーが音楽祭の計画にバイロイトの地を選んだ時にもう一つの候補だった町で、ワーグナー存命の頃からワーグナー指揮者として著名だったフェリックス・モットルがこの劇場の初代音楽監督でした。私はこの劇場の音楽総監督時代にワーグナーのほとんどの作品を指揮していますが、そこで初めて《マイスタージンガー》を振った時には、なんと素晴らしい曲なのだろうと感激しながらやっていました。こちらはまだ若かったですし、とにかく長いので、「あれ? ちょっと一小節間違えてしまったのでは?」なんて思いながら指揮していると楽団員の方が、「ここ!」って助けてくれたりしたのを覚えています。
ーー 何となく若きヴァルターを助けるハンス・ザックスみたいなお話です。ワーグナーの伝統ある歌劇場で貴重な経験を積まれたのですね。
そうですね。そしてその後で、ブリュッセルのモネ劇場では、今度は素晴らしい演出家たちとの出会いがありました。『昆虫記』のアンリ・ファーブルの曾孫であるヤン・ファーブルさんという現代アーティストと《タンホイザー》をやりましたが素晴らしい演出でした。もしくはリヨンで《パルジファル》を指揮した時に、シルク・ド・ソレイユの演出もしていたフランソワ・ジラールさんが演出でしたが、これもまた見事な舞台でした。演出家と作り上げるワーグナーを意識し始めたのはモネ劇場の頃からです。
ーー そのような経験の後、今《マイスタージンガー》を指揮するにあたり、音楽的にはどのような面に光を当てたいと思われますか?
この作品を構成している要素について見てみますと、第二幕のハンス・ザックスのモノローグ「Wahn, Wahn/思い込み! 錯覚!」、それにダーヴィットが第一幕で歌うマイスターとは何か?を説明する、指揮者にとっては合わせるのがすごく難しい歌があったりする中で、ドラマを構成しているもっとも重要な要素は二重唱なんです。ザックスとエーファの二重唱、ザックスとヴァルターの二重唱、ザックスとベックメッサーの二重唱、そしてヴァルターとエーファの二重唱。二重唱がこの物語を作っていくんですね。二重唱が心の機微を表現し、言葉と共にニュアンスが変化していく。ザックスとエーファの二重唱では、これまで腕に抱いて可愛がって育ててきたエーファがザックスをちょっとやりこめる場面が出てきたりします。このような対話を支えているのはオーケストラですが、この《マイスタージンガー》のオーケストレーションで特徴的なのは、二重唱になると、とにかく p(「弱音で」という記号=ピアノ)がたくさんでてくる。一小節ごとにクレッシェンドしたら、p、p、p、p、と p だらけなんです。これらの部分では、オーケストラは室内楽のように弾かなければいけないということです。
ーー 物語のあらすじだけ読むと、エーファは歌合戦の勝利者の花嫁になることを決められていて、今となっては受け入れ難い価値観にも思えるのですが、実はこの物語は女性が正しい男性と結ばれるために男性が試練を受ける旅の物語、という内容を持っているように感じます。いかがでしょうか?
それはあると思います。その原型は何かと考えたら、モーツァルトの《魔笛》ですよね。結局、二人が結ばれるまで、お互いを高めあっていかなければいけないということなんです。ワーグナーはそういうドイツ・オペラの歴史的な立脚点というものは、捉えていると思います。面白いのは、この作品は前奏曲が終わった後にすぐに教会における合唱が始まります。これはミサではなく讃美歌でいわゆる新教徒の歌です。これはまた民衆のオペラでもある、ということの象徴なのです。その讃美歌の中で、チェロとヴィオラのソロが、お互いを意識したエーファとヴァルターを表しています。しかもそのすぐ後の会話でもエーファのセリフはヴァルターに彼女の決心をはっきり知らせています。そういうところからも、エーファはワーグナーが書いた女性像の中でもひときわパーソナリティが強い役だと言えるでしょう。
ーー エーファを歌われる林正子さんは素晴らしい歌手だと思います。エーファ役にはどのような声を求めますか?
まずは声の質としてソプラノ・リリコであり、少しドイツ的な深みのある音色の声を持っていることが大切です。エーファは先ほどの話にも関わりますが《魔笛》のパミーナを歌い、《ローエングリン》のエルザを歌ってから歌うという順番でキャリアを進めていく方も多いのです。もう一つとても大切なのは、感情が爆発するパートであるということ。めそめそと悲観的なところがあるのはヴァルターの方で、その彼に「しっかりしなさい」と言うのは彼女なんですね。林さんはきっと、力強く包容力のあるエーファを歌ってくださるのではと思います。ドラマ上の要はやはりエーファ、そしてザックスですね。
ーー ザックスのトーマス・ヨハネス・マイヤーさんはどのような歌手ですか?
とにかく声が素晴らしいです。ノーブルであって、しかも非常にエモーショナルな表現ができるという得難いバリトンです。
ーー ポーグナーのギド・イェンティンスさんはザックスも歌える実力派だそうですね?
彼は私がカールスルーエの劇場で初めて《マイスタージンガー》を指揮した時のポーグナーでした。その後、バイロイトでも歌い、ポーグナーもザックスもできる優れた歌い手です。
ーー ベックメッサーのアドリアン・エレートさんは新国立劇場でもお馴染みの歌手です。
エレートさんはこのプロダクションがザルツブルクのイースター音楽祭で上演された時からのオリジナル・キャストです。演劇的にも重要な役割なので活躍が期待されます。
ーー ヘルツォーク氏の演出は物語が劇場の中に設定されているそうですね?
登場人物たちが意外な場所から登場する、とても動きのある演出です。回り舞台を利用して、ザックスの仕事場が現れたり、草原が現れたり様々な場面を作り出します。
ーー 《マイスタージンガー》の大きな魅力の一つである合唱についてはいかがでしょう?
今回は、普通この作品に出演する人数よりは少なめになっています。歌う時にお互い一定の距離を取らないといけませんので。客席から全身が見えないポジションの合唱団員も出てきてしまうかもしれませんが、身体や顔の角度を工夫してみんなの声が真ん中に集まってくる工夫をしています。やはり室内楽的な部分と大合唱のコントラストもこの作品の一つの命ですから。
ーー マエストロは東京都交響楽団の音楽監督の任期が2026年までに延長されたというニュースが10月に発表されたばかりですが、今回はその都響がピットで演奏することになります。やはりこれまでシンフォニーの分野でも多くの演奏をしてきた積み重ねが今回の演奏に活きることになりそうですか?
それはそうだと思います。この前の、ゲネプロ直前まで練習を重ねていた時に楽員の多くが口にしていたのは、「こんなにページをめくってもめくっても終わらないにもかかわらず、楽しくさらえる曲は他にはない」ということでした。やはりそれだけ人を幸せにする力のあるオペラなんだと思います。
ーー それは同感です。ワーグナーの中でも、《マイスタージンガー》にはザックスを中心とした、他者の幸福を願う、社会の幸せを願う視点があり、それをこの時期ゆえにより強く感じます。
困難だった状況を私たちが経験した今、この作品がより深く自分達の心に響いてくるのではないかと思います。人間というのは苦しい時にこそ、一番美しいものを作り出すことができる可能性を持った生物ですよね。そういう意味で、困難を経験した後では歌い手、あるいはオーケストラなどの音の作り手の感覚も、そしてそれを受け取る観客の側も、感性が全く変わって、より鋭くなっていると思うのです。音楽をより深く味わうことができる心境にある、とでも言うのでしょうか。ザックスが云う「人生には多くの困難や心労があります」「それでも美しい歌を歌うことができる人たち、そういう人たちをマイスターというのです!」という言葉通り、私たちが生きている限り、幸せとは何か?ということを考えさせてくれる、その力をくれるオペラではないでしょうか。
取材・文=井内美香
写真撮影=長澤直子