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田原俊彦、還暦ライブで躍動 デビューから40年間変わらぬ華麗なパフォーマンスでファンを魅了

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撮影:西村彩子

1980年に、アメリカの人気シンガー、レイフ・ギャレットのナンバーに日本語詞を乗せたカバー曲「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」で歌手デビューを果たした田原俊彦。80年代、きらめくアイドル全盛時代を築いた立役者としてヒットを連発。今もなお、お茶の間で元気な姿を魅せ続けている。

そんな田原が、2021年11月10日、東京国際フォーラム ホールAで還暦ライブを開催。これは4月に行なわれる予定だったものの、新型コロナウイルス感染拡大のため前日に中止せざるを得なくなったという「リベンジ還暦ライブ」である。その熱い想いを胸に秘めながら、真っ赤なシンボルカラーの衣装に身を包んだ、この日の主役が登壇。1990年のアルバム収録曲「月のイヤリング」で“HAPPY BIRTHDAY TO ME”と自らの誕生日を祝いながら、ハッピーなムードでスペシャルライブの幕は開けた。

のっけから3曲を全力でパフォーマンス。軽やかなターンやステップは、40年を経ても一切衰えることがないのは本当に驚異的なことだ。最初のMCでは、声を挙げられない会場のファンに向け、ちゃめっけたっぷりのポーズで場を和ませた後、「還暦祝いができてうれしい」と、素直な想いを伝えた。

パワフルなドラムに、男性ダンサーらとやんちゃな素振りで応じる田原。1984年のヒット曲「チャールストンにはまだ早い」ではグラマラスなバンドサウンドを全身に受けて表現し、メランコリックなフラメンコギターがとどろく「ごめんよ涙」(1989年)では、情感たっぷりにパフォーマンス。あどけなさが残る1982年の「原宿キッス」では、颯爽とスケボーに乗って現れ、その身体能力の高さに驚かされた。

2ndシングルで田原自身初となるチャート1位を獲得した「ハッとして!Good」では、ステージ上ににわかに仕立てたスクリーン越しに生着替えをし、学ラン姿になって「青春ひとりじめ」を歌唱するという、ユーモアとサービス精神満点の演出でファンを喜ばせた。

ダンサーたちの熱いパフォーマンスバトルの合間に、大人らしさと華やかさが同居するスーツへと身を包んで、再びステージに現れた田原。1989年のヒット曲「ひとりぼっちにしないから」では、長年田原のステージを支えてきたバンドメンバーがステージの最前列に躍り出て、熱い演奏を響かせた。田原が地方記者役を演じたドラマの主題歌としてお茶の間に親しまれた「ジャングルJungle」では、セクシーでスリリングな大人っぽさを醸し出した。

2度目のMCでは、額に汗を光らせながら「余裕ないです」と冗談めかして話したり、赤のドレスコードで来場したファンをあえていじったりするなど、田原のステージはいつも柔らかなユーモアが満ちている。それは、多分だが生来シャイな田原の照れ隠しもあるだろうし、ステージではハッピーな夢を魅せたいという、彼のエンタテイナーとしての誇りでもあるのではないだろうか。あっけらかんと話しているようで、自身のプライベートはあまり語らず、その一方で「足掛け24年になる」と長い月日を重ねてきたバンドメンバーへ温かな眼差しを向ける田原。「水曜のこんな時間に呼び出してごめん」と、ファンをねぎらう気遣いなどに、優しく思いやりにあふれた田原俊彦という人の本質を垣間見た気がした。そんな人に優しく、自分には厳しい田原だからこそ、バンドメンバーの口から「還暦でこのパフォーマンスができるのは田原俊彦だけ」と言わしめることができるのだろう。事実、お世辞抜きに若いダンサーたちと遜色なく踊り、1人で28曲を歌い切るなんて、どう考えても(いい意味で)クレイジー。常人には到底できるはずもない。

MCでは、「TikTokをはじめたり、僕なりにコミュニケーションできる方法を考えて頑張った」と端的に語った田原。ライブコンサートが行なえない、このコロナ禍において迷いながらもなんとかして大切な人たちへのつながりを持ち続けようと試行錯誤を続けたことも透けて見えた。ステージで変わらぬ輝くパフォーマンスを届けるために、田原の40年間はある意味で変わり続けてきた歴史でもあるのだろう。

ステージ後半には1982年のアルバム「夏一番」の収録曲で、キラキラしたサマーチューン「刺激的サンバ」などのファンにうれしいレアな選曲も見られた。また、洋楽カバーでしっとりとしたピアノが印象的な「雨が叫んでる–TELL BY YOUR EYES」(1992年)も披露。ユーロビートなどのダンスビートに乗せながらも、田原が表現してきた歌の世界は、女性にはとことん優しく、ときにはめっぽう弱いくせに、男気にあふれ、哀愁を帯びたなんとも魅力的な一人の男が浮かんでくる。その姿と田原俊彦という人が、違和感なくオーバーラップするからこそ、多くの人が彼を「特別」だと感じ続けることができるのかもしれない。

終盤には、そんな魅力あふれる田原を長年応援してきた研ナオコさん、藤森慎吾さん、爆笑問題の2人、黒柳徹子さんなどのスペシャルな先輩や友達からのボイスメッセージが会場を包んだ。五木ひろしさんと三浦知良さんは、メッセージだけでなく会場にも姿を見せていたという。

その温かなメッセージに背中を押されたかのように、終盤ではデビュー曲「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」や「悲しみ2(TOO)ヤング」(1981年)、そして、田原を、いや80年代の歌謡シーンを代表するナンバー「抱きしめてTONIGHT」(1988年)を連打(!)。本編ラストを、2021年にリリースされた最新シングルで60th Birth Anniversary記念曲「HA-HA-HAPPY」で締めくくった。

…かに思えたが、間髪入れずに「アンコール」の声がバンドメンバーから起き、ひと息つく猶予もなく、田原は再びステージに。なんと、何食わぬ顔をして、ミニセグウェイに乗っているではないか。くるくると回ったりさっそうとバックしたりと、まるで身体の一部のようにうまく操りながら、ロマンチックな「ラブ・シュプール」(1982年)を描いた。

オールラストのポップチューン「センチメンタル・ハイウェイ」(1983年)まで、スピード感が落ちることなくダンスチューンを華やかに踊り、飛び、叫び、歌った田原俊彦。アイドルとしてのきらめきを失わず、エンタテイナーとしての熟練も兼ね備えた唯一無二の世界は、きっと心を明るく励ましてくれるだろう。クローズアップできるテレビ映像だからこその、躍動する姿や光る汗、照れくさそうにはにかむ少年のような笑顔などをつぶさに、その瞳に焼き付けてほしい。

文:橘川侑子

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