TOMOO
知る人ぞ知る存在から、知らないなんてありえないでしょの存在へ、ただいま猛スピードで成長中。「Ginger」のヒットで大注目を浴びた2021年を経て、一気に2022年のブレイク候補に名乗りをあげたシンガーソングライター、彼女の名はTOMOO。最新配信シングルは2曲入りで、「酔ひもせす」は最強キャッチーなピアノポップチューン、そして「グッドラック」はせつなさを極めた感涙バラード。ナチュラルポップなメロディの吸引力、独特の文学的センスを発揮する歌詞の深み、どこにいても人目を引くキュートな容姿、天性の華のあるライブパフォーマンスと、いくつもの個性を引っ提げて、8月7日にはLINE CUBE SHIBUYAでのワンマンライブも決まった。2022年の音楽シーンを代表するニューヒロイン候補、TOMOOってどんな人?というテーマを様々な角度からゆっくり解き明かす、SPICE初登場インタビュー。
――初めてお会いするので、とにかく、聴けるだけ音源を聴いて、見られるだけ映像を見てきました。最初のアルバムが6年前で、そのあと、3枚出していますよね。
配信のアルバムも含めて、3枚ですね。『Wanna V』『Blink』『TOPAZ』と。
――並べて聴くと、けっこう違うなあという印象があったんですね。音も歌詞も。最初はピアノ・シンガーソングライターっぽい感じで、歌詞も初々しいというか、日記っぽい感じで、2枚目はぐっとバンドっぽくなって、3枚目はさらにサウンドが多面化されてゆく、みたいな。
音源の作り方が、全然違ったんですよ。曲を書いたのはけっこうバラバラで、たとえば2枚目の曲のほうが、1枚目に入れた曲よりも古いとか、ごちゃまぜなんですね。1作目は、バンドと関わったこともない状態で、いきなり周りの人に声をかけて、「ギター弾いてくれませんか」みたいな感じで、それぞれは全然知り合いじゃないみたいな感じの中で、スタジオに何度も入って。私もバンドの音がわからないから、「ちょっと弾いてみてください」みたいな感じでアレンジを作って、という感じでした。途中から、弦のアレンジを手伝ってくれた方も参加していただいて、すごくごちゃまぜな作り方をしたのが一作目です。
――ああー。なるほど。
2作目は、プロデューサーの方が2人いて、ベーシストの根岸(孝旨)さんにお願いした3曲と、BREIMENの高木祥太さんにお願いした2曲があって、お二人とコミュニケーションを取りながら、自分はDTMもできなかったので、二人が作ってくれました。3作目は、そろそろDTMをやってみようということで、少しだけ、イメージを伝えるための素材程度ですけど、アレンジを私がしたというよりは、そんな感じです。
――確かに、そんなふうに聴こえますね。まさに、進化の過程という感じがします。そして2020年の『TOPAZ』以降は、次々にシングルを切って、MVやアートワークにも力を入れて、どんどんハジけていくイメージがあります。
状況的に、そういうことができるようになった、ということはあったんですけど。ただ、自分のイメージをこういうふうに具現化していきたいということを考えられるようになったのがその頃で、いろいろ出せるようになったという感じですね。昔は弾き語り一本で、それ以外のことは考えられなかったので、どんなサウンドにしたい?と言われても、うまく言えなかったし、そもそもバンドの音を聴き取れない。18歳の頃は、バンドを聴いても、どれがベースかわからないみたいな感じでした。
――それはネタじゃないですか(笑)。
本当にそうだったんです。聴きたい、でも聴こえない、みたいなところからスタートして、今に至る感じなので。すごい地道に進んでいます。
TOMOO
――面白いです。その、18歳のもう少し前の、中高生の頃は、どんな音楽を聴いていたんですか。
中学生の時は、小学生の延長で、一つは邦楽のくくりの中にあるような、Mステに出ているような人たちが好きでした。YUIさんとか、Aqua Timez、コブクロさん、それと父の影響で、玉置浩二さんとか、あとはアニメの主題歌とか。その曲単体で聴くことが多かったです。誰かのコンサートに行くとか、CDを全部買うとかではなく、その時大衆的な場所でかかっていた音楽を聴いていました。それが中学2年生ぐらいになると、先輩とか友達の影響で、暗い曲を聴くようになるんです。たとえば、エヴァネッセンスとか、サーティー・セカンズ・トゥー・マーズとか、ダークなテイストの曲しか聴けない時期が訪れて。
――うーむ。思春期ですかね。
明るい曲を聴くのがつらくて、ひたすらに短調が多い曲しか聴けないみたいな時期がありました。そのかたわら、映画音楽を聴いていたりもしました。演劇部に入った流れで、BGMで音楽をかける時に、サウンドトラックという視点で曲を探したりして、映画音楽も好きで、iPodに入れてよく聴いていたような気がします。…でも、なんか、エヴァネッセンスがめっちゃ強調されちゃいそうな気がする。
――あはは。いいじゃないですか、エヴァネッセンス、かっこいいし。
もっといろいろあったはずなんだけど(笑)。でもけっこう、曲単位でという感じだったんですね。たとえば、グラミー賞ノミネートのコンピレーションCDを聴いたりとか、誰か一人にすごくのめり込むというよりは、好きになった曲を単曲で聴くことが多かった気はします。あ、でも、ダークな雰囲気のしか聴けなくなった中で、シンガーソングライターの「シギ」さんにめっちゃハマって、それはもしかしたら、曲を書き始めたことに、すごく影響しているかもしれない。小学校の頃に聴いていた音楽とは、キャラクターが違ったというか、もっとドロッとした感情をむき出しに、「こんなふうに感情表現していいんだ」というものに、初めて出会ったというか、「暗い気持ちを暗く歌っていいんだ」みたいな感じでした。
――うんうん。なるほど。
そう考えると、けっこう雑多ですね。でも洋楽をちゃんと聴きだしたのは、高校生になってからです。人から勧められて、「カーペンターズは聴かなきゃ駄目だよ」とか、「君はピアノをリズミカルに弾くからこれを聴いてみなさい」って、ベン・フォールズ・ファイヴを勧められたりとか、「ビートルズは聴かなきゃ駄目。キャロル・キングも」「はい、聴いてみます」みたいなことがあったりとか。
――今言った要素は、今の曲作りにも、どこかにちゃんと入っていると思います。ピアノポップ感だったり、スタンダードポップス感だったり。そこで、自分で曲を書こうと思い立ったのは、いつ頃、どんなきっかけで?
小学生の時から、アドリブで曲作りっぽいことはやっていました。テレビの番組表が載っている雑誌に、「今月の主題歌一覧」みたいな感じで、歌詞が掲載されていて、どんな曲だろうな?と想像しながら、適当にメロディをつけて歌ってみる、みたいなことをやっていました。それで中学生になって、環境が変わったこともあって、感情が不安定になっていた時に、「曲にして吐き出さないとどこにも行き場がない」みたいな気持ちが大きくなって、本当に曲を作り始めたのが、中学1年生になってからです。
――ちなみに、今までリリースした中で、一番古い曲というと。
どれだろう? ネットで見られるものであれば、コンテストに出た時の「金色のかげ」という曲があって、それが中学3年生の時に作った曲です。リリースされている中だったら、『Blink』に入っている「レモン」が高校2年生の時です。「レモン」は、さっお話した、周りの人が「こういうの、聴いてみて」と勧めてくれる中で、「歌謡曲、最高!」みたいになってた時期に作った曲ですね。だから、ちょっと昔の歌謡曲っぽさがあると思います。
――そんなこんながあって、将来は音楽で生きていくんだ!って、どこかで思った瞬間があったわけですね。
流れで、そうなって行ったんですよね。中学生の時に友達に曲を贈って、聴いてもらったら、「目指したほうがいいんじゃない?」と言われて、「そうかな?」と思ったりして。ちょっとずつ、そういう意識が積み上がって行ったことと、音楽以外にやりたいことがなかったので、「そろそろやってみようか」という感じで、高校2年生の時にコンテストに応募したのが、一つの区切りですね。そこで作詞家の人とか、業界の人とかと初めて会うことができて、そこが大きな転機になりました。
TOMOO
――なるほどですね。それと同時に、中学高校は演劇部にのめり込んだという情報があって、それがすごく気になるんです。
もともと小学校6年生の頃に、学芸会みたいなもので、歌って演技をしたことはあったんですよ。やりたいと言ったわけではないんですけど、たまたま一人で歌って演技もして、ということをいきなりやって、周りがびっくりして、自分も「なんだこれは!」となったのはちょっと覚えていて、たぶん演技に興味があったんでしょうね。それで、(中学校に)入学して、それぞれの部活の発表を見て回った時に、演劇部の舞台がすごかったんですよ。演技もすごいし、マイク無しで端から端まで声が響いて、「なにこれ、かっこよすぎ!」と思って、カミナリに打たれたみたいに感動して、演劇部に入ろう!と思いました。
――それも運命的ですね。
だから、人に曲を聴いてもらうようになったのは中学2年生だけど、中学1年生で演劇にのめり込んでいたんですね。今思えば、ぶわーっ!と感情を爆発させる体験が、その時期の自分にとってすごく必要だったんだと思います。いろんな役を演じる中で、自分の中に閉じ込めている気持ちを解放する体験がすごく楽しくて、生き生きしていて、自分の表現の場として必要なものが演劇で、それから音楽に移って行った、という感じです。
――ああー。なるほど。
今でこそ変わってきたけど、10代の頃の歌は、歌ではあるけど、セリフっぽい気持ちに片足を残している、みたいな感じはあると思います。表情とかも、演技がかっているところはあるかもしれない。それは、今でも残っているかもしれないです。
――すごい納得です。それと付随して、文学も好きだろうなという印象がありますね。歌詞のボキャブラリーや、表現の面白さとかから推測すると。
読書家でしょ?ってたまに聞かれるんですけど、語れるものは何もないです(笑)。だけど、中学高校の国語の授業で、このフレーズがめちゃめちゃ心に残ったとか、異様に感動したとか、今でも覚えていることがあるので、そこから歌詞への影響は感じますね。歌詞のイメージ元が、国語の授業を受けながら、パッと浮かんだ感動のイメージから来ていたりするものもあります。
――つながる気がしますね。だって新曲が「酔いもせす」=えひもせす、ですから。
「酔いもせす」は、めっちゃ国語ですね(笑)。
――めっちゃ国語ですね。それも、「いろはにほへとちりぬるを…」の言葉が、その頃からずっと頭にあったということですか。
そうですね。ナチュラルに出てきました。和風なイメージがポッと浮かんで、「酔わないよ」ということを言いたいと思った時に、なぜか出てきました。
TOMOO
――それを、現代的な恋愛のシチュエーションで使っているのが、すごく面白いです。この歌の主人公って、けっこう自分ですか。それとも創作?
それがすごく難しくて、半々なんですよ。でも、見たものが元になっていない曲は一度も書いたことがないです。脳内で見たか、目で見たか、どっちでもありなんですけど、見たものがスタートになって、断片が集まってきて、という感じなんです。「酔いもせす」には、四つの断片がありました。
――そうなんですね。教えてください。
えっと、長くなってもいいですか(笑)。そもそも、昔は暗い曲が好きだったと言いましたけど、10代の頃の曲は、人との関係とか心のやりとりを、すごく深刻に考えている曲が多かったんですね。恋愛の曲でも、10代の頃からずっと悩んでいたことは、人の愛情や関心がほしいと思った時に、頭の中で勝手に舞い上がったりすることと、その人本人を愛することは別物だよねということをずっと考えていて、中学生の頃はそれで自分を責めていたんです。本当は相手を大事にしたいけど、「私がこの人の関心がほしいと思っているだけなら、そんなの愛じゃない」と思って、それに対して否定的だったんですね。相手のことが見えなくなるほど自分が舞い上がったりすることって、素敵じゃないというか、「その先があるはずだ」と思っていたというか。
――うんうん。
舞い上がっちゃう時は舞い上がっちゃうし、悩んじゃう時は悩んじゃう、その間で重く考える曲が多かったんです。今も、舞い上がることに対して否定的という基本スタンスは変わらないんですけど、その気持ち自体は否定できないし、そこにあるワクワク自体を一つのエネルギッシュな風景として、おいしいものとして作品にしたっていいじゃんと思って、視点を変えてみたというタイミングだったんですね。この曲を書いたのは。
――そういうことでしたか。
そしてもう一つは、単純にお酒に弱いということ(笑)。サークルにも所属していなかったから、飲み会を知らなくて、お酒に憧れがあったんですね。あともう一つは、ジムに行ったことと。
――ジム?
ちょうど冬から春に変わる季節に、初めてジムに通い出して、すごい血行が良くなったんです。周りもみんな健康的で、汗のにおいと熱気がうわーっと押し寄せてくるのが、すごく新感覚で、「えー、何これ!」ってなって、新感覚で脳が元気になっちゃった。それで、バーッと汗をかいたあとにジムから出たら、夜風が気持ち良くて、「飲み会のあとってこんな感じじゃない?」と思って、その新鮮味と、純粋に細胞が元気になっている状態をそのまま曲に落とし込んだという、四つぐらいの断片を入れてできた曲です。
――いやあ、完璧にわかりました。ここまで歌詞の背景を解説してくれた人に初めて会いました(笑)。
えー! まずいことしたかもしれない。
――まずくないです(笑)。めちゃくちゃ理解できました。最高の曲ですよ。
ありがとうございます(笑)。
TOMOO
TOMOO
――素晴らしい。この調子で、もう1曲のほうも語ってください。ポップな「酔いもせす」に対して、せつないバラードの「グッドラック」。
どういうふうに出来たかってことですよね? うーん、どうしよう。めっちゃ迷う。具体的には…自分にとって大事だった人物が、外国に行っちゃうということが本当にあったんです。自分の音楽のスタートから知ってくれている人だったから、自分の道について考えもするし、その人のこれからについても考えるし、エールの曲なんですけど、ただ頑張れよっていうことでもないし、何て言ったらいいんだろう。ムズっ。さっきはめっちゃしゃべったのに、これについては全然しゃべれない(笑)。
――いやいや。そのままどうぞ。
どうしても、個人的な話になっちゃうな。きっかけはすごく個人的なことだったんですけど、すごく落ち込んだ時期からひと期間あいて、ちょっと落ち着いて、その人がそろそろ出発する時期だなと思った時に、素直に書いた曲です。だからエールの曲ではあるんですけど、自分がこの曲を歌うことは、自分を見てくれている人に対しての気持ちとして、「どこに行っても自分の歌が聴こえるところまで行きたいんだよね」という気持ちが入っているというか。かといって、「やったるで!」という気持ちともちょっと違うんですけど。うーん、伝わってください。
――うんうん。いいですよ。決意の曲だと思います。
戦っていくというよりは、いろんなものを肯定したいんですね。まだ肌寒い時の春の日差しと空気が、悲しかったことや、心の翳りや、いろんなものを包みこんで、その中ですごい静かな気持ちになれるという感じです。
――そういう曲ですよね。やっぱり、TOMOOさんの作る曲の根っこには、実際にあった、すごく感情が揺れる出来事があるということが、よくわかりました。
曲は全部、何かあった時に書いています。ただ曲にしている時点で、自分をちょっと離れるんですね。一言一句実体験を書いていますという感覚ではないんですけど。
――だけど、そこにある思いはものすごく本物だから、そこがリスナーに伝わるんだと思いますよ。そんなTOMOOさんの曲が好きな人たちが、8月7日、LINE CUBE SHIBUYAいっぱいに集まることになりました。もう想像してますか? 目の前に、うわーっとお客さんがいる光景を。
想像しようとしています(笑)。この間会場を見に行かせてもらったんですけど、ライブハウスとはもちろん違っていて、天井めちゃ高っ!という感じで、明るいんですよ。物理的に「自分、めっちゃちっぽけだな」と思ったし、すごくきれいで端正な場所で、ここでどんなふうにライブをしよう?って正直思ったんですけど、本当はその一席一席に人がちゃんといてくれて、たぶん今まで以上に顔がよく見えたりすると思うので、もっと一対一で向き合うようなイメージも思い描いてはいるんですけど。
――はい。
あと、「ホールで見たいな」と言ってくれる声も聞いたりしていたので、それがかなうのは楽しみだなという思いもあります。もともと演劇をやっていた時は、1000人ぐらいのホールでやっていたんですよ。ある意味、そこに戻る感じもあります。ホールでの演劇だったら、セットを作ったり、衣装を着替えたり、するじゃないですか。同じように、LINE CUBE SHIBUYAなら、ライブハウスよりも使える楽器も増えるかもしれないし、曲の世界を表現する上で、この場所ならではの欲張り方をできるかな?ということをイメージしています。
――楽しみですね。
ホールって、大事な時に使う場所というか、卒業式だってホールでやるし、ちょっと雰囲気が違うんですよね。その特別さを何て言ったらいいかわからないですけど、原点に戻る感じがなぜかあるんですよね。私にとっては、音楽活動を始める前のイメージとして、ライブハウスよりもホールが先にあったんですね。LINE CUBE SHIBUYAはすごく大きなところですけど、いろいろ旅してきて原点に戻って来るみたいな、そしてみんなの目の前に立つという心持ちがあるかもしれないです。
――いい日になりますように。そのコンサートのあとに、ぜひまた話を聞きたいですね。その先にどんな夢が見えたのかを、聞いてみたいので。今のところ、どのぐらい先まで、夢を描いてますか。
えっと、でも、それを言うと、公開されちゃいますよね。
――しますよ(笑)。ということは、あるということですね
音楽友達とかとしゃべったりしている中では、「そこに行くんだ」みたいなことを言ったりしているんだけど、こういう場ではちょっと言うのを躊躇しちゃいます。なんででしょう? そういうタイプの人間なんです(笑)。
――えっと、じゃあ、「TOMOOさんが目指す場所は〇〇〇〇」にしておきますね。みなさん、そこに自由に想像の言葉を当てはめてください(笑)。
明確に、どこどこでライブをしたいというのもあるし、すっごく抽象的に、「こういう気持ちでライブしたい」というテーマもあるんですけど。もしかして、半年後とか1年後とかだったら、言えるかもしれない。
――じゃあ、時期が来たら、また聞きに来ますね。夢の話の続きをしましょう。
はい。ありがとうございます。
取材・文=宮本英夫 撮影=フジイセイヤ (W)
TOMOO
「酔ひもせす」
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