D’ERLANGER
D'ERLANGER(デランジェ)が、再結成15周年となる今年2022年9月9日から5週にわたり、『SADISTICAL PUNK 2022 -REUNION 15th ANNIVERSARY-』と題したライブをVeats Shibuyaで開催する。ライブタイトルでもある“SADISTICAL PUNK”とは、結成当時のバンドを形容するキャッチコピーとして使用されていたものだが、なぜいまこの名前を掲げたライブを行うのか? そもそもなぜ再結成し、その後も活動継続をメンバー自らが望むバンドになったのか? 現在の心境を、メンバーを代表してボーカルのkyoに訊いた。
――2022年、D'ERLANGERは再結成15周年を迎え、活動を精力的に行なっています。しかし、まず気になるのが、去年の秋、kyoさんは肺に腫瘍が見つかり手術をしたことです。それでも年末のイベント『JACK IN THE BOX 2021』で、kyoさんは奇跡的な復活を遂げ、お客さんはもちろん、共演するミュージシャンたちからも感動の声があがりました。
ありがとうございます。
――肺の腫瘍や復活ステージについて、改めて伺いたいんですが。
俺はわりと人間ドッグをちゃんとやるほうで、定期的に肺を見ていたのもあって、そこで見つかったんですよ。でも全然、症状もなくて。定期検査のタイミングで見つかったのは奇跡だったみたいで。
――歌っていて肺が苦しいとか、それまでなかったんですか?
全然なくて。術前もそうだし、術後も当然なくて。だから肺に腫瘍が見つかったのはビックリしましたよね。それにツアーが決まっていたから、まず、そっちがヤベーなというか(笑)。分かりやすく言うと、“もしかしたら死んじゃうかも……”とか、そういう不安はあんまりなくて。それよりも気になったのはツアーのこと。コロナ禍になって誰もライブをやっていないような時期から、D'ERLANGERは前に進もうって、いろいろ模索しながら進んできて、おかげ様でメンバーもお客さんも関係スタッフからも感染者を出すことなく、ずっと進んできて。それでも緊急事態宣言などでツアーの延期も余儀なくされていたので、2021年秋のツアーで『D'ERLANGER AGITO TOUR』もようやく終わらすことができるよなって。そのタイミングだったので、予定通りに秋のツアーができないことに“クソーッ!”っていう悔しさが大きかった。でもメンバーが、「何も心配しなくていいから」って、まず声を掛けてくれて。とにかく、「まず治そう」って言ってくれたんで、秋のツアーは延期って決断になったし。今年に入ってからのツアーのMCでも言ったんだけど、絆だったり、メンバーの器のでかさだったり、それはイコール、バンドの強さだったりを、改めて感じることができたんで。だから早く治して、恩返しじゃないけど、歌えるようになりたいなっていう思いだけでしたね。
kyo(Vo)
大きな病気をすると人生観が変わる、とよく言われるけど、俺はそこまではなくて。ライブ1本ごとの重みやありがたさ、楽しい、嬉しい、が増えた。
――10代の頃から知っていますけど、D'ERLANGERのメンバーは、ステージではクールな佇まいを見せていますが、根は優しい男たちですから。
そうですよね。やっぱり人間性が音に出ているってことが、改めて明確になったというか。こういう時代では珍しいバンドなのかなと思いながら、嬉しくもあり、すごい自慢でしたよ(照笑)。
――kyoさんの復活のステージは、イベントではありましたが、日本武道館でした。格別な思いであのステージに向いました?
そうですね。やっぱり武道館というのはいつも特別。ただ、開催された去年12月27日というのは、まだ治療中で、出られるか出られないか、その判断をギリギリまで待ってもらって。前日にGOになったんですよ。だからけっこう覚えてないです、あのステージは。人生で最大ぐらいの緊張もあったし。実際に歌ってみないと分からないから、どうなるか。
――肺やノドの状態が?
うん。それで1回、カラオケへ行って練習はしたけど(笑)。
――一人、カラオケ店でD'ERLANGERの曲を歌う、D'ERLANGERのシンガーですか?
そう(笑)。だってステージに出て歌えなかったら、余計、心配させるだけだし。でも感じたのは、やっぱりバンドのエネルギーというか、ステージに立っているのは俺一人じゃないからね。そのエネルギーの中に入ったから歌えたと思う。すごい熱い塊だったから。それにステージに出て行ったとき、お客さんからの熱も伝わってきて、それが全部、自分の励みになったし。あの武道館に関しては、メンバーもそうだし、お客さんもそうだし、共演したバンドやミュージシャンもそうだし、D'ERLANGERのセットで一緒に歌ってくれたHYDEやムックの逹瑯、INORANとか、本当にいろんな人に支えてもらったステージだから。この復活をきっかけに、早くちゃんと治して、みんなに恩返しをしなきゃな、と思いました。
CIPHER(Gt)
――肺の病気をしたことで、歌うことやステージに立つ姿勢など、相当な意識変化も起こりました?
大きな病気をすると人生観が変わる、とよく言われるけど、俺はそこまではなくて。大きな病気をしなくても、人生観が変わる事柄を今までに経験してきてるじゃない、きっと。それをずっと背負ってやってきているから。あとコロナ禍になってからそうだけど、ライブ1本ごとの重みやありがたさがあったから。それが増したかなとは思う。あとは、楽しい、嬉しい、が増えた。
――一瞬ごとが貴重なものに?
そうだね。今までもそうなんだけど、より強く感じるようになったかな。
――治療は今も続いているんですか?
いや、もう完治と言っていい。今年2月頭まで治療を続けて、その後は検査しながら、経過観察で。でも2月頭に治療を終えて、2月ケツにライブをやったというのは、自分でも驚いた(笑)。
――しかも、そこからライブ活動をスタートさせたじゃないですか(笑)。
そうそう(笑)。俺はあんまりストイックじゃないから、ライブに備えて身体作りをするとか、あんまりしないから。ツアーで身体ができていく感じだからね。今だから言えるけど、最初の2~3本は本当に体力がヤバくて。ライブやっていて余裕はなかった。でもそれがいいんだよね、D'ERLANGERって。
――ギリギリまで自分と闘って歌うというのが?
そう、余裕を持ってというよりは、そのときのギリギリのところと向き合って、表現していくのがD'ERLANGERだから。ライブをやっていくうちに歌う身体になっていったし。最初のうちはキーの高い曲はキツいかなって、セットリストを決めるときに弱気の自分だったり、気を使ってくれるメンバーもいたんだけど、5本目のライブに行くか行かないかぐらいの時期、突然、アンコールでキーの高い曲をやってみて(笑)。ああ、俺、歌えるじゃんと。それが結果、自信につながったりしたから。だから『D'ERLANGER AGITO TOUR 2022』の前半で、恐れるものはなくなっていたんですよ。
――ツアーをしながら、自ら突破口を開いていった感じがしますね。
というかバンドが開いてくれたね。
SEELA(Ba)
CIPHERのギター、Tetsuのドラム、SEELAのベースって、俺にとってスペシャルだからさ。俺は他の3人にとってスペシャルになりたいと思う。
――今、ツアーを終えてみて、達成感や手応えはいかがですか?
結局、足掛け3年の『D'ERLANGER AGITO TOUR』になって、こんなに長い期間、ひとつのツアータイトルで廻るのは初めてだった。予期せぬ出来事がこんなに起きたツアーもないし。ツアーの序盤はコロナ禍になり、右も左も分からない状態でライブを始めて。お客さんも、声を出しちゃいけないってのは分かるけど、立っていいのか、いや、座っていなきゃいけないのか。もう、そこからだったから。俺たちにとってステージが一番大切なのは当たり前のことなんだけど、お客さんも同じようにステージを大切にしてくれて、一緒に守ってくれたなって思いますね。それが実感として強く湧いてます。だって、ライブって気持ちと気持ちのぶつかり合いだから、本来はお互いに制御するものじゃないでしょ。でも声が出そうになるのも抑えなくちゃいけないわけだし、最初はどう乗っていいのか分からないと思うんだよ。実際にそうだったし。でも拍手で気持ちって伝わるなって、よく分かったし。全然、違うんだよ、温度が。盛り上がってるときの拍手と、構えているときの拍手では。歓声と同じように、拍手でこっちも興奮するし、気持ちも盛り上がるし、なんだよって思うときもあるし(笑)。こういう状況が当たり前になるのは困るけど、大切なものを共有できて、大好きなものも共有できて、1本ごとのライブに反映されていったと思う。このツアーでは大切なことを本当に教えられたよね。
――再結成したばかりの頃とは違って、近年のD'ERLANGERは、若手バンドを凌駕するライブ本数ですよ。ライブバンドの域を超える凄まじさですから。
そうだね、TILTも超えたから(笑)。
――その例えが分かるのは、50代以上だと思われますが(笑)。どういう理由からライブをハードに展開するように?
D'ERLANGERでライブするのがメンバー4人とも好きなんだよ。それにライブをやらないと、何も見つからないじゃない? 新しい曲を作るにしたって、ライブをやっているから見つかるものだし。ライブで見る景色、ライブで感じる思い、ライブで伝わる温度っていうのが、全てなんじゃないのかな。コロナ禍になって配信ライブもやったけど、D'ERLANGERは本当に向かないなと思ったよ。やっぱり生の熱量を伝えるバンドだからさ。ライブが全てなんです。アルバムだって、ライブをやりたいから作るわけだし。当たり前の原点に戻っているんじゃないかな。
――再結成して数年間で、その当たり前の原点を見つけたんですか?
そうなんだと思う。スペシャルなんだよね。CIPHERのギター、Tetsuのドラム、SEELAのベースって、俺にとってスペシャルだからさ。そこで歌いたいと思うのは、ごく自然なことで。俺は他の3人にとってスペシャルになりたいと思うし。ほら、歌なんて誰でも歌えるからさ。
――そんなわけない。
いやいや、歌というのは、歌って楽しければいいわけだから。誰だって歌える。でも俺が歌うなら、やっぱりメンバーにとってスペシャルでいたいから。
Tetsu(Dr)
再結成したのは、またやりたかったから、それだけ。今この瞬間、楽しいんだからやろうよっていうので、今年で15年目になったという。理想的だよね。
――あと年齢的なものも関係あるんですかね。例えば昔、ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードが、年齢的なリミットを自ら設けたような発言をしたことがあったんです。それと同じように、年齢や体力的に、このままステージをあと何本続けられるかと。そんな考えにもなって、ライブ活動にシフトしていったようなところが?
確かに20代でデビューしたときは、夢を見るだけで毎日を進んで行けたけど。そんな20代と比べたら、今のほうが終わりに近い。でも、“いつまで歌えるんだろう”ってあんまり思わないよ。俺もいつかは声がうまく出ないときが来るかもしれないし、メンバーも身体が動かなくなるのかもしれない(笑)。でもそういうところはあんま関係ないんだよね、D'ERLANGERって。それこそ、俺は肺の病気が治ってからのほうが、声がでかいって言われるし(笑)。全然、現実味がないの、いつまでできるかなってことが。そりゃ、いつかは来るとは思うんだよ。今年で再結成15周年だけど、次に再結成20周年という節目を迎えたときは、60代のメンバーが二人になるからさ(笑)。そうなったらそうなったで、そのときに感じる現実的なものも違うんだろうけどね。でも今は、そんなことは何も感じてないんだよ。とにかく、D'ERLANGERを表現する場所がライブなんだよね。だからライブやツアーをするってこと。
――その気持ちでステージに立つからこそ、完成度も熱量も高いライブになるんでしょうね。
今の若い世代がバンドを始めるきっかけは分からないんだけど、俺たちの世代とか、もうちょっと下の世代までは、今、話したようなことを手に入れたいためにバンドを始めたわけじゃん。だからライブをするわけじゃん。きっと俺たちは今、それを手に入れられているから、当たり前にライブをしたいと思うし、D'ERLANGERをライブで表現し続けたいんだよね。
――なるほど。15年前に再結成したとき、その明確な理由って、あんまり語られなかったと思うんですよ。
いや、再結成したのは、またやりたかったから、それだけ。紆余曲折あったけど、スタジオで音を出してみようよって。で、音を出したときに“これだ!”って、みんなが思ったんだよ。それで“D'ERLANGERやりたい!”って思ったからまた始めたわけで。そこで、今度は長く活動しようよって約束したわけでもないし。なんだろうな、先のことを考えないで、今この瞬間、楽しいんだからやろうよっていうので、今年で15年目になったという。理想的だよね。
――楽しいことをもっと増やそうってことで、ツアーやライブ本数もどんどん増やし、作品も絶え間なく発表してきたわけですか?
そうだね。俺らの世代のバンドの在り方を、当たり前にやっているだけなんだよ。本当に当たり前のことでしかなくて。ただ特別なのは、この4人で音を出しているってことだけなんだよね。
ロックバンドだから、ありがとうって言葉だけじゃなくてライブで返して、「私たちが大好きなD'ERLANGERはこんなにカッコいいんだな」って思いで満たしたい。
――それで発表になった通り、9月9日から東京・Veats Shibuyaで計5回にわたるシリーズギグ『SADISTICAL PUNK 2022 -REUNION 15th ANNIVERSARY-』をD'ERLANGERは開催します。ライブタイトルでもある“SADISTICAL PUNK”に、古くからのファンは身体じゅうに電流が走るはずなんです。D'ERLANGERがインディーズで1stアルバム『LA VIE EN ROSE』を1989年に発表したとき、自らのスタイルを示す形容として使われていた言葉が“SADISTICAL PUNK”でした。当時はヘヴィメタルとかゴシックとかスラッシュとか、様々なサウンドスタイルを形容する言葉も溢れていました。どんな思いを込めて、自分たちに“SADISTICAL PUNK”という形容を使うことにしたんですか?
そんなに大げさなことじゃなくて、やっぱり知ってもらうことが大事だったからね。今でもそうなんだけど、人と違ったところとか個性とか、やっぱり追い求めているし。だから、まず“何だこれ”と引っかかるものが必要で。なにしろD'ERLANGERのことなんて知らない人のほうが多かったし。そのために必要だったもので。ジャンルレスというか、これはどんな音って、分からないんだけど、興味をそそるために必要だった言葉なんだと思う。今になって、うまいこと付けたキャッチコピーだなと思うというかさ。D'ERLANGERもいい歳になったけどさ、未だにパンクの衝動性とかハードロックやメタルの様式美とかロックンロールのマジックとかを、俺らは併せ持っているじゃない? パンクの衝動性って、年齢と反比例すると思うんだよ。キャリアを重ねると、賢くなるしうまくもなるし、音楽性も身についちゃうし。そうすると衝動性は薄れていくと思うんだけど。でも俺たちのライブって衝動性でしょ。だからカッコいいと思う。30数年前に“SADISTICAL PUNK”って旗を上げたことに、今、答えが出ている気がするよ。当時はきっかけだったり、これはどういうバンドだって思わせる目新しいキャッチコピーだったけどさ。
――その“SADISTICAL PUNK”という言葉を、今回のシリーズギグのタイトルに付けたっていうことに、いろんな思いやこだわりがあってこそというのも伝わってきますが?
本当のことを言うと、ライブの内容でちゃんと決まっていることは、まだ何もないんだよ(笑)。でも今年で再結成15周年、もっと言えば、デビュー32周年になるのか。デビュー30周年のときはちょっとお祭りっぽいこともできるかと思っていたけど、コロナ禍で何もできなかったし。あと一度解散して、17年間、D'ERLANGERをやっていなかった期間があったからさ。デビューのときから数えて30年とか、ちょっと胸を張って言いづらいのもあったし(笑)。今年は再結成15周年って堂々と言えるからさ。せっかく同会場のシリーズギグになるから、自分たちも今までのD'ERLANGERを振り返ってみるいいタイミングなのかもしれない。それが結局、“15周年、おめでとう”ってところにつながっていけばいいなって思いかな。気が付けば、オリジナルアルバムが9枚になっているし、なかなかやらない曲どころか、このアルバム自体、ライブではたいしてやってないよねってのもあったりするだろうし(笑)。やらなかった曲をやるよってことでもないけど、このタイミングで振り返ってみて、自分たちでパズルのピースを埋めるようにしていけたらいいなと思っている。……という感じで許してくれる?(笑)
――細かいことはこれから決めていくし、それに1回目のライブをやってから湧き上がるアイデアもあるでしょうからね。
そうそう。セットリストを決めたって、その通りにやらなかったことも多いしさ(笑)。自分たちも、何が飛び出すんだろう?ってつもりで、ライブ1本ずつを楽しもうと思っている。
――あとはライブのルールが少しでもやんわりしてくれれば、ですね?
そうだね。やっぱり歓声や熱狂は欲しいからね。それがライブだから。本音を言えばそうだけど、でも、コロナ禍のライブを通していろいろ作ってきた自信もあるし。バンドとお客さんの関係の中で作ってきた宝物みたいなものがね。ルールがあるうちは、それを大事にしながら盛り上がっていって、そしていざ解禁になったときは凄いんじゃない?っていう。だからいろいろ楽しみながら進んでいきます。
――様々なバンドやミュージシャンにも影響を与えてきたバンド、D'ERLANGERだから、今回のシリーズギグを通して、その理由も浮かび上がってくるでしょうね。
そういうふうに言ってもらえるのは嬉しいし、またそうでありたい。いろんな理屈とかじゃなくて、なんか“ウワーッ”ていうかさ。自分がカッコいいと思ったものって、そうだったじゃない? なんであのバンド好きなの? って聞かれたら、ライブ観てみりゃ分かるよって。こういうところがカッコいいんだよって言葉で伝えられないぐらいのものが、カッコいいんじゃんってところだったじゃない? 俺たちはそういうものでカッコ良さを知ったから、自分らもずっとそうでありたいんだよ。
――最後に、再結成15周年を迎えた今、思うこと。そしてシリーズギグを観に来るオーディエンスにメッセージをください。
簡単に聞こえるかもしれないけど、いろんな意味で感謝で溢れているんです。ロックバンドだから、ありがとうって言葉だけじゃなくて、ライブで返して、「私たち、俺たちが大好きなD'ERLANGERってバンドは、こんなにカッコいいんだな」って思いで満たしたいなと思っています。本当に自分の人生の中でこんなに感謝に溢れていることはないです。
取材・文=長谷川幸信
ライブ写真撮影=Hiroshi Tsuchida、Takeshi “GUTS” Nakatani
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