キングレコードのジャズ/フュージョン レーベル「ELECTRIC BIRD」、増尾好秋「セイリング・ワンダー」ほか第1弾25タイトルの配信決定
日本を代表するジャズ/フュージョン創世記の最重要レーベル「Electric Bird」の第1弾25タイトルが10月26日に配信される。
“世界に通用するフュージョン・レーベルを!”を掲げて、70年代後半にキングレコードから誕生したElectric Birdは、当時、担当プロデューサーの采配により、日本主導で日本、そしてニューヨークの著名かつ魅力的なアーティストを次々と輩出し、最先端のフュージョン・サウンドで世界をアッと驚かせ、音楽界で「日本にエレクトリック・バードあり」と注目を得た。
第1弾アルバム 25タイトル
- デビッド・マシューズ&エレクトリック・バーズ「デジタル・ラヴ」
- デビッド・マシューズ&エレクトリック・バーズ「コズミック・シティ」
- グランド・クロス「グランド・クロス」
- デビッド・マシューズ・オーケストラ ウィズ・グローヴァー・ワシントン Jr. & アール・クルー「グランド・コネクション」
- ジム・ホール&デビッド・マシューズ・オーケストラ「新アランフエス協奏曲」
- スティーヴ・ガッド「ガッドアバウト」
- ミシェール・カミロ「ホワイ・ノット」
- ギル・エバンス&ザ・マンデイ・ナイト・オーケストラ「ライブ・アット・スイート・ベイジル」
- スーパー・ファンキー・サックス「スーパー・ファンキー・サックス」
- ニューヨーク・ライナー「ニューヨーク・ライナー」
- 増尾好秋「セイリング・ワンダー」
- 増尾好秋「サンシャイン・アヴェニュー」
- 増尾好秋「グッド・モーニング」
- 増尾好秋「マスオ・ライヴ」
- 増尾好秋「ソング・イズ・ユー・アンド・ミー」
- 向谷 実「ミノル・ランド」
- デビッド・マシューズ&ファースト・コール「スピード・デモン」
- アール・クルー&デビッド・マシューズ・オーケストラ「デルタ・レディ」
- フレンチ・トースト「フレンチ・トースト」
- フューズ・ワン「アイス」
- ディジー・ガレスピー「クローサー・トゥ・ザ・ソース」
- デビッド・ベノワ「サマー」
- ギル・エバンス&ザ・マンデイ・ナイト・オーケストラ「バド・アンド・バード」
- ギル・エバンス&ザ・マンデイ・ナイト・オーケストラ「ライブ・アット・スイート・ベイジル VOL.2」
- ミシェール・カミロ「イン・トリオ」
エレクトリック・バード・プロデューサー(1977年〜1989年)川島重行氏 寄稿文
東芝からキングレコードに移った”ブルーノート”レーベルの編成に追われていた1977年のある日、私は当時のキングレコードの社長、町尻氏に呼ばれ、次のような話を受けた。「実は、今ニューヨークで活躍しているギタリスト、増尾好秋から、あるオファーを受けている。彼は現在NYの一流ミュージシャンと共にジャズ/フュージョンのアルバムを制作中である。完成時にはぜひキングから発売してほしいとの事。キングはいずれ世界に通じる作品創りを目指すつもりだった。増尾の作品をきっかけに、レーベルを新設し、出来れば世界でも発売できるようにしたい。そこで君に増尾の作品を一緒に完成させて、その後優秀な日本人のアーティストを発掘して世界のフュージョン・レーベルにしていって欲しい。レーベル名は、フュージョン・サウンドはエレキ楽器が多いのと、世界に羽ばたく、という意味で “エレクトリック・バード(EB)”にしたい」という話(というより辞令)であった。あまりにも突然の社長からの申し出に、そんな大役が私に果たせるのか、という不安と同時に、あこがれの制作ができるという期待感が入り混じった。
私はそれまでに、“20世紀レコード”、“コンテンポラリー” “CTI ”、“ブルーノート”などの編成業務を5年間担当しており、多くの評論家の先生方、専門誌や新聞社そして放送局の皆様に応援していただいていたし、制作を始めるにあたって、そういった方々のお助けを受ければ何とか頑張っていけるか、とポジティブな考えを持つことにした。しかし、そういった方々を納得させる作品を作っていかなければならない。
かくして1977年11月、増尾の「セイリング・ワンダー」を無事完成させ、翌78年、エレクトリックバード・レーベルの記念すべき第1弾として発売することになった。
幸運にも大ヒットとなり幸先の良いスタートがとれたのである。難しいのは第2弾である。これが失敗するとレーベル継続が困難になってくる(第3弾も同様だが)。
そこで、当時まだ大学生であった、本多俊之に目を付けた。私はジャズの編成をやっていた時、ジャズのベーシストであり、評論家であった本多俊夫先生によくアルバムの解説書を依頼し、度々先生のお宅にお邪魔していた。その都度、奥の部屋から見事な音色、フレーズのアルト・サックス、フルート、ソプラノ・サックスの練習の音を耳にして感心していた。
私は迷わず俊之をEBの第2弾としてデビューさせようと決断した。一作目の増尾の作品は錚々たるNYのミュージシャンを使っていたので、それに負けじと日本に来日していたCTIで話題となった”シーウィンド”と共演させることにした。アレンジは日本のボブ・ジェームスとよばれた上田力氏にお願いした。この俊之の初リーダー作「バーニング・ウェイヴ」もベストセラーとなり、次の第3弾への運びとなった。この三作目が私とデビッド・マシューズとの運命的な出会いになろうとは当時思ってもいなかった。EB 三作目は,当時、渡辺貞夫のピアニストとして活躍していた、益田幹夫に決定。彼はルックスの良さとメローな音色が評判で”ピアノの貴公子”と呼ばれていた。
そしてニューヨーク録音となったが、益田の甘い音色と爽快感を生かすには3リズム(プラス・パーカッション)にストリングスを入れたいと思い、そこでデビッド・マシューズにアレンジをお願いしたのだ。
私はCTI担当時、ハンク・クロフォードやジョージ・ベンソンなどの作品での彼の斬新でファンキー且つ躍動感溢れるアレンジに感銘を受けており、迷わず彼を指名した。「コラソン」というタイトルになったこの第3弾もお蔭で大ヒットとなった。この作品の録音後、私はマシューズ宅に招待され、私が持参した日本酒を飲みながら長々と音楽談義に至り、飲むほどに語り合うほどに我々の音楽制作目的が一致し(簡単なことだが”楽しくて、聞き手に元気を与える音楽創り”)、これからEBに、ニューヨークのアーティスト作品も加えて行こう、という結論に達したのである。このNYシリーズが後に EBの評価を一段と高める結果となったのだ。
もちろん日本人アーティストの作品創りは続いて行く。益田の次は、”四人囃子”で多くのファンを集めていた天才ギタリスト、森園勝敏が続き、クールで理知的なサウンドと、抜群のギター・テクニック満載の作品に話題が集まった。そして次に登場したのが、ニューヨークで高い評価を得ていたトランペッター、大野俊三である。彼は当時、ギル・エバンス&ザ・マンデイ・ナイト・オーケストラの花形トランペッターとしてルー・ソロフと共にオーケストラの重要メンバーであった。ブリリアントで流れるような抜群のフィーリングを持ったアドリブには定評があった。
一方、マシューズとの共同作品となるニューヨーク編も1979年からスタートし、第1弾「デジタル・ラヴ」を発売し話題となった。その後、マシューズの人脈を生かし、ゴージャスな大作を作り続けることとなる。
数多くの作品に参加してくれたミュージシャンは今としては信じられないほどの大物ばかり。しかもレコード会社の専属の垣根を越えて、ほとんどアルバムの全曲でプレイしてくれた。その参加してくれた大物の名を挙げると、アール・クルー、グローヴァ―・ワシントン Jr.、デビッド・サンボーン、マイケル・ブレッカー、ランディ・ブレッカー、スティーヴ・ガッド、マーカス・ミラー、ウィル・リー、アンソニー・ジャクソン、リチャード・ティー、ジョン・トロペイ、エリック・ゲイルなどなどである。今回の“エレクトリック・バード“52 タイトルの各アルバムで彼らの絶頂期のプレイが堪能できるので、どうか楽しんでいただきたい。
※2014年時に川島氏執筆の寄稿文を本人の許可のもとアレンジ、転載。