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ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルが17年ぶりに復活、制作発表レポート到着

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「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2023」 制作発表

2023年4月29日・30日、埼玉・県営狭山稲荷山公園にて「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2023」の開催が決定。11月1日に都内で制作発表が行われた。

ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルは、2005年と2006年の2回に渡って、狭山稲荷山公園にて開催。1960年代後半から70年代にかけて狭山の米軍ハウスに居住していた細野晴臣、小坂忠、洪栄龍、麻田浩、和田博巳(はちみつぱい)、岡田徹(はちみつぱい、ムーンライダーズ)といったミュージシャンが出演し、同じくかつて在住していたWORK SHOP MU!!などのクリエーターたちの協力のもとに行われた。

プロのイベンターでも広告代理店でもない制作陣は、狭山で生み出された独自の音楽やアートなど、クリエーターたちの活動に憧れた“当時の少年たち”や地元の有志たちであり、地元民に愛される美しい稲荷山公園の景観を保つための資金援助を目的としたべネフィット・コンサートとしても注目を集めた。数々の伝説を残したフェスながら、資金難など様々な理由から3回目以降の開催は見送られることとなったが、来春、遂に復活することとなった。

制作会見には、「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2023」実行委員会 委員長の麻田浩が登場。冒頭、麻田よりフェス復活の経緯が語られた。

麻田:このハイドパーク・ミュージック・フェスティバルは、いまから16年前、2005年と2006年に、埼玉・狭山に住んでいる若者と共に開催したものです。当時、音楽関係者は僕と編集・文筆業の人だけで、あとは自転車屋や歯医者、クリーニング屋など、音楽とは関係のない職業の若者たちが集まって作り上げました。当初から公園へのベネフィット・コンサートとして行おうとしていて、1年目は黒字で寄付をしたものの、2年目は失敗して(フェス自体が)途絶えてしまいました。その後も、「ハイドパークはやらないんですか?」「もう一度やってみては?」と狭山の皆さんから話を頂きながらもチャンスに恵まれずにいたなか、以前ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルを開催するにあたって細野晴臣と同じく最初に声をかけ、「一緒にやろうよ」と言ってくれた小坂忠が2022年4月に亡くなりました。当時「本当にこれは続けていこうよ」と言ってくれたのに続けられなかったことが僕のなかで負い目になっていたので、2023年4月29日30日に、小坂忠のトリビュートも含めてハイドパーク・ミュージック・フェスティバルを再開しようと思いました。

コンサートを再開するにあたって、細野晴臣にも会いまして「忠が亡くなったので再開したいんだけど」と話したところ、彼も「いいんじゃないの?やりましょうよ」と言ってくれて、再開をしようと思った次第です。ただ、残念ながら細野くんからは、今年作らなければいけなかったアルバムがまだできていないそうで、来年はライブせず専念したいと連絡がありました。フェスは出演者が後から追加されることもありますので、これから増えていくと思います。

会場となる稲荷山公園はすごくいい県営の公園なのですが、木がどんどん減ってるんですね。管理事務所の方に伺うと、なかなか県や市の予算がおりないということで、それならもう一度ベネフィット・コンサートとして行おうと。ハイドパークって、他と違って何もない公園なんですが、そこが僕らはとても良くて。自然のままの公園なので、この景観を残したいという思いがあります。

あと、僕らの中で普通のフェスと違うことをやりたいという思いがありました。その1つはベテランと若い人たちが同じ場所で、同じ音楽を聴いてほしいというものです。2005年、2006年時、それが如実に表れたのは、細野くんと当時まだ無名だったSAKEROCKの出演です。ベテランと若い人たちが互いの音楽を媒介として、互いに影響しあってほしい、それが僕らの一つの思いでした。2023年もそれはやりますし、僕らとしてはそこから大きくなってくれたら嬉しいです。そして、もう1つはトリビュート・コーナーです。過去には、高田渡や西岡恭蔵のトリビュートコーナーをやって、亡くなった方の歌をみんなで歌う、特に若い人に歌ってもらいたいし、歌い継がれていくことを目指していました。今回は、小坂忠のトリビュート、そして加藤和彦のトリビュートを、1日ずつ行う予定です。

続いて、事務局の推薦枠で出演するいーはとーゔから戸谷大輔(Vo/G)、菊地芳将(Ba/Ch)、本フェス初出演となる民謡クルセイダーズの田中克海(G)が登場。麻田とも会話を交えながら、それぞれがこの「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」出演への思いを寄せた。

菊地:僕はハイドパークの第1回が開催された2005年は11歳でした。リアルタイムで存じ上げていたわけではないのですが、もともとアメリカのルーツ・ミュージックが好きで、高校生のときに僕が特にリスペクトしていたミュージシャンが、このフェスにも出演したことのあるマーク・ベノだったんです。マーク・ベノを調べていくうちに、日本でハイドパークに出演していたことにたどり着いたのですが、当時の僕は何も考えてない子どもだったので、マーク・ベノに「もう一度日本に来てくれないか」とメールを送ったんです。すると、「麻田浩さんに言ってください」と言われまして、その時に麻田さんを知りました(笑)。この〈ハイドパーク〉は、個人的に僕がルーツとして愛聴してきた方々が軒並み出演されているので、本当に光栄です。

戸谷:自分が音楽に興味を持ち始めた中学、高校ぐらいの時に、さまざまな音楽を探求していくなかで、このフェスの存在を知りました。2005年の細野さんの印象的なステージなどは、例えば60年代とか70年代とかに行われた象徴的なフェスのようなものとして、自分のなかに存在しています。今回、歴史のあるイベントに呼んでいただけて、大変光栄です。自分も、エリック・アンダーソンとか、ウッドストックのミュージシャンを好んで聴いてきた中で、彼らが日本のミュージシャンたちと親交があったことを本やネットの記事で知り、このフェスの存在の大きさや、日本のミュージシャンと海外の伝説的なミュージシャンたちが交差する場所であることにすごく感銘を受けました。それもあって、ちょっと自分でも信じられない気持ちです。

麻田:マーク・ベノやエリック・アンダーソンは、一人で来日して、日本のバンドをバッグに演奏してくれました。珍しいと言ってしまえばそうですが、それぞれのアーティストをリスペクトしている人たちが演奏をする、音楽外交というと偉そうですが、普段なかなかそういうチャンスはありません。海外のアーティストにとっても、日本のミュージシャンと一緒に演奏をすることは、非常に珍しいことです。反対に日本のミュージシャンが海外のアーティストと一緒にやることも少し珍しいことではあるので、そういった取り組みは今回も本当はやりたいのですが、いまこういうご時勢なので難しいかなと思いつつ、可能性を追求したいと思ってます。

田中:僕は20年前に、福生の米軍ハウスが借りられることを聞いて、友達と住み始めました。そのころ、細野さんやはっぴいえんどが大好きで、いろんなルーツ音楽、ラテン・ミュージック、古い音楽を掘りながら好んで聴いていたときに、震災がありまして。それで、当時やっていたデザインの仕事も含めて、自分がやっていることが世の中のためになってるのかな?とか、いろいろ思うところがあって、楽しくやっていた音楽についても、地元や日本の大事なものを考え始めたときに、日本のルーツ音楽どうなってるんだろうと。そういったところから民謡に入ったものですから、久保田(麻琴)さんとか、細野さんとか、沖縄のルーツ音楽やライ・クーダーと一緒に掘ったりして、そういう感覚で民謡とか行けるんじゃないかな?っていうのが、民謡を聴くきっかけだったりするんです。そういう意味でも今回お声がけ頂けて恐縮し過ぎています。

麻田:そう本当に福生は大瀧(詠一)くんが住んでいて、何回かオファーしてたんですけど、結局実現しなかったので、福生からやっと…。

田中:代わりにはなりようがないので逆に恥ずかしいですけど(笑)、頑張ります。民クルは器用なバンドではないので、特別なことはできませんが、いつもやってるようなことをみんなで楽しくやるってことぐらいなのでみんなで楽しめればと思います。

ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2023では、今後クラウド・ファンディングなども実施予定。詳細は随時、オフィシャルサイトで発表される。