映画『はだかのゆめ』舞台挨拶 2022.12.3(SAT)大阪・シネ・ヌーヴォ
11月25日(金)より全国の劇場にて上映されている映画『はだかのゆめ』が、大阪・九条のシネ・ヌーヴォにて12月3日(土)より公開がスタート。これを記念して、初日の上映後、本作品の監督・脚本・編集をつとめた、Bialystocksのボーカルでもある甫木元空が舞台挨拶&ミニライブを行なった。今回SPICEではその模様をレポート。映画の余韻たっぷりの中で行われたライブは生命力に満ち溢れ、それぞれの胸にえもいわれぬ感情を引き出してくれた。
甫木元作品2作目は、自身のルーツ・高知県で撮影
映画『はだかのゆめ』本予告
『はだかのゆめ』は、映像作家でありバンド・Bialystocksのボーカルをつとめる甫木元による監督作品。2016年に公開された映画『はるねこ』に次ぐ2作目となる。そしてBialystocksは『はるねこ』の生演奏上映をキッカケに2019年に結成されたバンドであり、本作の音楽も手がけている。11月30日(水)には1stフルアルバム「Quicksand」でメジャーデビューした。
甫木元は、前作の映画の上映がひと段落した約5年前に祖父の住む高知県に移住し、闘病中の母を見守りながら本作の脚本を書いてきた。本作の舞台は高知県・四万十川のほとり。祖父の住む家で余命を送る決意をした母(唯野未歩子)、そんな母に寄り添いつつも、近づく母の死を受け入れられず徘徊する息子・ノロ(青木柚)、そして祖父(甫木元尊英)の親子3代が、お互いの距離を測り直していく物語。いつも酔っ払っているおんちゃん役では、前野健太が出演。
映画『はだかのゆめ』(C)PONY CANYON
劇中に登場する祖父の家は実際に甫木元が住む家であり、母が残した日記は甫木元の母が記したものと同じ内容である。これは、若くして両親を亡くし、高知県で祖父と暮らす甫木元自身の現在を半ば投影した物語でもある。劇中に「生きてる者が死んでいて、死んでる者が生きている」という言葉が出てくるが、四万十の自然や土地を行き来する登場人物の姿からは、「生と死」というものを、それぞれが進む不思議な時間軸で感じることができる。
『はだかのゆめ』の公開初日となったこの日は満員御礼。上映が終わると、甫木元監督と司会進行役のシネ・ヌーヴォ支配人・山崎紀子氏が登壇し、舞台挨拶が行われた。
人それぞれ、死への尺度は全然違うものを持ってる
映画『はだかのゆめ』舞台挨拶&ライブ 甫木元空
シネ・ヌーヴォは5年前にも『はるねこ』の上映を行なったという繋がりもあり、舞台挨拶は和やかにスタート。高知県を舞台にした経緯を聞かれた甫木元は、『はるねこ』の撮影を自身の出身地である埼玉県で行なったと語り、「次も自分のルーツで撮れたらなと思ってまして。高知県は甫木元という苗字の発祥の地みたいなんですけど、祖父が住んでいて、小さい頃から夏休みと冬休みに遊びに行く場所でした。1作目を埼玉で、2作目は高知県で撮ろうというのは、前作を撮ってる時ぐらいから考えていました」と回答。
脚本が生まれた経緯については、「祖父のタイムスケジュールが決まっていて。朝ドラを見て朝食を食べ、昼に朝ドラの再放送を見て理解を深め、夕方17時に違う朝ドラの再放送を見ながら夕食を食べる。夕食の時には晩酌が行われるんですね。そこで家族の歴史や家の周りのこと、戦争体験、色んなことを喋り始めるんですよ。それを見ていて、これはちょっと記録しとかないとなと思って文章として残してたんですけど、それがこの映画の大元になっていて。自分の家族をそのまま再現する映画は嫌だなと思って、ここから映画にするには何がいるだろうと考えて、脚本を作り直しました」と語った。
映画『はだかのゆめ』(C)PONY CANYON
母役に唯野未歩子をキャスティングした理由については、「そもそも登場人物が4人しかいないので、4人バラバラな人がいいなと思っていて。それぞれ独自の時間軸を持っていて、それぞれの生活を本当に淡々とこなしてる。同じ空間にいるようだけど混ざらない、ずっとどこか独り言を言ってるような4人。唯野さんは本当、あの声ですよね。最初あの声をどこで聞いたかは覚えてないんですけど、黒沢清監督の「大いなる幻影」の佇まいと声をすごく覚えていて。今回、Bialystocksが劇伴をすることは企画段階から決まっていて、ストリングスアレンジをつけてボーカルの歌を流すとか、色々考えてはいたんですけど、現場で唯野さんの声を聞いた時に、唯野さんの声がメインボーカルで、環境音を含めた他の音が支えている在り方が1番いいなと思いました」と、唯野の声が劇中の音楽にも影響を及ぼしたと述べた。
映画『はだかのゆめ』(C)PONY CANYON
死生観については「90歳でゴダールと同い年の祖父はいつも<あの世に死んだ友達がいっぱいいるから、いつ行ってももういい>という死の距離感。それを笑って言えて、周りもそれを深刻でなく受け止めている。終わりを見据えている人生と、母親みたいにある瞬間に<あなたはここまでかもしれません>と宣告される人生。それを見ている、まだちょっと実感が湧かない息子の僕。人それぞれ、死への尺度は全然違うものを持ってる。それは当たり前かもしれないですけど、今回改めてそれをすごく感じて。生と死みたいなのはずっとこの映画の中に漂っていつつも、死への距離感は皆バラバラ」と述べ、本作で印象的な虫の音や水の音といった環境音について話を展開。「環境音は、音響の菊池信之さんと作業しました。菊池さんが<今回は生きてるか死んでるかよくわかんない人たちがどんどん出てくるけど、その対比として音も静かになる必要はない。逆に生命力の中に包まれてるからこそ、浮かび上がってくるものがある>と言ってくださって。前作も菊池さんが音響をやってくれていて、母親が聞いていた音が埼玉にもあるんじゃないかと言ってて、敢えて前の作品を音をつけました」
映画『はだかのゆめ』(C)PONY CANYON
「音は生き生きとしてる中で、どこかうつろな人たちが彷徨っている。菊池さんが葬式に行った帰り、セミの音がいつもより大きく聞こえたらしいんですよ。そこで、自分は今生きていて、葬式に出た人が亡くなった現実を受け入れた、自分は生きてるものに囲まれてる中の一部であると実感したと話していて。その構造のまま映画を作れたらなと思っていたので、劇中に流れる音もなるべく意図的にならないようにしました。撮影中も急に雨が降ってきたり、いきなり晴れたり、天気もコロコロ変わるんですけど、そのまま撮ろうと最初から決めていて。高知は自然災害が多いんですけど、人々はその中でどう立ち向かっていくか、どう受け入れるかという感じで生活していて、その高知県の人柄や生き方や風景を4人の登場人物に振り分けて、 高知の考え方や生き方を出せたらなと思いました」
映画『はだかのゆめ』舞台挨拶&ライブ 甫木元空
続いて、来場者との質疑応答タイムも。Bialystocksの音楽から今作を知り足を運んだという観客からは、映画監督として次の作品を考えているのか、また音楽と映画との両立はどのようにするのかという質問が飛んだ。「前作は父親が亡くなったこともあって、たまたま死を扱うテーマの作品が続いてしまったんですけど、次はとにかく自分から離れた映画を作りたいと考えています。物語を物語るのも映画の面白いところなので。今回と前回は物語を物語るというよりは、映画でしかできないことは何だろうとすごく思って。あと残すことが自分の中で大きかった。次はルーツ以外の全然知らない場所も含めて、物語を元に映画を作りたいと思います」と答えた。
映画『はだかのゆめ』(C)PONY CANYON
甫木元にとって音楽活動と映画活動は切り離せない関係だが、音楽を作る時と映画を作る時に思考を分けている部分はあるかと聞かれ、「今回のアルバム『Quicksand』までは結構地続きな感じがあって。バンド自体は2019年ぐらいからやっていて、今回の映画にあまり影響を受けたくないなと思ってたんですけど、5年間ずっと脚本を書いていたので、やっぱり影響が及んでしまっている部分があります。それが良かったのかどうかはわからないんですけど、意図的に今回のアルバムをサントラにしたくはないと思っていて。今までアルバムはアルバムとして、映画は映画として区別する視点ができていたので、次は違う扉を開けるためにも、もう少し分けて考えると面白いのかなとは思っています」と制作活動への想いを述べた。
映画『はだかのゆめ』(C)PONY CANYON
生命力の宿った3曲を、アコースティックで生披露
映画『はだかのゆめ』舞台挨拶&ライブ 甫木元空
続いて行われたミニライブでは劇中歌「ただで太った人生」、主題歌「はだかのゆめ」、そして劇中ではインストでストリングスアレンジで流れていた「ごはん」の3曲を披露。
甫木元は「ごはん」を披露する前に、「食事ができた時に家族から呼びかけられる声を皆さん1回は聞いたことあるかなと思うんですけど、田舎で暮らしてるので近所でその声がすっごい響き渡るんですよ。<チカちゃん、ご飯よ〜>みたいな。その声にも限りがあるんだなと思った時に作りました」と述べ、「本当にこんなに沢山集まっていただきありがとうございました!」と観客に感謝を伝えた。
パワフルに、そして優しく伸びやかに歌い上げる甫木元の歌声は生命力に満ちていた。上を見上げると、劇団・維新派による施工の、水中の気泡を思わせる円形のオブジェが連なって吊るされている。美しく高らかな歌声が天井に吸い込まれ、その音がまた反響して包まれている気持ちになった。映画を観終わったあとの余韻の中で響きわたるアコースティックライブは本当に素晴らしく、映画の世界を追体験するような特別な時間だった。そんなライブの後、甫木元にアフターインタビューを行った。
言葉にできない感情を映画の中で少しでも映せたら
ーー各地、舞台挨拶を回られてみていかがでしたか。
自分が作った映画を捉え直すというか、再発見していく作業みたいな感じでした。映画は公開して完成するものなので。トークで色んな人から聞いてもらうことを返していくうちに、自分の中で整理されたり再認識するところがあるなと。あと前作も映画館でライブをしながら回っていて、映画が終わった空気感の中でやるので、普通のライブと違って独特なんですよね。その余韻に自分が乗っかるかどうか。良い意味で裏切れたらいいなと思いつつ、「映画のその後」をライブで出せたら1番いいなと思いました。
ーーお客さんの顔を見ながら演奏されているように見えました。
そうですね、なるべく近い距離なので。本当に劇場って独自の響きを持つ場所が多いので、そこは大事にしながら歌いました。特にシネ・ヌーヴォは前回マイクなしでやったんですよ。面白かったなと、すごく覚えていて。僕の曲は弾き語りで作った曲が多いんですけど、劇場で歌うと元に触れるというか「こんな曲だったな〜」と曲ができた時の認識をする感覚があります。
ーーなるほど。
まだ手探りですけど、少しでもライブ性を感じてもらいたいですね。映画は、その時の体調や座る席、隣で見る人、劇場を出た風景や気温で感じ方が変わるじゃないですか。そこもいわゆる生モノなので。元々映画館はピアノが常設で、サイレント映画の時は演奏する人がいたんですよね。その時とは違いますが、映画館は何かが起こる場所。映画館に来るキッカケにもなったら嬉しいです。
ーー実際に響き方的にはどうなんですか。
天井が高いから響きやすいです。それも歌いながらわかっていくので、即興性みたいな感じにはなるんですけど、トークの延長線上にライブがある感じですね。
ーー映画の中で、特に印象に残ってるカットはありますか。
電車のシーンですかね。あれは自分では想像してなかったんです。撮影の米倉伸さんからの提案で撮りました。たとえば風が吹くのを狙ったカットを撮ろうと思って、送風機を持って行ってはいたんですけど、そういうことじゃないのかなと思って。風が吹かなかったら吹かなかっただよなーと。というのも、あの電車のカットは劇中に2回出てくるんですけど、2回目の夕景で走ってくるシーンは電車がたまたま入ってきたんですよ。誰も意図してなくて。そういうことってあるんだなとその時思って。撮れるものもあるし撮れないものもある。全部が全部撮れると思わずに今回は撮影に挑もうと。何でもかんでも撮りに行くよりは、来てもらうものを待つ。風が吹いたら逆に役者の動きを変えたり。それに気づかせてくれたのは夕景の電車のカットですね。たまたま撮れたのはすごくラッキーでした。
ーー冒頭の方は?
それはちゃんとタイミングを測って撮ったんですけど、3日ぐらい失敗してて。2時間に1本ぐらいしか電車が来ないので、1日ワンチャンスぐらい。夕景の方はそのテストを試しにやっていたら偶然撮れたんですよ。構造的にも今回は自然のままでいいかなと、その時すごく思いましたね。
ーー今回で2作目になりましたが、甫木元さんにとっては今どんな作品になっていますか。
映像は全部が少し遅延するメディアだと思っているので、何ができるかを最初すごく考えていました。今作は、死みたいなものが劇中にずっとついていて、それをゆっくり少しだけ飲み込めるようになって終わるだけの映画。トークでも言いましたが、そこから何かが始まる物語と物語の中間にあるような話だと思ってて。自分1人で抱えきれない悲しみを少しだけ飲み込めて終わる。だから「こういう映画ができました」とちょっと言いにくいところではあるんです。でも、母親の死を受けて、言葉にできない感情を映画の中で少しでも映せたらなとは思いつつ、物語と物語の狭間にある滞留している瞬間、ある人から見たら無駄だと思われてる、行ったり来たりしてるだけの時間を今回敢えて切り取って、60分の長さで映画として見せれたらなと。それが誰しもが思い描く夢みたいなことで、「はだかのゆめ」とつけて作ってみました。
ーー今、ご自分の中で落とし込んでいる感覚もあるんですかね。
5年間、自分1人で書いてきてたので、なるべく撮影と編集は色んな人からの意見を入れようと思っていて、それが劇場公開中も続いている感じですかね。舞台挨拶やライブを重ねることで、映画との距離感も変わってきそうな気はします。
映画『はだかのゆめ』は、全国の映画館で順次公開中。
取材・文=ERI KUBOTA 撮影=SPICE編集部
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