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ヴァン・クライバーン コンクールで脚光、日本デビューを控える注目のピアニスト・マルセル田所にインタビュー!「100%の解放で『見える』音楽を」

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Photo by Ralph Lauer

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2022年6月、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでセミファイナリストとなり審査員特別賞を受賞、さらに翌7月にはサンタンデール国際ピアノコンクールで第3位に入賞するなど、コンクールでの演奏を通じてピアノファンから注目を集めている、マルセル田所。日本人とフランス人のご両親のもと日本で生まれ育ち、18歳で渡仏、現在もパリを拠点に活動する彼が、来る12月23日(金)、日本デビューリサイタルを行う。

モスクワ音楽院で学び、往年のピアニズムを受け継いでいる名教育者、レナ・シェレシェフスカヤの愛弟子でもある彼(2019年チャイコフスキーコンクール優勝のアレクサンドル・カントロフと同門)。フランスものとロシアものを組み合せた今回のプログラムは、彼の持ち味が最大限に活かされる内容だ。

楽曲に感じている魅力、また、自分の音楽をどのように探していくのかということや、ピアニストとして大切にしていることについて、お話を伺った。

――当初、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」とラフマニノフの「コレルリの主題による変奏曲」のみが発表されていたところから、先日、全プログラムが発表されました。楽曲のつながりなど、とても興味深いですね。

ダンスをコンセプトとしたプログラムです。前半はバレエ音楽、後半は、世界最古の舞曲のひとつである「フォリア」がテーマとなっています。

バレエ音楽は昔から好きで、パリではよく観に行きます。20世紀のバレエダンサー、ジョージ・バランシンが言ったという「ダンスは可視化された音楽である」という言葉がすごく好きなんです。そこにシェレシェフスカヤ先生が、「音楽は見えてくるものである」という言葉を付け加えていて、これもまたいい言葉だなと。

楽しんで弾いているとき、僕にははっきりとイメージが見えています。特にバレエ音楽は、そのイメージが見えやすいから好きなんです。

――幕開けに演奏されるのは、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」です。

バレエの初演がスキャンダルを巻き起こした、20世紀音楽史において重要な役割を果たした作品です。原曲のオーケストラ作品は、初めのフレーズからわざとフルートに向かない音域で書かれていて、とってもだるい雰囲気ではじまります。こんなにも、神秘と官能と非現実が融合する特別な世界に連れて行ってくれる作品は、なかなかありません。

この曲は、僕自身のピアノ編曲版で演奏します。もともとコンサートのためでなくても、いろいろな編曲作品を弾いて調べることが好きで、パリ音楽院の修士論文では、リスト編曲のベートーヴェンの田園交響曲について書いたくらいです。

「牧神の午後への前奏曲」は、はじめレナード・ボーウイックの編曲版を試してみたのですが、毎小節、自分で音を足したり抜いたり位置を変えたりしたくなってしまって。ドビュッシーの二台ピアノ版やラヴェルの連弾版も見ましたが、結局、もう自分で編曲しようと思うようになりました。

編曲の作業は今でもずっと続いています。良いアイデアが浮かんだら書き換えることにして、あえて固定せずに弾き続けてきました。コンサートで披露するのは、今回が初めてです!

――より良く書き換えるとは、どういう方向に向かってですか? オーケストラの音に近づけるのか、それともピアノ音楽としてより良い形を求めるのでしょうか。

ピアノ音楽としてより良いものを求める方向ですね。

オーケストラ曲のピアノ編曲で一番気になるのが、とにかく全部表現しようとしてアルペッジョばかりになるなど、音が多すぎてしまうこと。また、ピアノで弾くことによってぼやけていた細部がやたら浮き上がってしまう場合があることです。そこに気をつけながら、作品の持つ世界をピアノで表現するための音を、慎重に選んでいきます。

 

――そこから、フランス・バロックからラモーのクラヴサン組曲ホ短調を続けます。

ラモーは、この曲集の2曲をオーケストラ編曲して、オペラ=バレエに使っているということから選びました。

クラヴサンのための曲を、ラモーの時代にはなかった現代のピアノで弾くということになります。そこで大きく変わってくるのは声部ごとのバランスで、それによって、時間の使い方が変わり、さらにアーティキュレーションも変わってきます。それをふまえ、どうしたらおもしろいことができるかを考えていきます。

現代のピアノは声部ごとのボリュームのバランスをかなり変えることができます。でも本来それは、クラヴサンという楽器ではできないことなので、してはいけないという考え方もあると思います。でも、僕は少しそこは攻めた表現を考えたい……もちろん楽譜に書かれていることは守り、研究したうえで、ラモーがもし現代のピアノを手にいれたらこうするのではないかという方向で音楽をつくっていきます。その意味で、クラヴサンの曲には本当の自由さがあると思っています。

あと、僕、ラモーと誕生日が一緒なんです。これは伝えておきたい!

――ちゃんと書いておきますね(笑)。そして前半の最後は、ロシアの作曲家、ストラヴィンスキーの「ペトリューシュカ」です。

オーケストラ版が好きで、バレエもよく観ていました。全曲の中で、このメロディ好きだなと思って調べてみると、全部民謡からの引用だったというまさかの事実がわかって驚いたのですが(笑)、僕はもともといろいろな民謡が好きなので、惹かれたのだろうとも思いました。それらをあわせてお祭りのような音楽に仕上がっている、大好きな作品です。

ストラヴィンスキー自身の編曲は、やはりオーケストラの表現を求めるというより、リズム感がとりやすい打弦楽器であるピアノのための作品として、見事に書かれています。それをリスペクトしつつ、少し音を足しながら演奏している箇所もあります​。これはとくに、音楽から何かが見えやすい作品ですね。

――後半は「ラ・フォリア」をテーマに、18世紀のC.P.E.バッハと20世紀のラフマニノフが書いた変奏曲が並びます。時代や作曲家の個性の違いが感じられそうで、興味深いですね。

この2作品を、絶対に一緒に弾きたかったんです。

まずC.P.E.バッハの「ラ・フォリアの主題による変奏曲」は、彼の独特の発想力が生かされた作品で、本当におもしろい。あるときシェレシェフスカヤ先生のレッスンで試しに弾いてみたら、なにこれ、20世紀作品!?と、本当に驚かれました。穏やかだったと思っていたら突然走り出したり、荘厳で重々しい音楽になったり。ほとんど狂っているようで、変奏ごとに笑えるくらいびっくりさせられるんです。そもそも「ラ・フォリア」って、フランス語でも「la folie」という言葉があるように、 la folie(仏)――狂うとか熱狂という意味ですよね。狂気に加えて、常にどこか心が焼かれるようなものを感じます。

画家だった彼の息子が29歳の若さで世を去った時に書かれた曲です。スペイン風の内に秘めた熱いもの、息子を失った絶望と運命への葛藤の混在するところが、この曲に唯一無二の個性を与えているのではないかと僕は感じています。

――このラ・フォリアは、それこそコレルリはじめ、いろいろな作曲家がテーマにしてますよね。

そうなんです、例えばお父さんのほうのJ.S.バッハは「農民カンタータ」で、リストは「スペイン狂詩曲」で使っています。きっと使いたくなる魅力、可能性を秘めた旋律なのです。これをもとにそれぞれ本当にいろいろなことをしていて、おもしろいです。

――ラフマニノフの「コレルリの主題による変奏曲」は、どんなところに魅力を感じますか?

ラフマニノフがバロック音楽に感じていたセンチメンタリティのようなものが、全体的なテーマとなっている作品です。そこで迷うのが、バロック風に書かれているパートをバロックに寄せて弾くのか、それとも、ラフマニノフらしい壮大なイメージで弾くのかというところ。そこが気になって、ずっと憧れていながらこの曲には遠慮がありました。弾きはじめて1年ほど経ちますが、今もいろいろなアイデアや表現を探し続けていて、退屈しません。

――変奏曲って、作曲家自身も、テーマを与えられて楽しんで書いている感じがするものが多くて魅力的ですよね。

そうですね。多分、あらゆるものごとって、なにもないところからよりも、きっかけや少しのルールがあったほうが、ブワッと一気に何かが生まれてくるのではないかなと思います。でも一方で変奏曲というのは、お題はあるけれどすごく自由に展開させられるので、おもしろい作品になるのではないかなと。

Photo by Ralph Lauer

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――ところでマルセルさんは常にいろいろな表現を探しているということですが、自分だけの解釈や表現というのは、どうやって探していくのですか?

繰り返し弾いているうちに、あるときアイデアが降ってくるという感覚です。僕は夜型なので、特に夜が多いですけれど。僕が好きなのは、椅子にもたれてピアノの前に座り、目はつむるなり、どこか上の方をぼんやり見るなりしながら、音の伸びや連結のさせ方を感じながら弾いて、とにかくイメージを見ようとする、という練習方法です。

大事にしているのは、どこに焦点を当てるかということ。全体を見ようとするときもあれば、いくつもあるスイッチを切り替えながら、ポンポンポンと光を当てるところを動かしていくときもあります。そんな感覚で弾けているときが理想ですね。これが、「音楽は見えるものだ」という先ほどの話とつながるのですけれど。

その降ってくるという感覚は、本番の時にも起こります。ちなみに、コンクールのときは、常にではないのですがものすごく緊張している場合もあって、そんなときは降ってくるもの量が50パーセントくらいになってしまいがちです。でも、リサイタルのときは大丈夫なので、楽しみにしていただきたいです(笑)。

――コンクールの時とは違う、解放されたマルセルさんの演奏が聴けるのですね。それにしても今回のプログラムは、全体を通してかなりいろいろなイメージが見えそうです。

そうですね、みなさんにもそうやって「見て」いただけることを大切に弾いています。バレエやダンスの音楽は特に見えやすいから演奏したかった、というのはそういう意味です。

――今回は日本での演奏活動の始まりの機会にになります。コンサートを通じ、マルセルさんがみなさんに届けたいものはなんですか?

僕にとって、生まれ育った日本で弾くということには、特別な意味があります。その機会に、みなさんには曲そのものを楽しんでいただけたらと思いますね。僕自身、このピアニスト良かったなぁと感じる演奏会より、この曲が本当に良かったと感じられる演奏会が好きなので。

作曲家や作品が今でも生き続けられる一つの方法として、演奏家が存在すると思っています。そのため、“自分”がそれらの前に強くでてくるのは、理想ではありません。​これからも、曲の本当の良さを伝えられるアーティストを目指していきたいと思います。

取材・文=高坂はる香

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