yama 撮影=Taku Fujii
自分の軸がある人ほど謙虚だという経験値は、そのままyamaと初めて話した印象に繋がった。イメージが独り歩きしてしまうことに対して、恐れという名の責任感の非常に強い人だと。2月22日にリリースされるライブ映像作品『the meaning of life TOUR 2022 at Zepp DiverCity』はタイトル通り、昨年のツアーファイナルをコンプリートしたものだ。このライブの1年前、同会場での初ワンマンツアーのファイナルに後悔が残り、一時は音楽を遠ざけていたというyama。それでも音楽を作ることを決意し、2022年のライブではMCをするなど、向き合い方に変化を見せていったのはファンなら周知の通りだろう。その一つの到達点がこのライブ映像作品にしっかり記録されているのだ。アーティストとして、ひとりの人間として、変化の渦中にいるyamaの肉声を届ける。
――ライブ映像作品という形になってみて、率直にyamaさんの感想はいかがですか?
全国ツアーで各地を回る中で、ファイナルが一番調子が良かったとかでは正直ないんです。なんか“もっとできたかもな”って思うところがたくさんあったんですけど、でも最後、記憶として心に残る瞬間がたくさんあったライブだったので。それが映像に残ってるっていうのは、思い出のアルバムみたいなものになったなと思って、形に残せて良かったなとは思います。
――セットリストもすごく良かったですね。
そうですね。セットリストも何度かリハーサルを通して色々考えたりして、自分なりに曲順もストーリーになるように組み立てたので。お客さんもそれを感じて、いろいろこう、波を感じながら最後まで楽しんでくれたんじゃないかなと思いますね。
――映像作品になると、ステージ上だけじゃなくお客さんも映るじゃないですか。yamaさんから見えていた以外のところも見えました?
すごく集中しているとお客さんの顔を一人ひとり見てないときもあったりしますし、逆にすごく見てる時もありますけど、映像にした時に“あ、こんな顔してたんだ”とか、すごく喜んでいたりとか、すごい涙を流していたりとか、鮮明に映像で見ると不思議な感覚といいますか、ありがたいなと思いますね。
――発見だったのが、お客さんの世代も幅広いじゃないですか。理想的なオーディエンスっていうか。男性も女性もいらっしゃるし。
うんうん。そうですね。それはここ1年、2年ぐらいで感じていて。最初の方はインターネット中心で活動していたので、若い世代の子が多いなあっていうふうに感じていたんですけど、本当に最近、老若男女といいますか、たくさんの世代に届いている感覚はすごいありますね。
――アルバムが2枚出て、聴き込んでいらっしゃる方が増えたのかなっていう印象がありました。
そうかもしれないです。自分の目標というか、チームで動く中で、1年1年でなんとなく“今年はこうしたい”って考えながらやっていたりするんですけど、昨年が自分自身をもうちょっと開示する、自分とはこういう人間だっていうことを皆さんに知ってほしくて、あんまり喋るのは得意じゃないけどMCをしてみたりとかし始めて、インタビューも結構たくさん受けたりとかして。でもそうやって自分の人間としての考えを知ってもらうに連れて、(リスナーの)世代も広くなっていって、よりコアに応援してくれる人が出てきたなとは思います。
向上心全くないですし、欲がないというか。大きな会場でたくさんの人に届け! みたいな気持ちではなかった。
――ちなみにこの去年のツアーって1stアルバムのタイトルが付いていますが、改めてその意味をお聞きしてもいいですか?
直訳すると「人生の意味」ってことですけど、なんか正直、最初このタイトルを付けた時に大それすぎているかなと思ってはいたんですけど、でも実際やっていくうちに……、最初はライブ苦手だったんです。で、初めての全国ツアーの『the meaning of life tour 2021』のときは、全然そのタイトル通りにはならなくて、むしろ“ライブ向いてないな”とか、“やる必要あるのかな”ってずっと思いながらやっていたんです。でもライブに対する考え方が、やるに連れてどんどん変わってきて。で、むしろ去年の2022年のツアーは“あ、本当にこのタイトル通りの意味になってるな”というか、人生の意味というか、自分がこれからやり続けたいことのうちの一つに間違いなくライブはあるなっていうふうに確信できたツアーでしたね。もちろん音楽全体で括ると、制作とライブとがあって、制作のほうが自分は好きだったんですけど、でもライブって制作とはまた別で、より熱量を感じる大事な瞬間な気がすると思って。本当に人生の意味だなっていうところでようやく繋がった感じはあります。
――もしかしたら、ツアータイトルはもうずっと『the meaning of life』なのかもしれないっていうぐらい?
そうですね。その可能性もあるなって最近思ってます。もしかしたら、また別の大それたタイトルが来るかもしれないですけど(笑)。何年かでまたそれを消化して、また次へっていう可能性ありますけど。でもまあこのタイトルを使う使わないにしろ、自分の中に大きくあるテーマの一つだと思います。
――最初は2021年のツアーが最後の最後で満足がいかなかったということで、リベンジで付いたタイトルなのかなって最初思ってたんですけど、そういうことではないんですね。今回こそが『the meaning of life』なんだと?
そうです、そうです。本当にそうです。だから1年目の年はタイトルは同じですけど……まあもちろんその決意表明みたいな形で、これから人生の意味にしていきますっていう、未来形みたいな形でタイトルにしていたんですけど。どこか心の底では、本当にこのタイトル通りのツアーができるのかな?っていう不安はもちろんあって。やっぱり自分はこれまでライブに触れてきていなかったし、楽しみ方も分からないしっていうのがあったので。なかなかライブに対しても積極的になれないしっていうので、なんとかファイナルまで重ねてはいったんですけど、それこそ本当にファイナル、Zepp Divercity、同じ場所ですね。会場で、全然納得いかないライブになっちゃって。言葉で説明するのは難しいんですよね。観てくれたお客さんとかは“良かったよ”って、その記憶が大切だっていう人ももちろんいてくれてるんですけど、それを否定するつもりは一切なくて。でも自分としては本当にやりきれないライブだったんですね。なんかこう不甲斐ないというか、せっかく来てくれてるお客さんに対して、もっと誠実な心で返したら良かったとか、いろいろ悩んで、心も折れかけたんですけど。でも今回の映像化されたツアーのファイナルでは、また同じことにならないようにと思って、すごく念入りにセトリも考えて、演出だったりとか、いろいろ準備をより……“前は準備してなかったのかよ”って感じですけど(笑)、でもよりちゃんといいツアーにしようって思って挑んだので。
――悔しい思いもそうだと思うんですが、ツアーをやってらっしゃるうちに、もしかしたらアーティストとしてだんだん欲が出てきたのかもしれないですね。
あー、なるほど。そうかも。
――もっとやりたい、みたいな。
うん。そうですね。それはあると思います。正直、ライブをし始めた時に、大きな会場でライブをしたいっていう願望が全くなかったんですね。こじんまりとしたところでひっそりできたら、それでなんとか“できます”っていう感じだったので。向上心全くないですし、欲がないというか。大きな会場でたくさんの人に届け! みたいな気持ちではなかったんですけど、でも最近はすごくその欲が出てきて。むしろ同じようなというか、お客さんのことを自分と似たような仲間だと思っているので。もちろんそれぞれの環境があって、同じ人間ではないですけど、多分どこかしらで共感してフォローしてくれている人たちがワンマンに来てくれていると思うので。その仲間がどんどん増えていって、どんどん大きい会場で時間を共有できたらいいなって、最近は強く思うようになってきたので。そのライブに対する欲? “もっともっと”っていうのは確かに増えてますね。
“喋りすぎかな?”っていうぐらい喋って。なんとか最後の曲を歌った時に、ようやく自分は去年のトラウマというか、悔しかった気持ちが少し浄化されたと思いながら歌ってました。
――アルバム『Versus the night』の収録曲って、ライブ終盤に効いてくるなと思って。めちゃくちゃバンドメンバーが楽しそうですよね、「くびったけ」とか(笑)。
(笑)。「くびったけ」、そうですね。「くびったけ」、結構ものにするのに時間がかかっていて、これまでああいうちょっと暑苦しい――言い方が悪いかもしれないですけど、暑苦しいサウンドじゃないですか? なんかもう熱量たっぷりで、 “愛の塊!”みたいなロックサウンドで、そういうのをやったことがなかったので、“どうしたらいいんだろう?”と思って、すごく迷いながらやっていたんですけど。でもバンドメンバーとスタジオに入って、それこそ足並み揃えていって、ツアーでようやく完成したっていうところではありますね。あの空気感というか。声出しとか、どんどんできるようになってるので、お客さんも巻き込んでできるような、あったかい曲に育っていけばいいなと思ってますね。
――まあそれにしてもVaundyさんは自分の痕跡を残してますね。
(笑)。ほんとですね。
――yamaさんに渡したいものがあったんでしょうね。
うん。たぶん彼なりに意外なところで提案しつつ、“多分できるでしょ”“これできるっしょ”っていう、挑戦状じゃないですけど、そういう感じで渡してきたんじゃないかなと自分は思ってて。だから、それをいただいたからにはちゃんと表現するぞっていうところで頑張りました(笑)。
――(笑)。このライブなんて本当に流れが良くて。中盤のピアノ一本の「Lost」とか見どころも多いんですけど、yamaさんが今、客観的に見た時にここは見どころだなとか、そういう部分はありますか?
正直、ライブ中の記憶がいつもあまりなくて(笑)。なんて言うんですかね? 自然体で極度に集中してやっていることが多くて。たぶん“この瞬間めっちゃ良かった!”っていうのがあるはずなんですけど、思い出せないくらいその場に集中していたので、今パッと言えないんですけど。だから正直、そのMCの内容とかも覚えてなくて。
――じゃあ客観的な視点で映像作品を見て、どういうところがポイントだと思いますか。
あえて、それこそ「Lost」とかは本当に歌声一本というか、あのヒリヒリする感じをどうしても味わって欲しくて。結構息を飲むので、あんまり安心して聴く曲とかではないんですけど、それぐらい張り詰めた空気にしたかった部分で。「Lost」という、自分のその人生とリンクしている曲なんですけど、色々な喪失があって、もうダメかもしれないっていうところからの「光の夜」っていう繋がりがすごい大事で。あのセトリすべてにおいてそのセクションって結構、自分の中で重要なところで。なくしそうになったものがあったけど、ようやく少しだけの光を見つけましたっていう、希望とまではいかないんですけど、でもトンネルを歩いてて少し光が見えたっていう、その瞬間を表現したくて、あの並びにしているので。そこは割と大切なところかもしれないですね。あとは本当に本編最後の自分の書いた楽曲とかも、同じように大事なところではあると思うので。なんかしんみりしたポイントばっかりなんですよ(笑)。でもとても重要な、ぜひ見てほしいポイントではありますね。
――そうですよね。「それでも僕は」の前にあのMCがあるっていうことがすごく必然的で。
はい。あのMC……やあ、だから自分は本当に多分その場で何も考えずにバーッって喋っているので、結構まとまり切らない、ライブによってはまとまり切れないことも多いんです。でも本当に“喋りすぎかな?”っていうぐらい喋って。で、なんとか次の最後の曲を歌った時に、ようやく自分は去年のそのトラウマというか、悔しかった気持ちが少し浄化されたなあと思いながら歌ってましたね。
>>次のページは、MCについての想い、そしてライブに対する想いを訊いています。
自分は一緒にやっていく人たちに完璧な人を求めてはいなくて。その人なりの信念や美学があって、その上でなにか欠けてる部分や不器用さがある人の方が愛おしいというか、大切にしたい。
――去年のツアーはMCもされるようになって、そうやってボーカル表現以外のことをやった時に、やっぱりお客さんの反応って違うと思うんですよ。
違いますね。うん。
――だからそれは喋ることを決めてやるMCとか、盛り上げるためのMCとかじゃなくて。すごく曲が理解できるMCだなと思ったんですよね。
それは嬉しいです。そう、盛り上げるMCとかってむしろ本当に不得意な部類なので。多分、今後ももしかしたらあまりできないかもなとは思います。得意じゃないだろうなと思っているんですけど、でも最近はMCを意図して入れることも多くて。フェスとかのワンマンじゃない部分でも、意図してやっぱり入れたくてっていうのは、自分のいろいろな美学がある中で、“音楽だけで語れよ”っていう人ももちろんいると思うんですけど、でもやっぱり自分は他の人のライブとか見てても、自分がライブでMCする時でもそうなんですけど、やっぱり言葉を話した上で、次の曲に行った時のお客さんの反応が全然違うというか、解像度が高いと思うので。でもそれは変に説明しすぎるっていうことでもなくて、より伝わればいいなあっていう、ただそれだけの気持ちで最近は言葉を大事にしてますね。
――何も考えずに話してらっしゃったことがあれなんだとしたら、すごく素直なんだなと思って。
(笑)。そうですね。なんか普段からそういうことばっかり考えてて。よく日記とかも書くんですけど、その日記の内容とか、普段考えてることを本当に喋るっていう感じですね。だからこそ、そこにブレはないというか。まあ、月日が経っていたらもちろん考え変わってますけど、でもその一瞬一瞬で発してる言葉は嘘じゃないと思ってて。1回ライブでMCをし始めの時に、台本を書いてやってたらすごい怒られたので(苦笑)。“薄っぺらだよ”って言われて。それが伝わるぐらい、書いちゃうと薄っぺらになっちゃうんだなと思って、それからは台本書かずにその場で喋るように頑張ってますね。
――台本を書いてもなんかその時に見えたものとかで変わってきますよね。
そうですね。ほんとそうです。嘘をなるべく言わないようにしたいなと思ってますね。特にMCで。
――サポートメンバーの皆さんも嘘がないっていうか、演奏はもちろんうまいけど、そんなに皆さん器用じゃないというか、器用な人間性という感じがしなくて。
ああ~! それは正しいです、すごく。
――メンバーが楽しそうに見えるんです。
それを感じることもやっぱりあって。自分は一緒にやっていく人たち、それはメンバーもそうですけど、スタッフさんもそうで。むしろ完璧な人を求めてはいなくて。その人なりの信念だったり美学とかがあっていいと思っていて。その上で、なにか欠けてる部分とか不器用さがある人の方が愛おしいというか、大切にしたいなって思うんですね、自分は。自分自身がそうなので。なにか足りないところがたくさんあるんですけど、自分も。だけどそういう不器用な人たちが出す音って、演奏が上手い下手じゃなくて、心に響くか響かないっていうところに関わってくるような気がしてて。それはおっしゃる通りそうかもしれないですね。器用じゃないと思います(笑)。
――それはちょっとお客さんにも感じるというか。
うんうんうん。そうかも。なんとなくですけど、お客さんもきっと似てるんだろうなと思って。ファンの人とかと接してて、その時、そこにいる人にはたぶん自分と似たような人なんだろうなって、なんとなく感じることが多くて。で、自分は表現方法が音楽だったっていうだけで、きっと何かしらでちょっと不器用で、でもまっすぐな人たちがおそらく集まっていると思うので。そういう人たちが少しでも、生きづらさはあると思うんですけど、少しでも音楽を聴いてる時に安堵してくれたりとか、ほっとできたりしたらいいなあっていうのが、自分はずっとあって。特に最近ライブをもっと頑張ろうって思うようになってからより一層強く、この人たちのためにだし、自分もすごいエネルギーをもらえるので、感謝しながらやってますね。
――グッズも“感謝タオル”でしたし(笑)。
そうです(笑)。そうなんですよね。ちょっと渋いんで受け入れてもらえるか不安だったんですけど。案外皆さんね、楽しんでもらえて。
――ステージ上とお客さんと両方で感謝タオルを掲げているのがおもしろかったです。
(笑)。なんか面白いですよね。ちょっとチャーミングな皆さんが見れて良かったです。
――ところで、yamaさんの作品は提供曲と思えないぐらい、yamaさんの言葉のように思えるっていうのはすごい不思議です。
特に『Versus the night』は歌詞に関して割とお願いしたことが多くて。もう全ての作家さんに一緒にやる時にこういうコンセプトで、自分はこういう考えでっていうのを割と伝えるようにしてたので、その統一感が生まれたんだろうなとは思いますね。
――提供者にはご自身がアーティストで自分で歌う人もいっぱいいるし。だから歌詞も書かれていて、それが楽曲としていいものになっているように思えるんです。
なんか自分も曲を作り始めて、それを感じるようになって。もちろんいただいた曲は感情移入して表現させていただいているんですけど、だけどじゃあ自分の純粋に吐き出した言葉か?って言われたらそうではないので。そうなった時に、これからは全曲じゃないにしろ、ちゃんと自分が自分の意志で残す、残したい曲、残したい言葉をちゃんと書いていこうっていう思いで始めてっていう感じなので、続けていきたいなと思っています。
――「それでも僕は」の歌詞にある、音楽を聴くのもつらい時があるみたいなことって、やっぱり作家さんだったら出てこない言葉だと思うので。
そうなんですかね? どうなんだろう(笑)。
――ものを作る人だったらそういうこと自体はあると思うんですけど、そういう詞はなかなか書けないのかなと。
書かないですよね、確かにね。
――そういう意味でもこの曲がライブ本編のラストである意味を感じました。
もう自分も曲を書く時にライブで絶対に本編ラストにこの曲を歌いたいと思いながら書いたので。そういう意味では本当に自分が表現したいツアー、ライブになったなと思っています。やっぱり一昨年のツアーでは、どこか伝えきれなかった部分とか、本当はこういうことを言いたかった、歌いたかったっていうのが心残りだったので。それをより、なんだろうな、次また2回目にもし来てくれた人がいたら“こうだったんだよ”っていうのをちゃんと言いたいなと思って書き始めて、で、ちゃんと形になって最後に歌えてっていうことが実現できて良かった、そう思います。
――2021年の段階ではそんなにライブが楽しくなると思ってなかったんじゃないですか?
思ってないですね。思ってないです、全然(笑)。もう、なんか終わりかもなあぐらいに思ってましたね。誰も来てくれないんじゃないかな、とか、それぐらい落ち込んでましたね。
――でもやり始めたらこんなにテーマのあるアルバムができ、ツアーも納得できる終わり方ができたっていう。
そうですね。結局、自分の劣等感とか孤独感みたいなものって、おそらく解決はできないんです。多分どこまでいっても自分がどんなにこの先、これ以上たくさんの人に知ってもらえても、何かで功績を残せたとしても、多分それは拭えないと思っていて。でも、だからこそ、まあ一昨年は落ち込んでましたけど、無理矢理にでも能動的に動かないと変わっていかないんだなっていうのは本当に去年通して実感しましたね。最初はやっぱり心がついていかない、とりあえず頑張って体を動かすんだけどっていうので、なんとかリベンジをってことでやっていたのが、やっぱり能動的に動いていると心もどんどんついてきて、むしろ心が引っ張ってくれることもたくさんありましたし。だから大変な時こそちゃんと動こうっていうふうに学びましたね。
――自分の思想というか、ものの考え方そのものは変わらないまま進んでいくのは理想的ですね。それを変えちゃったら自分じゃなくなったりするわけですし。だから逆にむしろそのことを純度高く伝えていくことが楽しくなってきたのかな? と。
うんうん。そうだと思います。なんかすごく楽しいですね、最近はライブをやっていて。何かでつまずいて落ち込んでひとりで考えてっていうことを常にしちゃうんですけど、そういう時でもライブがあって、ライブ前まではすっごい憂鬱な時もあるんですけど、ライブが終わった瞬間に“あ、ちょっとしばらく頑張れそう”って思えることが最近多くて。それぐらい元気をもらえる時間というか、やっぱり目に見えないエネルギーがあるなあって感じながらやってて。だから本当の意味で、人生の意味になっちゃいましたね。
――やっぱりツアーはそういうものになっていくのかもしれないですね。
そうだと思います。お客さんにとってもそうであればいいなと思っていて。でも自分のこのツアーのために何かしてとか、ツアーのために全てを捧げてほしいとかではなくて、なんだろうな? ちょっと安らぎの場として立ち寄ってもらえたら嬉しいなあとは思ってますね。
――アンコールのMCでもおっしゃってましたけど、別にこのときだけが逃避できるみたいなことじゃなくて、ちょっとこの時間を日常にも持って帰れるっていうか。そうやってお互いに気持ちのなにかケアをできる場所なのかなって思います。
あー、そうだと思います。そう、お互いにケアしあって、また道別れて日常に戻って、なんかちょっと思い出したときに元気になれるというか。
――“自分はそういう風に感じた時があったんだ”って思うのが大事なんじゃないですかね。
そうですね。そう、そうですそうです。なんかこう、そのライブが最初から最後まですべてが大事っていうよりかは、一瞬心が動いたりとか、すごく脳裏に焼き付く瞬間とかがおそらくあると思うんですけど、その一瞬の積み重ねが多分、今後生きてく上で役に立ったりとか、引き出しから出したときた時に自分を肯定してくれたりとか、助けになる瞬間が来ると思っているので。その一瞬の積み重なりの一つになれたらいいなっていう感覚ですね。
――軸にあるものが変わらないまま、これからのyamaさんのライブがどうなっていくのかすごい楽しみです。
そうですね。もう自分は日々色々考えながら、ちょっとずつ考え方も変わってはいくと思うんですけど、“変わってるんだけど変わらない”みたいな、根本的なちょっと弱い部分はあるので、その弱さを大事に抱えながら、隠さないで抱えながら、今年も一個ずつ一個ずつ大事にライブができたらいいなと思っています。
取材・文=石角友香 ライブ写真撮影=Taku Fujii
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