D-YAMA 撮影:池上夢貢
“アニメソング”とは果たして何なのだろうか? 一つの音楽ジャンルを指し示しているように感じさせるが、しかしそこに音楽的な規則性はない。それでも多くの人の頭の中には“アニメソング”と言われて思い浮かべる楽曲の形がぼんやりとあるだろう。この“アニメソング”という音楽ジャンルの形を探るための連載インタビューがこの『アニメソングの可能性』だ。
話を伺うのは、アニメソングを日々チェックし、時にそれをDJとしてプレイするアニメソングDJの面々。多くのアニメソングを日々観測し続ける彼らが感じる“アニメソング”の形とはどんなものなのかを訊き、アニメソングというものを紐解いていこうと思う。
連載企画の第九回に登場していただいたのは、アニメソングDJにとって“聖地”と言っても過言ではないクラブ・秋葉原MOGRAの店長・D-YAMA。アニメソングDJというイベントのあり方を世間に知らしめるきっかけを作った本会場はいかにして生まれたのか。そして、同会場を運営しているD-YAMAの目に写っているアニメソングDJの未来はどのようなものなのか。是非とも最後まで楽しんでもらえたら光栄だ。
■クラブがどんな場所かを教えてくれたのはm-floの「come again」
――まずはD-YAMAさんのアニメの原風景、幼少期見ていた作品のお話からうかがいたいです。
子供の頃見ていたアニメで最も印象に残っているのは『名探偵ホームズ』(1984年放送)ですね。僕自身は1987年生まれなので、本放送の時は生まれていないのですが、母親がレンタルビデオで借りて見せてくれて、それがすごく好きだったのを覚えています。そこから宮崎駿監督作品の面白さを知って、『ルパン三世カリオストロの城』(1979年上演)を見たり、という感じで見る作品が広がっていった。あとは、『ぼのぼの』(1995年~1996年放送)なんかは好きでしたね、ああいうかわいいタッチの作品に惹かれたのは記憶していますね。
――いわゆるロボットものなどの少年向けアニメを見ていたというわけではないんですね。
そうですね、あまりロボットものとかには興味がわかなかった。日曜日の朝も戦隊シリーズよりも『ママレードボーイ』(1994年~1995年放送)や『夢のクレヨン王国』(1997年~1999年放送)なんかを好んで見ていたように思います。
――では当時見ていたアニメの主題歌として記憶に残っている楽曲はありますか?
『名探偵ホームズ』の主題歌「空からこぼれたSTORY」(ダ・カーポ)なんかはすごく好きでしたね。大人になってからレコード買ったぐらいです。ただ、今のDJに繋がるような楽曲で当時好きだった曲はあまりないように思います。当時好きだった楽曲は、アニメソングに限らず、どれもあまりビートの入っていない静かなものが多かったです。
――なるほど。そこからクラブカルチャーやダンスミュージックに興味を持ったのはどういった経緯だったのでしょうか?
僕が中学生ぐらいの頃、90年代中頃って流行りの音楽全般がダンスミュージックに近いものだったんです。アニメソングでいうと、TWO-MIX(声優・高山みなみと作詞家の永野椎菜による2人組音楽ユニット)さんなんかはまさにその感じですよね。そういったものを聞いていくうちにダンスミュージックが好きになっていって、そんな中でリリースされたm-floの「come again」でクラブという存在も知ったんです。聴いた時にどんな場所なのかすごく興味がわいたのを覚えています。
――確かに「come again」の歌詞ではクラブという場所がかなり細かく描写されていますね。
そう、それを聴いて、いつか行ってみようって思ってたんです。とはいえ当時はまだクラブに入れる年齢ではなかったので。結果的に初めてクラブに行ったのは19歳の時。アルバイト先の先輩がDJをやっているというので誘われていったんですよね。
――クラブに初めて行く、という理由のテッパンの知り合いがDJをやっていて誘われたと。
その上、先輩がDJの機材を家に持っていて、クラブに初めて行く前にDJも教えてもらっていたんです。結果的にクラブに行く前からDJはできる、みたいな感じでした。なのでクラブに行ってすぐにはDJデビューが決まるという流れでしたね。
■自身の個性を表に出すDJをしていった結果、『DENPA!!!』と出会った
――純粋なお客さんとしてクラブに行っていた時期はすごく短いと。DJを始めた頃に出演したイベントはどういったものだったのですか?
当時、服飾系の学生が自分達の作品を発表するためにクラブを借りて、そこでDJもするというパーティが流行っていたんです。僕が最初期に出演していたのはそういったイベントが大半だったように思います。そういった現場でフレンチエレクトロなどを中心としたDJをしていました。
――なるほど。そこからアニメソングやJ-POPを使ったDJをするようになったのはどういった理由からだったのでしょうか?
僕自身、当時クラブミュージックにそこまで詳しいわけではなかったんです。インプットをするんですけど、周りのDJにはなかなか追いつけない。そんな中で自分ならではのプレイをしようと思ったら、J-POPとアニメソングを要所要所で使うのが一番の近道だったんです。
――ご自身の強みを伸ばすためだったと。
そうですね。そんなスタイルでDJをしていたら「お前のスタイルにマッチするイベントがあるよ」と教えてもらったイベントがあった。それが僕が後にレギュラーをつとめることになる『DENPA!!!』(「Anime+Fashion+Electro」をテーマに2007年から開催されたクラブイベント)でした。
――『DENPA!!!』に行った感想はいかがでしたか?
当時の僕はまだDJを始めて3ヶ月とかで、一番調子に乗っていた頃だったんですよ。それで、行った時に「俺の方がいいDJできる!」って思ってしまって(笑)。それで主催者の方に、自分で作ったMIX CD(DJプレイを収録したCD)を持っていって、出演させてもらえるように直談判したんです。そうしたらその人が面白がってくれて、レギュラーに引き入れてくれたんです。
――直談判!そんなことがあったとは!
何事も始めて3ヶ月ぐらいで一度、全てを理解したような気分になるじゃないですか。それでつい調子に乗ってしまって(笑)。今にして思えばなんて恐ろしいことをしたんだろうか、と思いますけどね。
――当時既に『DENPA!!!』にはアニメソングを使ったDJをしている方がいたんですか?
DJシーザーさんが在籍していて、既にアニメソングでDJをしていました。ただ、今の僕らが思い浮かべるいわゆる“アニソンDJ”とは違うものだったように思います。曲と曲をきれいに繋いでお客さんを踊らせるというよりも、マイクで曲紹介をしながらかけるみたいな感じでした。
――なるほど。DJシーザーさん以外の方はどういったDJをされていたのでしょう?
僕が入る以前は尖ったダンスミュージック、ブレイクコアなんかをやるDJが多い印象でしたね。ただ、そこに僕が加入して、DJシーザーさんと一緒にアニメソングかけまくった結果、イベント全体でもアニメソングやJ-POPをかける人が増えていった感じで(笑)。
――お二人のプレイがイベント全体に影響を与えていったと。
宣伝をする時も「アニメソングが流れます!」みたいなポップな打ち出し方をした方がお客さんも興味を持ちやすいですからね。結果的に尖ったクラブミュージックが好きな人と、アニメソングみたいなポップなものが好きな人が入り乱れているのが『DENPA!!!』の空気感になったように思います。
――『DENPA!!!』でのDJ活動と並行して、D-YAMAさん主催の『DIGIn@tion』も開催されていますね。
懐かしいですね(笑)。『DENPA!!!』は先ほどお話した通り、様々な方向性で尖った音楽が流れるイベントだったんですよ。その中からアニメソングの持つポップな要素だけを抽出して、クラブミュージックとあわせて楽しむイベントができないかと思って始めたのが『DIGIn@tion』でした。
――アニメソングに特化したDJイベントは当時まだ珍しかったのではないかと思います。
その時期だと「月あかり夢てらす」(川崎にあるアニソンバー)さんでやっていた『ヲタリズム』の前身である『川崎アニソンナイト』があったぐらい? もう既に『ヲタリズム』に名前を変えた後だったかな? そこの順番はちょっと記憶していないんですが……。そっちはアニメソングだけでやっていこうというコンセプトだったのに対して、僕らはアニメソングをダンスミュージックっぽいアプローチで流す。クラブミュージックやアニメソングのリミックスも使っていくという方向性でした。コンセプト的に他にはないイベントになっていたんじゃないかな、とは思いますね。
――『DIGIn@tion』はそれまでになかった体験を提供していたかと思うのですが、お客さん反応はいかがでしたか?
最終的に150人ぐらいは来てくれていたので、そこそこ需要に応えられていたと思っています。その時に感じた、既存の音楽を使ってDJ達が一つのイベントの流れを作っていく素晴らしさが、今のMOGRAというクラブで表現したいことの根底にありますね。
■MOGRAの店長を任されるなんて思ってもいなかった
――その後、D-YAMAさんはMOGRAの店長になります。こちらはどういった経緯だったのでしょうか?
ある回の『DENPA!!!』にもふくちゃん(福嶋麻衣子)という人が遊びにきたんですよ。彼女は当時、「秋葉原ディアステージ」というライブ&バーを運営しており、たまたま遊びに来た『DENPA!!』を見て、クラブをやりたいと思いついたんですね。それで、その時期にDJとして出演していた僕とDJシーザーさん、DJ TECHNORCHさんにクラブの運営をお願いしたいと相談してくれたんです。
――急な話ですね! するとD-YAMAさん自身、それまでご自身でクラブを持ちたいという思いがあったわけではないと。
全然そんなこと考えてませんでした。MOGRAの件もなんの前触れもなく舞い込んできた話でしたからね。ただ、当時の僕はクラブで遊ぶためだけに全く思い入れもない仕事をしている状態で、正直いつ仕事をやめてもよかった。なので、どうせなら楽しそうな方に力を入れようと思って会社を辞めて、軽い気持ちでお店の開店までのお手伝いをスタートしたんです。
――どのような流れから店長に任命されたのでしょう?
その時、DJシーザーさんも、DJ TECHNORCHさんも、本業が忙しかった。一番フレキシブルに動けるのが僕だったということで任された感じだと思います。僕自身が望んだわけでもないのに、ある日渡された契約書に「店長」って書いてあったんですよ。それで、会社も辞めちゃったし、今更引き返すのもな、と思って引き受けた感じです(笑)。
――もともと店長になることが決まっていたわけではなかったと。もちろん当時はクラブ経営のノウハウなどはなかったわけですよね?
もちろんありません。もう開店当時はお粗末なもので、いまだに当時のお客さんからは「一年で潰れると思ってたよ」って言われてます(笑)。
――やはりお店を軌道に乗せるまでにはいろいろな苦労があった?
本当にいろいろありました。もうとにかくいろんな人に助けてもらってなんとか今がある感じです。まず助けてくれたのが早稲田にある「音楽喫茶茶箱」のオーナー・岡田英嗣さんですね。岡田さんにはお願いして音のプロデュースをしてもらっていたんです。その後は「flapper3」(映像を主に活動しているデザインスタジオ)の矢向直大さんがお店に遊びに来てくれて、色々とクラブ経営について教えてもらいました。矢向さんには今でも外部役員のような形でアドバイスをもらっています。
――矢向さんはもともとお知り合いだったのですか?
いえ、全然。営業してたら急に遊びにきてくれて、そこで知り合った感じです。ベロンベロンで来店して、DJしていた僕に「こんな面白い場所、俺が盛り上げてやる!」って急に言ってきたんですよ。その時に僕が『東方Project』の曲をかけていたのがよっぽど気に入ったんでしょうね。僕自身は正直「怖っ!」って思ってその姿を見てましたけどね(笑)。
――それは怖いですね(笑)。当時クラブで『東方Project』の曲が流れることは珍しかったんだと思うのですが。
珍しかったでしょうね。当時はクラブでアニメソングや『東方Project』の曲をかけたらゴミとか飛んでくるような時代でしたから。アニメソングのDJイベントをやりたいっていっても貸してくれる会場があまりなかった。関東圏内だと「月あかり夢てらす」さん、「音楽喫茶茶箱」さん、「浅草Stella」さん、「Club axxcis」、「amate-raxi」さんぐらいだったように思います。
■ブランディングとして大事なこと、それはSNSでダサいことを書かないこと?
――開店から紆余曲折あり、その後MOGRAという会場がブランド力を持っていきます。その過程を間近で見てきた印象をお聞きしたいです。
やっぱりブランドコントロールって難しいな、というのが第一印象です。僕らがやりたいことって“アニメソングのクラブ”ではないんですよ。アニメソングを聴く人が楽しめる空間にはしていきたいけど、アニメソングだけが聴ける場所を目指しているわけではない。でも、言葉だけでMOGRAの在り方を伝えようとすると“アニメソングのクラブ”になってしまってしまうんですよね。その結果「MOGRAってアニメソングだけが流れているクラブなんでしょ」と思ってしまう人も多い。
――やりたいことと、その伝わり方にギャップがあると。
そうなんです。僕らはあくまでフラットな目線で、アニメソングであるかどうか関係なく、かっこいい音楽を提示していきたいだけなんです。アニメソングだからといって差別したり、会場を貸さないとか、そういうことをしたくないだけですからね。そこは伝わってほしい。
――限定はされたくなくて、音楽をフラットに扱いたいと。すごく大切なことですね。そんなブランドコントロールを行うにあたって意識していることはありますか?
SNSでダサいことしない、これが一番ですね(笑)。
――具体的にダサいことというとどのような……?
誰かにマウントを取るとか、関係ない話題に口を挟んだりとか、わざわざSNSで言わなくていいじゃんそれって思うような、伝わるか分からないですがドラマのIWGPでキングが言ってた「ダサいことすんな」的なニュアンスですかね。
――一方で、SNSで余計な発言をしないようにすると、結果的に露出が減るという事態にもつながるように思うのですが……。
そこはやはりSNSで言うのではなく行動で示すのが大事だと思います。SNSでは余計なことを言わないけど、やっていることはすごい、それが一番かっこいいと思っていますから。さらに言えば、やることやって、その上でおもいっきりふざけたりしてるのが一番スマートじゃないかなと自分は思ってます。
――“おもいっきりふざける”ですか?
例えば、以前僕ら、ロサンゼルスから『ブレックファストコロシアム(※)』っていう配信をやったんですよ。あれなんかは思いっきりふざけた内容でしたけど、普段やることをやっている人たちがやるから面白いし、結果的に露出にもつながった。
――もともと芯がかっこいい人がふざけるから面白いものができたと。
そうですね。身も蓋もない言い方ですけど、根本的な人間性がかっこいい人は、何をやってもかっこいい。そういう人が自然とMOGRAの周りに集まってくれているから会場のブランドは保たれていると思っています。そこはDJプレイも同じことですよね、根本がかっこいいDJはどんなプレイを披露してもかっこいいと思いますから。
――そもそもの人間性がDJの評価につながってくると。
結局DJも人気商売ですからね、人から愛されないとダメ。ブッキングすることを考えても、人から愛されないDJは呼びたくないですからね。人間性を凌駕するぐらいのDJができたらいいんでしょうけど、そんなことできる人はほとんどいませんから。
(※)ブレックファストコロシアム……アニメ・エキスポのアフターパーティに出演するためにロサンゼルスに行ったTAKU INOUE、DJ WILD PARTYらが宿泊したairbnbにて朝食を作る様子を配信したもの。調理中に数々の意図しないハプニングが発生、その様子は大きな人気を集めた。
■仲のいい人・会場を支えたい、そう思って開催した『Music Unity2020』
――株式会社MOGRAとしては、コロナウィルス感染拡大後、ライブストリーミングフェス『Music Unity2020』をはじめとした新しい形のイベントにも挑戦しています。やろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
色々と理由はあるのですが、一番は音楽業界の人たちが口を揃えて「もうダメだ」と言っていることへの違和感があったように思います。正直まだまだやれることはあると思っていました。動機の半分ぐらいはそこに対しての怒りだったような……。
――そこまで強い諦めムードが周囲にあった。
ありましたよ。コロナ流行り始めの頃は配信という手段もあまりメジャーではなかった。新しい方法を模索するより先に諦めてしまっている人は多くいました。僕らは2009年からUstreamをやっていたので、コロナ流行り始めの時点ですでに配信のノウハウを持っていた。それを活用したら何ができるかもわかっていたんです。でも、そういう人たちばかりではないですからね。僕らが持っているノウハウを仲のいい人、会場に提供したいという想いもありました。
――仲のいい人たちだからこそ、自分たちが持っているノウハウで支えたいと。
こと、MOGRAは他のクラブと比べて横のつながりが強いですからね。自分自身もDJをするということもあり、他の会場さんにDJをしに行く機会も多い。そういうつながりのある会場さんにはやっぱりコロナを乗り越えて存続し続けてほしいですからね。
――実際に『Music Unity2020』を開催した効果は感じることができましたか?
『Music Unity2020』をきっかけにMOGRAを知ったという人が、情勢が落ち着きつつあるこのタイミングで初めて遊びに来てくれたりしているので、すごく効果があったと感じてはいますね。やってよかったと改めて思っています。
――その後、羽田空港第二国際ターミナルにて開催した『Music Unity2022』もありました。
あれはたまたま関係者伝に、コロナで閉鎖されている羽田空港第二国際ターミナルを使って何かイベントができないか? と相談を受けて開催したものなんです。それで、『Music Unity2020』はインターネットを介して音楽で人がつながることをテーマに開催したけれど、今度はインターネットを介さずに、現地で、音楽を通じて人がつながる場を創出したいと思って開催しました。
――なるほど。ではコロナが落ち着きつつある今、MOGRAさんがやりたいことも伺いたいです。
まずはみんなと会いたいですね。MOGRAにみんなが戻ってきたり、新しい人が来たり、そういう人たちと顔を合わせて話をしたい。やっぱりみんなの顔を見て話すと安心するし、楽しいですから。『Music Unity2022』の開催時期はまだ国外の人たちが日本に来ることが難しい時期だったのですが、今回の『Music Unity2023』では国外の人たちにも遊びに来てもらって、最後のMusicUnityをみんなと楽しめたらなと思います。
■オフィシャルの仕事をしたぐらいで満足するなよ、ってことだけは言っておきたい
――改めてD-YAMAさんが考える“良いアニメソング”とは何か、というお話をお聞きしたいです。
これはあくまで僕が良いと思う、好きだと思うアニメソングですけど、エモいメロディやコード進行の曲は良いな、と思います。具体的にいうとI’veの中沢伴行さんが作る曲、やなぎなぎさんの「ビードロ模様」なんかはすごく好きですね。
――D-YAMAさんの場合はアニメソング以外の楽曲も多く聴かれると思うのですが、アニメソングならでは、だと感じるものはあるのでしょうか?
具体的に「こういう楽曲が」と言葉にすることはできないのですが、アニメソングっぽいコード進行やメロディって存在するんだろうな、とは思いますね。時々MOGRAに来てくれるアメリカのDJ、ポーター・ロビンソンなんかはすごくアニメとアニメソングを愛している。彼が作る曲はアニメとのタイアップはないんですが、聴いていると「めっちゃアニメソングだな」って感じますからね。前にリリースした「mirror」なんかも“いかにも”って感じがしました。
――一見ジャンルのくくりがないアニメソングにも、どこか共通点は感じると。
感じますね。その一方で、やっぱり映像があってこそアニメソングという部分は外せない。いかにアニメソングに近い空気を感じる楽曲だとしても、やはりタイアップがついて、映像がついてこそ真の意味でのアニメソングになる気はしています。アニメソングはジャンルではなく「アニメに紐づいている音楽」というカテゴリーのことだと自分は解釈してます。
――そういった楽曲を使うアニメソングDJの未来についてもお聞きしたいです。今後アニメソングDJ、どういった活躍をしてほしいと思っていますか?
難しいですね……。僕自身この10年ぐらい、アニメソングDJの限界がどこにあるのか、ということを模索してきたんです。例えば、MOGRAでよくDJをしてくれているDJ WILD PARTYを『Animelo Summer Live』に出演させてDJを披露できないか、なんてことも昔は勝手に考えていた。でも、結果的にそれは失敗に終わっているし、その方向に進めばアニメソングDJがさらに活躍できるとは今は思えなくなっていて……。
――現在も模索中だと。
そうですね。ただ、一つだけ言えるのは、オフィシャルの仕事をしたぐらいで満足しないでね、ってことだけは言いたい。
――と言いますと……?
アニメソングDJの人たちを見ていると、オフィシャル、つまりは楽曲版権元に認められた仕事をしたらゴールだと思ってしまう人が多い気がするんですよ。そのためか、オフィシャルの仕事をしたらそこで歩みを止めてしまう人をよく見る。まだまだその先にどういう活躍の場があるのか、もっと同じ趣味の人口を増やして業界のレベルをあげるためにはどうしたらいいのか、そういうことを考えていかないと自分たちの遊び場は消えちゃうぞ、ってことを少しでいいから考えてほしいなとは思います。
――ではD-YAMAさんが思い描いているのはどのような状態なのでしょう?
もはやこれは夢に近い理想なんですが“本業がアニメソングDJ”と言えるところじゃないですかね。それだけでご飯が食べれる状態。それができている人が増えていけばシーン全体に蔓延している“アニメソングDJは身銭削るのが当たり前”という風潮は払拭されると思いますしね。
――“アニメソングDJは身銭削るのが当たり前”という風潮はどうして生まれてしまうのでしょう?
シーンの規模がまだまだ小さい、そのせいでその中で回っているお金が少ないからだと思います。これについてはアニメソングという特性上、アニメと直接関連していないDJには稼ぐ術がないとか、そもそもアニソンDJというものの性質として同人活動に近いとかいろいろあるんですが、どんな理由があろうともシーン全体から大きくしていかないと、そこで食べていける人は出てこないですから。自分たちが権利保持者ではないからこそできるお金の生み出し方、権利元への還元、全員が当事者になれよって話ではなく、そういうことも考えられる趣味から一歩先が見えると自分は嬉しいなと思ってます。
――もう一つ、D-YAMAさんが考える、アニメソングDJシーン拡大に必要なものを教えていただきたいです。
まずは一人ひとりのDJが個性を磨いて、誰がやっても同じようなDJにならないようにすることじゃないでしょうか。いまや誰もが同じ音源を買えて、同じミックスができる状況になってるわけですし、お客さんに「あの人がDJするから聞きたい!」と思わせないとそもそも興味持てないですよね。あとは、シーン全体を牽引するヒーローが生まれるといいんじゃないかとも思っています。一人突き抜けた人が出てきたら、そこに競るようにみんながいろんなことを試しはじめる。その結果がシーン全体の拡大につながっていくと思います。
■結び
D-YAMA氏が言うように、アニメソングDJの世界には、現状“身銭削るのが当たり前”という風潮が強く存在している。あくまで趣味としてやっていることなので、そこで利益を追求してはいけないということが暗黙のルールとなっているのだ。しかし、この暗黙のルールを崩さない限り、アニメソングDJシーンのさらなる発展は難しい、それを改めて感じることができるインタビューだった。
プロとして、アニメソングDJで食べていける人は実に少数。この現状を打破し、プロのアニメソングDJとして活動している人が増えていく未来が訪れることを、筆者自身も熱望している。
インタビュー・文=一野大悟 撮影=池上夢貢