Karin. 撮影=高田梓
フルアルバムとしては約2年ぶりとなる新作『私達の幸せは』が届いた。
様々な局面の愛や幸せを描いた12の曲たちを聴き通した後には、アルバム・タイトルが言い止まった答えを受け取ることができると同時に、Karin.の精神的な現在地を確認することになる。
さて、彼女はこのアルバムを作りながら、どんなことを考え、その思考や思いをどんなふうに音楽に昇華していったのか。
――すでにepとか配信で出ている曲も入っているわけですが、アルバムを作り始める時点では、どんなことを考えていましたか。
まず、前回の、10代最後に作ったアルバム『solitude ability』を機に、しばらくの間はコロナ禍もあるし、epでやっていこうということになって、何作かepを作っている間に、自分の言いたいことは一貫して“幸せって何だろう?”ということなのかなって、歌詞とかを見て思って。そこからは、幸せにまつわるような曲というか、そういうテーマで、このアルバムをずっと作ってた感じがします。
ーー幸せでいる時には“幸せって何だろう?”とはあまり考えないんじゃないかなという気もするんですが、どうしてずっと幸せについて考え、そういう曲ができてきたんだろうと思いますか。
自分が幸せかどうかっていうよりかは、人の幸せを見ていたっていうか……。例えば人の恋が死んでいくのを見てたような感覚、失われたような感覚で、みんな幸せを見つけては、でも何かがあって全てなくなってしまって、深く傷がついてるはずなのにまた幸せを見つけようとするじゃないですか。幸せだったことを思い出として振り返るならいいですけど、幸せっていう到達点がどんどん上書きされている感じというか。そういう人の幸せを見てて、“そもそも幸せって、なんであるんだろう?”っていうか……。みんながどこでどういうふうに感じてるのか何もわからなくなっちゃって、それで“幸せって何なんだろう?”と思ったんです。三浦しをんさんの小説が好きなんですけど、読んでるともっともっとわからなくなるんです、幸せっていうのが。私には愛の狂気に思えるけど、この人にとってはそれが幸せなんだなと考えて、“じゃあ、幸せって何だろう?”と考えてるうちに曲が浮かんでいたというか。探すためにいろんなものに手をつけて曲を作ってたっていう感じなので、自分の幸せがどうっていうよりかは、人の幸せを見て“なんで幸せって感じるんだろう?”みたいな気持ちが大きいです。
ーー上書きと言われましたが、僕も含め多くの人には、10幸せになったら20幸せになりたい、20幸せになったら30幸せになりたいと考える傾向があると思うんです。Karin.さんにはそういう傾向はありませんか。
例えば小さい頃の幸せというと、お母さんにアイスを買ってもらって、そこで幸せを感じたけど、40歳、50歳になってアイスを買っても多分幸せって感じてないはずなんですよ。だから、いろんなものに出会って触れて、学んで、それを自分のものにした時に初めて幸せって感じるんだろうなっていう。自分には手に入らないものを見て幸せっていうよりかは、自分もその中に入れてやっと幸せだっていう感情に至ると思うので、私が人の幸せを見て“何だろう?”と思ってるうちは、多分そのコミュニティにも入れてないというか。自分は遠くから見ている感じですね。そもそも、自分がこの人生にまだ全然満足してないから、幸せっていうものもあまり感じられてなくて。自分のことで精一杯っていうのもあって、人の幸せっていうか、幸せということに対しても、多分真正面からは向き合えてなくて、覗いてるような感覚なのかなと思います。
ーー幸せということについてと同じくらい、このアルバムは永遠ということについても歌ってる感じがするんですが、Karin.さんの中では永遠について考えることも“幸せって何だろう?”と考えることに含まれているんですか。
自分はそもそも永遠にも終わりがあるって思ってるから、永遠ってことは成り立たないっていうか、信じてないってずっと思ってるんです。でも、“それだったら私は夢を見てでも永遠ってものを感じる”という気持ちを元に「永遠が続くのは」とか作って……。もちろん幸せにも終わりがあると思うんですけど、例えば中学生の頃は“今、生きててすごく辛い”とか、そう思ってる日が多くて。それは恵まれた環境じゃないとか、そういう話じゃなくて、元から自分のなかにある感情に──天才に憧れていたっていうか、例えばゴッホとかもそうだけど、天才って若くして死んじゃった人もいるじゃないですか。だから天才は早く死ななきゃ、みたいな気持ちもあったんです。
ーー1960年代のロック神話みたいな話ですね(笑)。
そうですね(笑)。自分も、生きるのが辛いっていうよりかは、自分としてもう一度生まれて、違う道を歩んでみたいとか、自分ではない何かになりたいという気持ちがすごく多かった時に、周りの人にその話をしたら、「でもさ、生きたいと思っても生きれない人もこの世の中たくさんいるんだよ。生きれてるだけで幸せって思わないと。当たり前だと思っちゃダメだよ」って言われて……。
ーー正論ではありますね。
そうですね。でも“そんなに生きることが幸せだったら、私は永遠を夢見てたほうがまだマシだ”と思ったりして、ずっとそのことを考えてた時期がありました。私はもしかしたら、そう感じても幸せという言葉に当てはめないと思うってことを考えながら作ってたので、永遠っていうのと幸せっていうのが頭の中でグルグル回りながらというか、どっちも私には存在してないと思ってるけど、人の幸せっていうのと自分にとっての永遠っていうのがどれほどかけ離れているのか、もしかしたら近しいものなのかもしれないし、っていう。永遠と幸せっていうことの遠さについて、ここ最近はずっと考えてたかなと思います。
ーー永遠について考えることとも関わりがあると思うんですが、Karin.さんの歌には“時間ってどうしようもなく流れていってしまうな”という意識がずっと根底にあるように感じます。「星屑ドライブ」には<時間には逆らえない>というフレーズもありますね。でも今回、例えば「結露」を聴くと、そのことはそれほどネガティブなことではないと感じ始めているような印象があるんですが、時間が流れていってしまうということについては今どんなふうに感じていますか。
「初恋は」とかもそうだけど、みんな今のことを忘れてどんどん大人になっていっちゃうとか、そういう置いていかれた気持ちにすごくなってたけど、今は自分も一緒にその時間軸の中にいて、時間が過ぎていくと同時に、もし今この姿のまま過去に戻ったらどんなことができただろうかってことを思い始めてます。過去を恋しくなったというか。今の自分のまま過去に戻りたいなって思うようになってからは、時間軸がまた変わったというか。もう戻れないことに対しての悲しさとか寂しさじゃなくて、憧れというか、あの頃に今の自分のまま戻ってたらどうなってただろうかっていう。もっと前向きな気持ちですね。時間に対しては。戻れないけど、そういうことを考える時間がすごく楽しいというか、自分に対して素直になれる瞬間なのかなって思ったので。でも、自分が過去ってことに対して前向きな気持ちになれたのが多分遅かったのかなと思って、「結露」では、みんながもう眠りについてるけど私はまだ動いててっていう、そういう差みたいのを曲の中で書いてる感じです。
ーー時間が流れていっても、焦る感じがなくなってきたと言えばいいでしょうか。
生き急ぐっていうのは、ちょっと緩和されたのかもしれないですね。
ーー「星屑ドライブ」に<君が長針ならば/きっと私は秒針で>というフレーズがありますが、直感的には「せめて短針と長針にしろよ」と突っ込みたくなります(笑)。
(笑)。みんなに言われました。自分がせっかちなのかわかんないんですけど、時計を見てて、短針と長針だけを眺めてたらつまらないんですよ。もっと動いている物を見ている感覚が欲しくて、私は敢えて秒針を使いました。
ーーそれは、せっかちと言うより、やりたいこと、やらなきゃいけないと思うことがたくさんあるということじゃないですか。
そうですね。まだ自分にはないものがたくさんあると思って、それを必死にかき集めて、背伸びをしてでも次の階段にずっと上がりたかったっていうのもあって。1つ1つ何かをこなしているっていう自信が欲しかったというか。そういう気持ちで書いたと思うんです。「星屑ドライブ」は三浦しをんさんの小説を読んだ、そのインスピレーションで書いたんですけど、あの時はドライブって言いつつも、残された側にフォーカスを当てて書いてたんです。私もまだ生きてるから、残された身として曲を書いたけど、もう逝ってしまった側の人はどうなるんだろうかって思って作ったのが「結露」なんです。自分は生きてない、死んでしまったというのは、どういう時にあらためて感じられるだろう?って。死んじゃった人が“自分が死んじゃったんだな”と思うのはいつなんだろう?って思った時に結露という言葉を使ったというか。生きてる人は体温があるから、手のひらで温めると結露ができるんですよ。でも、その人はもう生きてないから、どれほど手で温めても結露はできないんですよね。自分はもうこの世界に生きてないんだっていうのを感じるのって、その体温がないってことが1番わかりやすいのかなと思って。
――自分が冷たくなってしまっていることも、何もしなければ気づかないかもしれないし。
で、それが私と同じだなと思って。
――Karin.さんの何と同じなんですか。
私は「居場所がない」と言ってるけど、周りをちゃんと見渡したら、ちゃんと音楽を聴いてくれてる人もいて、ライブに足を運んでくれる人もいて。それでやっと“自分って、ちゃんと誰かのために何かをしてるんだ”というのを感じた瞬間っていうのが、それとすごく似てるなと思って。それは自分が生きてるって思った瞬間ですよね。この主人公は“自分は死んじゃったんだ”ってことを自覚した時だけど。「空白の居場所」でも書いたけど、私が誰かのために何かをした時に初めて生きてるって感覚になれたっていうのと全く同じだなと思いました。
ーー亡くなるということも、ある角度から見ると永遠の存在になるということですよね。永遠を感じるというのは時の流れが止まったように感じるということでもあると思うんですが、逆に生きてるということは時の流れの中に身を置いているということですが。Karin.さんの場合は、時の流れの中に身を置くだけじゃなく、ずっと秒針のようでありたいんでしょうね。
そうですね。しをんさんに、そもそもなんで「星屑ドライブ」が書けたのかということを聞いたことがあるんです。しをんさんにとってすごく大切な人が亡くなっちゃったんだけど、しをんさんの心の中ではずっと生き続けてるんですという話で。それとは裏腹に、名前しか知らない程度の高校の同級生とか、もう疎遠になっちゃった人からすると、自分はもう死んだも同然なんじゃないかっていう。その人の心の中に一ミリもいないってなると、その人にとって自分はもう死んだんじゃないかって思った時に、生きてる/死んでいるっていうことの定義が揺らいで、それで「星屑ドライブ」を書いたって話を聞いて。確かに、すごく思い続けてるってことはとても大切で、死んじゃっても、その人の思い出がたくさんあって、それを鮮明に思い出せるっていうんだったら、まだその人にとっては死んでないっていうことになるじゃないですか。世間一般では、死んだっていうのはちゃんと診断書が出たとか、そういう物理的なものがあって、死んじゃったんだなって感じると思うんです。私も、体温とかそういう物理的なことで生きている/死んでいるっていうのを判断してしまったけど、本当に大切なのはいつまで心で思い続けることなんだろうっていう。で、誰かが思い続けるってこんなにも重いっていうか、この先もずっと続く。それも永遠かもわかんないですけど、そこで、自分にとってはまだそういう物理的なことでしか見えてないんだなって思うと “もっといろんな人と出会わなきゃいけないんだな”っていうので、また秒針グルグルって感じで。あれもこれもやんなきゃいけないって回ってるので、ほとんど私の人生は秒針で動いているなと思います。
ーーこのアルバムを聴いて感じるポジティブなエネルギーはどこから生まれてるんだろうなと考えていたんですが、今の話を聞くと、思い続けるということと、「空白の居場所」で歌われていることを受けて言えば、歌い続けて、聴いてくれる人に届けるという決意、そういうものがアルバムの力になってるのかなと思いました。
誰かと恋愛とか、そういうのじゃなくて、過去と向き合って“今どんな自分なのか? どういう自分でいなきゃいけないのか?”みたいな問題がどんどん解けていって、だからもっといろんなものを詰めていくと“じゃあ、もっと自分より大切な人と出会えたらいいな”とか“よし、次はもっと違う曲を書いてみよう!”とか、そういうふうになっていったんです。だから、エネルギッシュと言えば、本当にそうだと思う。いろんなもののきっかけ作りとして、“こういう時、私はなんでこう思った? なんでこれが幸せだったの? この人の幸せってどこからできてるの?”みたいな感じで印をつけていったような作品なので、次に向けての目次というか、そういうものなのかなって思います。
ーーさて、6月30日と7月1日のライブに向けての話も聞きたいんですが、その前に去年の秋のツアーについて、Karin.さんの感触はどんな感じだったんですか。
自分の感情の整理が難しかったというか、例えば自分がこの数年間で書いてる曲調が変わってきてるから、セットリストがすごく組みづらかったですね。でも、今後もっと変わっていくだろうから、私はどれを軸にしてライブをすればいいのかなっていうのはすごく考えました。
ーー次のライブのセットリストもそろそろ考える時期になってくると思いますが、新しいアルバムの曲は全部やるんですか。
どうでしょう(笑)。「幸せを願えてたら」とか、みんなで猛練習しないといけないですね。いろんな音が鳴ってて難しいので。でも自分のテンポとか好きなコードっていうのがちょっとずつわかってきたんで、そういうのも楽しみながらセットリストを組んでみたいなと思ってるんですけど。それから、前のツアーで私のライブに来てくださる方は、リスト・バンドをつけて「イエーイ!」みたいな感じじゃなくて、本当に曲を聴きに来てくださる方が多いんだなっていうのは実感しました。
ーーそれは、いいことですよね?
そうですね。曲を聴きに来てくださる方がいて、ライブの、場所の一体感を楽しんでるような方もいて、みんなそれぞれ目的があるけど同じ場所に集まってるということを感じて、あらためて不思議な感覚だなと思いました。だから、今度のライブでは、来てくださっている方たちの表情をもっと細かく見たいなと思っています。
取材・文=兼田達矢 撮影=高田梓