森山良子、約1年ぶりのデジタルシングルでかまやつひろしの名曲「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」をカバー
森山良子が約1年振りのデジタルシングルを7月19日にリリースした。今回は、森山の従兄であるかまやつひろしの名曲「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」をカバーしている。
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は1975年に発売された かまやつひろしのシングル「我が良き友よ」のカップリング曲。現在、コンサートツアーも行っており、森山良子が歌う「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を生で聴ける日も近いだろう。
森山良子コメント
形にとらわれず音楽で遊び、自由に模索しながら探究し追及していたムッシュ。沢山の曲を残した中でも他の曲とは違う、ムッシュらしさが一番残るこの曲をいつかカバーしたいと狙っていたんです。昨年リリースした「人生はカクテルレシピ」同様、今回も永積崇さんにプロデュース・アレンジをお願いしました。レコーディングでは、ミュージシャンの皆さんと「一度チョットやってみようか?とりあえず」といった音合わせ段階のテイクがグルーヴ感も最高に良く採用となりました。
音楽評論家 田家秀樹による「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」ライナーノーツ
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が1975年に発売された彼のシングル「我が良き友よ」のカップリングだったことを知っている人はもう少なくなっているのかもしれない。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった吉田拓郎が書き下ろした彼の最大のヒット。週間チャート1位、年間チャートでは7位にランクされている。
かまやつひしの父親は日本ジャズ界の草分けとなったジャズボーカル専門学校の「日本ジャズ学院」を設立した日系二世のジャズ・シンガー、ティーブ・釜萢である。
10代の時からジャズやカントリーを歌っていたかまやつひろしがビートルズ上陸以前に結成したバンド、ザ・スパイダースの名付け親もティーブ釜萢だ。
日本の音楽史上初のバンド革命、GSの音楽的支柱となっていたのがかまやつひろしだった。
70年代、音楽の世界にはいくつもの壁、対立や反目があった。
たとえば演歌や歌謡曲とフォークやロック。同時にフォークとロックの間にもあった。
綺麗な言い方をすればそれぞれがお互いを仮想敵としながら切磋琢磨していた。
そうしたジャンルから最も解放された自由人がかまやつひろしだった。
1971年の伝説の野外イベント、中津川フォークジャンボリーにギター一本で乗り込んでいったのが彼だ。
メディアや業界から逆風を受けていた吉田拓郎の才能をいち早く認め接近していくことで生まれたのが「我が良き友よ」である。
ただ「我が良き友よ」は、腰に手ぬぐいをぶら下げて下駄をはいているバンカラ学生の青春を歌っている。
大ヒットしたとは言え六本木の「キャンティ」をホームグランドにして
最新のヨーロッパの香りやアメリカ西海岸のサブカルチャーを体現していた彼にとって不本意だったことは容易に想像できるだろう。
「俺はこれじゃない」というメッセージが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だった。
西海岸最強のホーンセクションを擁したファンクバンド、タワーオブパワー。
彼らが来日していた合間にコード進行だけ渡して録ったという演奏にメロディーと詞を付けたという曲だ。
「歌」とも「語り」ともつかぬ“トーキング・ファンク”のような歌は当時も今も他を寄せ付けない孤高の輝きを放っている。
ゴロワーズというのは歌詞にあるようにジャン・ギャバンが映画の中で吸っているフランスの煙草。
シャネルやヴィトンなどのブランド品というより労働者や大衆向けというのが彼のセンスだ。
人生に必要なものは何か。人の幸せとは何か。そして大人になるというのはどういうことなのか。
かまやつひろしは史上最も尊敬されるべき自由人だと思う。
音楽にも人間にも分け隔てがない。キャリアや年齢で人を判断しない。権威にも大御所にもならない。
私事で恐縮なのだが、「30以上は信じるな」などと口にしていた生意気盛りの僕が
「ああいう大人になりたい」と思っていたのは彼だけだった。
「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は発売時の反響は芳しくなかった。
しかし、90年代以降、アシッドジャズの名曲として再評価されていることは説明の必要がなさそうだ。
「売れる曲」と「残る曲」。シングルのAB面でここまで評価が分かれる例も珍しい。
今更になるかもしれないが、森山良子はかまやつひろしの従妹である。
ティーブの妻の妹のジャズ・シンガーが彼女の母だ。父親のトランぺッター、森山久はテイーブ釜萢の盟友だった。
彼女の代表曲「涙そうそう」は早く失くした兄を思って書いた曲だった。
デビュー56年、誰よりもあらゆるジャンルの曲を歌ってきた彼女が念願だったという「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のカバーは
今年7回忌を迎える従兄への今だからの想いのこもった私信のように思えた。
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