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ドレスコーズ 死を思いながら生を歌う、2023年に生まれるべくして生まれた運命的な作品『式日散花』

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ドレスコーズ 撮影=森好弘

ドレスコーズ 撮影=森好弘

ドレスコーズの新しいアルバムが出る。前作『戀愛大全』で聴かせたポップでエネルギッシュなバンドサウンドを引き継ぎながら、2023年に志磨遼平の身に起きた抜き差しならない出来事を、物語性の強い歌詞に託した極めてドラマチックなアルバム。映像監督・山戸結希によるミュージックビデオ3部作「最低なともだち」「少年セゾン」「襲撃」の強烈なインパクトも、コンセプチュアルなアルバムのテーマにより深みを持たせている。ドレスコーズの新作『式日散花』(しきじつさんか)は、2023年に生まれるべくして生まれた運命的な作品だ。死を思いながら生を歌う、志磨遼平の歌声に耳を傾けよう。

――今ここでお話をしているのが8月末なんですが、この夏の暑さは異常じゃないですか。

たまりませんね、今日もとてつもない暑さです。

――去年のアルバム『戀愛大全』の時は、制作がまさに夏の真っただ中で、夏の解放感、焦燥感、終わってしまうもの悲しさとか、そういったものが自然に楽曲に入ったと言っていましたよね。

そうですね。夏に夏の曲を作っていたら、リリースは10月になってしまって(笑)。一年たってようやく、あのアルバムが本領を発揮するという。

――みなさん『戀愛大全』を聴くなら今です(笑)。ぴったりです。そして今回の『式日散花』は、春の歌から始まって夏に至るまで、季節の流れが見えるような作品になっていると思います。

今回は春に作り始めたんですが、結局リリースは秋になってしまいましたね。

――タイトルが漢字四文字であるとか、曲調やメロディのポップさとか、前作からの地続きの作品なのかな、というのが第一印象でした。

そうですね。録音メンバーやアートワークも含めて、続編という感じです。

――もともと、そのつもりで作り始めたんですか。

いいえ、まったくそのつもりはなく。春頃に「最低なともだち」という曲ができて、それを足がかりにしていくつか曲を作り始めたら、どことなく『戀愛大全』の続編、あるいは対極をなすようなものができあがってきて。それならいっそアルバムタイトルもアートワークも連作っぽくしようかしら、という流れです。

 

――アルバムの始まりとなった「最低なともだち」は、どこから生まれてきた曲ですか。

今年の2月に、前のバンドからずっと一緒に作品を作ってきたアートディレクターの信藤三雄さんが亡くなられまして。それと前後して、立て続けに自分が大きな影響を受けたミュージシャンがこの世を去られて。あまりに悲しいニュースが連日のように届いたもので、この悲しみは作品として残しておかねば、という思いから生まれた曲ですね。そこからスタートしたアルバムですから、テーマはおのずと“お別れ”になりました。人生にはたびたびお別れが訪れますけど、必ず最後には死という絶対的なお別れが待っている。そういうものを今回はテーマにせざるをえない、という気持ちでした。決してポップス向けのテーマとは言えないでしょうけど、あらゆる芸術にとって永遠のテーマでもある。すべての人に用意された絶対的なお別れ、つまり死というものが今回のテーマです。そういう意味でも前作の『戀愛大全』とは対極にある。生と死、エロスとタナトス、この2作はそういった関係にあると思います。

――はからずも、というか、たくまずして、といいますか。そうなってしまったと。

それがあくまで個人的な別れであればアルバムにまとめるほどでもなかったのかもしれませんが、これだけ多くの人に愛されたミュージシャン、アーティストを立て続けに失った今、僕だけでなくたくさんの方がその巨大な損失と向き合っていると思うので。今年、生まれるべくして生まれたアルバムという気もします。

――『戀愛大全』の時に、それ以前の『ジャズ』や『バイエル』が非常に重厚でコンセプトの強い作品だったので、その反動もあって、よりポップで軽やかな……。

他愛もない明るさ、強靭なまぶしさを放つようなものが作りたかったんですよね。

――それが今回の『式日散花』では、またコンセプトとテーマが戻って来たというか。

はい。1年ともたなかったですね(笑)。

――それはやはり時代背景というものの反映なんだろうなと思ったりします。

そうかもしれませんね。決して、万事快調という時代ではないので。

別れというのは、それを突きつけられた者がただ向き合うことしかできないもので、突きつけられた者にできることはそれをどうやって認めるか、それだけですよね。

――志磨さんに「最低なともだち」を作らせた信藤さんは、志磨さんにとってどんな存在でしたか。

それはたぶん、共作者であり、共犯関係でもあったんじゃないかと思います。アートワークにどれだけの事件性を持たせられるか?という意味においての共犯関係というか。たとえば毛皮のマリーズが解散する際、僕らが企てたのは“アートワークによる解散発表”でした。ニュースサイトに消費されるような解散ではなく、それを拒絶するくらい美しい解散のかたち。そもそも毛皮のマリーズのパブリックイメージは信藤さんが作ったものですし、元をたどればお会いする前から僕は信藤さんの作品に囲まれて育った世代なので。僕がポップカルチャーを志すようになった瞬間から、信藤さんは僕の先生でもあったんですね。ずっと信藤さんが作られたものをお手本にして独学を続けてきて、ようやくお会いできた先生に今までの勉強の成果を採点してもらっているような。本当に先生と生徒という関係性ですね。僕は信藤塾の塾生でした。

――「最低なともだち」の、《でも もう一度 会いたいな》という歌詞には、特に強い思いがこもっているように感じます。ある種の鎮魂歌でもあると思います。

別れというのは、それを突きつけられた者がただ向き合うことしかできないもので、突きつけられた者にできることはそれをどうやって認めるか、それだけですよね。“向こうに行けばまた会えるよ”とか“肉体は滅んでも作品として魂はみんなの心にずっと生き続けるよ”とか、綺麗事はいくらでも言えるじゃないですか。それはそうかもしれないけど《でも もう一度 会いたいな》ということですね。たとえば“ひさしぶりに忌野清志郎さんのライブに行きたいな”というようなことを今でもよく思いますし。

――わかります。そして、あ、そうか、もう見られないんだと気づく。

はい。残された者がどういうふうにそれを認め、受け止めるか、ということです。

――この曲の中では、それが師弟なのか、恋人なのか、愛情なのか友情なのか、そのあたりをはっきり言わないですよね。どのようにも当てはめられる、そこが志磨さんの作家としての誠実さだなと思います。それは映像作家の山戸結希さんが監督されたミュージックビデオにも表れていると思うんですが、あの映像の内容は彼女にお任せだったわけですか。

そうです。僕の真意を見事に汲み取ってくださいました。

 

――山戸さんが監督したミュージックビデオ「最低なともだち」「少年セゾン」「襲撃」の3部作は、このアルバムの重要なキーポイントになっているわけですけど、それは最初からアイディアとしてあったものですか。

そうです。アルバムの制作に入る直前に、山戸さんと久々にお会いして。今までの映像作家と被写体という立場ではなく、僕が作る音楽にあらためてカメラを向けてみたい、というようなアイディアをいただいて。それがちょうど「最低なともだち」を作ろうとしていたタイミングだったはずで……そうです、“今なら急げば桜に間に合うんじゃないか”というやりとりをしたので、3月末とかですね。あ、そうだ、信藤さんのお別れ会が3月20日で「三雄の日」だったから、その直後ですね。まさに信藤さんがそうだったように、今回は山戸さんが共作者であり、共犯者でした。このアルバムにおいて録音メンバーと同じぐらいの割合を占めています。

――「最低なともだち」の次にミュージックビデオが作られたのが「少年セゾン」です。

はい。春のシングル、夏のシングル、そして秋に完成しているであろうアルバム曲、これを3部作として山戸さんに撮っていただこう、というプランがありました。

――それもだんだん決まっていったんですね。

いえ、アルバムの制作を始めるより前の段階で、すでにそういう計画を練っていましたね。その第二弾シングルとして「少年セゾン」という曲ができて。

――「少年セゾン」は、具体的に誰かの顔が思い浮かんでいる曲ですか。

いや、具体的な誰かというわけではないです。これもやはり死という別れが約束されているうえで、それにより“生”というものがコントラストとしてくっきり浮き上がるような曲を作りたくて。この曲に限らず、アルバムの全曲がそうなんですけど、別れから逆算して残った時間をどう過ごすか、という捉え方ですね。

――「少年セゾン」には、死の影はあまり表面には出て来ないですね。明るく軽快な曲調も含めて。

でも、その裏側には、べったりと死の影が貼り付いてますよね(笑)。《火葬のような》とか、《あたしがとけたら/当たりが出るかな》とか、《無期懲役》《かけおち》とか、軽快な曲調とはうらはらに、死を連想させる言葉のオンパレードなので。

――確かにそう思います。面白いですね。死と生は分かちがたいもので、死を歌っても生を歌っても、どっちも結局は同じ……というと乱暴ですけど。

いえ、おっしゃるとおりだと思います。生が輝けば輝くほど、死の影も濃くなってしまう。それはまさに夏という季節がそうであるように。

――歌詞の一部には、岡崎京子さんの作品からのインスパイアがあると聞いています。

この曲の中にはいくつかの引用部分があるんですけど、そのうちの一つが、岡崎京子さんの「I wanna be your dog」(「私は貴兄のオモチャなの」)という短編集からの引用ですね。《つめたいけれど/愛するアイスクリーム》という部分がそれ。岡崎京子さんも、まさに生と死のコントラストを強烈に用いた作家さんなので。しかも恐ろしいことに、岡崎さんの漫画の装丁も信藤さんが担当されいたんですよね。僕が思春期に影響を受けた漫画や音楽は、奥付や歌詞カードのクレジットを見ると、だいたい信藤さんのお名前があるんです。

――はっぴいえんども、ちょっと入ってますね。《日傘まわす ぼく退屈》。

はい。はっぴいえんどの「夏なんです」からの引用です。あと、高田渡さんに「アイスクリーム」という曲があって、《行儀のわるい あたしのアイスクリーム》という部分が、そこからの引用ですね。

――それは気づかなかったです。オマージュとインスパイアがとても広くて豊かですね。あと面白いなと思ったのは、フランス語の“セゾン”は女性名詞で、でも「少年セゾン」というのがすごくイマジネイティブだなぁと。

えっ、面白い。“季節”って女性名詞なんだ。知らなかったです。変わっていくのは女性、という解釈かな。

――考えすぎたかもしれない(笑)。でも、この曲に出てくる少年少女は、まだ性が未分化というか、そういう生々しくピュアな感じがすごく伝わるなって勝手に思ってました。そして3部作の締めくくりが「襲撃」。これは?

このアルバムの全体を通して言えることですが、「襲撃」は僕が意識的に音楽を自分の好みで選んで聴くようになるよりも前、テレビやラジオから自然と聴こえてきた日本のヒットソングとか、親が好んで聴いていた古いポップスなんかの記憶が、すごく色濃く出ていて、ものすごくドメスティックな曲調なんですよね。いかにも“日本のポップス”という感じがします。

――確かに、歌謡曲感、ありますよね。

きっと90年代初頭の、おそらくバンドブームとかそういった時代に、テレビから流れてきたようなものをイメージしていますね。このアルバムは、僕が今まで作ったものの中で、一番洋楽っぽさがない作品と言えます。

 

――という3部作が、ミュージックビデオになって、アルバムの根幹をなしている。前作『戀愛大全』の時に、架空の短編小説のサウンドトラックという言い方をしていましたけど、今回は架空が実像化したといいますか。

あ、面白いですね。今、ふと思ったんですけど、もしかして『戀愛大全』があったから、山戸さんが連絡をくださった可能性がなきにしもあらず。架空のサウンドトラックに映像をつけてさしあげますよ、という提案だったのかもしれない。僕が山戸さんと初めてお会いしてからもう10年近く経つと思うんですけど、その間にミュージックビデオをお願いするタイミングは何度でもあったのに、なぜか言い出せなかった。お互いに必然的なタイミングが今回だったのかもしれない。

――運命的ですよね。偶然の必然というか。

それを人は行き当たりばったりと言うんですけど(笑)。

――引きが強いとも言えますし。

辻褄合わせとも言う(笑)。

――どの曲にも《ともだち》というワードが出てくるので、“ともだち3部作”とでも言いますか。

それ、いいですね。まさに《ともだち》も今回のアルバムのキーワードなので。

――男と女になる前の未分化の状態と言いますか。

おっしゃるとおりです。性差も、友情と恋情の境も、すごく曖昧な季節。それも今作に通底するモチーフであり、前作『戀愛大全』との対比でもある。

“僕より先に大人にならないでね”という構図は、“僕の手の届かない世界に、僕を置いて先にいかないでね”という意味で“死別”とまったく同じなんです。

――そこで思い出すのは、志磨さんが永遠の憧れだという映画『小さな恋のメロディ』だったりします。友情と恋情が曖昧な時代の純粋な心の物語。やはりそこに戻るんだな、というと言い方がアレですけど。

そう、まさに今回、なぜ僕はああいうものが好きなのか?ということを考えたんですよ。ああいうものを僕は“駆け落ちもの”と呼んでるんですけど。

――ああ、はい。そうですね。「少年セゾン」もそれです。

なぜ“駆け落ちもの”が好きなのかな?と考えた時、思い当たる作品がひとつあって。それは僕が小学生の頃に偶然テレビで観た、岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』という、一話完結のドラマがあったんです。奥菜恵さんと山崎裕太さんが主演で、それが初めて観た“駆け落ちもの”だったんですよ。奥菜恵さん演じる女の子が同級生の男子二人に向かって、プールで競泳をして勝ったほうと花火大会に行ってあげる、と提案する。そこで勝った男子は、なんだか急に恥ずかしくなって、その約束をすっぽかしてしまうんです。でも実は彼女は、親の都合で二学期には引っ越しすることが決まっていて、彼女はそれが嫌で、そのまま一緒に駆け落ちしてほしかったんです。……というところから始まるお話なんですけど、子供ながらにものすごく感動して。僕はきっとそれを観たせいで“駆け落ちもの”が好きなんですよ。

――そっちが先なんですね。初めて聞いた気がします。

そう。だから僕の曲の端々に出るイノセントな残酷性みたいなものは、あのドラマによって植え付けられたものなんですよね。きっと。ということを、今回再発見しました。

――駆け落ちものは、すごく日本的なイメージでもありますよね。「矢切の渡し」とかもそうですし。

今回でいえば、3曲目に入っている「若葉のころ」も、駆け落ちものですね。

――確かに。そうか、そういうテーマもあったんですね。このアルバムには。

“大人の目の届かないところまで逃げる”という構図は、毛皮のマリーズの「Mary Lou」もそうですし。今回それがなぜ復活したのか?というと、彼らもいつか年を重ねれば、セゾン=季節が終わって、“成熟”というものに飲み込まれて、自分があんなに嫌っていた大人になってしまう、だから逃げるわけですね、駆け落ちものは。その“成熟”が、今は“死”というものに置き換わっている。そしてまたしても逃げようとしている。それでたぶん、今回駆け落ちものが復活してきたんじゃないかなと思います。“僕より先に大人にならないでね”“僕を置いて成長しないでね”という構図は、“僕の手の届かない世界に、僕を置いて先にいかないでね”という意味で“死別”とまったく同じなんです。……ということを、最近インタビューを受けている中でわかってきました(笑)。

――ものすごく腑に落ちました。

そういうことか!と思いました。インタビューって本当に、精神分析ですね。歌詞を書きながら、なんで幼児返りしてるのかな?(信藤さんの訃報が)めっちゃショックだったのかな?とか思ってたんですけど、よくよく考えると“ああ、そういうことか”と最近わかりました。昨日、今日ぐらいにやっと(笑)。

あんなにも輝いていた青春の象徴までもが、死にみつかってしまった。その時に“あ、死がもうここまで来た”という感覚があったんです。

――面白いです。そしてアルバムの最後に置かれた「式日」という曲は、アルバムを締めくくるために最後に書かれた曲ですか。

いえ、これはアルバムを作り始めた時点からありました。「最低なともだち」と同じぐらいの時点で。たぶんこれがアルバムのテーマになるだろうという、今回のアルバムを作るうえでの指針になったのがこの詞でした。

――《もしかしたら/これは 死のはじまり》。もうはっきりとテーマが出てきていますね。

あらためて今見ると、心配になりますよね(笑)。たぶん酔っぱらって夜中に書いたんだと思います。

――言いたいことがはっきりあったんですね。

あの、これは言おうかどうか迷っていたんですが、この曲を作るきっかけになったのはHi-STANDARDの恒岡さんです。恒岡さんが亡くなられた時に、僕はたぶん「式日」の詞を書いているんです。《青春 そのもの》というのは、僕にとってHi-STANDARDのことです。あんなにも輝いていた青春の象徴までもが、死にみつかってしまった。その時に“あ、死がもうここまで来た”という感覚があったんです。僕もまた死ぬだろう、と。このアルバムが生まれたきっかけは信藤さんと、その直後の恒岡さんの喪失です。

――そうだったんですね……。

はい。この話をしていいのか、迷っていたんですけど。

――「式日」というのは日常ではあまり使わない言葉ですけど、これはどこから?

今《これは 死のはじまり》と歌っているところは、当初は“晩年のはじまり”だったんですよ。でも「晩年」という曲は毛皮のマリーズ時代にすでに作っているので(笑)。晩年初日、それを門出の日と捉えて「式日」になりました。

――それがテーマになって、散花とくっついて『式日散花』というタイトルになる。

“別”とか、“離”とか、“死”といった字を使わずに、それが伝わるタイトルにしたくて。「散花」は音の響きもいいし、視覚的にも、日本人はそれだけで別れを連想するだろうし。

――とても意味の深いアルバムだと思います。とはいえ、ポップに楽しめるアルバムでもあるので、そこはご自由にというか。

そうですね。いつもながらポップです。

――リリースツアーを楽しみにしています。そして、この流れだと、来年の今ごろ、漢字四文字のアルバムが出て、「3部作です」と言っているような気もします。

それもいつもながら、来年の自分が何をしているのか、まったく今は想像がつかないです。なにせ、行き当たりばったりなので(笑)。

――ともかく、お元気でいてください。またお会いできる日まで。

本当に、そうですね。みんな、お互いに元気でいましょう。

取材・文=宮本英夫 撮影=森好弘

 

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