福山雅治、映画『アントニオ猪木をさがして』のナレーション&主題歌を担当
福山雅治が、10月6日よりギャガ配給で全国公開される新日本プロレス創立50周年を記念し製作されたドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』のナレーションと主題歌を担当することが決定した。
「元気ですか!?」「馬鹿になれ!」、誰もが一度は耳にしたことのあるアントニオ猪木の発した【言葉】の数々を切り口に“挑み続けた男・アントニオ猪木”の真の姿に迫っていくドキュメンタリー映画である本作の豪華出演者も話題となっている。
現在新日本プロレスのリングで壮絶な闘いを繰り広げている棚橋弘至、オカダ・カズチカ、海野翔太。彼らにとって伝説のプロレスラー・アントニオ猪木とは一体どんな存在なのか。同じく新日本プロレスの田口隆祐と後藤洋央紀は短編映画に俳優として出演、猪木から力を貰った市井のある男の人生ドラマに花を添える。さらに猪木の弟子でもあり、共にプロレスの一時代を築き上げた藤波辰爾、藤原喜明は真の猪木像を証言する。プロレス界以外からも、くりぃむしちゅーの有田哲平、講談師・神田伯山、俳優・安田顕、写真家・原悦生など錚々たる面子が出演する。
また、ラジオパーソナリティとしての顔を持つ福山雅治は、猪木の波乱万丈の人生を、落ち着いたトーンで、時に優しく時に熱く、見る者の心のひだに触れてくるように語りかける。さらに昭和の時代からプロレスファンであり、アントニオ猪木をリスペクトする福山は猪木の入場テーマ曲「炎のファイター」を主題歌「炎のファイター~Carry on the fighting sprit~」として新たにプロデュースし、映画に令和の’闘魂’を注入する。
故郷・長崎から上京し、ピザ屋でアルバイトをしながら自身の夢を叶えるために日々を過ごしていた福山が初めて遭遇した著名人が、アントニオ猪木であったという。今回猪木と福山がアルバイト先で撮影した記念写真も提供された。
その後、芸能界で躍進を続ける福山は、東京ドームライブを開催する際、ドーム興行を何度も成功させていたアントニオ猪木との対談も実現したという。元々プロレスファンとしてだけではなく、人生の転換期での偶然の出会い、その際にかけられた言葉など、福山の人生に少なからず影響を与えたといっても過言ではないアントニオ猪木という存在。本作のナレーションと主題歌の打診をプロデューサーよりされた頃、福山はコロナ後数年ぶりの発声ライブの開催準備など超多忙を極めた中ではあったが快諾したという。
一言一言、確かめるようにそして丁寧に発せられるナレーションは、猪木の言葉と相まって映画を見る者の心に染み入り、深く刻まれていくのが印象的だ。そしてエンディングに流れる主題歌「炎のファイター」を令和の時代に合わせ、アレンジをアップデイト。オリジナルの猪木の発声は残しつつ、時代に応じて常に闘い続けた猪木のファイティングスピリッツ同様に、老若男女を問わず現代(いま)を生きる全ての【闘う】ものの胸を熱くするアンセムにしあがっている。
今作への参加について福山は、30年以上にわたる芸能活動の中でも大きな驚きであり大きな喜びであると語る。福山にとってアントニオ猪木は、物心ついた頃から現在そして未来に至るまで、いつの時代においても最強のスーパーヒーローであると、氏への強い思いを明かしている。
解禁された予告映像には、アントニオ猪木のブラジル時代を知る人の貴重な証言や、生前の猪木VS猛者たちとのファイトシーン、オンオフ含めたショットの数々に加え、彼に影響を受けてきた出演者たちの熱い語りや思いなどで様々な視点・表現方法で構成され、それを福山のナレーションとプロデュースした主題歌でまとめ上げることにより、アントニオ猪木を知る人知らぬ人、全ての人に元気と闘魂が注入される超胸アツの内容となっている。
同時に解禁されたポスタービジュアルは、ティザーと同じアントニオ猪木の横顔写真を踏襲しつつ、その下に本作に出演する出演者の顔写真で構成される。それをベースに猪木がいつも我々に投げかけてくれた「元気ですか?」というシンプルかつストロングなコピーは歯を食いしばって現代を生きる我々に厳しくも優しく問いかけてくる。
福山雅治コメント
この度、映画『アントニオ猪木をさがして』のナレーションおよび主題歌のオファーをいただいたことは、30年以上にわたる僕の活動の中でも、とても大きな驚きであり大きな喜びでした。
僕にとって猪木さんは、物心ついた頃から現在そして未来に至るまで、いつの時代においても最強のスーパーヒーローです。
今作では猪木さんの入場テーマ曲である「炎のファイター」をプロデュースするという大役をいただいたことに、誠に勝手ながらご縁を感じております。
というのも、僕が「音楽で食べていくんだ」という、周りからしてみれば馬鹿げた夢を持って18歳で長崎から上京した直後、東京で初めて出会った著名人が猪木さんだったのです。
当時、新宿区百人町でアルバイトをしていたピザ屋さんのオープン記念に猪木さんがいらっしゃったんです。
その時、集合写真の撮影では図々しくも猪木さんの隣に立たせていただきました。
その写真は僕にとって一生の宝物となっています。
2023年の今「炎のファイター」という楽曲を、54歳の自分がプロデュースし演奏できるということに深い感慨を抱いております。
その喜びと猪木さんへのリスペクトから、今回のレコーディングはいつも以上に気合いが入り、予定していたスケジュールを大幅に超えるほど夢中になって演奏やサウンドディレクションをしていました。
結果、心揺さぶるサウンドに仕上がったと自負しております。
「アントニオ猪木をさがして」。
つまりそれは「自身に受け継がれた闘魂の現在地、そして道行をさがす」ということと解釈しています。
プロレス、ビジネス、発明、政治。
猪木さんの闘魂を源泉とした数々の表現は、これからも僕の心を焚き付け続けることでしょう。