東京交響楽団の2023年10月定期演奏会は、音楽監督ジョナサン・ノット×ヤナーチェク。前半には、数々の作曲家が魅了された悲劇的な愛のドラマ「ペレアスとメリザンド」、後半には、20世紀の傑作のひとつとされる壮大な「グラゴル・ミサ」をもっとも複雑で大オーケストレーションで描かれた「Paul Wingfieldによるユニヴァーサル版」で臨む。10月14日(土)ミューザ川崎シンフォニーホール、10月15日(日)サントリーホールにて行われる本公演について、ジョナサン・ノットのインタビューが到着した。
――交響的組曲「ペレアスとメリザンド」とヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」を今回の公演で組み合わせた理由について教えて下さい。
2つの作品には神秘性があります。まず、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」は、3人の登場人物が避けようにも避けられない運命論を描いています。彼らはどうして出会わなければならなかったのか。その出会いを導いた森の神秘性。それでいながら、とても人間くさい。神秘性と運命論的なものが同時進行していくのです。
一方、ヤナーチェクのミサ曲には、彼ならではの世界観が見事に反映されているんです。モーツァルトなど、われわれが一般的に想像するするミサ曲と違い、ロマンティックでありながら、どこか官能的。そして、氷のようにクリアで、独特な和声がそこにはあります。透明で冷たい青い水のような世界ですね。その和声と綾をなすように、スラヴの言語がそこに入ってくるんです。それらとスピリチュアルなものが絡み合って出来ている作品です。
前半のドビュッシー作品では言葉を一切使わず、歌手は登場しません。言葉のない世界で、オーケストラだけでどうやって物語を奏でるのかをぜひ耳にして欲しいのです。
プログラム後半では、東響コーラスのすぱらしい力量をフルに発揮していただきたいと思っています。合唱団を率いる冨平さんはたいへんに難しい曲だと言ってましたが、オーケストラにとっても複雑な作品なんです。それを可能にする技術を東響は備えています。このヤナーチェクを東響と一緒にやる時期が今まさに来たというわけです。
――ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」には、すでにいくつかの演奏会用の組曲版があります。演奏にあたって、それを使うことなく、ご自身による編曲を行った理由などを教えて下さい。
若いころもっとも好きなオペラ作品でした。大学に入ると仲間の歌手たちと一緒に公演もやるほど、いつも聴いてましたし。全曲を指揮しろと言われればすぐにでも喜んで指揮できるくらいですよ。珠玉の音楽が散りばめられたオペラですが、そのなかには舞台転換のための間奏曲も含まれています。
名場面を集めた編曲をコンスタンは行っていましたが、それらの間奏曲を省略しています。アバドやラインスドルフによる編曲も、間奏曲の多くがカットされているんです。でも、その間奏曲はライトモチーフで構成されているんですよね。間奏曲を分析すると、感情がどのように動いていくか、3人の登場人物の感情の変化が見事に間奏曲のなかに描かれている。それを抜くと意味をなさなくなってしまうわけです。
この曲をスイス・ロマンド管で演奏しようとしたとき、一緒にシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」を取り上げたのです。こちらも刺激的な作品で、やはりライトモチーフで構成された作品なんですよ(写真)。シェーンベルクのように時系列に沿ってライトモチーフをたどりながら進めていくことをドビュッシーでもやってみようかと思ったわけです。音符はほとんどドビュッシーの原曲のままで、繋ぎや声楽の部分をちょっとだけ変えました。
――なるほど。シェーンベルクの方法論を用いて、このドビュッシーのオペラを交響組曲に仕立てあげたというわけですね。音楽だけでストーリーがすべてたどれるという。
ライトモチーフのリストも作ったんです。メーテルリンクの原作では、運命がすべて円のようにぐるぐると回っていきます。冒頭部分、先の見えない運命を象徴するのが森。そこでゴローとメリザンドが出会う。多くの編曲では、ゴローとメリザンドが愛し合っているというところが飛ばされてしまっています。ゴローがあれほど嫉妬深いのは、メリザンドを本当は愛しているからだということを示す必要があるので、ここは省略することはできないんです。ワーグナーと同様に、ドビュッシーも音楽だけで物語を語っています。それを浮き彫りにしたいと思ったのです。
ワーグナー作品のライトモチーフも全部表にしているんですよね(写真)。神々、ワルキューレ、あるいは権力に属する者などを色分けして分類しています。これと似たようなことをペレアスでもやったのです。
――ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」は、いくつかの版があります。最終稿ではなく、原典版に準拠したユニヴァーサル版を使う理由を教えて下さい。
3つの版がありますね。作曲家にとってどれが決定版なのか、わかりにくいのは確かですが、このユニヴァーサル版がもっとも複雑であることは間違いありません。たとえば、序奏では3つのパートが5/8拍子、7/8拍子、3/4拍子で演奏するんです。
のちに作曲家はこの部分をすべて3/4拍子で演奏するように書き換えました。複雑すぎたために、本当はやりたかったことをやらず、あるいは楽器を変えるといったようなことはブルックナー時代からあったことなんです。もし現在の楽器や演奏技量があったら変えることはなかったはずです。
そう、いいオケがそこにあるのだったら、この複雑な版を使わない手はないんです! なにしろ、東響はショスタコーヴィチのあの楽章(交響曲第10番の第2楽章)をあんなに速く、性格をきちっと出せるオーケストラなんですから。
そして、この版では冒頭のイントラーダが最後にもう一度繰り返されます。シンメトリックな構造なんですよね。ドビュッシーの「ペレアス」の円環構造とも共通するところがあります。
――このヤナーチェクのミサは宗教曲とみなしていいのでしょうか。
ヤナーチェクは最初は合唱団で歌を歌っていました。そして、教会のオルガニストになります。彼は皮肉屋で、宗教嫌いだったという人がいますが、好きじゃなきゃそういう道を進もうとは思いませんよね? 彼の音楽に宗教的な要素が少しずつ入り込んでいても不思議ではない。音楽には、つねに様々なジェスチャーが織り込まれるものですよね。
ミニマリスティックな構成のなか、透明感のある明るい光の感覚もあります。そういったものを考えた場合、たとえばアニュス・デイなどは、とてもエモーショナルで、フォーレの「レクイエム」との共通項も感じずにはいられないのです。そして、彼がオペラの作曲家であったということも忘れてはなりません。とても人間らしい、寛大な心を持った人が出てくるような作品を書いています。彼のオペラを分析すると、やはりそこに彼の人間観が現れているわけです。
ショーペンハウエルは、神はわれわれのなかにいる、と言ったのですが、それに通じるような精神を感じます。どこか特定の宗教ではなく、内側にスピリチュアルなものがあり、それが非常に明確にクリアなものとして外側へ出てきた作品なのではないでしょうか。ベートーヴェンの「ミサ・ソレニムス」も完全な宗教曲とはいえませんが、その感覚に近いものを感じます。
――この曲の日本初演を行ったのは東京交響楽団です。1972年にコシュラーの指揮だったのですが、それ以降取り上げられることはなく、今回はこの楽団では半世紀ぶりの演奏となります。御存知でしたか?
ワオ! 知らなかった。これはすごい驚きですね。ヤナーチェクは本当に面白い作曲家なんですよ。オペラを含め、今後も取り組んでいきたいものがたくさんあるんです。
取材・文=鈴木淳史(音楽評論家)
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