岡本誠司
2021年のミュンヘン国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝した岡本誠司は、現在、ドイツのクロンベルク・アカデミーで研鑽を続けている。また、多彩なソロ活動のほか、反田恭平率いるジャパン・ナショナル・オーケストラでは中心的な存在として活躍している。
この10月に東京と奈良で開催される『岡本誠司リサイタルシリーズ Vol.3』では、ピアニストの北村朋幹を迎え、ブラームスとシューマンの円熟期のソナタを披露する。
――現在は、ヨーロッパ屈指の音楽アカデミーである、クロンベルク・アカデミーで研鑽を積まれているのですね。
クロンベルク・アカデミーであと1年学ぶ予定です。クロンベルクで、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で師事したアンティエ・バイトハース先生に引き続き、学んでいます。また、ハンス・アイスラー音楽大学ではヴァイトハース先生のアシスタントとして先生の門下生を教えたりもしています。
クロンベルク・アカデミーでは、ヴァイオリンだけでなく、ピアノのアンドラーシュ・シフさん、クリストフ・エッシェンバッハさん、ヴィオラのタベア・ツィマーマンさん、アントワン・タメスティさんら、第一線で活躍されているレジェンド級のアーティストのマスタークラスも受講し、ピアノのキリル・ゲルシュタインのマスタークラスでは、一緒にヴァイオリン・ソナタを演奏して、アドバイスをもらったりもしました。ここ数年、私にとって、クロンベルク・アカデミーはとても大きな存在で、成長の材料になっているので、もう1年続けることにしたのです。
昨年、クロンベルク・アカデミーに、学校のホールができまして、アカデミーのフェスティバルには豪華なアーティストが集います。私は昨年、ヨーロッパ室内管弦楽団とバッハの二重協奏曲を共演し、今年は、ピンカス・ズッカーマンさんとモーツァルトの弦楽五重奏曲を一緒に弾くのを楽しみにしています。また、クロンベルクでの出会いがきっかけで、エッシェンバッハさんに推薦していただき、今年の5月に、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の定期演奏会に招かれ、エッシェンバッハさんの指揮で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾き、ベルリンでの本格的なデビューを果たしました。
――「岡本誠司リサイタルシリーズ」もVol.3となりましたが、今回のプログラムについて教えていただけますか?
このリサイタルシリーズ、Vol.0では、反田恭平さんとブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番を共演し、CDも録音しました。Vol.1では反田さんとシューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番、シューマンとブラームスとディートリヒの合作である「F.A.Eソナタ」、Vol.2では務川慧悟さんとシューマンの「幻想小曲集」を演奏するなど、シューマンとブラームスを中心に取り上げてきました。
そして今回のVol.3では、ブラームスが40代半ばで書いたヴァイオリン・ソナタ第2番と第3番、そして、シューマンは、充実の年であった1849年の「民謡風の5つの小品」とその2年後の1851年のヴァイオリン・ソナタ第2番を取り上げます。シューマンにとっては過渡期といいますか、作風が変化しますが、これらの作品はまさに彼らの円熟のときに書かれたもので、今回は、ある意味、シリーズのクライマックスといえるかもしれません。
そのあと、Vol.4は、ブラームスのクラリネット(ヴィオラ)・ソナタ、シューマンのヴァイオリン・ソナタ第3番と「おとぎの絵本」という、彼らの最後の言葉というべき、重みをもったプログラムとなります。最後のVol.5では、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを演奏します。
2021年6月に開催された『岡本誠司 リサイタルシリーズ Vol.1~自由だが、孤独に~』リサイタルの模様(撮影=中田智章)
――では、まず、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番から聴きどころを教えてください。
歌曲の要素の強い作品です。ブラームス自身の歌曲の引用があり、彼にとって意味深い歌詞のモチーフが抜き出されていたりします。たとえば、第1楽章第2主題は作品105の歌曲のメロディと類似しているといわれます。勇壮なチェロ・ソナタ第2番やピアノ三重奏曲第3番と同じ夏に書かれました。それらと対比して、ヴァイオリン・ソナタ第2番は谷間の花というべき美しい曲です。温かみがあるが、どこかもの寂しい、どこか儚気な、彼のパーソナリティが表れています。3曲のなかで最も短く、軽くみられることもありますが、実は、ブラームスの個人的な内面が詰まっています。
――ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番はいかがですか?
ヴァイオリン・ソナタ第3番は、ほの暗く、どこか焦燥感があり、ここではないどこかに走っていくような不安感があります。
第1楽章の展開部は、不安で震えている心臓の鼓動のような部分もあります。第2楽章は歌曲のような美しいニ長調の短い緩徐楽章です。この作品のなかでのオアシス的な部分、唯一の幸せな瞬間です。第3楽章は「コン・センティメント(感情をこめて)」と記されているように、感傷的でありながら、メランコリーをはらんでいます。第4楽章は、感情が爆発し、情熱的に駆け抜けていきます。そして、嵐のさなかのように終わります。
ヴァイオリン・ソナタの第2番と第3番では大きな対比があります。一輪の花を愛でるかのような繊細さと北ドイツの厳しい自然のような荒々しいエネルギーとの、ブラームスが生涯にわたって持ち続けていた二面性が表れていると思います。
――シューマンの「5つの民謡風の小品」は、もともとチェロとピアノのための作品ですね。
「5つの民謡風の小品」は、フロレスタンとオイゼビウスの健全な二面性をはらむ、彼がまだバランスの取れた作品を書いていた頃のものです。ハンガリーやドイツの民謡・民俗的音楽の影響も感じられます。とても勇壮であると同時にやさしく平和な、自然のなかで自然に歌うような、シューマンらしい作品です。
ヴァイオリンで弾くことに関しては、シューマン自身の編曲があるので、免罪符は得ていると思います(笑)。調性はそのままですし、大きな変更はありませんが、繰り返しをフラジオレットで弾くようにするなど、ヴァイオリンの良さを活かそうとしているところもあります。
――プログラムの最後が、シューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番です。
第1番と同じ年に書かれていて、2つのソナタはなんと1か月半くらいの間隔ですが、第2番の方が圧倒的に内容が深く、なおかつ、より混沌としています。第1番は比較的コンパクトで落ち着いて聴けますが、第2番はそこから先の世界を見させられます。
第2番は、第1楽章冒頭から衝撃的ですし、本当に複雑に書かれていて、同時にシューマンの衝動性も顕著に表れています。ニ短調ということでいいますと、バッハの「シャコンヌ」のピアノ伴奏版の編曲に取り組んでいたのもこの時期で、同じニ短調の交響曲第4番の改訂も行いました。2年後のヴァイオリン協奏曲もニ短調で書いています。彼の中での運命的な調といいますか、晩年のシューマンを象徴する調性だと思います。力強く、エスプレッシーヴォな表現であると同時に、心ここにあらずの瞬間、森に迷い込んだように先が見えない瞬間もあります。
第2楽章スケルツォはロ短調。覚醒したかのように書かれていますが、楽章終盤の「常に弱くなり続けていく」という表現をどう演奏するのか。力強さからの離脱といいますか、弱っていくシューマンという部分も表れています。
第3楽章はコラールから主題がとられているといわれる緩徐楽章。それが心のよりどころか、記憶としての温かみかは解釈が分かれるところですが、人間的な温かみのある楽章だと思います。終わり方が「この時間が永遠に続けば幸せ」と思わせられます。
第4楽章で現実に戻されます。迷い、焦りのある楽章。最後はニ長調で閉じられますが、曇っていたのが晴れるというのではない曖昧さ、見たいけれど見えない景色、あるいは、すべてが幻想の世界かもしれません。何はともあれ、実際の幸福とは対極にあるような結論なのかなと思います。
ヴァイオリンもピアノも弾き易くはない楽譜のなかで、せめぎ合うといいますか、その摩擦こそがシューマンの魅力でしょう。ヴァイオリン・ソナタ第2番はその典型です。心地よくでは終わらない、それを目指していない、質感のある、噛み応えにある作品だと思います。
――今回は北村朋幹さんとの共演ですね。
北村さんは、ドイツに住んでいて、ブラームス、シューマンなどドイツ音楽(それだけではありませんが)を求道的に突き詰めている、作品の本質に迫ることに重きを置くピアニストです。このプログラムで、僕自身、彼とどこまで深みに達することができるのか楽しみなのです。
実は、5年半前、ベルリンと東京で初めて共演し、このシューマンのヴァイオリン・ソナタを演奏しました。そのときトッパンホールでは第2番だけでしたが、その直前のベルリンでのコンサートでは、第1番と第2番を弾きました。そして、彼のシューマン観にはすごく惹かれましたし、近い考えを持っていると思いました。ですから、今回のプログラムは是非、北村さんにお願いしたいと思いました。充実しているプログラムで、デュオとしての演奏も楽しんでいただけると思います。
――岡本さんは、ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)の活動にも積極的に参加しておられますね。
JNOは今年で3年目を迎えていますが、私はその前段階(MLMダブルカルテット)からいます。アンサンブルの一体感や音楽の共有が深まったと思います。そして、ツアーの規模も大きくなり、活動の軸が広がって、うれしく思っています。
――奈良での活動にも力を入れておられますね。
JNOは、奈良を拠点とした音楽活動を行っているので、奈良県内で一般向けの街角での演奏、若い世代に向けてのアウトリーチやマスタークラスなどをひらいています。先日も、奈良県内の学生さんたちにレッスンをしてきました。
個人的にうれしいのは、若い客層が増えていることです。クラシック音楽は、わかりやすい魅力的なメロディだけでなく、その先に底なしの深い魅力があり、そこを一番伝えたいと思っています。クラシック音楽の核の部分を残しながら、一つのものを深めていく面白さを提供していきたいのです。その深みにはまっている音楽家を見るだけでも気づいていただける部分があると思います。
先日もアウトリーチで、ブラームスのピアノ五重奏曲全楽章を取り上げました。そしてコンサートのあとには楽器ごとのワークショップもしました。まっさらな子どもたちにすごいものを見てもらうことでもっと面白さが伝えられるのではと考えています。誰かが何かに本気で取り組んでいることが、一番、人の心を動かすし、すごいと思ってもらえるのではないでしょうか。
――今回は東京だけでなく、奈良でもリサイタルされるのが楽しみですね。最後に公演に向けての抱負をお願いいたします。
今回、本気のプログラムに北村さんをお迎えして、シューマンとブラームスという、ドイツ・ロマン派の二人の作曲家の熟した時期の傑作を一緒に味わい、皆様と時間を共有することができれば、私としても幸せです。その世界に身をゆだねて楽しみましょう。
取材・文=山田治生 撮影=池上夢貢