大阪交響楽団ミュージックパートナー 柴田真郁 (c)飯島隆
大阪交響楽団の2022年度シーズンに、ミュージックパートナーに就任した指揮者 柴田真郁。就任記念の『第261回定期演奏会』(2023年2月5日(日) ザ・シンフォニーホール)では、ドヴォルザークの歌劇『ルサルカ』を演奏会形式、原語チェコ語で上演。その演奏は心が震えるほど素晴らしく、コロナ明けのザ・シンフォニーホールでは、おそらく初めて、拍手に加えブラヴォーが叫ばれる感動的な演奏会となった。
次々とオペラの注目作を成功させて、オペラ指揮者としての揺るぎない評価を獲得した感のある柴田真郁が、大阪交響楽団の2023年度シーズンに採り上げるのは、モーツァルトの「レクイエム」を中心とし、交響曲も交えたプログラムと、演奏会形式によるラヴェルのオペラ『子供と呪文』。「今回はラヴェルのオペラを、音楽中心にお聴き頂きます。そして、オペラ以外のシンフォニーや宗教曲を指揮させたら柴田真郁はどうなのか(笑)?! ぜひお聴きください!」と話す。
大阪交響楽団のミュージックパートナーとして2年目シーズンの出番が間近に迫った柴田真郁に、あんなコトやこんなコトを聞いてみた。
柴田真郁が指揮するシンフォニーや宗教曲もお聴きください 撮影=H.isojima
●レヴィン版のモーツァルト「レクイエム」の真価を問う絶好の機会です。
――今シーズンは、ここまで柴田さんの出番は無く、11月の名曲コンサートが主催公演の初登場となります。モーツァルトの「レクイエム」というと、弟子のジュスマイヤーが編集した版を使うことが多いのですが、柴田さんは今回、レヴィン版を使われるそうですね。
レヴィン版を使用するのは初めてです。ジュスマイヤー版は10回ほど指揮していますし、学生時代から数えると30回近く合唱で歌って来ました。レヴィン版が発表されたのが1991年なので、ヨーロッパではそこそこ演奏される機会が増えたとはいえ、日本ではまだまだ浸透していません。
今回初めて、レヴィン版のモーツァルト『レクイエム』を指揮します (c)T.Tairadate
――そう言えば柴田さんは、指揮科ではなく声楽科のご出身でしたね(笑)。ジュスマイヤー版とレヴィン版ではどこが違うのでしょうか。
ロバート・レヴィン氏は音楽学に加え、古楽奏者として即興演奏にも定評のある人物です。モーツァルトの弟子であるジュスマイヤーの残した功績を認めながらも、一部の楽典上の間違いや、構成上の問題点を明らかにして、より一層モーツァルトの最高傑作「レクイエム」の音楽的完成度を高めようと手を施しました。特に、モーツァルト自身が残した多数のスケッチを再度見直し、失敗作として破棄されていたアーメン・フーガを第8曲「ラクリモーサ(涙の日)」の後に配したことは、ジュスマイヤー版との最大の違いとなっています。
「ラクリモーサ」に続いて演奏されるアーメン・フーガにご期待ください
――ジュスマイヤー版では「ラクリモーサ」の最後をアーメンで美しく終えています。そんな中で、アーメン・フーガは果たして必要なのか、疑問に思っていましたが、レヴィン版を聴くと上手く書き換えられていて、素敵だと思いました。
実際にモーツァルトが書いているメロディは一部に留まりますが、モーツァルトの音楽様式を熟知しているレヴィン氏だから成し得た技だと思います。実はヨーロッパで、レヴィン氏の講演を聞いたことがあります。確信に満ちながらも、決して出過ぎない方という印象を持ちました。彼の補筆完成版も、従来のアーティキュレーションにはあまり触れずに、スケッチを大幅に発展させる事もなく、リアリティを持った処理がなされていて好感を持ちました。この機会に一度、レヴィン版の「レクイエム」をお聴きください。
この機会にレヴィン版の『レクイエム』をお聴きください (c)飯島隆
――「レクイエム」のソリストは、4人ともオーディションで決まったそうですね。
当初の予想をはるかに上回る150名以上の応募があり、丸1日がかりのハードなスケージュールで全員の歌を聴かせて頂きました。そして選んだソリストなので、私としては絶対の自信を持っています。ソプラノの中川郁文(いくみ)さんは、小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト2023『ラ・ボエーム』でミミを演じています。オーディション会場で聴いた声がノーブルで雑味が無く、教会で聴いているかのように錯覚をしたほどでした。パワーも技術も申し分ありません。アルトの山際きみ佳さんは注目度ナンバーワンのアルトだと思います。ベルカントの基本が出来ていて、素晴らしいです。テノールの渡辺康さんは完全にオペラの人です。彼くらいブリランテでオペラチックな声がテノールに入ると、全体を引き締めることになるので素敵だと思います。バスの田中大揮(たいき)さんは唯一、一緒にオペラを共演したことがあります。下の響きがキチンと出るバス歌手は、なかなか日本では貴重ですが、彼は声量もあり、レガートに歌えるので、ここに入っていただきたいと思いました。
中川郁文(ソプラノ) (c)Masaaki Hiraga
山際きみ佳(アルト)
渡辺康(テノール)
田中大揮(バス)
――大阪響コーラスはいかがですか?
実に秀逸で、素晴らしいです。これは合唱指揮の中村貴志さんの尽力によるところが大きいと思います。中村さんはご自身が作曲家でもあり、スコアの読み込みが深いですしハーモニー感が素晴らしい。そして、団員に向けた指導が徹底されていて、今の時代あそこまでまとまるのは見事というほかはありません。中村さんとは絶大な信頼関係で結ばれていて、合唱に関しては何も心配はしていません。
大阪響コーラスは実に秀逸です
合唱指揮の中村貴志さんとは絶大な信頼関係で結ばれています
中村貴志:これまで自分が指揮をしたり、合唱指揮を担当したりで、モーツァルトの「レクイエム」を10数回ほど取り組みましたが、すべてジュスマイヤー版でした。今回初めてレヴィン版を採り上げる事となります。他にもモンダー版やランドン版が有名で、鈴木優人さんの版もあります。レヴィン版はジュスマイヤー版を基礎としていますが、モーツァルトならこうしただろうというレヴィン氏の予測のもと、アーメン・フーガの追加や、オザンナ・フーガの拡大など、随所に大胆な変更があり、どの版よりも刺激的です。ぜひ、ジュスマイヤー版と比べて聴いてみてください。
大阪響コーラスの本番指揮者(柴田真郁)を交えた練習風景
再び、柴田真郁への質問を続けよう。
――レクイエムと一緒に演奏される曲も紹介してください。
1曲目に、交響曲の父と言われるヨーゼフ・ハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドンの交響曲第39番を演奏します。ミヒャエルはモーツァルトと大変親交があり、モーツァルトの作品の手直しなんかもしていたそうです。交響曲第39番はモーツァルトの最後の交響曲第41番「ジュピター」と同じハ長調で書かれています。細かく見て行くとミヒャエルの39番がジュピター交響曲に多大な影響を与えたことが判ります。そして2曲目に、映画『アマデウス』でお馴染みのモーツァルトの交響曲第25番を演奏します。この曲は、私にとって特別な曲です。初めてこの曲を聴いた時に第1楽章冒頭、「ソ・レ・ミ・ファ」のシンコペーションの音型に衝撃を受けました。最初の4小節の後、どう展開させていくのか、その先に何が有るのか、全く予測不可能なミステリーを感じ、魂を揺さぶられた思い出があります。ベートーヴェンの『運命』冒頭のハ短調 「ソソソミ、ファファファレ」よりも、私には衝撃的でした。
大阪交響楽団 (c)飯島隆
――モーツァルトの短調、特にト短調は特別な調性と言われています。
そうですね。ただ、交響曲第25番に関しては、第1楽章に登場するト長調やハ長調といった別の調性によって、ト短調の悲哀を帯びた響きが引き立てられているように思います。脇役が上手いと主役が映える、みたいな感じでしょうか。私は個人的にモーツァルトと言えば、雄弁でリズミックな変ホ長調が好きです。交響曲第39番や協奏交響曲、ピアノ協奏曲第22番など、代表曲に変ホ長調は多いです。モーツァルトは心理描写や情景描写を、調性を考えて作っている所が凄いと思います。それと日本と外国では、調性の感じ方も変わるのではないでしょうか。湿気の多い梅雨時や、真夏には25番の交響曲や「レクイエム」は絶対にやりたくないです(笑)。
大阪交響楽団ミュージックパートナー 柴田真郁 (c)T.Tairadate
――モーツァルト「レクイエム」に関して、メッセージをお願いします。
やはりこの機会にレヴィン版のモーツァルト「レクイエム」を聴いていただきたいです。アーメン・フーガがお気に召すといいのですが。柴田真郁と言えばオペラ指揮者のイメージが強いのではないでしょうか。その事自体は嬉しい反面、私のシンフォニーはどう評価されているのか気になります。また、オーケストラ、ソリスト、合唱と、オペラと同じ構成のオラトリオやレクイエムといった宗教曲はどうなのでしょうか?! 大阪交響楽団の名曲コンサートは1日2回開催されます。モーツァルトの「レクイエム」をマチネとソワレの2度聴いてみてください。人生観が変わると思いますよ(笑)。
モーツァルト『レクイエム』を1日に2度聴くチャンスです
●戦争が絶えないこんな時代だからこそ『子供と呪文』を聴いて頂きたいのです。
――今シーズンの定期演奏会は、2024年2月の『第269回定期演奏会』で昨年同様にオペラの演奏会形式シリーズということで、ラヴェルの『子供と呪文』を指揮されます。昨年のドヴォルザーク『ルサルカ』の評判が良かっただけに、楽しみにされている方も多いと思います。
ラヴェルがよく「色彩の魔術師」と言われますが、ドヴォルザークもそれに引けを取らないほど、沢山の楽器を使い、独自のリズムやハーモニーを多用した、実に鮮やかな作曲技法を駆使した作曲家です。曲のメリハリひとつで音楽は全然違ったものになります。『ルサルカ』はオーケストラと合唱の皆さんが、私の指揮に忠実に応えて頂いたことで、そんな魅力を上手く引き出せたと思います。そしてソリストの皆さんが素晴らしかったですね。森谷真理さんは流石の歌唱でしたし、ただいま売り出し中の砂田愛梨さんも期待に応えてくれました。福原寿美枝さん、田中由也さん、晴雅彦さんといった関西勢もそれぞれの持ち味を発揮され、素晴らしい演奏になりました。
第261回定期演奏会 柴田真郁ミュージックパートナー就任記念 ドヴォルザーク歌劇『ルサルカ』演奏会形式(2023.2.5 ザ・シンフォニーH) 写真提供:大阪交響楽団
ドヴォルザーク歌劇『ルサルカ』出演者と音楽スタッフ(2023.2.5 ザ・シンフォニーH) 写真提供:大阪交響楽団
――そして迎えるオペラの演奏会形式第2弾がラヴェルの『子供と呪文』です。このオペラ、『子供と魔法』と表記されるケースも多いように思いますが。
『子供と呪文』としたいですね。悪戯好きな子供が発する「ママ」という言葉、これが呪文なのです。このオペラは、自分が傷つけた周囲の物や生き物たちから仕返しをされた子供が「ママ」の一言を呪文のように唱えて、優しさに包まれていくファンタジックなオペラです。ただ、メルヘンの世界の出来事だと見ることも出来ますが、今の世界情勢を関連付けて見ていただく事も出来ます。子供が壊した大時計やティポットからの逆襲や、破った壁紙によって、愛を引き裂かれたと嘆く羊飼いの男女。踏みつけた教科書から現れた老人は意味不明で支離滅裂な言葉を子供にぶつけます。まるで言葉の暴力のように。最後に、傷ついたリスを、子供が身に付けていたリボンで手当てをした後、意識をなくすのですが、その瞬間に周囲のモノが子供を褒め称えて、母親のもとに子供を連れて行きます。
子供が発する「ママ」という言葉、これが呪文なのです (c)飯島隆
――なるほど。そう思って見ると、色々と示唆に富んでいて、また違った楽しみ方が出来るオペラですね。このキャストもオーディションによる選出ですか。
こちらは私が選んだキャストとなります。世界で活躍している脇園彩さんに主役をお願いしました。母親他を演じる十合翔子さんとティーポット他の荏原孝弥さんは共に、新国立劇場オペラ研修所の19期生で、私も良く知っていて直ぐに名前が浮かびました。鈴木玲奈さんの演じる火、王女、ナイチンゲールは大変な3役ですが、彼女なら出来ると期待を込めて選びました。大時計と猫は、力強い声が魅力の井出壮志朗さんが適役ですし、山下裕賀(ひろか)さん、湯浅貴斗(たくと)さん、三村浩美さんもそれぞれに適材適所だと思います。児童合唱(ふくろう)は、堺市少年少女合唱団・堺リーブズハーモニー。合唱はもちろん中村貴志さん率いる大阪響コーラスです。
脇園彩(メゾソプラノ) (c) Studio Amati Bacciardi
十合翔子(メゾソプラノ) (c)FUKAYA/auraY2
鈴木玲奈(ソプラノ)
荏原孝弥(テノール) (c)FUKAYA Yoshinobu auraY2
山下裕賀(メゾソプラノ) (c)FUKAYA/auraY2
出井壮志朗(バリトン)
湯浅貴斗(バス)
三村浩美(ソプラノ)
――前半のプログラムは、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」とラヴェルのマ・メール・ロワです。
パリ・オペラ座より子供のためのバレエ作品を依頼されたコレットは、『子供と呪文』の台本を完成させ、ポール・デュカスに作曲を依頼しますが断られ、ラヴェルに依頼することになります。そんなデュカスの代表曲で、このコンサートを彩るに相応しい「魔法使いの弟子」を選びました。ディズニー映画『ファンタジア』でもお馴染みの曲です。もう1曲は、ラヴェルのマ・メール・ロワ。マ・メール・ロワとは、マザーグースのこと。子供向けの4手のピアノ連弾組曲として作曲された作品を、ラヴェル自身が管弦楽版として編曲したものを演奏します。どちらも『子供と呪文』に合わせるのに相応しい曲だと思いませんか?
前半のプログラムも自信を持ってお勧めします
――最後にメッセージをお願いします。
『子供と呪文』というオペラの中で、子供が駄々をこねて、色々なものを壊します。時間の経過の中で、それらから逆襲を受ける子供を見て、バカだなと言う前に我々大人は、自分たちが住んでいる地球が危険な状況にあることに気付くべきだと思います。このファンタジー・リリックオペラは非常に示唆に富んでいます。愚かな戦争を繰り返す我々には、子供が唱える「ママ」と言う呪文に気付くことが出来るのでしょうか。前回の『ルサルカ』に負けない、感動的なオペラをお届けいたします、ご期待ください。
モーツァルト『レクイエム』とラヴェル『子供と呪文』にご期待ください
取材・文・撮影=磯島浩彰