ヒグチアイ 撮影=ハヤシマコ
ヒグチアイが、テレビ東京系ドラマ『初恋、ざらり』エンディングテーマ「恋の色」、映画『その恋、自販機で買えますか?』主題歌「自販機の恋」、映画『女子大小路の名探偵』主題歌「この退屈な日々を」と、ラブソング三部作を立て続けにリリースした。これまでもなにげない日常や恋愛を独自の視点で捉え、歌に変えてきた彼女だが、今回の三部作はそれぞれどのような想いが込められているのか。ヒグチアイを追いかけ続けている、大阪のラジオ曲・FM802のDJ 仁井聡子が楽曲についてはもちろん、恋愛観についてじっくりと話を訊いた。
思っていることは、ちゃんと言葉にしないと伝わらない
ーーラジオでインタビューさせていただいて、やっぱり言葉の人なんだなっていうのを改めて感じました。
ありがとうございます、嬉しいです。
ーー思ったことを口にできるかは、その人が持ってる特性だと思うんですね。というのも、私は昔から思ったことをすぐに口に出しちゃうタイプなんだけど、私の子供は全くそれができなくて。私から生まれた人でも全然違っているし、言葉にできなくても別の方法で表現する人が世の中にたくさんいますよね。ヒグチさんは音楽で表す人でもあり、 しっかりと言葉にして話せる人なんだなというのが、ラジオのインタビューでもすごくよくわかって。
そうですね。 最近『ゲド戦記』を読んでて、「相手に何かを聞きたいと思うなら、黙っている」というような話が出てきたんです。 確かに相手の話を聞きたい時に黙ってるのは大事だなと思うんだけど、 私は言わないと伝わらないことばっかりじゃんって思うというか……。「言い訳しない」と言われることもあるけど、私は言い訳してくれないと、どうしてそうなったのかということがわからないから、喋ってほしいと思うんです。「自分が悪いから何も言わない」とか「ごめんね」だけではあなたの気持ちわかりませんよと。 だから私は全部言葉にしたいし、言い過ぎてたり言い訳っぽくなったり、説教臭くなったりするかもしれないけど、 全部言葉にすることで解決できるものだと思ってるんです。だから思ってることも全部を言葉にして歌っちゃうし、理屈っぽいような曲も多いのかもしれません。
ーー恋愛面でいうと、長くお付き合いをしている関係なら「言わなくてもわかるよね」ということがよくあると思うんですけど、そのあたりはいかがですか?
絶対そんなことないですよ。 例えば、「なんか探してんな」と思って、ティッシュを取る、みたいなのはありますよ。だけど、2人の間で何かが起きた時に、 絶対に「あの頃」に比べて相手も自分も変わってるはずだから言葉にしないとわからないことがあると思います。付き合っているということは、出会ってお互いいいなと思い合ったから一緒にいるものだけど、一緒にいるためにだんだんお互いが形を変えているはずで、同じ距離感でいるなんて無理なはず。だから、一緒にいるために相手が削ったところだったり、形を変えてくれたところも言葉にしないと、気付けないままで、つまりそれはなかったことになっちゃってると思うんですね。私は相手が変えてくれたことに対して、全部ちゃんとありがとうも言いたいし、ごめんねも言いたいし、 1回1回確認していきたい。変わったところがどうなのかというよりは、「ここを変えたり、こうしてくれたことに気づいてるよ」に対してのありがとうだったり、「これは私が変えたとこだから気づいてほしい」だったり。そうやって変化したことや起こったことを全部確認して、私は進んでいきたいんです。めんどくさい人からすれば、すごいめんどくさいと思われると思うけど。
ーーそれは相手にも望みますか?
望みます。ありがとうとごめんねの繰り返しでしかないと思うので、そういうことを気づいていても言葉にして言わないと、無いことになると思っちゃう。それはつまり、あなたは全く気づいてない、と。だから押し付けがましくても絶対に言うべきだと思うし、全部ちゃんとその場で終わらせていってほしい、と思っちゃう。
ーーでも「わかるだろ?」みたいなこと言う人もいません?
そういう人とは一緒にいたことないですね。「わかるから何?」って感じ。わかったとして、あなたは努力をしてくれたことが私にわかるようにちゃんと行動してくれたのか、と思う。しっかり私にやってくれことを伝えて、私にもちゃんと背負わせてほしいというか……何も言ってくれなければ、あなたがやってくれたことに対して私が何もやらなくていいことになっちゃうよと。あなたがしてくれたことは私も背負うべきことで、私がありがとうと伝えることで、初めて2人のものになる。そうやって、ひとつひとつ終わらせとかなきゃいけない感じがするんですよね。
ーーそうできたら、本当にいいですよね。
そうできないものですかね?
ーー「わかってるでしょ」という感情もないまま、長年の恋とか愛とかで惰性で「わかるよね」みたいなところで、スルーしてしまう場面がすごく多くなる気がします。
私は10年、20年と一緒にいた人がいないので、そこはわからないですけれど……今まで1番長くいた人とのことで考えてみると、私の場合は相手に言わせるようにもしてます。相手に仕向けるというか、 それを言わせることで、私はこれについて終われる、という。この洗い物をしたこと、洗濯をしたことに対して「ありがとう」と言ってもらえば、これについてはゼロになって、また次から1を積み重ねていけるかなと。なので、 あまり押し付けがましくならないように、機嫌良く「やっといたよ!」と言うようにしてます。それで、「ありがとう」と言ってもらえれば終われる、みたいな。
ーーすごい重要!
それが自分にとっても楽なことに気づきましたね。
ーーそれ、大事ですね。
大事だと思います。友達の夫婦を見ていても、家族みたいな感じになると、「これはこの間も買ったでしょ!」と奥さんが旦那さんに強めに言ったりしているところもあって。そういうやりとりを見ていると、私は家族になれてないからまだそんなふうには言えないのかなとか、思ったりもします。私はこれまでもずっと気を遣って生きてきて、それが人間関係においては大事なことだとはわかってるんです。だけど、そうやって相手のテリトリーも自分のテリトリーだと思える関係になったことがないので、家族になればそう思えるのかなと、憧れているところもあります。だけどそうなっちゃったら、自分が全然変わっちゃいそうだけど。
ーーそうなったらまた、出てくる言葉が変わってきそうですね。
変わると思います。テリトリーの話で言えば、相手と自分を重ねてしまうということは、違う部分でも遠慮がなくなっていくんだろうなと思うと、作る曲も人間性もめちゃくちゃ変わってくるだろうなていう、心配はありますよね。
ーーちなみに、誰かと暮らしたいというのは、今までもありましたか。
全然あります。はい。
ーー誰かと暮らすにあたって、距離感ってすごく難しいじゃないですか。いろんな生活の仕方もあるし、やり方の違うことをどうやってすり合わせていくのか、本当に大変な作業だと思うんです。アイさんは、そういう時、どうやって相手とすり合わせるんですか?
あんまりそうは見えないと思うんですけど、私が相手に合わせてめちゃくちゃ形を変えます(笑)。私が相手に合わせてもらってそうに見えると思うんですけど(笑)。
ーーどちらかというと、アイさんが自分の形を変えないから、「こうしてね」というのがあるのかなと思ってました!
全然そうじゃないんです。まず嫌われたくないのもあるし、相手がどういう出方をしてくるのかを全部見たくて。それを見た上で自分がどう接していくのか考えてから自分を凹ませて、相手を中に入れて、その上で自分の個性をちょっとだけ出しながら形を変えていく、みたいな付き合い方をします。
ーーちょっと待って。すごい戦略を聞いてる気がする(笑)。
そうすると、男の人にとってみれば「俺にピッタリの女だ」感がある。そりゃそうなんですけどね、私があなたに合わせて形を変えてるんだもん、という。
ーー自分を凹ませてまで、相手の形に合わせるのは苦しくならないんですか?
その方が楽だったんです。20代前半ぐらいの時、自分がこういうふうにしたいとか、こういうふうに生きたいというのを全面に出してると、相手のことを何も知らないままに終わってしまうことが多くて。それから相手のことをよく知ってから、自分が合わせる方が楽だなと気づきました。それはなんでかと考えてみると、私が本当にやりたいことは音楽であって別のところにあるから、 恋人に合わせることは別にどうでもいいなと思えるというか。
「一生、許さない」という恨みもいつか消えて、肯定してくれた部分だけが残った
ーー今回の恋愛3部作は、心と心のありどころが全く異なる3作になっていますね。例えば「恋の色」は、ちょっと心が離れた、終わってしまった恋について描かれています。そういう時に出てくるアイさんの引き出しの中にある感情って、1番はどんな感情でしたか?
忘れっぽいところがあるんですけど、その時の匂いや空気のような、全部が混ざった何かはその時にしっかりと吸収しているタイプだと思うんですね。
ーーうん、すごくわかる。
そのなんとも言えない部分だけは、自分の体の中に残り続けていて、その部分を取り出して言葉にした感じですね。だから、吸収した時には言葉になっていないものに、後から言葉をつけてる感じ。なので「恋の色」では、失恋したことで、救われてた時代もあったなとかを思い返していたりして。例えば、付き合ったけどうまくいかなくなって別れちゃったりしたけど、 なんでもない私を好きでいてくれたあの人がいたおかげで、今、自分が歌を歌っている……すごく重い言い方をすると、命を繋いでくれた人がいる、ということだったり。私のなんでもないところを見ててくれた人がいるという事実を、ずっと感謝しながら生きてる感じがするので、そういうことを書いた曲ですね。
ーー別れた相手に対しても、恨み節がないですよね。
最近は時にそうですね。昔はそういう恨み節みたいな曲ばっかり書いていたけど。
ーーそれはなんでですか?
恨み節があった時代は、むちゃくちゃな恋愛をして本当に恨んでいたからです(笑)。「一生許さない」という言葉を使ったぐらい、この人のことを許さないと思ってたんだけど、意外と恨みって消えちゃうんだなということにびっくりして。一生許さないことはすごく難しいことで、いつのまにか消えちゃってるということに最近気づきました。「許さない」という気持ちがなくなって、残ったものはその時に自分の全てを見てくれていた人、という部分だけが残って、そう思えたから恨み節にもならないんだと思いました。
ーー悲しい曲であっても、すごい感謝がいっぱい入っていますしね。そんな感情になれるって素敵だと思います。
そうやって考えると恨めるのも、すごく貴重なものに見えて。
ーー逆にレアキャラみたいな?(笑)。
そうそう(笑)。これから恨むような気持ちって、自分の中にもまた出てくるのかなとか、思ったりして。
ーー恨むにもパワーがいりますしね。それが源になる人もきっといるとは思うんですけど、 今はきっとそういうモードではないんでしょうね。
そうですね。すごくフラットに生きてしまっているので。
ーー生きてしまっていいじゃないですか。
いいんですけど、そういう感情がなくなっちゃったから欲しがってるんだと思います。あの頃は恨みに頭を全て支配されていて、それで曲ができてお金がもらえるなんて最高だなと思っていたところもあるので。またこれからそういう気持ちが出てきたら、それはそれで面白いなと思うけど。
ーーま、わかんないですよね。人間だから。
そうそうそう、また戻るかもしれないですしね。今では、 なんであんなに人のことを嫌いになれたんだろうなとすら思えますから。
ーーそう聞くと、今、ものすごい恨みを持ってる人がちょっと楽になるかもしれないですね。ひょっとしてこれも解けることがあるのかもしれないって。
そうかも。でも解きたいと思っているのか、それによって自分が生きてる意味があると思っているのかってとこもある気がしてて。 人のことを恨んでいる時の方が、 頭の中のキャパシティーを恨みがかなり占めているので、仕事がうまくいかなかったりとかしてもそいつのせいだって思えたり、自分が悪いと思わなくて済む時間が多かった気がするんですね。 そう考えると、そういった感情があった方が生きやすかった瞬間もたしかにあるはずで。それがなくなった時に、「じゃあ私は恨み節意外で何が書けるんだろう」と悩んだ時期もありましたから。
ーー恨みがなくなったり、という変化はいい人に出会って変わるんですか? それとも恋愛とはまた違った経験を重ねていく上で変わっていったのでしょうか?
私の場合は恋愛ももちろんあると思います。これも人によると思うんですけど、恋愛でまかなえる部分と仕事でまかなえる部分はすごく近い気がしていて。私の場合は結局、承認欲求に近いものだと思うので、音楽で認められたいという気持ちがちょっと満たされたりすると、私は1人でも生きていけるんだと思えるというか。自分で言っておきながら、ダサいなとは思うんですけどね。
ーー愛されたいという部分では同じですもんね。
それがお客さんの数なのか周りのスタッフなのか、この人に好かれているから大丈夫だろうということなのか、いろんなところに拠り所があると思うんだけど、「恋人だけに愛してもらっているという状態で満足できたらよかったのにな」と思う瞬間もあって。「この人だけに愛されているから私は大丈夫なんだ」とはいかなかったから、音楽を頑張らなきゃいけないなと思ったこともあります。全部、自分を常に満たしてあげたい、ということ。でも結局は、恋人に愛されていてもいつかはその状況に慣れていって、もっともっと仕事を頑張る、みたいなこともあるような気もしますし、難しいですよね。
ーーそう、慣れって怖いですよね。 最初はすごく特別なものがあるから大丈夫だと思えてたのに、 だんだん薄まっていることがある。愛情が薄まっているわけではないんですけどね。
薄まりますよね。私は、沈殿しているのかなという感じがします。 だから、奥底に愛情みたいなものがあるおかげで沈んでしまうことはないんだけど、表には見えてない、陸としては見えてなくてずっと海だな、みたいな。そう考えると、かわいそうですよね。沈殿させちゃって。
ーーかき混ぜて!みたいな。
だからたまに台風みたいなことが起きるんじゃないですかね。
ーーそれか!
そうすれば、台風がすぎると、なんかちょっと優しくなれたりとか。
ーーちょっとした心の台風はいるのかもしれない。
でも自分で起こせるものじゃなかったりしませんか? それに自分で起こすと、罪悪感もすごかったりする。
ーーいやな気持ちが残りますよね。
すごくね。だから、自分があんまり辛くない方法の台風が起きればいいんですけど。でも、相手になんかあったりしたら、それはそれで嫌だから難しいんですよね。
少女漫画が苦手で、ボーイズラブが好きな理由
ーー第2弾「自販機の恋」は、ボーイズラブのコミックが原作「その恋、自販機で買えますか?」が映画になって主題歌に。この曲は、どういうところから歌詞を書こうと思われたんですか?
原作と映画のタイトルから連想して、「自販機」を基に書けないかなというのが始まりでした。私は最初のデートで散歩をしたりするんですけど、その時に自販機があったりすると、「なんか買ってくるよ」となって、 買ってくれたコーヒーを微糖か無糖か選ばせてくれる、みたいなことがあるんです。その時に、「私は無糖が飲みたいな」「じゃあ俺は微糖で」といった何気ないやりとりから、相手の好みが知れるのが自販機のいいところだなと思っていて。「へえ、炭酸が好きなんだ」とか。そういう相手のちょっとした何かを知れる瞬間と、恋が始まるワクワク感を合わせて書きました。
ーーとってもいいですね。相手のことを知ることって以外と難しいじゃないですか。
難しい!
ーー同じ学校とかならまだいろいろチャンスはあるかもしれないけど、付き合ってもないのに好みを知ろうとすると社会人になるともっと距離が近くないと知れなかったりするから難しいと思うんです。だから、今の自販機の話はめちゃくちゃいいなと思いました!
自分もその時に迷うことがあって。例えば、ジュースとか甘い飲み物を選んだら子供っぽいと思われるんじゃないか、逆に可愛いと思われるのかな、とか。ちょっとだけ駆け引きの攻防がある気がしていて。
ーーかわいい!
そんなに値段も高くないから、パッと相手が奢ってくれたりとかするのも嬉しかったり。相手から初めてもらったのが缶ジュースだったら、なんだか可愛くていいなという。
ーーボーイズラブもお好きだったと伺ったんですけど、 どういったところが魅力だと思いますか。
もともと私は少女漫画が苦手というところから始まっていて。なんでかと言うと、私の高校時代が制服じゃなくて、私服だったんですね。だから制服で2人乗りしたりとか、みんなが同じものを着てるという経験が自分にはなくて。そう考えると、自分が経験してないことがこの世の中で起こってて、好きになる相手ももちろん女の子だったり、男の子だったりするので、自分もそこに参加してなきゃいけなかったんじゃないかと思うと、そこにいなかった事実が切なくて。それから少女漫画の女の子たちってみんな鈍感だったりしませんか? それに比べて私はそんな人間でもなかったから。それなら普通はこう思わない?とか、なんでそこで気づかないの?ということが多くて、私はあまり読んでこなかったんです。だけど、ボーイズラブに関しては、私がその世界にいたところで、その中に参加しなくてよかったんだなという安心感がある。なぜなら男の子同士の恋愛だから。自分が存在してるということが肯定されていて気持ちが楽だし、キュンキュンもできる、全て理にかなっているところが好きで。
ーーちゃんと言語化できるのがすごい……。
めっちゃ考えました。今、時代的にもLGBTQのこともあるし、ボーイズラブを好きだっていうことを何の理由もなしに話すのが難しくなってるなと思っていて。漫画としてただ楽しんでる、というのは言えば茶化してるというふうにも捉えられるとすごい嫌だなと思ったので、じゃあなんで好きなのかを考えたらそういう理由でした。
ーー私も好きだけれども考えたことがなくて。 今の話を聞いて、自分がそうだっていうんでもなく、そういう感覚もあるなと腑に落ちました。
好きな理由って考えたりしないですか? 「好きなことに理由がない」というのは嘘だと思ってるんですけど。
ーーそれが、本当に考えたことがない人がいるんですよ。もちろん好きな人ができて、その人がなぜ好きなのか大まかには思い浮かぶんです。だけど、私しか知らないその人の好きなところというのをあんまり考えたことがなくて。それがアイさんの感覚というか目線というか、必ず問う作業をずっとしてこられたんだなと。
嫌なんですよね、いきなり自分の中に存在している感情があることが許せないというか。そんなはずない!みたいな。
ーー まず否定するんですか?
そんなにいきなり現れるはずはないと。絶対にそこには階段があって、自分の心から繋がっている階段があるはずだから、その階段を知りたい、という。
ーーその思考になってみたい! いつも、温泉みたいにポコって沸いた感情に疑いなくそうなんだと思っちゃうタイプで。
それはたくさん感情が生まれるからじゃないですか。たくさんいろんなところでポコポコしていたら、それはきっと豊かな温泉で。私はやっと出てきた湧水のようなもので、やっと出たからにはそこを大事にしなきゃ、みたいな感じなんだと思います(笑)。私はそれを守って、掘って掘って、みたいな。
ーーヒグチアイの「ヒ」は、秘湯の「秘」よ!
ハハハ。そうかもしれないですね(笑)。
ーー秘湯なんだわ。だから、みんながちょっと険しくても探しに行きたくなる。誰でも入れる温泉じゃないの。
なるべく誰でも入れる温泉にと思って、ちょっと薄めて薄めて皆様に提供しようと心がけてます。大事にしてます、感情を。
そばにいる誰かではなくて、あなたが特別だから、あなた自身を大切にしてほしい
ーーアイさんのことがより知れた気がします。 3作目の「この退屈な日々を」ですけれども、普通に生きてる人たちの日常が描かれていて、誰もがこの感情を知ってる!と思えるような曲ですね。
私自身が人に気を遣ったり、自分のことを相手に話せなかったりする経験もたくさんしてきたので、そういう人たちに向けて書きました。自分のことを特別だと思ってないから自分を変えられる人だったり、相手の方が特別だから自分が変わるべきなんだと決めて変わっていくうちに、自分が特別になれるかもしれない、やっぱりなれないなと繰り返している人たちに光を当てていきたいなと。歌詞でも<ドラマみたいな恋じゃない>と言ってるけど、本当にそういうことばかりだと思っていて。で、そういう恋じゃなくてもいい、ということをずっとこれから先も歌いたいなと。あまりに普通で、歌にもならない、ラブソングにもならないことが、 みんなにとって大事なことでしょうと。そういう曲が書けたら、自分が歌う意味があるだろうし、それを歌うことで私自身が特別になれる気がするんです。矛盾だけど、自分の普通なところが特別である、ということにちゃんと着地できる気がするので、これからもこういう曲を歌っていきたいんですよね。
ーー聴いた私も毎日、同じことを繰り返して生きているけど、ちょっとした嫌なことだり嬉しいことだったりという日々が特別だったなと、忘れてたことに気付かされました。
自分の生活が歌になることって嬉しいことだなと思うんですよね。
ーー嬉しいんだけど、こっちにきてくれてる気がする。ヒグチアイさんが歌っているんだけど、私の歌になる感覚になる瞬間がある。
結局、私は歌うことで私自身が救われる気がするんですよね。自分を救うために、曲を書いていて。私の曲を聴いた人に、一緒にいる人を大切に思ってほしいとかではなくて、このままでもいいんだなと思ってもらえたり、あなたが特別で、あなたのことが大切でいいというか。これを聴いた、あなたがあなたでいてほしいなと。
ーーすごく嬉しいですよ、そんなこと言われたら。
それが歌で伝わったらなと思うんですけど、わかりにくいじゃないですか、人の生活って。
ーーキラキラした人も苦しそうな顔をしている人も、本当はどんな生活をしているのかまではわかんないですよね。
自分が曲を出して、それはあんまりないことだよねというパターンもあると思うんです。私は自分の日常みたいなところから曲を書きたいし、誰かの普通の日常の中から曲を書きたいし。劇的な恋愛みたいなのは誰かが書いてくれるかな、と思うから任せようかなと。今までそういう曲も書いてきたけど、本当に書きたいのは普通の日常にスポットライトを当てるということ。そうじゃないと、二十代前半で大恋愛は終わるじゃないですか? じゃ、今後どうするのか、惰性で生きていくのか、みたいな。「あの頃は楽しかったな」って当時の思い出だけを削りながら生きていくんじゃなくて、今あなたが一緒にいる人だったり、それが恋や愛だとして、それが素敵なものだと思えた方が、 今また新しいところに飛んでいけると思うんです。そういうことを書いていきたいですね。
ーーその中で、ライブで表現したいことってなんですか。それは曲を作る時の姿勢とあまり変わらないですか。
全然違いますね。 曲を書きたいと思っていたのに、ライブもしなきゃいけないんだと、なんかそこがすごい大変ではあります。曲を書くときは自分の内側を見てればいいけど、ライブの時は人を見なきゃいけないというか、目線が外に出るので、 なんか全然違う作業してる感じなので。
ーー私はライブを見た時、孤独にしてくれるなと思いました。孤独ってネガティブなイメージがあるけど、ちゃんと自分の気持ちを自分に向かせてくれるライブだなと。
うれしいです。鏡みたいなライブをしたいと思ってるので。
ーー本当にそうだと思いました。だから2曲目で、メイクが全部取れたってぐらい……それはあまりにも日々生きてると自分のことを見なくなってしまうし、周りのことばっかり見てああだこうだ文句言ったりしてたのが、アイさんのライブに行った時に、急にパシャっと怖いぐらい自分を見ちゃって……。
大丈夫でしたか?
ーー大丈夫じゃなかったですね。ちょっとしばらく、 自分が怖かったです。
嫌ですよね。自分のこと見なきゃいけないって。
ーーでもすごく重要だと思いました。だから、またライブ行きますね。 最近、自分のこと見てないから。
忙しかったりすると、自分のこと見る時間ってないですよね。自分を見ていると、足が止まってしまうので。
ーーSNSとかも全部他人のことで早いじゃないですか。流れが早すぎて、 多分自分の顔を見てないんだと思います、みんな。
自分のこと見てると思っても、人と比べることばっかりですよね、今は。だから本当の自分の今の立ち位置から自分のことを見た時に、意外とここなんだなとか、ここに来てるんだなとか思えたり。それをちゃんと肯定できる時間になったらいいなとは思うんですけど、辛くなって病むこともあるじゃないですか。 私の周りでも、いきなり仕事に行けなくなったりとか。 でも、そうなる前に1回ちょっと自分のことを見れる時間、その、自分に割く時間というのを取ってもらえたらなというのをずっと思っているんです。ほんとに、暇な人しかできないんですから(笑)。
ーーライブに行くってこういう効果があるんだなって思いました。 純粋に音楽を楽しめるうえに自分のことを知れる、ヒグチアイさんのライブを楽しみにまた生きていきます。アルバムとかもまた楽しみにしてますね!
ありがとうございます。アルバムは来年ぐらいには出せたらなと思っていますので。がんばります!
取材=仁井聡子(FM802) 文=SPICE編集部(大西健斗) 撮影=ハヤシマコ