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原点回帰ではなく、常に変化を求めるバンド哲学の発露だったーーくるり・佐藤征史が語る、オリジナルメンバーと完成させたアルバム『感覚は道標』と『くるりのえいが』

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くるり 佐藤征史

くるり 佐藤征史 撮影=森好弘

2002年の『THE WORLD IS MINE』以来21年ぶりにオリジナル・ドラマー、森信行(Dr)が参加していることに何よりもまず驚かされたが、岸田繁(Vo.Gt)、佐藤征史(Ba.Cho)、そして森信行の3人だけで完成させたくるりの14thアルバム『感覚は道標』は、今回、インタビューに答えてくれた佐藤も言うとおり、セッションから生まれたロック作品になっている。しかし、それが原点回帰ではなく、常に変化を求めるくるりならではのバンド哲学の発露の結果というところが重要だ。

収録されている全13曲がそれぞれどういう曲なのかは、岸田によるセルフライナーノーツがnoteにアップされているので、ぜひ目を通していただきたいが、それを読んでから、このインタビューを読むと、岸田と佐藤がそれぞれに今回のアルバムをどう捉えているかが浮き彫りになるようで興味深い。それは作詞・作曲を手掛ける岸田とベーシストとしてバンドを支える佐藤のくるりにおける立場や元々のパーソナリティの違いによるものだと思うのだが、そんなふうにくるりというバンドの懐に一歩踏み込めたと思えたのは、ソロ・インタビューだからこそと言えるだろう。

10月13日(金)は、『感覚は道標』の制作を追ったドキュメンタリー『くるりのえいが』も公開される。そちらもくるりというバンドの懐に一歩踏み込めるという意味で必見だ。そして、10月8日(日)、9日(月祝)には主催フェスティバル『京都音楽博覧会2023』が開催される。今回のインタビューでは、『感覚は道標』についてはもちろん、『くるりのえいが』と『京都音楽博覧会2023』(以下、『音博』)についても話を訊いた。

ーー『感覚は道標』について、佐藤さんご自身はどんな作品になったという手応えがありますか?

アルバムを作る前にオリジナル・メンバーの森さんとやることがまず決まってたんです。直接のキッカケは映画を作るからということだったんですけど、映画の話がなくてもたぶん久しぶりに一緒にやってたと思うんですよ。それはバンドのタームと言いますか……。くるりの曲の作り方には、岸田さんがDTMでばっと作ってから持ってくるとか、弾き語りを送ってくるとか、いろいろな形があるんですけど、元々が学生の頃から練習でスタジオに入ったとき、適当に遊んでいるところから曲が生まれてくるっていうのが割と基本にあって。だから作品になったとか、その時、生まれた曲がその後どう育ったとかは全然憶えてないですけど……過去にも2、3日間だけ曲作りみたいなことを森さんとやったことはあったんですよ。

ーーそうだったんですか。

それも何種類かある曲作りの1つのスタイルなんです。もちろん、それを違うドラマーさんとやったこともあるんですけど、やっぱりもっくんとずっとやってたことやから。『天才の愛』ができた時に「次はそういう作り方ができたらいいね。だったら森さんと久しぶりにやってみるのもいいかもね」という話を岸田さんとしていたんですよ。

ーーなるほど。

それが前提としてあるんですけど、いざ映画を作ることになって、「何したらいい?」となった時に、じゃあ森さんとゼロから曲を作るところを撮ってもらったらいいんじゃないかという話になったんです。

ーーそういう順番だったんですね。

とは言っても、これはすごいと思える曲ができるかどうかわからなかったんですが、いざスタジオに入ってみたら、割とぽんぽんとアイデアが出てきて、これやったらアルバム1枚行けるんちゃうかと(笑)。それで最終的にアルバムというところに目標を置くことができて、今回、出すことができたんです。

ーー割と成り行き任せだった、と。

6曲ぐらいできて、EPを出せたらいいかなっていう最低ラインはなんとなく考えていたとは思うんですけど、アルバムというところまで持っていけてよかったです。アルバムの手応えという点で言うと、今回、リフが多めじゃないですか。でも、それは岸田さんが家で1人で作って「こんなんできた」と持ってくる曲ではないんですよね、絶対に。バンドから出てきたものなんですよ。だから、シンプルで、ロック・バンドやってますっていう。でも、そういう作品って意外と自分達にはなかったんじゃないかな。だから、今回はすごくロックなアルバムだと思います。

ーー僕もそんな印象でした。なので一層、20年ぶりにスタジオに入って、そういうアルバムが作れちゃうんだってちょっと不思議でもあったんです。だけどそれは、森さんと断続的にスタジオに入っていたという流れがあったからこそでしょうか?

そうですね。でも、曲が1曲もない状態からだったから、半年以上かかりましたけどね。もちろん、スケジュールが合うところで飛び飛びに録っていったから、半年間ずっとというわけではないですけど、自分達でも「ようできたな」と思いますよ(笑)。

ーー3人の、いわゆるグルーヴみたいなものは最初から感じることはできたんですか?

そんなええもんちゃいますけどね(笑)。それでもやっぱり特別なものなんやろなって思います。初期の曲を久しぶりにライブでやる時って、でかい会場の場合、ちゃんとクリックを作ってやるんです。だけど昔の曲はクリックが合わないですから。

ーーあぁ、なるほど。

それを正しく同じテンポで最後まで演奏しても、そんなに良くないってなる。でも、それって今回のタイトルじゃないですけど、感覚的なものじゃないですか。何かそういうところが学生の頃、ちゃんとバンドを一緒にやり始めた人だから、もちろん聴いてきたものも近いということも含め、ノリは合うんやろなって思います。

ーーそうは言っても、最初は、ぎこちないところもあったんじゃないですか?

それはなかったですね。学生時代からやっていた時のやり方を、久しぶりに腰を据えてやってみた感覚だったんですけど、ただ改めてちゃんとやってみて、ドラマーとしてこういう人だったのかという気づきはありました。謎のこだわりとか、「なんでそんなことするねん!?」と思うようなこととか。たとえば、ドラマーとして掲げているテーマの落としどころを「なぜこの曲でする?」みたいなこととか。昔は理解できなかったというか、ちゃんと話したこともありませんでしたけど、今回のレコーディングで1日の終わりに飲みながら話してみて、明確な意思を持ってやっていることが二十数年を経て、初めてわかったりもして……人のことは言えないですけど、がんこな人やなと思いました(笑)。もっとも3人が3人そうなんですけどね。

ーーそもそも「オリジナルの3人でやってみるのもいいかもね」と思ったのは、どんな理由からだったんですか?

1回、違うベクトルに行ってみたかったっていうのが、なんとなく岸田さんと自分にあったんだと思います。アルバムを作るには、ものすごいトルクが必要なんですよ。気づいたらタイアップの曲が5、6曲溜まってるから、後はふざけた曲だけ作ってアルバムにしたらええやんってできた『THE PIER』みたいなアルバムもあるんですけどね。ほんとゼロからアルバムを作るには、重い腰どころじゃないものを上げないといけない。その始まりになるコンセプトで、違う国の音楽とか、違うジャンルの音楽とか、そういうものがあったんですけど、今回は「オリジナル・メンバー3人で昔ながらの曲作り」がキッカケとしてあったから、そんな悩むこともなく、しかもそれが義務でもなかったから、尻を叩かれるわけでもなく楽しくできましたね。

ーーじゃあ、3人でやっていた頃の情熱を取り戻さないと、みたいなことは?

全然関係ないですね(笑)。あくまでもキッカケのひとつなんですよ。

ーーそういうことなんですね。

同じように違うドラマーさんと同じような曲の作り方をして、それが作品になっているものも全然ありますしね。今回は久しぶりに森さんと一緒にそういうことができたらいいなと思ってたくらいのことで、なくなったものでもないし、ずっとあるもののひとつなんです。昔はそれしかなかったけど、今はいろいろな作り方ができるわけじゃないですか。自分達としては、その中でも一番バンドっぽい作り方なんです。バンドで集まって、適当に音を出しながら作っていくというのは。久しぶりにそれをやりたかったのと、たまたま映画の話があったから、そういう作り方になっただけなんです。

ーー昔から聴いているリスナーは、それとは違う意味付けをしそうじゃないですか? 

でも、今ライブに来てくれてる人とか、くるりの音楽を聴いてくれてる人って、森信行というドラマーがいたことをほぼ知らないと思うんですよ。もちろん、デビューの時から聴いていただいている同世代の人もいるとは思うんですけど、自分達はアルバムごとにお客さんが入れ替わるようなタイプのバンドでもあったから、「また新しい人とやってんやな」とか、「こんな感じの曲やってるんだ」くらいの感覚で聴いてもらえたらうれしいですね。

ーー収録されている全13曲は、すべてセッションで作ったんですか?

そこから生まれたものですね。

ーー半年以上かけたとおっしゃっていましたが、セッションはいつ頃から始まったんですか?

去年の9月に一度、3人で集まって、話をして、実際にスタジオに入ったのは10月末かな。そこから、3、4日まとめてスケジュールを取れる時にスタジオを押さえていくのを続けて。期間が空いた時は1か月くらい空いて、空かない時は2週間後にまた行ってみたいな感じで、伊豆スタジオにトータル30日ちょっといたと思います。

ーーそこで13曲作った、と。

はい。

ーー最初に作ったのは、「世界はこのまま変わらない」ですか?

作ったというよりも、最初にちゃんとレコーディングしたのがその曲です。がーっと1日やって、ネタみたいなものが十数曲できるとするじゃないですか。2日目もばーっとやって同じぐらいできると、収拾がつかなくなってくるから、「じゃあ次は、これを録ってみようか」と録ってみると「世界はこのまま変わらない」に関しては、ちょっとだけ形になった時からインパクトのある曲だったんです。「何を言うてんねん」みたいな歌詞はまだなかったですけど、メロディがアフリカっぽくて、でもブルースみたいな曲でそれを日本人が歌っているところが個人的にはすごくツボでした。こんなことをやっている人はいないなと。でも、わかりやすいと言えばわかりやすい曲でもあるから、「じゃあこれから録ってみようか」と。そこから何曲か録って、また次のタームは曲出しをして、これを録って見ようかとレコーディングして……を繰り返していったんです。

ーーレコーディングはいかがでしたか?

楽しかったですよ。そもそも伊豆スタジオを選んだのはそのためで。久しぶりにそういうことをやるからには、1日終わってそれぞれ自分の家に帰って、また次の日、戻ってきて……というよりは、合宿で、夜はお酒を飲みながらというスタイルでやりたかったからなんです。始めた時はそこまでわからなかったですけど、伊豆スタジオは機材にしても、エンジニアさんにしても、音も、たぶん自分達のその時の環境にフィットしてたんですよね。だから、ぱっと鳴らした音でアルバム全体の雰囲気が見えたというか、「この音が今、フィットしているな」と感じられたんです。そこが大きかったですね。違うスタジオだったら、違う音像になってたかもしれないし、全然できてなかったかもしれないし、そこはほんとよかったと思います。

ーー映画の中に、ごちそうを食べているシーンがありましたが、まかない付きだったんですか?

そうです。伊豆スタジオは、もともとキティ・レコードのスタジオだったんですけど、キティ・レコードがなくなり手放すことになったとき、それまでずっと管理人をされていた現在のオーナーさんがそのまま引き継がれたんです。そのオーナーさんは、おそば屋さんとか魚料理屋さんを経営されている方で、スタジオに来てくれた人達にはああやって晩ごはんを作ってくれはるんですよ。オーナーさんが忙しい時はエンジニアさんが作ったり、メンバーの誰かが作ったり、マネージャーさんが作ったりします。オーナーさんが作ってくれはる時は、映画を見てもらったらわかると思うんですけど、メインが2つありますみたいなとんでもない量が出るので、確実に肥えて帰ってきたと思います(笑)。

ーー岸田さんが作った映画のサントラにも「三村さんのおもてなし」という曲が入っていますね。

三村さんっていうのがオーナーさんなんです。自分達の望むサイズ感とか機材とかでできる合宿スタジオが最近なくなってきているせいか、今回、選択肢があまりなかったんですよ。最初はそういうスタジオじゃなくて、音を出せる山の中にあるような建物でやってもいいねっていろいろ探したんですけど、結果的に伊豆スタジオにしてよかったと思います。ちゃんとエンジニアさんがいて、ずっと録音を回してくれてはるから、じゃあ録ろうとなった時にその曲の雰囲気とか、どこがかっこよくて録ることになったのかとか、ずっと共有してたらわかってくれるじゃないですか。だから、録ろうとなってから録るまでがすごく速い。そういう意味で、混乱がないと言うか、全部スムーズに流れたという感じはします。

ーーセッションなので、最初のアイデアがそのまま曲になることもあれば、最初のアイデアからセッションを経て、どんどん変化して、全然違う曲になることもあると思うんですけど、セッションならではと言える変化を遂げていった曲もあるんですか?

映画では、「In Your Life」という曲がどう育つかを追っていたじゃないですか。

ーーはい。

「In Your Life」ってすごくシンプルな曲だから、シンプルすぎるんじゃないかということで映画には出てきませんけど、そこに別のメロディやキメを加えた「In Your Life #2」みたいな曲ができたんです。結局、おっさんぽい曲だからってボツにしたんですけど、他にも割と手の込んだ曲があって。でも、ちゃんとやるなら、ちゃんと打ち込んで作ったほうがいいということになってやらなかったんですよ。だから、今回はぱっとできたものだけしか録らなかったですね。もちろん、歌詞ができてから構成をちょっといじった曲はありますけど、基本、自分らはバースとコーラスだけと言うか、Aメロとサビだけ、もしくはAメロとBメロだけみたいな構成の曲が昔から多くて。無理やりがんばる時はミドルエイトを入れることもありますけど、基本、さらっとできたまま、そのままパッケージしていることがほとんどなんです。ポスト・プロダクションはものすごくやってますけど、録りに関しては、ほんと、曲出しを日中やって、晩飯食べてから、これ録っておこうかくらいの感じでした。

ーーポスト・プロダクションはやはり必要なものなんですか?

最初は「3人だけの音で出したらええやん」とも言ってたんです。映画があって、それでできたものとして出すんだったらええけど、「くるりのオリジナル・アルバムなんです」と言って出すからには、しっかりとしたお化粧はしてあげたくて。ただ、そこで録った時のバンド感がなくなるんであれば、それは元に戻す。十数時間かけて編集したものでも、元がいいねとなったら、元を使う。でも、とりあえずそういうことはとことんやるバンドではあるんで、それは当たり前といえば当たり前というか。『天才の愛』をリリースしたとき、インタビューでもよく言ってたんですけど、あれってほんとやったらB面になるような曲とかアルバムの1軍にはならない曲とかを作りこんで、1軍にしたみたいなアルバムだったんですよ。そこでそういう作業をやっているから、今回のシンプルなバンド・サウンドの中でも、そういうお化粧は自然に入ったものなんじゃないかなと思います。

ーー映画の軸になっている「In Your Life」は、<あの場所へ向かえば あの痺れるような出会いを思い出せるかな>という歌詞、オルタナ・ロック調の曲ともに今回のアルバムを象徴する曲だと思うのですが。

そうですね。さっき言ったみたいに一番最初にとりかかった「世界はこのまま変わらない」とか、最後までああでもないこうでもないって歌詞を何回も書き直した「朝顔」とか、他にも象徴的な曲はありますけど、今回、1曲目の「happy turn」にしても、2曲目の「I’m really sleepy」にしても、ほんとに60’s、70’sなロックだと思うんです。そういう曲よりも「In Your Life」のようなくるり的な要素のある曲のほうが、映画とか、森さんと一緒にやることとか、そういう目で見られないかなと思ったっていうのは大きいかな。逆に言ったら、一番くるりっぽいと思ったのかもしれないですけど、今の若い子達には、「happy turn」のようなローリング・ストーンズっぽいリフの曲よりも耳馴染みがいいんかなとも思いました(笑)。

ーー今回、森さんが加わったからこそできた曲もあるんじゃないですか?

そうですね。ジャンルとか、技術とかじゃなくて、これでええやんって思える雰囲気という意味では、大体そうだと思います。曲が始まって、ドラムが入る瞬間に自分の中で割と道筋を決めはるんですよね。この曲はこういうドラムで行こうと。それがハマった時の瞬発力がでかい。その時点から説得力のあるものができるから話が速い。逆に「In Your Life」がそうだったんですけど、そういうビジョンを見出せないと、ああでもないこうでもないって作業を繰り返すことになる。もっとも、それは森さんに限らず、自分も含めてなんですけど、だからぱっとできるものは本当に速かったです。

ーー森さんの瞬発力が特に出た曲を挙げるとしたら?

8ビート以外の曲がそうじゃないですか。それこそ「happy turn」とか、「LV69」とか、そういうシンプルな昔ながらのロックンロールって、くるりではやってそうでやってなかったと思うんですよ。そういうのがぱっと出た時と言うか、始まった時からほぼ完成形っていう。そういう曲は、改まってレコーディングするような曲でもないんです。その場のノリでしかないからどんな演奏をしたのか全部憶えてへんけど、最初からちゃんとそのレベルでできている。ああじゃない、こうじゃないって話にならないのは、森さんの瞬発力があるからこそだったんじゃないのかな。

ーーコロナ禍でバンド・シーンが落ち着いたところもあると思うんですけど、今回のアルバムと映画で、バンドならではの魅力をもっと多くの人に知ってもらえたらという気持ちもありますか?

今はバンドごとにいろいろなやり方があると思うんです。くるりの場合は、映画を見てもらったらわかると思いますけど、ちゃんとがんばっているところはがんばりつつ、最初からちゃんと適当じゃないですか(笑)。ちゃんと適当に真面目にやってる、そんなくるりの姿を見て、これでもいいんだと思ってくれる人達もいるんじゃないかなと思います(笑)。今回の映画にしたって、曲ができる過程や自分達がどういうふうに活動しているのか見せれたらくらいの、ふんわりとしたことしか監督にはお願いしてないですからね。たとえば、京都の拾得というライブハウスで撮ったライブ・シーンがあったでしょ?

ーー映画の見どころの1つですね。

でも、あれが決まったのも去年の暮ですからね。画変わりも必要だという話になって、ビートルズの『ゲット・バック』じゃないですけど、自分らの母校の屋上でライブしようかなんて言ってたら、たまたま拾得さんの50周年記念のライブに誘っていただいて。急な話だったから、ツアー・メンバーも揃えられなかったこともあったので、森さんと3人でやって撮影してもらったらいいんじゃないかと。ほんとドキュメンタリーです(笑)。ただ、その中でいろいろなことを試しながら、曲を一番大事にして「In Your Life」がみなさんに作品として聴けるようになるまでを追っかけてくれはったのが一番うれしかったですね。個人的には、今から音楽をやりたい人に絶対見てもらいたいとかあんまりなくて。普通に、くるりのこと好きやったな。最近、どんなことやってるのかなくらいの気持ちで気軽に見てもらえたらいいです。それでアルバムを聴いていただいて、お気に入りの曲が生まれたら、それは素敵なことだと思いますね。

ーー「朝顔」に関して、岸田さんはセルフライナーノーツの中で、<3人の中で「禁じ手」のひとつだった、「ばらの花」的な何か、を即座に解禁>と書かれていましたが。

ギターのミュート・カッティングにピアノが入ってきて、ダンダンダンダンって、ただやっているだけですけどね(笑)。

ーーたまたまそうなったんですか?

そういうオマージュみたいなことをしてもいいかもねと、ネタの1個として作ってたっていうのは事実ですね。「ばらの花」みたいな雰囲気でやってみようかというところから始まったんですけど、個人的には、曲ができて、歌詞がつけば全然違う曲やから、自分の中ではまったく違うんですよ。そんな曲は他にも探せば、けっこうあると思うんですけどね。

ーー禁じ手にしていたという感覚もそんなになかった?

禁じ手というより、自分達は新しいものをやりたがってるバンドだと思っているから、変な話、「ばらの花」が売れたからそういうやり方でもう1回やろう、というふうにはやってこなかっただけなんです。知らず知らずのうちにできた曲が似た曲だったというのはいっぱいあると思います。

ーーところで、森さんは今後もくるりに参加するんですか?

今度のZeppのツアーには参加してもらう予定です。ただし、全曲はやりません。もちろん、「アルバムが出ました。全曲やります!」というツアーだったら全曲叩いてもらったほうがいいと思うんですけど、それだけじゃないから。くるりはアルバムのツアーをやっても、そのアルバムの全曲をやることのほうが少ないんです。そうなると森さんにふさわしい曲と、そうではない曲もある。でも、森さんと一緒にやっている曲は森さんで見せたい。だったら、2017年にも一度やった『チミの名は。』というツアーと同じように、曲によってドラムが入れ替わるというやり方で、今回も贅沢に『音博』も含めてやらせてもらいます。

『京都音楽博覧会2023』

『京都音楽博覧会2023』

ーー『音博』は今年初めて2日間の開催となるわけですが、出演者はどんなふうに選んでいるんですか?

いつもどおりなんですけど、やっぱり博覧会という名前が付いていて、最初の開催からいろいろな国籍の方に出ていただいているから、海外アーティスト枠は絶対用意して臨むようにはしていますね。そもそもは自分達のプレイリストを生で聴いてもらうというコンセプトで始まったんですけど、お客さんにたくさん来ていただきたいという思いもちゃんとあるので、そういうことを考えながら、ここにこの人が入ってたらおもしろいねっていうそういう組み合わせの妙ですかね。後は字面の並び。

ーー字面の並びですか!?

この人とこの人の名前が並んでたらおもしろい、というのあるじゃないですか。たとえばですけど、矢野顕子さんや小田和正さんがフェスに出はったのも『音博』が最初じゃないですかね。その『音博』の時に言ったのか定かではないですけど、矢野さんに「『フジロック』とか出はったらよろしいですやん」と言ったんですよ。そしたら出てはって。元から有名な方で、曲もよく知ってるんだけど、その人のコンサートに行ったことがない人もけっこういると思うんです。そういうのが1つでも叶えられたらというのが、『音博』の1つの魅力でもあると思います。今回で言えば、角野隼斗さんやTigran Hamasyanは、なかなかフェスで見られないやろなと思います。そういう人達が野外で、しかも街中で見られるのが特長でもあるので、そういう組み合わせのおもしろさは常に考えています。

取材・文=山口智男 撮影=森好弘

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