若手ヴァイオリニスト・外村理紗が2024年2月、紀尾井ホールにてイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を行う。2018年に若手音楽家の登竜門として有名な「ヤングコンサートアーティスト国際オーディション」にて優勝し、2023年2月にはニューヨークでのリサイタルデビューを果たしている。
現在ニューヨークに留学中の外村に演奏会への意気込みを聞いた。
――2024年2月2日に、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を紀尾井ホールで行ないます。これまでに、無伴奏作品だけのリサイタルの経験はありますか?
無伴奏の作品だけのリサイタルは初めてです。無伴奏での演奏は、舞台の上でひとりで意識を集中させて演奏するので、精神力が試されるように感じます。私は東京でのデビューリサイタルも紀尾井ホールで行なっていて、それも大きな挑戦でしたので、その次のステップを考えた時、無伴奏作品だけの演奏になるのかなと漠然と思っていました。
――外村さんにとって、紀尾井ホールは特別な場所なのですね。
そうですね、紀尾井ホールには特別な思いがあります。他のホールでは感じられないような響きや雰囲気に満ちています。助けてくれるような何かが棲んでいるのかも……とても素敵なホールで、響きが大好きです。それから、舞台の照明も演奏に集中させてくれます。
――これまでにも、いくつかの無伴奏作品のみのリサイタルを聴かれたと思います。
すごいことだと思っています。私にはできないだろうなとも思いました。孤独に音を紡いでいく姿が素晴らしいです。
――印象に残っている無伴奏作品によるヴァイオリン・リサイタルを教えてください。
日本では、辻彩奈さんによるバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータの演奏会を聴きました。6曲すべてを演奏することは、大変なことなのです。
――イザイの作品を最初に演奏したのは何歳ですか?
中学3年生のときです。コンクールで「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の第6番を弾きました。私の母もヴァイオリニストなので、イザイの作品を演奏することがどれだけ難しいかをよく理解していて、「まだ早い」と母から言われました。
作曲家の作品に初めて取り組むとき、どのように入っていけばよいかと戸惑う場合もあります。でも、イザイの作品は、中学生のときでもすっと入っていくことができ、私が弾くのを聴いた母も、「イザイの音楽に、合っているかもね」と思ったそうです。
――お母様がイザイを演奏するのを聴いたことはありますか?
ないかもしれません。楽譜は、母が使っていたものを私も使っています。母の書き込みなどもありますね。
――今回、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を選んだ理由は?
代表的な無伴奏ヴァイオリンのための作品の作曲家としては、バッハ、パガニーニ、イザイだと思います。バッハも考えてみたのですが、イザイは私のいまの年齢で感じていることをそのまま表現でき、最も私の心に近く、とても自然に演奏できると感じました。
――バッハの音楽には近寄りがたいイメージがあります。
バッハの作品は意外と自由で、逆にイザイの作品はすべてが決められているように感じます。装飾を自分で入れるなど、バッハの音楽はもっと自由です。イザイは、すべてを把握してヴァイオリンを弾いていたと思います。ですから、「ここは伸ばす」「デクレッシェンドしない」など、楽譜上には細かな指示が書かれています。
――イザイの作品を弾いていると、作曲家と対話をしているように感じますか?
そうですね。それから、譜読みをしたり最初に弾いたりする時も、毎回すっと入っていけるのがイザイの音楽なのです。
――イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」は、第1番から第6番まですべて献呈されています。それぞれのソナタには、献呈された演奏家の雰囲気などが反映されているのでしょうか?
よく表われています。例えば、第1番はシゲティに献呈されましたけれど、シゲティのバッハを聴いて刺激を受けてイザイが作曲したソナタです。第4番も、クライスラーの曲を彷彿とさせるような雰囲気や、クライスラーの演奏スタイルなども顕著にあらわれています。
――もしも、イザイに会えるとしたら、どんなことを訊いてみたいですか?
レッスンを受けたい!どのような気持ちで作品を書いたのかを訊きたいです。「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」6曲をどのように思いつき、一気に書き上げていったのか……そのプロセスや、ステージでは何を思って弾いていたのかなど、いろいろ訊いてみたいけれど、やっぱり演奏を聴きたいですね。
――インディアナポリス国際ヴァイオリンコンクールで第2位を受賞されたのは、17歳。東京音楽大学附属高校に在学中でした。現在は、アメリカのマンハッタン音楽学校に通っているそうですね。
マンハッタン音楽学校に在籍し始めたのは、2020年9月からです。でも、コロナ禍の初めのころで、日本との行き来が制限されていたので、最初は授業もレッスンもすべてリモートでした。2年目からアメリカで生活を始めました。いまは、大学4年生です。原田幸一郎先生のもとで学んでいますが、ルーシー・ロバート先生にもみていただいています。
――マンハッタンで新たに学んだことを教えていただけますか?
アメリカに行って変わったことは、まず、表現のことを気にするようになりました。ロバート先生が、「まず音楽!」とよくおっしゃいます。音程のことやどれだけ弾けるかに意識が行ってしまいがちですが、作曲家が作曲する理由は、表現したいからであり、何か背景があって作曲するわけです。そのことをより大切に考えるようになりました。
次に、さまざまなホールで演奏させていただいています。日本には、素晴らしい響きのコンサートホールがたくさんあり、演奏の際にホールの響きなどに助けられることも多いです。でも、アメリカでは「大丈夫かなぁ……」と思うようなホールもたくさんあります。シアターで弾いたり、何も響かないような場所で弾いたり、そうかと思えば響きの良い教会で弾かせていただいたりしています。どのように演奏すれば良いか、会場のことも考えるようになり、ホールをひとつの楽器として捉えられるようになりました。
それから、私生活を大事にするようになりました。そのような部分は、音楽にも表われてきますから。ヴァイオリンのことばかりを考える時期も大切かもしれませんが、少し息抜きして、いろいろ冒険してみることも必要だと思います。
――音楽以外で、いま夢中になっていることはありますか?
読書です。帰国すると本屋に立ち寄り、月に5冊ぐらい買います。
――最近のお気に入りの本は?
平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」が一番好きです。それから、辻村深月さんの本はほとんどすべて揃っています。私は、生まれも育ちも東京です。その本には、東京の孤独がとても表われていて、アメリカに住んでいると懐かしさも覚えます。いわゆる普通の学生生活を送って大人になった人たちを描いた作品が多く、私は普通の学校生活を送っていたわけではなかったので、憧れもあります。
――「孤独」とおっしゃいましたが、インタビュー冒頭でも、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を演奏することについて、「孤独に音を紡いでいく」と語っていましたね。
そうですね。孤独には、悪い意味と良い意味があると思います。孤独という言葉は、以前はそんなに好きではありませんでした。けれど、最近、辻村さんの本を読み、すこし温かみのある言葉だと思うようになりました。
自分のスペースがあり、打ち込むことができる……孤独を感じるのも、幸せと言いますか、生活の一部であり、そのようなことを感じることって誰でもあると思います。
――最後に、このリサイタルにかける思いを読者のみなさまへ。
このリサイタルは、自分にとって節目のひとつであり、大きな転換期へのきっかけになると思います。とても大きな挑戦です……イザイの作品は、もっと年齢を重ねてから演奏するものかもしれません。でも、いまの私が感じるイザイを、みなさんにも感じていただけるように演奏したいです。そして、イザイの魅力を、演奏のなかで最大限に引き出すことができればと思います。
取材・文=道下京子 撮影=福岡諒祠