MOROHAアフロ 撮影=toya
MOROHAのアフロが主演を務める映画『さよなら ほやマン』が11月3日(金)より全国の映画館で上映がスタートし、S著名人によるメッセージや感想コメントがSNSを席巻している。同作の舞台は、宮城県石巻のとある離島で。アフロ演じる漁師のアキラが弟のシゲルと、東京からやってきたワケあり漫画家の高橋美晴との出会い、不器用な人間たちが自分の人生を取り戻そうとする再生の物語。弟のシゲルを、NHK連続テレビ小説『ブキウギ』に大抜擢された黒崎煌代、美晴を注目の俳優・呉城久美が演じ、松金よね子、津田寛治らが脇を固める。監督を務めたのは、本作が長編デビューとなる庄司輝秋。自身の故郷である石巻を舞台となっている。
今回SPICEでは、主演のアフロに初めての映画主演への想い、音楽活動との違いや覚悟、そして撮影現場について話を訊いた。アフロが本作に全身全霊をかけ取り組み、そして自信を持っていることは、SNSを席巻している熱烈なプロモーションからも感じられるはず。そして本作が名作であることは、著名人によるコメントからも伝わってくるはずだ。コミカルなポスターの通り愛おしくてコミカルで、タイトルからは想像できないほどエモーショナルで胸を打つ人間ドラマを、ぜひ劇場で体感してみてほしい。
MOROHAアフロ
今だからこそ、この映画だからこそ「やりたい!」と思えた
ーー最初、オファーがあった時の心境はいかがでしたか?
「アフロさんにしかできない役なので、是非お願いします」と言われて、受け取った台本に仮タイトルで『ほやマン』と書いていて、B級感がプンプンするから最初は断ろうと思っていました。誰がほやマンハマり役だよ!って。そしたら監督が、「そう思う気持ちはわかるんだけど、中身も読んで判断してほしい」と言うので読んでみたら、そこには人間ドラマが書かれていて、「確かに俺が声をかけてもらえる理由がわかるな」と思ってやってみようと。
ーー当て書きじゃないと聞いて驚きました。それほど主人公のアキラとアフロさんがリンクするところも多くて。
監督が元々MOROHAを聴いてくれていたんです。台本を書き上げて俺の顔が浮かんだらしくて。「キャスティングで一番やってほしいと思っていた、アフロさんに演じてもらえてよかった」と言ってくれていたので引き受けてよかったなと。
ーー俳優の世界にチャレンジするということへの葛藤はありましたか? それとも、台本を読んで即決でしたか?
本を読んだ後は即決でしたね。「自分が演じたい、やりたい!」と。
ーーそれは意外でした。何事にも真摯に向き合って、全力で取り組むアフロさんだからこそ、演技や映画という領域に踏み入れるにはかなり時間をかけて考えたり、躊躇するところもあったのかなと、勝手に想像していたので。
5年前だったらもっといろいろ考えてたかもしれないですね。だけど、なんでだろうね。きっと音楽の活動の腹の据え方が変わったからかもしれないです。今までは「音楽しかやらない」「音楽一筋で他のことには手を出さねえ!」という見せ方をしたい時期がずっと続いていたんです。それがカッコいいと思っていたし。だけど心の底では、もっといろんなことをやってみたいと思っていたり。そもそも人に必要とされたくて選んだ道が音楽だったから、初心を見つめ直せば「やってほしい」と言われたものに対しては、素直に「やりたい!」と思えるはずなんです。なのに、そういう気持ちに蓋をしていたところがあって……その頃が自分にとってよくない季節だったとは思わないんだけどね。だけど最近はライブに自信が持てるようになって、どんなことをしていてもライブに還元できるし、文句を言ってるやつがいても、ライブに来てくれたら「そういうことだったんだ」と納得してもらえるようなライブができるという自負もある。だから、バラエティやCMにも躊躇いなく出られるようになって、映画も即決できたんだと思います。
ーー昨年に芸人さんと全国ツアーを回る『無敵のダブルスツアー』を実施されていましたが、これもひとつ音楽と違う畑の人たちと向き合えたキッカケでしょうか?
そうかもね。今までだったら、自分がそういうことをするのは違うと考えすぎちゃってたかも。それは俺やMOROHAのイメージが崩れるとか気にしすぎていたところがあったと思います。イメージなんて気にするなって、批判や否定をしてきた俺自身が、そういうイメージ商売に乗っ取られていたのかも。そういう意味では、今の方が自由になったし、きっと自信の表れなんだろうなと思います。でも、そうじゃなかったらどうしよう……という恐れも未だにありますよ。
ーーそうじゃなかったら、というのは?
なんかただ、「調子に乗ってるだけだったらどうしよ」という。だからもっと頑張らなくちゃいけないなと思うけど。周りにそう思われていたらどうしようもないけど、俺自身がそう思ってしまったり、言い訳して音楽から逃げてると自分で思っちゃったらやだなと。だから音楽も頑張ろうと、今はより思えていると思いますね。外の世界に出て新しい出会いがあったり、新しい刺激や考え方をゲットしたいし、一方で音楽だけやっていて逃げ場がない追求者みたいな、そういう良さもしっかりと求めていきたい。矛盾しているんだけど、矛盾しながらも、どっちのいいところも取っていきたいなと。
この映画では「震災」ではなくて、大切な人を亡くしたことにフォーカスを当てたい
MOROHAアフロ
ーー心の奥底ではやってみたい、という思いもあったとおっしゃっていましたが、演技をするということにも関心があった?
それは尊敬している竹原ピストルさんや峯田(和伸)さんを見て来てますからね。あとは、やっぱり人前に出るのが好きなんですよね。俺、振り返れば文化祭をやり損ねた男で。高校生の頃、野球部で文化祭の時期は夏の大会が重なっているから3年間一度も文化祭に出たことがなくて。同級生はコントや漫才をやったり、バンドだとか色々やってるのを見ながら、俺は補欠だから試合に出れもしないのに野球部で汗を流してて、ずっとその頃を人生かけて取り戻さないといけないんだ、と思っているところがあるんだと思います。
ーー実際に映画の現場はいかがでしたか? ライブとはまた違う緊張感があったのかなと。
めちゃめちゃ緊張感はありました。けど、幸いにも呉城さんと黒崎くんが稽古に入る前からコミュニケーションをとってくれる人だったので、 3人でご飯を食べに行ったりして。映画の世界では、俺が一番後輩だから「思うことあったら言ってほしい」と伝えて下地をつくってから、皆さんに教えてもらえる状況を作ったり。あとは、監督とも密に話もしながら島に入る前にみんなで稽古をしていたので、実際に撮影で島に入る頃には緊張感よりも「やるぞ!」という気持ちの方が強かったですね。
ーー演技も心の準備もしっかりできていたんですね。
そう。ただ、体育館みたいなところで稽古していたんですね。そこで俺も一生懸命、ああだこうだとみんなで演技を合わせるわけですよ。で、監督も長編初めてなんで、結構ストイックにぎゅーっと詰めていって、「はい、オッケーです!これでいきましょう!」と監言った後に、ふと松金さんが「まあ、でも同じことはできないからね」と言って。「だって島に行ったら空気も違うし、場所も変われば何もかもが変わるんだから、同じ演技はできないよ」と。その言葉で、みんな決めきってつくりこんでいたものから、解放されて少し心持ちも軽くなったというか。完全に稽古でつくりきることはできないんだと、俺も救われてちょっと余白を持って島に入れたところもあります。
ーー島には、撮影までにも訪れられていたんですよね。
漁師さんからいろいろ教えてもらいに出入りしていました。島の漁師さんとずっと一緒にいることが多かったんですけど、みんなよく人を見る人たちで。というのも過去に撮影やイベントで来た人たちがあまり後始末がよくなかったことがあって、島の外から来る人たちにネガティブな印象があったみたいで。だけど、アキラの親父役の澤口さんが最初に俺たちと出会い、監督と同い年ということもあり、すごく親身になってくれて。で、島の人たちに「この人たちは大丈夫だよ」と言って回ってくれたおかげで、島のみんなもすごく受け入れてくれたんです。俺はその澤口さんに弟子入りして、漁のやり方を教えてもらったり。俺も船舶の免許をちゃんと取って行ったから、一生懸命やろうとしていることを認めてくれたみたいで、協力しようと。そうやってひとつひとつ積み重ねながら、島の人たちと取り組めました。俺の方言も、ほとんど親父役の澤口さんとのヨタ話で身についたものだと思う。撮休の日なんて、澤口さんの家でゴロゴロしたりしてたから。
ーー本作では、震災がひとつのテーマとして描かれています。語るにはシリアスに構えてしまうところがあると思うのですが、アフロさんはどのように受け止めて演じられましたか?
まず、ロケ地になった島は、石巻にある網地島という島なんですけど、島では震災で1人も亡くならなかったんです。島のみんなはそのことをすごく誇りに思っていて。だけど、映画では亡くなった人がいるという設定になっているから、多部島と名前を変えています。その上で、俺個人としては震災について誰かに話す時も、ライブもそうなんですけど、ステージに上がる前まではどうしても「どんなことを歌おうか」と毎度考えます。その時、いつも最終的には、たくさんの人が亡くなった、たくさんの建物が壊れて崩れた日で、俺は体験していないからどうしたって共感はできないということ。だから本当の意味で寄り添うことはすごく難しい。だけど心に影響を与えているのは、地震という出来事ではなくて、その人にとってすごく身近な人が亡くなってしまったり、大切な場所がなくなったということだと思うんです。そうやって分母を大きくするのではなくて、パーソナルなことだと思えば俺にもその経験はある。地震ではないけれど、大切な人を亡くしたり大事な場所がなくなった経験はある。だから1人1人とちゃんと向き合えば、共感できる部分はきっとあるはずだと。そう思えば思うほど、いつも通りのライブでいいはずなんだ。と着地するんですね。そのいつも通りというのは、これから自分がどう生きていくかを発表する場になるんですよね。 だからこの映画も、震災は1つの出来事としては描かれているんですけど、あくまでも大事な人がいなくなってしまって、それによって起こった影響を個人としてどう解決していくか、乗り越えていくかというような話にしたいし、するべきだよねという話を監督ともしました。
ーーだからこそ、大きく震災の映画として打ち出されていないのですね。監督も東北の出身だからこそ、震災についてはとても丁寧に描かれているように感じました。アキラが、お父さんが亡くなられて「12年経った」というところを「12年半」としっかり訂正したり。そういった言葉など細部に、2011年3月11日から、さまざまな思いを抱えながら日々を過ごしているアキラの想いも強く表れていたなと。
監督自身の身に起こったことだから、それを1つの出来事として映画でも扱っているけれど、あくまでもこの映画では震災ではなくて、大切な人がいなくなってしまったことにフォーカスをあてたい、という思いが俺は監督からすごく伝わってきました。
アキラを演じながらも、アフロのドキュメントでもあった
MOROHAアフロ
ーー「アキラの葛藤は俺のものだった」とコメントを出されていましたが、具体的にどういったところでアキラに共感を得ましたか?
海に囲まれていて、島から出たいけれど出れない、というところですね。まさに俺が10代の時に長野県で山に囲まれて育って感じていたことで、海と山の違いでしかないなと。ただその環境から出たら出たで、何かに囲まれてはいたんです。たとえば、東京に出てきたけどクラブに行ってもイケてるグループの中には入っていけず、端っこでウーロン茶を飲んでるみたいな。そこには多分、今まで見てきた山より高い、目に見えない山があったり。だから、常に何かに囲まれて「ここから出たい!」と思い続けてきてたんじゃないかな。そういう葛藤の中にいるアキラは、自分がしてきた経験に近いものだなと共感しました。
ーー一方で、ダーツで決めて都会から島にきた美晴がいて。彼女との出会いで人生に変化が訪れるわけですが、アキラのようにそういった変化を経験されたことってありますか?
俺が住んでいたところでは、幼稚園から中学校までみんな一緒なんだけど、突然、1個下の世代で、遠くの街から1人のヤンキーが入ってきたことがあって。それで下の代が荒れに荒れ、男の子の半分ぐらいが不良になっちゃった、ということはありましたね。俺は年上だし、自分のプライドを保つために必死で、結局交わることはなかったんだけど……。東京に出てからは、逆に美晴の立場だったかな。アコギ1本でラップをする、一旗起こしてやろうと音楽の世界に入って、メロコアのイベントに出ても、ヒップホップのイベントに出てもはみ出した存在になるし。つまり、ジャンルは島なんですよね。俺たちの島はどこにもないから、自分たちの居場所を今も作っていってるような感じというか。やっぱり羨ましいんです。メロコアが盛り上がって、ギターロックが盛り上がって、ヒップホップが盛り上がってるところを見ていて。だけど、俺たちはそのどこにも行けない感じがするから、ビジネス的に言えばすごく不利。だけど音楽を作る上では、すごく屈強なものが作ってこれているという風にも思うから有利でもある。
ーー共感できるところはありながらも、初めての主演・演技はとても難しかったのかなと思います。
もちろん難しかったんですけど、セリフによってはドキュメントが入ってくることもあって。家族について書いた「ネクター」を作った後だったこともあって、家族のことを叫んでいるシーンはもはやライブ中の俺のMCなんじゃないかという気持ちでやっていたところもありました。だから、アキラの中にはアフロが入ってきて、滝原勇斗という俺個人も入っている。それが混ぜこぜになった瞬間に、セリフを噛んだりしてるんですよね、俺。気持ちが全部入って、気持ちが言葉より先に出ちゃってるから。だけどその感情の高ぶりがすごく良かったと監督は言ってくれて、そのまま生かしになってるシーンもあります。そこは俺っぽいというか、俺にしかできない……と言うとちょっと偉そうだけど、そうだったんじゃないかなとは思います。
ーーこれまでの人生やキャリアが、アキラに重なる瞬間が……。個人的には、セリフ回しや話し相手によって声のトーンや強弱を絶妙に変えているところが、ライブの表現力がそのまま生きているように感じました。弟のシゲルと話す兄としてのたくましいアキラの声と、幼い頃から見守ってきてくれた春子さんと話す時の優しい声が上手いなぁと。
わー、嬉しいです。ありがとうございます。だけどラップをやってきたことが演技に弊害にもなっていて。稽古の段階で「滑舌が良すぎるから落とせ」と言われましたね。ラップをしている人間として声をかけてもらっているから、そういう音楽活動の何かを求めて選ばれたと思っていたんですけど、最初の方は「これとこれはいらない」みたいな仕分けをされました。滑舌が良すぎるとセリフ然としちゃうから、とにかく落としてくれと。それはすごく大変だったけど、幸いにも方言を入れるとすごく相性が良くて、なんとかできたかなぁ。標準語だったら、もっともっと苦戦してたと思います。
ーー台詞回しや演技ですごくナチュラルなところは、アドリブでしょうか?
アドリブなんて一切ないですよ! そんなのできない、できない。セリフについて、こういう言い回しはどうですか?と監督に提案するところもあったりしたけど、ほんとそれぐらい。
ーーそうなんですね!シゲルとのすごく何気ない掛け合いとか、美晴と白熱するシーンとか、すごくナチュラルだからてっきりアドリブも入っているのかと……。
いやいや、全部決まっていた通りですよ。
ーーそれは意外でした。家の中をダラダラ歩く時は兄としてのアキラって感じがして、町を歩く時はまた違っていたと思うんですけど、そういう演技の機微みたいなのは監督と密に話しながら表現を?
こうしてくれ、みたいな細かい指示はなかったですね。思いもよらないところを見てもらっていますね。俺もどうやってたか覚えていないくらいですよ。
ーー普段、アフロさんがリリックを書く時に、より伝えるための言葉選びを試行錯誤されているように、演技やセリフもすごく選びながらつくっていったのかなと。
それはまさに、松金さんが言っていた、「現場に入ったら同じことはできないからね」のマジックだと思う。
ーーなるほど。実際にアキラたちが住んでいるお家に入って、あの島を歩いていると、自然とそういった演技に。
きっとそうですね。あの家にも撮影前に監督と2人で泊まったりして。最初は、ハエがすごいいっぱい飛んでて嫌だなと思ってたんだけど、寝泊まりしてみたり。実際に撮影中もずっといた場所だったので、本当に馴染みのある場所みたいな歩き方になっていたのかもしれないですね。そういう意味では、場所のパワーってすごいですよね。
演技を引き出されて、生涯で忘れられないシーンができた
MOROHAアフロ
ーー共演者のみなさんの演技を受けてもまた変わってくる部分も?
そこがすごく新鮮でした。いつものステージではUKと2人で立って、2人に視線が向けられている状態じゃないですか。だけど映画の撮影は、たとえば笑顔の呉城さんを映している時は映っていないんだけど受けの演技をしている俺がいる、みたいな。俺がいい演技をしないと、相手も乗っていけない。だから、映っていないところでファインプレーが行われてるわけですよね、いい演技の裏側には。それはすごく新鮮でした。呉城さんや黒崎くんが賞を取れば、俺のおかげでもある、と思えるところがすごくいいところだなと。
ーーそういう意味では、それぞれの俳優さんとのセッションで生まれてきたシーンばかりということですよね。美晴を演じられた、呉城さんとの演技についてはいかがでしたか?とくに白熱したシーンが多かったと思います。
呉城さんは、美晴と素の性格が近いと思うんですよ。こんなこと言うと、怒られるかもしんないけど。だから結構、素でやっていたところが多いんじゃないかなと思ったり。
ーーかなりハッキリとした性格と言いますか。個人的には、都会からきたイケてる美晴が、シゲルと距離が近くてドキドキする場面もあって。それが後に、自分にも弟たちがいたと分かってお姉ちゃんとしての距離感なんだ、と納得する場面も。(シゲルの背中に足を伸ばして、踏んづけるような距離感とか)すごく自然で素敵な演技だなと。
あれね、すごいですよね。実はさ、元々はあの予告編でも出ている、ほやを食べているところを覗き見しているシーン、あれ最初に見た台本では美晴とシゲルの濡れ場だったの。
ーーそうだったんですか! ちょっとエッチなメタファーでもありますよね、ほやがまた。
そう。だけど結果、そうじゃなくてよかったなと。そうすることで深みも出たし、恋愛の要素がノイズにならなくて済んだから。そういう点では、監督も恋愛の要素についてはすごく慎重になっていたと思います。「もしかしたら、好きなのかな」と思ってもらうのは構わないけど、そういう作品だとはみせたくはないなと。
ーーアキラのおじさん・タツオ役の津田寛治との演技はいかがでしたか?
あの人はえぐい。役者筋という筋肉があったら、もうほんとボディビルダーみたいにムキムキなの。パワーがすごくて、現場に来た瞬間から圧がすごくて。人間としての厚みもすごいし、演技に迷いがないなと。
ーーアキラとしておじさんに抱く緊張感が、津田さんへのアフロさんの緊張感とリンクしているようで、空気感がリアルでたまらなかったです。
たしかに津田さんと向き合うシーンは、本当に圧倒されている感じはあったかもしれないですね。
ーー 一方で松金さん演じる晴子は、包み込むような優しさが滲み出ていましたね。
そうですよね。津田さんも松金さんも凄まじくて、漫画『幽☆遊☆白書』に出てくる達人みたいだった。晴子さんが「私の人生は失敗だった」と吐露するシーンは、自分の母親の声のように聞こえてきて、もうたまらなく切なくなったんですよね。俺、自分の母親にこんなこと言われちゃったらどうしよう、みたいな。
ーーその言葉に対しての、アキラの応えもすごく感動的でした。
あそこは監督ともかなりディスカッションして、言葉を選びました。俺の短い役者人生の中でも本当に大好きなシーンで、生涯忘れないと思います。すごく、引き出していただけたなと思います。
ーーほかにも思いもよらぬ演技が引き出されたシーンってございますか?
最後の俺が船を操縦しているシーンがあると思うんですけど、実際は演技しながらだと危ないから操縦席のひとつ後ろの席で演技してたんですね。俺の前で操縦していたのが、親父役の澤口さんで。死んだ親父役の澤口さんに、偶然、光が重なって、いい笑顔でこっち見てたりするの。その表情を見ながら、叫んでいると本当に死んだ親父の幻を見ているような気持ちになって。あのシーンもすごく引き出してもらえたと思います。
無理して変わらなくてもいい、ということも認めたい
MOROHAアフロ
ーー最後に、「脳みそなくなっちゃう前に動け!」とほやに言われて物語が展開していくように、「やりたいことをやる」ということがメッセージとして描かれているように思います。アフロさんが自身の人生で、決断して動き出した瞬間はいつでしょうか?
美容師の専門学校を卒業したけど、親に美容師にならないと言ったことがあって。その時に、「あと2年間、東京で好きなことしてみろ」と言われて。「それでも自分が一生続けられるような仕事を見つけられなかったら、もう長野帰ってこい」という約束をしたんです。だけど気づけば1年半経っちゃって、あと半年で結果を出さないといけない……って時に、「一番やりたかった音楽で食っていく」とみんなに言って宣言し始めたんですね。それまではやっぱり無理だと言われるだろうし、恥ずかしいし、自信もなかったから言えなくて。だけど残り半年になって「そんなこと言ってる場合じゃない」「俺の人生が終わっちまう」と思った、そのタイミングかもしれないですね。
ーー自分自身で決断をしたからこそ、新しい道が開けたと。映画もいかにトラウマや葛藤を乗り越えて、自分で決めた道を進むかが描かれていて、観ている自分も動かねばと思えたり。そういう点は、すごく悩んでいる人にとって励みになるのではないかなと思いました。
そうですよね。ただ、MOROHAとしてはそこにもカウンターを打ちたくなっちゃうんですよね。
ーーというと?
みんな「変わりたい」と言うけど、どこかで「このまんまがいい」とて自分自身が願ってんじゃないの?と思うことが多いから。「こうしたいけど、できない」と言う人には、それを1個捨てて1個得るしかないんだから、やりゃいいじゃんと思うんです。俺はそうしてきたから、二の足を踏んでいる人を見ると、悩んでるふりしてるけど自分の中では決まってて、本当は別に今のままでいいと思ってんじゃないのかなと。それなら、それを肯定してあげればいいんじゃんって。変な話、アキラがYouTuberとかやらずに、「お前はそのままでいいんじゃないの」と言ってやりたい自分もいるんです。
ーー無理して変わらなくても、島で過ごす自分自身を受け入れると言う意味では、前進ですもんね。
うんうん。そうすると、この映画は別の話になるけどね。逆に、そのまた違った世界の映画に俺が美晴みたいなキャラでアフロとして来て、「お前、なんか悩んでるけどさ、納得してんでしょ」と。「実際は変わらない日々を望んでるんだろ」と言ってやると、真逆のエンディングがあったかもしれないよね。
ーー別の世界線の物語として、もうひとつのハッピーエンドですよね。
そうそう。無理してやりたいことやらなくても、今の自分を受け入れて肯定するのもいいと思うんです。
ーーそれもひとつの選択ですよね。映画ではそれぞれのキャラクターがどのような選択をするのか、また映画を鑑賞された方がどう感じ、どう選択をされるのかすごく楽しみです!
取材・文=大西健斗 撮影=toya