写真左から:s-ken、横山剣(クレイジーケンバンド)
アメリカと日本のカルチャーが交差する街、横須賀で行われた新たなイベント『YOKOSUKA ROCK'N ROLL FESTIVAL 2023』(11月3日/よこすか芸術劇場)。このイベントに出演したs-kenと横山剣(クレイジーケンバンド)の対談が、イベント開演直前の会場楽屋で実現した。
70年代後半からアーティスト、プロデューサーとして活躍し、現在は新プロジェクト“s-ken&far east sessions”として活動しているs-ken。いくつかのバンドを経た後、1997年にクレイジーケンバンドを結成し、今年9月にニューアルバム『世界』を発表するなど精力的な活動を続けている横山剣。“横須賀”“ロックンロール”を巡る刺激的なトークセッションを楽しんでほしい。
――s-kenさん、横山剣さんは以前から交流があるそうですね。
横山剣:ええ。s-kenさんのことは昔から存じ上げていましたが、直接お会いしたのは川勝正幸さんの……。
s-ken:2012年に川勝くんが不慮の事故で亡くなって、縁のあった人たちが集まる機会があったんです。そこで横山さんと初めてお会いしました。
横山:そうですね。間接的にはその前から関りがあったんですよ。s-kenさんがプロデュースしていたPE’Zとクレイジーケンバンド、田島貴男さんのイベントだったり。確か2002年なので、もう20年以上前ですね。
s-ken:そうです。当時、PE'Zはワールドアパート(s-kenが代表取締役兼プロデューサーをつとめていた音楽プロダクション)のバンドでした。
横山:s-kenさんがプロデュースしたアルバムもいろいろと聴かせてもらいました。“お、これは!”と思うレコードのクレジットを見ると、s-kenさんがプロデュースしていることが多かったんですよ。アモーレ・ヒロスケ(&ラブマシーン)さんの『一発逆転』もそうでした。
――s-kenさんのプロデュース作品に刺激を受けていた、と。
横山:そうですね。
s-ken:剣さんは他の人のプロデュースはやらないんですか?
横山:やったことないです。向いてないし、スキルもないので。プロデュースしてもらったことはあるんですけど、そっちも向いてなかった(笑)。クールスの頃にs-kenさんと知り合ってたら、上手く引き出してもらえたと思うんですけどね。伝説の東京ロッカーズからはじまって、レジェンドでありながら、今も現役感がすごいです。あとs-kenさんが作ったs-kenスタジオにもお世話になりました。マグネットスタジオという名前に変わった後ですが、クールスのときにレコーディングで使わせてもらって。
s-ken:s-kenスタジオを作ったのは1978年で、ニューヨークから戻ってきた直後ですね。フリクションのレックと“東京でおもしろいことやろうぜ”なんて言ってて、なけなしのお金をはたいて仲間とスタジオをはじめて。東京のパンクロックのベースメントになればな、と。
――s-kenスタジオは伝説のムーブメント・東京ロッカーズの拠点になりました。
s-ken:東京ロッカーズという言葉は最初はムーブメントのタイトルにしようと思っていたわけではなくて、イベントのサブタイトルだったんですよ。
横山:僕も横浜から見に行ったことがあります。
s-ken:そうでしたか。僕にクレイジーケンバンドを教えてくれたのは、川勝くんなんですよ。僕がデビューアルバム『魔都』を出したのは1981年なんだけど、プロモーションの一環でイラストレーターの河村要助とトークショーをやったときに、客としていちばん前に座っていたのが川勝くんで。その後、ライターとして名を成したわけだけど、“s-kenさん、すごい人が現れたよ”と教えてくれたのがクレイジーケンバンド、横山剣さんだったんです。
横山:ありがたいです。川勝さんには本当にお世話になりました。そういえば「自由通りの午後」も好きでしたね。
s-ken:そんなことまで知ってるんですね(笑)。「自由通りの午後」は僕が作曲したんですけど、1971年の楽曲で50年以上前のことです。最初、アイ・ジョージがレコーディングしてくれてポーランドの音楽祭でもその年の『紅白歌合戦』でも歌ってくれたんです。その後、ピースシティというバンドを組んで、僕が歌ってシングルとしてリリースすることにもなって。
横山:自由が丘を車で通ると、いつも「自由通りの午後」が浮かんできます(笑)。
現代的で洗練された街より、ドブ板通りみたいな場所に惹かれるんですよね。僕も曲も路地裏に終始しているところもあるし(笑)。(s-ken)
――今回、s-kenさんと剣さんは横須賀で行われた新たなイベント『YOKOSUKA ROCK'N ROLL FESTIVAL 2023』に出演されますが、横須賀にはどんな思い出がありますか?
横山:中学生のときに“毒瓦斯”という名前のチャリンコ暴走族を組んでたんですけど(笑)、横浜から横須賀まで自転車で来てましたね。ドブ板通りのエンブロイド(刺繍ロゴ)のお店で、揃いのウェアを作ったりして。
s-ken:スカジャンも?
横山:そうですね。中学生のときは高くて買えなかったですけど、店は覗いてました。大将ミシンししゅう店、プリンス商会、ダイヤモンド商会とか。ファースト商会の刺繍がいちばん好きだったんですけど、当時の職人さんはみんないなくなっちゃいました。
s-ken:僕は横須賀のことはあまりわからないんだけど、港町の歌をたくさん作ってきたんですよ。横須賀でライブをやるのは今回が初めてだけど、港がすぐ近くですごくいい雰囲気ですね。剣さんも横須賀の曲をけっこう作ってますよね。
横山:ええ。
――「ヨコスカン・ショック」「ヨコスカ慕情」「スカジャン・ブルース」など、横須賀を舞台にした楽曲ですね。
s-ken:「HONMOKU GARAGE」も横須賀までバイクで行く歌だしね。あの曲、好きなんだよ。
横山:ありがとうございます。ぜんぜん知られてない曲まで聴いていただいて。横須賀には磁場があるというか、何かがジワジワ出ている感じがあって。魅力的な街にはそういう雰囲気があるんですけど、横須賀は特にそれが強いですね。
s-ken:現代的で洗練された街より、ドブ板通りみたいな場所に惹かれるんですよね。僕も曲も路地裏に終始しているところもあるし(笑)、剣さんの曲を聴いていると、その街の光景が浮かんでくるんですよ。ぜひ横須賀の魅力についても聞きたい。
横山:この辺りはトンネルがやたら多いんですよ。トンネルとトンネルの間は時代が止まっているというか、上にゼロ戦が飛んでてもおかしくないくらいの雰囲気なんです。車で入れないような場所もけっこうあるんですけどね。
s-ken:バイクのほうがいろいろわかるかもね。
横山:そうですね。昔は米軍関係者を相手にしたキャバレーなんかもあって。軍艦が来ると街が盛り上がるっていう。
s-ken:そうなんだね。昨日、ドブ板通りでハンバーガー食べようと思ったら、けっこうでっかいポスター貼ってあって食べきれなそうでやめたんだけど(笑)。
――アメリカ仕様なんですね(笑)。青山あたりのオシャレな街とはまったく雰囲気が違うし、シティポップよりもロックンロールやブルースが似合うというか。
s-ken:そうだね。この前、思い出野郎Aチームのマコイチ(高橋一)と対談したんだけど、彼は“シティポップが好きじゃない”みたいな話をしていて。どういうことかと言うと、シティポップには路地裏の風景がまったく出てこないし、本当の都市音楽はラブ&ピースなところだけでなく猥雑な現実からも目を逸らさない美意識なんじゃないかと。剣さんの曲の面白さは、路地裏の雰囲気もあるし、朝起きてから寝るまで灯台下暗し今まで誰も歌にしてないことも自然に歌にしているところがすごい、参考になりますね。
――クレイジーケンバンド、音楽的にはかなり雑食ですよね。
横山:そうですね(笑)。s-kenさんはパンクやニューウェイブからはじまって、ラテンやブーガルーなどにどんどん広がって。そういう粋な感じがあるのは、かなり珍しいと思います。
s-ken:クレイジーケンバンドにも「かっこいいブーガルー」という曲があるよね。僕が最初にブーガルーをやったのは、1985年の『JUNGLE・DA』というアルバムのときで。「サブウェイ・ジョー」を日本語詞でカバーしたんだよ。
横山:ジョー・バターンの曲ですね。
s-ken:ええ。ブーガルーはR&Bやソウルとラテンが混ざって生まれた音楽で、流行ったのは60年代後半の3~4年なんですね。80年代に「サブウェイ・ジョー」をやったときは、あまり理解してもらえなかった気がする。2017年に出したアルバム(『Tequila the Ripper』)でもブーガルー的な曲が入ってるんですよ。「HEY!TAXI!AMIGO!」というクレジーなタクシードライバーの歌なんだけど(笑)。
横山:素晴らしい(笑)。
s-ken:そうだ、剣さんにお礼言わないといけなかった。僕が新しいアルバムを出すたびに、必ずラジオでかけてくれますよね。ありがたいです。
横山:いえいえ。忖度はまったくなくて、自分が本当に好きな曲だけをかけてるので。
s-ken
――s-kenさんは90年代前半にアシッドジャズのコンピレーションアルバム『JAZZ HIP JAP』をプロデュース。新しいトレンドをいち早くキャッチし、自身の作品やプロデュースワークに取り入れてきました。
s-ken:そんなつもりはないんです。新しいトレンドにはほんど興味はないものが多い。でもなぜか時としてパンク&ニューウェーブやアシッド・ジャズなどは夢中になりすぎて気がつくとシーンの先導者のように目立ってしまうことになる。70年代はじめから海外に行っていたし、幅広いアーティストのプロデュースもやってきたから、見ているものが他のミュージシャンとは違うのかもしれない。大きいのはやはり、70年代のニューヨークを体験したことかな。1976年、77年あたり、ちょうどパンク、ニューウェイブが始まった頃にニューヨークで暮らしCBGBやマクシズ・カンザス・シティ(70年代のニューヨークパンクの拠点だったライブハウス)にも出入りしていて。まだ客が入っていたのはラモーンズとパティ・スミスくらいで、トーキングヘッズなんて5人くらいしか客がいなかったんですよ。当時の日本は、T.Rexやスレイドなどのグラムロックが流行って、次はこれ、次はこれ……という感じだったけど、ニューヨークでは新しい動きというのはスラムみたいな場所で起きていたんです。ヒップホップはサウスブロンクスから出てきたし、ハウスミュージックはもともと、パラダイス・ガレージ(ディスコ)を中心としたゲイコミュニティの音楽だった。そういう現場を実際に体験してから東京に戻って。ひとりのサクセスストーリー的な概念で動くのではなく新しい音楽のシーンを浮上させ、その中のひとりでいたかったんです。
横山:アンテナの立ち方もそうだし、行動力もすごいですね。
s-ken:たまたまそこにいたという感じですけどね(笑)。あとは音楽が生まれてくる背景ってあるじゃないですか。僕は、一人の天才が作る音楽にはそれほど興味がなくて、どんな場所から出てきたのか、そこにはどんな人がいたのかを知りたいというか。クレイジーケンバンドの曲を聴くと、剣さんやメンバーだけではなくて、“いろんな人たちがそこにいる”という感じがあって。そこにワクワクするんですよね。ただ歌が上手いとか、曲がいいだけではなくて、背景や人がくっついてないと惹かれないので。
横山:わかります。
s-ken:70年代のニューヨークにはカリブ海諸国からのカリビアンがたくさんいて。ジャマイカから来たクール・ハーク みたいにサウス・ブロンクスでパーティやイベントをやることで、レゲエのダンスホールやDJのトーキングからヒップホップにつながっていったんです。
横山:ブロックパーティ(都市の路上で、時には交通を遮断して行われるパーティ)ですね。
s-ken:ヒップホップの生みの親のひとりグランドマスター・フラッシュもカリビアンでバルバドスの生まれだしね。日本にいるとヒップホップはアメリカ人が作ったと思いがちだけど、決してそうではないので。その頃のカリビアンのパワーがその背景にあったんです。同じ構造の物語で個人のサクセスストーリーじゃないんです。
僕にとってのロックンロールは“気配”。“リーゼントしてるから”“革ジャンだから”みたいなことよりも、その人が持っている波動というか。(横山剣)
――今回のイベント『YOKOSUKA ROCK'N ROLL FESTIVAL 2023』のタイトルにも入っている“ロックンロール”についても聞かせてください。お二人にとってロックンロールとは?
横山:50年代のオールディーズのイメージがあると思うんですけど、僕にとってのロックンロールは“気配”ですね。“リーゼントしてるから”“革ジャンだから”みたいなことよりも、その人が持っている波動というか。パンクであろうとロカビリーであろうと、ジャンルやファッションに関わらず“この感じはロックンロールだな”っていう。
――それ、どんな波動なんでしょう?
横山:えーと(笑)、ちょっと得体が知れなくて、グロテスクでもあり、セクシーでもあり。ロックンロールを感じる人って、けっこう女性っぽい動きをするんですよ。柳腰というか(笑)。
s-ken:剣さんが今話したのは、アディチュード、態度の話ですよね。そこは僕もまったく同じです。音楽的なことで言えば、R&Bの要素が大事なんですよ。たとえばチャック・ベリー、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノもそうだけど、ロックンロールの創始者にはR&Bがルーツになっていて。白人のロックンロールの多くは、どちらかというとカントリーに近いんですよね。
横山:僕も黒っぽいロックンロールが大好きです。
s-ken:だよね。もうちょっと詳しく言うと、リズムが違うんです。R&Bを内包しているロックンロールは純粋なエイトビートではなくて、ちょっと跳ねてるんですよ。そこが感じられるかどうかがすごく大きくて。白人でも、ちゃんとわかってる人はいるんだよね。たとえばリズムが跳ねていて。ジョン・レノンの「ロックンロール」というアルバムも、リー・ドーシーなんかもカバーしてていいよね。“わかってるな”って感じがする。
横山:なるほど。
s-ken:そういう意味でいうと日本人でロックンロールを深く理解している人って、あんまりいないんじゃないかな。大瀧詠一さんはわかっていたと思うけど。細野晴臣さんのカバーアルバム(2017年発売『Vu Ja De』)もすごくよくて。ロックンロールが出てくるちょっと前のまだ混沌としている感じがいい。
横山:ブギウギやセカンドライン系の曲ですよね。
s-ken:クレイジーケンバンドの新しいアルバム(『世界』)に入ってる「夜は千の目を持つ」もいいよね。アルバムの最後のほうに入れてるけど、どうしてこんなに目立たない位置にしたんですか?(笑)
横山:僕も好きな曲なので、しっかり温まった状態で聴いてほしいなと。そういえば川勝さんがs-kenさんのことを“二つの脳と千の眼を持つ男”と書いてましたよね。
s-ken:そうそう。剣さん、川勝さん、僕で話してみたかったね。
横山剣
――クレイジーケンバンドは9月にニューアルバム『世界』を発表。新加入の白川玄大さんのドラムにより、バンドのグルーヴが変化しました。
横山:ええ。玄大くんとは親子ほど年が離れているんですけど、彼が入ったことでメンバーのポテンシャルが引き出されたといいますか。バンドの細胞が生き生きした感じがありますね。
――そして『YOKOSUKA ROCK'N ROLL FESTIVAL 2023』にはCrazy Ken feat. gurasanpark with Special Guestという名義で出演。
横山:ここ数年、一緒にレコーディングしているgurasanparkくんという人がいて。バカテクのベーシストなんですけど、僕がやりたいことを完璧に形にしてくれるんですよ。他のメンバーにもわかりやすく通訳して伝えてくれて、彼のおかげでやりたいことが形にできるようになって。『YOKOSUKA ROCK'N ROLL FESTIVAL 2023』はParkくんのバンドに僕が乗っかるスタイルでやらせてもらいました。この形も前からやりたかったんですよね。クレイジーケンバンドは11人の大所帯なので、もうちょっと小回りがきく形態もほしかったので。
――s-kenさんは昨年、s-ken & hot bombomsの新作アルバム『P.O.BOX 496』をリリース。Billboard Live TOKYOでのワンマンライブも開催しました。さらに今年は新たなユニットs-ken & far east sessionsでの活動もスタート。
s-ken:hot bombomsのキーボードの矢代恒彦が去年の9月に亡くなったんですよ。彼は無口な人でしたけど、非常に繊細で。『P.O.BOX 496』の1曲目(「夜空にキスして天国を探せ」)には鍵盤のフレーズが20トラックも入ってるんですけど、サウンドの要だったし、彼がいないとライブができないんです。それで“もうライブはやめよう”と思ってたんだけど、東上野に廃工場をリノベーションした場所(YUKUIDO工房)に出会って、“ライブもできるよ”と友達が教えてくれて。そこを見に行ったら、ゾクッときてしまったんですね。で、“またライブをやろう”という気持ちになって、思いつくままに電話したのがfar east sessionsのメンバーなんです。
――hot bombomsの佐野篤さん(Ba、Perc、Celloなど)、EGO-WRAPPIN’の森雅樹さん、スティールパン奏者の原田芳宏さん、そしてs-kenさんがプロデューサーとして関わってきた中山うり(Acc、Tp、Vo、Cho)さんも参加。すごいメンバーですね。
s-ken:めちゃくちゃな人選でしょ。一度ライブやったら“またやりましょう”ということになって。セッションじゃなくて、バンドみたいになってきました。このプロジェクトでは、東京のイーストサイドから新しいカルチャーを興したいという気持ちもあって。これまでは東京のウエストサイド、西側からいろんなものが生まれてきたけど、今度は東側が面白いと感じて徘徊し曲や写真集も生まれた。スカイツリーの下、浅草界隈は観光地化しちゃったけど、その北側、京島界隈はすごくいい雰囲気で盛り上がってきていて住まいもそっちに移そうと思ってます。
面白いものが出てくる気配を感じるタイミング、エリアってリスクが伴うと思う。でも、地獄を見る覚悟がある奴に、神は天国を見せてくれる。(s-ken)
――やはりビリビリする場所を求めてるんでしょうね。土地の持つ磁場だったり、匂いみたいなものが大事というか。
s-ken:面白いものが出てくる気配を感じるんです。そういうタイミング、エリア、瞬間って、リスクが伴うと思うんですよ。でも体験から地獄を見る覚悟がある奴に、神は天国を見せてくれるというのかな。
横山:それこそ70年代のサウスブロンクスもそうですからね。ロサンゼルスのコンプトンとか。“行っちゃいけない”と言われたら、余計に行きたくなる(笑)。
s-ken:そうですね。ニューヨークから帰ってきたら、日本のヤバい場所、山谷なんかも平気で行けるようになっちゃって(笑)。
――70年代後半のニューヨークに比べたら、怖くないですよね(笑)。
s-ken:映画『タクシードライバー』の世界だからね。あの映画もニューヨークで見たんですよ。
横山:『ドゥ・ザ・ライト・シング』もそうですけど、街のヤバい匂いがする映画はいいですよね。
s-ken:剣さんの音楽にもヤバい匂いがありますよ。
横山:ありがとうございます。いちばん嬉しいです。
s-ken: J-POPを聴けばわかるけど、ラブソングと“人生がんばろう”しかないんですよ。俺たちの音楽はヤバいかもしれないけど、ラブソングや人生を応援することを無視しているわけではないので。
取材・文=森朋之 撮影=大橋祐希