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サノライブ主催によるお笑いと音楽のハイブリッドイベント『サノフェス2023”新派”』こだわりの見どころと信条を訊く

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サノライブ

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元大手レコード会社の社員からお笑い芸人へ転身という異色の経歴を持つ、サノライブ主催によるお笑いと音楽のハイブリッドイベント『サノフェス2023”新派”』が12月13日(水)に川崎・クラブチッタで開催される。ヨネダ2000、怪奇!YesどんぐりRPG、ナイチンゲールダンス、9番街レトロなど若手芸人たちに加え、実は出囃子人気が抜群だというネクライトーキーが出演する本イベントならではのこだわりの見どころとは? 首謀者であるサノライブに、その信条を訊いた。

――サノライブさんはなかなか異色の経歴をお持ちで。

ソニーミュージックに新卒で入って、そこで約1年半宣伝の仕事をしたのちに辞めて、今は芸人です。

――音楽とお笑いの出会いはどちらが先なんですか。

京都出身でちっちゃい頃からテレビでお笑いを見てましたし、劇場に行くのも音楽のライブに行くより先だったので、お笑いが先だと思います。baseよしもと(現・よしもと漫才劇場)に行ったり、baseよしもとの番組をテレビで見たり。あと、僕が小学校1年生のときに「M-1」が始まって、当時からめちゃくちゃ楽しみなものとして見てましたね。

――どんなコンビが好きだったんですか?

麒麟さんとか好きでした。それからちょっとして「R-1」も見始めて、中山功太さんがめっちゃ好きになって、中学生の頃に単独ライブを観に行ったり、出待ちしたりしてました。

――普通、出待ちしてるお客さんの中に中学生なんてなかなかいないですよね。

いないですね。自分でネタを書いて中山功太さんに渡したりしてました。「見てください!」って。

――では、いったんお笑いの話は置いといて、音楽との出会いはいつですか?

中学3年生ぐらいまでは普通にORANGE RANGEとか大塚愛を聴いたりするぐらいだったんですけど、ルミネ( theよしもと)の正月寄席みたいなのを見に行ったときにダイノジさんが出られてて、出囃子でPerfumeの「エレクトロ・ワールド」を流してたんですよ。当時はPerfumeのことは知らなかったんですけど、知らない音楽だし、自分が東京に来てるっていうこともあって、「無茶苦茶カッコいいな!」ってなって、曲を調べて京都に帰ってからTSUTAYAで借りて、そこからPerfumeをめちゃくちゃ聴くようになりました。で、Perfumeがラジオをやってるらしいってことを知って、『SCHOOL OF LOCK!』を聞きはじめて、そこからさらにいろんな音楽を知っていったって感じです。

――まさに『SCHOOL OF LOCK!』が先生だった。

めちゃくちゃそんな感じっすね。中学、高校、大学とずっと聞いてて、そこでいろんな音楽を知りました。

――じゃあ、サノライブさんが大好きだというBase Ball Bearも『SCHOOL OF LOCK!』で?

そうです、レギュラーで出られてたので。

――その他にはどんな音楽が好きなんですか。

邦楽ロックと、アイドルも好きです。けっこうメジャーどころですけど、エビ中とか。最近はハロプロも好きです。なので、バンドとアイドルって感じですね。

――昔からお笑いと音楽が生活の両軸としてサノライブさんのなかにあったんですね。

どっちが好きかって言われたら、どっちも同じぐらい好きっていう感覚はずっとあります。

――しかも、その入り口の感じからすると、それぞれが別々に存在しているというよりも、隣り合わせでいるような。

マジでそうです。いろいろお笑いライブをやらせていただいたりするんですけど、ネタはもちろんなんですけど、出囃子を流すときが楽しくて。だから、音楽とお笑いは自分の中で同じ場所にあるかもしれないですね。

自分が表に出たい気持ちを持ちながら裏方の仕事をやってるのは失礼やなと思って辞めました。本物に出会ったことで、すごくショックを受けたんです。

――で、大学に進学してからお笑いを始めたと。

そうですね。東京には学生お笑いのサークルとか大会がいっぱいあって、僕の同期でいうと令和ロマンとかラランドも学生お笑いをやってたんですけど、関西はカズレーザーさんとかさらば青春の光の東ブクロさんみたいな人はいたけど、東京みたいなそういう文化はなくて。そこで僕は『サノライブ』という単独ライブをやってました。

――それはサークルの活動みたいなものではなく?

京都・河原町のライブハウスを借りて、そこで自分のネタをいっぱいやってました。あとは、ゲストを呼んで一緒にネタをしたり。大学4年生の最後のライブは京都のKBSホールを借りてやって。

――すごい!

「もしかしたら借りられるんじゃないか」みたいな話になって、試しに話してみたら借りられて。まあ、高かった上にチケット代を390円にしたので大赤字だったんですけど。構内でビラ配ったりして頑張って集客して、「意外とできるんだ」って。

――サノライブさんは立命館という名門大学に通っていたんですよね? そんな中でお笑いと勉学を並行してやるって大変だったんじゃないですか?

まあでも、内部進学だったし、僕が通ってた社会学部はけっこう緩い感じで、メディア社会っていうのも楽しかったので。

――じゃあ、全然お笑いと関係ないことを勉強していというわけでもないんですね。

僕、卒論は「めちゃイケ論」で、オカザイルみたいなドキュメントバラエティの可能性、みたいなことを書いてましたから。そんな感じで自分の興味あることを楽しく自由にやらせてもらってました。

――でも、卒業後の進路は悩みませんでした?

はい。でも、めちゃくちゃ芸人になりたかったんですけど、今はとても応援してくれているけどその時は親が許してくれないだろうっていうのもあって、とりあえず実家から距離をおくために東京に行こうと。あと、普通の一般企業だと転勤があったりするだろうからメディア系がいいなということになって。僕はBase Ball Bearがいちばん好きだし、彼らの事務所を調べたらソニー(ソニー・ミュージックアーティスツ)だったので受けてみたんです。そうしたらたまたま受かったという感じでしたね。

――それなのに1年半で辞めてしまって。働いてみて「なんか違うな」って?

いや、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。宣伝部だったので、テレビ局とかラジオ局を回ったり、同期もいっぱいいましたし。でも、それと同時に「自分が舞台に出たい」という気持ちもあったんですよね。僕は小袋成彬さんの担当だったんですけど、小袋さんは生き方がもう無茶苦茶カッコよくて嘘がない人なんですよ。で、小袋さんから音楽で生きていくことの覚悟みたいな話を聞いたりしてるうちに、自分が表に出たいっていう気持ちを持ちながら裏方の仕事をやってるのは失礼やなと思って。会社に不満があるとかでは全然なかったんですけど、辞めました。本物に出会ったことで、すごくショックを受けたんですよね。

――で、幼い頃からの同級生とウキョウを組むという。

ちょうどそいつも僕が芸人になるのを待ってくれてたらしくて、「やるか」「うん」って。まあ、結局借金のせいで飛びましたけどね。

音楽好きで音楽の仕事もしてたヤツが芸人になって、音楽っぽい、お笑いっぽいことをやるのは自然な流れなんやなって思ってもらえた感じはあります。

――相当な思いがあって入ったレコード会社を辞めて、コンビを組んで、「キングオブコント」でもいいところまで進んだそうですが、相方の借金が理由で解散せざるを得なくなる。これってけっこうショックですよね。

最初はめっちゃ楽しかったんです。事務所にもすぐ入れてもらえて、「キングオブコント」も準々決勝までいって、ライブもけっこう出させてもらえるようになったし、同期とか先輩からもかわいがってもらえるようになって。そこから突然の解散だったので最初はショックでしたけど。その頃、ちょうどコロナ禍がはじまったんですよ。相方が飛んだのが2020年2月3日で。

――まさに、のタイミングじゃないですか。

2月末ぐらいからお笑いも音楽も全部中止の流れが来たから、解散してからはピンでライブに出るつもりだったんですけど、2月、3月、4月全部スケジュールがない!みたいな。でも逆にちょうどよくて。僕だけじゃなくてみんな止まったから、なんか救われたというか。みんな普通に活動してたら悔しかったかもしれない。

――じゃあ、考える時間はたくさんあったと。

そうですね。最初はコンビを組もうかとか考えましたけど、すぐに配信で無観客ライブをやったんですよ。売名行為というか、自分の名前が世の中に出続けるように、止まらないように。これは今もそうですけど、売れてる人とか名のある人を呼んで、その人のお客さんに自分のネタを見てもらいたいっていう、それが一番でしたね。逆境だったからこそ頑張れたのかもしれない。

――若手の頃って、ネタを作りまくってライブにも出まくって、それをひたすらブラッシュアップするというイメージなので、自分で企画を組んだり、ネタ作り以外のことに時間を割くというのは驚きです。

ネタが強くないと何にもならないっていうのは本当にそうだし、いっぱいネタを書いてライブに出てっていうのもマジでその通りでなんですけど、それにプラスしてやれたらっていう感じでしたね。ライブをやるのはもちろん好きですけど、僕はライブというもの自体がめちゃくちゃ好きなので、何かやれたらいいなって。

――「こういうこともやらなきゃいけない!」っていう気持ちだったら続いてない。

いま喋ってて思いましたけど、マジでそうだと思います。

――では、『サノライブ』をフェスにしていくというのは憧れからスタートしたものだったり?

『サノフェス』は2019年からやらせてもらっているんですけど、音楽がずっと好きで見てきたし楽しいのも知っているので、音楽フェスの真似をしてリストバンドとかポスターを作ったりして、楽しいからフェスにしてるっていう感じでしたね。あと、当時はまだ僕らみたいな若手の間ではお笑いのフェスがなかったから、やろうと思ったのかもしれないです。

――最初にはじめたときはどんな反応でしたか。

やっぱり、最初は「誰やねん」って感じですよね。でも、音楽好きで音楽の仕事もしてたヤツが芸人になって、音楽っぽい、お笑いっぽいことをやるっていうのはすごく自然な流れなんやなって次第に思ってもらえた感じはあります。

芸人とアーティストがごちゃ混ぜでやるイベントって、お笑いがけっこう損しがちなんですよね。だから自分はそうじゃない形にしたいと思ったんです。

――『サノフェス』のハッシュタグを辿ってみたんですけど、出演者の芸人さんがみんな楽しそうで。いい意味でわちゃわちゃしてるというか。

自分もいろんなライブに出るなかで、「これ、ちょっと嫌やな」みたいなことがあったりして芸人の気持ちがわかるから、「こういうライブだったらいいよね」っていうことができたのはあると思います。

――演者の気持ちも分かりつつ、音楽業界での経験も持ち込んでみたらそれがうまくハマった。

まあ、僕はそんな大したもんじゃないですけど、そういう気持ちはあります。

――『サノフェス“新派”』は去年からスタートしました。きっかけはなんだったんですか。

僕がソニーで担当していたバンドにthe peggiesがいて、メンバーが僕と同い年ぐらいだったのでけっこう仲よくさせてもらってて、the peggiesの事務所の社長もよくしてくれてたんです。で、僕がソニーを辞めて芸人をはじめたことも知ってくれてて、その事務所がやってる『DECEMBER'S CHILDREN』っていうイベントが毎年12月にあるんですけど、それをやってみないかと声をかけていただいて、LIQUIDROOMを使っていいよって言ってくださったんですよ。それで、それまでは芸人のライブしかやってなかったですけど、アーティストにも声をかけてやってみるかってことで始めたのが去年の『サノフェス2022 "新派" ~ supported by DECEMBER'S CHILDREN』です。

――いきなりLIQUIDROOMってすごい話ですね。

そうですね。めちゃくちゃでかいですし、自分も何回も行ったことがある場所なので「マジか」って思いましたけど、僕は過去にKBSホールでもやってるんで。

――確かに。

でも、最初は今みたいな感じじゃなくて、「対バンやりませんか?」みたいな感じだったんです。60分ずつ3組で、みたいな。で、いろいろ考えた結果、アーティスト2組と芸人に声をかけてやりました。芸人とアーティストがごちゃ混ぜでやるイベントって、お笑いがけっこう損しがちなんですよね。

――それはなぜですか?

バンドセットの前でネタをやったり、お客さんが全員立ってたり、ステージ間の移動があるからお客さんがゾロゾロ動いてる中でネタをしたり、芸人にとってはけっこうやりづらいんですよ。あと、基本は音楽メインでお笑いはあくまでも盛り上げ役、みたいな感じで芸人が呼ばれることもあって、それがめちゃくちゃ嫌で。だから自分はそうじゃない形にしたいと思ったんですよね。

――具体的には?

まず、お笑いは絶対に座って観たほうがいいので椅子を並べる。あとは、音楽のステージってデカくて、ステージがデカすぎるとお笑いはやりにくいので、ステージ上にパネルを組んで狭くする。そうやってステージを区切ることでお笑いが損しないように、イベントとしてネタがなるべくウケるようにしました。結果、リキッドは天井が低くてすごくやりやすかったし、ちゃんとネタもウケたのでよかったと思います。

――音楽の合間に芸人がステージに出てくるというのではなく、お笑いのためにもちゃんとセットチェンジがある。

音楽もお笑いも普段のような環境でやれるのが一番だし、それがメインのテーマですね。フェスだけどちゃんといつものネタがやれるっていうのはうれしいし、お客さんも多分、そういうのが見たいと思うんですよね。

――ネタも最初の振りをちゃんと見ておいてもらわないと。

そうなんですよね、途中から観てもあんまり意味なかったりしますし、静かじゃないと観づらいので。でも、去年はそういったところもちゃんと仕切ってやったし、いいお客さんがいい環境にしてくれました。

――当日はどんな感じだったんですか。

LIQUIDROOMって完全に音楽小屋のイメージがあるけど、この日はお笑いもメインで座席も並んでて。それでもやっぱり、北澤ゆうほさんやTHE 2さんがライブをやることで大団円を迎えられたというか。お客さんの雰囲気も「お笑いも好きだけど音楽も好きだよね、エンタメ好きだよね」みたいな感じですごくいい流れで、最後も芸人だけがいるエンディングトークとは全然違う……愛がありました。一本筋が通ってる。それがよかったですね。

イベントが盛り上がっても、それは僕がすごいんじゃなくて、演者がみんな面白いのがすごいんで。僕は自分のネタを評価されたいですね。

――そういう結果を受けて今年もまたやりたいぞと。

僕らも思ったことですし、お客さんの声を見ても感じたんですけど、めちゃくちゃ反応がよくて。いつものお笑いライブもいっぱい笑って楽しいけど、そこに音楽が加わることで新しい余韻が残って、「めっちゃいいものを観たな!」って満足感が何倍にもなった感じがして。ちゃんとお笑いのネタを見て、バンドで締めるっていうのがめちゃくちゃよかったんですよね。で、「ぜひもう1回やらしてください!」ということで今回はクラブチッタでやります。

――自分の中にずっと理想としてあったものが具現化された瞬間ってたまらないですね。

声をかけてもらってできたことではあるし、自分でやろうと思ってやったわけじゃないんですけど、確かにそうだと思います。自分にしかできないことだなと思いますし。

――でも、誘われてやったこととはいえ、その発想が頭の中になければ形にはできなかったわけですからね。

まあ、まだまだ全然ですし、もっといいものにできると思うんですけど、今できることはやってると思います。出演者の方には熱い覚悟を持ってオファーする、「このアーティストは絶対にいいし、お笑いのお客さんにも刺さる!」、去年はそういう気持ちでやったので、今年もその気持ちで成功したらいいなと思ってます。

――去年のあの喜びをもう1回味わいたい、みたいな。

それはけっこうありますね。まあ、僕自身にもっと人気があればとは思うんですけど、今年は去年出てくれた人たちもいて、この1年間みんなそれぞれいろいろ活躍してきたと思うんですよ。だから、個々のレベルが上がることで再びみんなで集まったときにフェス全体がぐっと強くなるっていうのが理想です。僕も含めて芸人は去年と同じメンツだけど、結果的に去年よりももっと豪華なフェスになってるっていう。

――バンドのチョイスに関してはどうですか。

今年出ていただくネクライトーキーさんは、ほんまに最適解というか、めちゃくちゃ最高やなと思います。芸人の中にもネクライトーキーさんのことを好きな人ってけっこういて、出囃子にネクライトーキーさんが流れる率ってむちゃくちゃ高いんですよ。ポップで明るいし、それでいてロックやし、カッコいいし。お笑いのお客さんも劇場でそれを聴いてるから自然だと思います。ご本人たちがどう思われてるかはわからないですけど、僕たちからしたら「ネクライトーキーが観れる! めっちゃ嬉しい! しかも笑いのイベントで!」っていう。

――話はちょっとズレますけど、出囃子で使われることが多いアーティストって誰なんですか。

ネクライトーキーさん以外だとサカナクションも多いですね。あと、KANA-BOONとかBiSHもけっこうある気がします。盛り上がる系とか、短くてわかりやすい曲、最初でぐっと掴むような曲が多いですね、やっぱえい、芸人はみんなちょっとカッコつけたい、こう思われたいみたいなのがあるんですよ。

――今年の『新派』には何を期待しますか。

僕もネタをやってるので、あんまり主催者とは思われたくなくて。だから、「ネタ面白いな」と思ってもらうのが一番なんですよね。でも、たくさんの人に楽しんでもらうっていう意味ではイベントを成功させるのも芸人の仕事だと思うので、みんなが楽しめて、「面白かったな、また来年も来たいな」って思ってもらえるようにやらないとなと思います。

――そうですよね、お客さんが楽しめる場所を作るだけじゃなくて、自分もちゃんと笑わせないといけないんですよね。

僕が一番ウケたらいいなと(笑)。とはいえ、全員がウケて「よかったな! 楽しかったな!」ってなってほしいですね。あと、ネクライトーキーのことをお笑いのファンの人にも好きになってほしいですし、ネクライトーキーのファンの人にも「お笑いっていいな」ってなってもらって、それぞれのワンマンとか寄席に行ってもらえたら一番うれしいですね。そのパイプ役に『新派』がなれたらいいなと。去年も、『新派』でTHE 2を初めて観た人がのちにワンマンを観に行ったっていう話を聞いたりして、とてもうれしかったんですよね。今回もそれを期待したいですね。

――今年は前回よりも規模が大きくなって、その分プレッシャーも大きいでしょうし、そんな状態でありながら自分のネタもしっかりと作っていかなきゃいけないっていう。これまでで一番大変じゃないですか。

もう、やるしかないっすよね。去年を超えるようなおもろいことを自分にプレッシャーかけてやるしかないです。まあ、やれると思いますし、やります。よく、「こんなライブを開催してくれてありがとう」みたいなことを書いてくれる人いるんですけど、うれしいんですけどそんなにうれしくなくて。それよりも「ネタが面白かった」って言われるほうが絶対にいいので、頑張りたいですね。

――確かに、イベントの主催者として名前が上がっていくのはあまりよろしくはないですよね。

褒めてもらえるのはとても嬉しいんですが、自分的にキモいなって思っちゃいます。そんな人、いっぱいいるんで。まあ、別にそれはそれでいいんですけど、僕はネタの人って思われたいんですよね。

――ネタが面白いと思ってたけどイベントもやってる人なんだ、みたいな。

それがベストです。あとこれは今回に限らずですが、イベントが盛り上がっても、それは別に僕がすごいんじゃなくて、演者がみんな面白いのがすごいんで。それでしかないんで。僕は自分の出代を作ってるだけだし、ネタを評価されたいですね。

――今後、毎年恒例にしていきたいという気持ちはありますか。

そうですね。でも、別にイベントをでっかくして稼ぎたいっていう気持ちはそんなになくて、僕は京都の出身だし、『ボロフェスタ』みたいな感じにしたいんですよね。主催者の愛があって、来てくれる人の愛があって、スタッフの愛があって、「『ボロフェスタ』やし、行くか」みたいな信頼がある感じ。

――「目指せ、幕張メッセ」ではなく。

はい、『ボロフェスタ』。いつか、KBSホールでやりたいですね。

取材・文=阿刀 “DA” 大志

 

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