ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン)
2024年2月17日(土)、神奈川県立音楽堂でバロック・ヴァイオリンの鬼才、ファビオ・ビオンディがバッハの《無伴奏ソナタとパルティータ》全曲の演奏に挑む。世界がパンデミックに覆われ閉ざされた2020年から数年、ビオンディはヴァイオリニストにとっての「聖典」ともいえるこの《無伴奏》とじっくりと語り合い、自身が60歳となる2021年に全曲を録音。そしてこのほどビオンディにとって本人曰く「もう一つの家」ともいえる神奈川県立音楽堂での演奏を行う。来日を前に、その思いをビオンディに聞いた。(文章中敬称略)
2022年10月オペラ『シッラ』日本初演の際、神奈川県立音楽堂にて (c) Tomoko Hidaki
■コロナ禍時の特殊な空間でバッハとじっくりと「語り合う」
――ビオンディさんはコロナ禍のときにこの曲と向き合ったということですが、その時のお話を伺えますか。
あの時は誰にも会えず、家に籠りきりになるという特殊な状態の中で、じっくりと曲に向き合い、深く分析し、解析するという時間がありました。曲の中にはバッハ自身がこの音楽に対する考え方やコンセプトなどをはっきり記していない部分もありますが、そうしたところについても考察を深めるだけでなく、この音楽の美しさや成熟性を自身の中に取り込んで演奏できるようになったように思えます。曲と向き合っていた時にこの《無伴奏》にはどこか世界と隔離されたような要素も感じられたのですが、コロナ禍という特殊な、世間と隔離された状態がその世界観にとても合っていたのではないかとも思えます。
気付きや考えることが最も多かった曲は、最初の《ソナタ1番ト短調》です。この曲はこれまでも様々な演奏や録音を聞く機会がありましたが、例えばダ・カーポの部分の装飾などに「何か違うのでは?」と思うところが時々ありました。そうした正しい装飾をどう付けるかという点についてもじっくりと考える時間があり、深く向き合えたと思っています。
――その《ソナタ1番ト短調》は、ビオンディさんの録音を聞いていて非常に先進的な印象を受けましたし、《無伴奏》を通してバッハの世界とじっくり語り合っていたのだな、とも感じました。
それはこの曲がバッハの実験的な要素というのでしょうか、当時のイタリアやドイツ、フランスなど様々な様式がちりばめられた、いわば「バベルの塔」のような構造になっているからかもしれませんね。また、「じっくり語り合っていた」という解釈はとてもうれしいです。今回の演奏会で、私は聴衆の方々に「聞かせる」、「技術を披露する」ということではなく、「バッハはこの曲でこういうことを考えていた」ということを感じていただきたいと思っています
――ビオンディさんが語り合って汲み取った、バッハの世界の「魂」の部分ですね。
2022年10月オペラ『シッラ』日本初演の際、神奈川県立音楽堂にて (c) Tomoko Hidaki
■ブックレットに込められた「日本」への思い
ビオンディのリリースしたバッハ《無伴奏》全曲の録音でひときわ独自性を放つのがCDに入れられたブックレットの内容だ。解説を一切省き、日仏で活躍する小説家アキラ・ミズバヤシ(水林章)の書き下ろし小説を掲載するというスタイルはほとんど例がない。水林のフランス語で書かれた小説『Âme brisée』は戦時中に壊された父のヴァイオリンを修復しようとする弦楽器職人を描いた物語で、フランスのガリマール社から出版されヨーロッパでベストセラーとなった。日本語でも自身の翻訳により『壊れた魂』として出版されている(2021年みすず書房)。作者の水林自身も父親の影響を通して音楽に対する非常に深い造形があり、ビオンディの《無伴奏》に寄稿された物語は音楽をモチーフに『壊れた魂』のスピンオフともいえる味わいがあるものだ。
――ブックレットに曲の解説を載せず小説を掲載されたことには驚きました。これはなぜでしょうか。
ブックレットに小説を取り上げたことは、私自身とても気に入っています。その理由のひとつには、日本のお客様はとても賢く、音楽のことをよく勉強されているので、細かい解説を載せなくてもバッハの《無伴奏》のことはよくご存じだということがありました。また形式的な理屈や解説よりも、物語の世界を通して感じられるこの曲の美しさや体温、熱、深さを感じてほしいと思ったこともあります。作家として水林さんを選んだのは、もちろん彼の小説を通じて得たインスピレーションなどもあるのですが、私自身が遠いながらもとても大好きなこの「日本」という国――繊細なお客様を育んだ豊かな食や自然のある国への思いを表したかったのです。日本のお客様は商業ベースの流行に振り回されることなく、音楽を学び、しっかり聞いてくださる。演奏していてそう感じるのです。この小説は日本のお客様に対する、私からの贈り物です。
2022年10月オペラ『シッラ』日本初演の際、神奈川県立音楽堂にて (c) Tomoko Hidaki
■「もうひとつの家」である音楽堂。全曲演奏はアスリートの如し
神奈川県立音楽堂(音楽堂)とビオンディの関係は1994年エウローパ・ガランテのヴィヴァルディ《四季》公演からはじまり、1999年には「ファビオ・ビオンディ&オルガ・トヴェルスカヤデュオリサイタル(古典とロマン派の響き)」公演も行った。だがやはり「音楽堂&ビオンディ」の関係をもっとも象徴するものはビオンディがライフワークの一つとするバロック・オペラの上演だろう。2006年に音楽堂50周年を機に企画・上演されたヴィヴァルディ《バヤゼット》、2015年ヴィヴァルディ《メッセニアの神託》をそれぞれ日本初演。2022年ヘンデル《シッラ》は、2020年のキャンセルを経ての上演として記憶に新しい。なお、2020年の「キャンセル《シッラ》」のリハーサル時、ビオンディは早朝に誰よりも早く音楽堂を訪れ、朝の陽ざしが差し込むホワイエで一人、バッハ《無伴奏》を奏でながら「対話」をしていたという。その姿は今でも音楽堂の「記憶」として、関係者の心に刻まれているそうだ。
――音楽堂で演奏することに対する思いなどをお聞かせください。
音楽堂は私個人にとっても、エウローパ・ガランテにとっても大切な、もう一つの家のような場所です。スタッフはとても熱心で仕事がしやすく、ここでバッハを上演することは、自分にとっては本当に特別なことなのです。繊細な日本のお客様や素晴らしいスタッフの方々と、様々な思いをここで体験してきました。2020年《シッラ》上演のキャンセルという悲しいこともありましたが、それに勝る多くのものをここで共有してきています。そうした場所でバッハ《無伴奏》を演奏することは、とてもうれしく、特別な思いがあります。
――音楽堂に「帰ってくる」という感じですね。まだ公演はこれからですが、バッハ《無伴奏》全曲の公演が終わった次に、考えていらっしゃることはあるのでしょうか。
アイデアはいろいろありますがこの《無伴奏》全曲を上演することはとてもレアでめったにない機会であるうえ、身体的にも精神的にもとてもハードなのです。それはまさにアスリートがオリンピックを目指すようなもので、今はそこに集中したいと思っています。そしてそれは聴いてくださるお客様にとってもおそらく同様でしょう。お客様にとっても《無伴奏》全曲を聴くことはオリンピックのアスリート並みに大変なことかもしれませんが、全曲を聴くことでこの曲の構造や深みなどをわかっていただけるのでは。実は演奏家のなかにはバッハを演奏するときに「お客様が飽きているのでは」と心配する人も多いのですが、私は幸いなことに「全然長く感じなかった」など、ポジティブな感想をよくいただいています。演奏を通して、CDとの違いなども感じていただければと思います。
――ありがとうございました。
【動画】ファビオ・ビオンディ メッセージ
取材・文=西原朋未