MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』ゲスト:向井秀徳
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』第四十二回目のゲストは向井秀徳。今回の対談はミュージシャンの聖地であり、ノスタルジーな雰囲気が漂う東京・下北沢で行われた。両者が初めて対バンをしたのは、2012年の渋谷O-nestで開催された『宇宙旅行R』だった。さらに遡れば、アフロは10代の頃から向井の音楽に魅了されていて、1stアルバム『MOROHA』の収録曲「奮い立つCDショップにて」でZAZEN BOYSの名前が出てくることからも、いかに特別な存在であるかが窺い知れる。一方、2021年にMOROHAがTHE FIRST TAKEで「革命」を一発撮りで披露した動画が上がった際、向井はX(Twitter)で「これを俺はブルースという」とポストしている。音楽シーンで圧倒的な存在感を放ちつづける異端な2人は、一体どんな会話を繰り広げるのだろうか。
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
「すみませんけど、俺らがお客さん全員を連れ帰りますんで」という勢いでライブをやっていた
アフロ:このお店には来たことあります?
向井秀徳(以下、向井):下北沢で打ち上げとか取材をするとなったら、都夏(つげ)が多かったね。福岡から出てきて下北でライブする時、早々に連れて来てもらったのもここだった。
アフロ:下北のどこでライブをしていたんですか。
向井:当時は、下北沢CLUB Queとか下北沢SHELTERだね。
アフロ:NUMBER GIRLとして東京でライブをしていた時、お客が全然いない時代もありました?
向井:上京したばかりの頃は、誰も知るわけがないよ。ブッキングをしてもらって、いろんなライブハウスに出させてもらっていました。でも、すでにメジャーデビューが決まっていたのもあって、東京に来て早くに自分たちの企画をQueでやらせてもらえた。
アフロ:じゃあ、全然知らないバンドと一緒に対バンする期間は、そんなに長くなかったんですね。
向井:それでも2、3年はやったよ。
アフロ:対バンする時、相手のステージは観ていたんですか?
向井:もちろん。基本的には打ち上げをするじゃない? そこで知り合いになる。しかも、打ち上げの席では率先して「もう帰るの?」みたいに言っていて。
アフロ:それは意外だ! 俺らは変に尖っていたから、率先して帰るタイプでした。
向井:うん、その気持ちはわかる。「そんなのに付き合ってられん」「ライブっていうのは馴れ合いじゃないよ」というね。東京に出てきた当初は、こっちは誰にも知られていない立場だけど、ずっと東京で活動してるバンドの人たちは、都内に自分たちのお客さんがいるじゃない? そういう場に出させてもらいながら「全部かっさらうよ」「すみませんけど、俺らがお客さん全員を連れ帰りますんで」という勢いでライブをやっていたよね。
アフロ:それは東京に来てからのスイッチですか。
向井:地方出身者だからかわからないけど、その気負いはあったよね。間違いなくピリピリはしていた。だけどライブ終わりは、興奮しとるもんだからさ。すぐバラバラになるのはちょっと寂しい。しかも東京はライブが終わったら、そのままライブハウスで打ち上げが行われる。福岡ではそういうのが一切なかったから、新鮮だった。それで「もう帰るんですか?」と言ったら、もう隣には誰もいない。下北と言ったら、そういう思い出があるね。
自我の塊人間じゃないと、人前でライブをやれないですよ
アフロ:そんな向井さんは、対談があまり得意じゃないそうですね。
向井:我々はさ、何回もライブを一緒にやらせてもらっているから、付き合いがないわけじゃないけんね。だから、普段の感じで話せる。逆に、面識がない人と「じゃあ2人で話してください」と言われても、話すことは何があるだろうか?と探している間に、時間がくることは多い。そういう形での対談は得意じゃないですね。
アフロ:俺も対談の連載をやっているくせに、前日は憂鬱になりますね。自分でゲストに呼んでおいて、どうしようかな?みたいな。友達と会う時でさえ、自分から約束したのに前日になると、どこか憂鬱になっちゃう。約束が苦手なのはありますね。
向井:それは自我があるからよ。あなたはライブのみならず、こうやって人を呼び出して、自己アピールをするやろ。その割に「億劫だな」っていう。自我の塊人間だと思いますよ、それは私もね。でも自我の塊人間じゃないと、人前でライブをやれないですよ。そのくせ、ほっといてくれっていう気持ちもある。
アフロ:でも、寂しいんですよね。
向井:まあね。ここってタバコは吸えるんだっけ?
スタッフ:すみません。昔は吸えたみたいなんですけど、今は全席禁煙らしくて。
向井:あぁ、そうですか。
アフロ:タバコと言えば、2002年に札幌PENNY LANE24でやられたNUMBER GIRLの解散ライブの時、ステージ上で向井さんがタバコを吸っていた印象が強く残っているんですよね。
向井:それは最後のMCでね、話が長くなるから灰皿をもらって。ちょっとタバコを吸いながら話そうか、と言って吸っていた。でも、ステージ上で吸ったのはその時ぐらいですよ。
アフロ:そこで北海道のバンドをつらつらと言ったんですよね。俺、それがきっかけで「向井さんが紹介する北海道のバンドだから聴いてみよう」と思ったんですよ。
向井:eastern youthとかbloodthirsty butchersとか?
アフロ:あとはfOULもそうです。向井さんを介して北海道のバンドを知った人が、俺らの世代はめちゃめちゃ多い気がする。
向井:1回目のNUMBER GIRLの解散ツアー(『NUM無常の旅』)最終日が札幌だったのと、私も札幌出身のバンドに影響されていますんで、言わずにはおれんかったんだろうね。札幌のバンドのシーンって、私が福岡で活動してる時は距離も離れているし、タッチする機会がなかった。だけど全国で活動できるようになって、ライブで札幌に初めて行った時は本当に感無量だった。札幌の空気感も温度もそう、この街があの音を生み出したんだって。
アフロ:俺も東京と札幌に降り立った日のことは、未だに覚えていて。「今、俺は東京にいるんだ!」と思ったもんな。
向井:そうは言っても、長野(※アフロの出身地)から東京って、車を3時間ぐらい飛ばしたら来れるやろ?
アフロ:いやいや、時間の問題じゃないんですよ。それこそ向井さんは、近くに福岡があったでしょ? 福岡の都市部なんて、俺からすれば東京みたいなもんですよ。
向井:まあ、都会やね。
アフロ:俺の家は長野県の青木村ですからね。周りには四方を囲む山があるわけです。だから福岡から東京へ行くよりも、青木村から東京の方が遠いと思ってる。だって、家の前を猪が通るんですよ。
向井:私の地元は山の中じゃないけど、田園地帯だから周りに田んぼしかないわけよね。地元・佐賀県の家から福岡まで、電車で30分ぐらいあれば出れるけど、本当に世界が全然違う。その時のギャップは確かにあった。佐賀から福岡のシティに行く上で、気概のような感覚が毎回あったんだけども。福岡に移り住み、その段階を経て東京に来たことで、確かにだんだんとシティの色に染まっていったのかもしれない。
アフロ:一度、青木村に来てほしいな。いいですよ、寂しさが漂っている村なんで。
本格的なバンド活動は、22歳でNUMBER GIRLを組むまではなかった
向井:その村で音楽を好きになってさ、CDショップへ行くとしたらどこに出るの?
アフロ:上田市まで出なきゃいけないんですけど、1番辛いのは電車がないんですよ。HIPHOPのCDを買うにしても、親に車で連れて行ってもらうしかない。親の車に乗せてもらって買うHIPHOPのCDって、もうHIPHOPじゃないですよね。
向井:ドクター・ドレーのCDを買って、帰り道に車の中で聴くかと思っても、全然似合わないよね。
アフロ:そうなんですよ。だから必死にチャリンコを漕いで、足パンパンになりながらCDを買いに行ってました。親に連れて行ってもらえばいいんだけど、やっぱり親同伴でHIPHOPのCDを買うのは違う。でも、本当はチャリンコも違うんですよ。
向井:わかる。久留米市が1番近い街でさ、自転車なら10分か15分で行けるんだけど、途中ででっかい川があるから橋を渡らないといけない。バスも通っているんやけど、本数が非常に少ない。バス停まで結構な畦道を歩かなきゃいけない。だからね、高校を卒業して早々に中型バイクの免許を取った。そしたら、だいぶ世界が広がったね。
アフロ:結局はCDが欲しいわけじゃなくて、そのCDショップまでの行き帰りの動線とか、その全部に世界観が染み込んでいてほしいじゃないですか。きっと、佐賀の畦道もキツかったですよね。
向井:東京や福岡もそうやけど、CDショップも映画館も山ほどあるわけだ。そういうところに住んでいる人は、学校帰りにいくらでもライブが観れる。そういう世界が羨ましいというか、もはや現実じゃないと思っていたね。私の高校生時代の情報源は「宝島」ですよ。バンドブームの頃やったから、いろんなバンドの情報がいっぱい載っていた。それを見て、東京という別世界を夢見ていたね。
アフロ:東京の空気を妄想していた時間は、今の自分を形成したと思いますか? 東京に生まれていたら、音楽に触れるのが手軽すぎて、ミュージシャンをやっていなかった可能性もあると思います?
向井:あの時間がなかったら、おそらく音楽はやっていないと思うよ。考えることはできんけどさ。
アフロ:そうですよね。
向井:田園地帯の中にある一軒家の2階で、誰に聴かせるわけでもなく1人で自宅録音をしていて。ダブルデッキを駆使しながら「次、このフレーズを録ろう」みたいな感じで、最後に歌を録るんやけど、ダイレクト入力やから音が歪んどるわけだ。ダブルデッキでずっとピンポン録音をし続けると、最初に録ったサウンドからどんどん遠ざかっていく。良いギターを弾いたところで、音がこもって聴こえないんだよ。それを一人で永遠とやっていた。
アフロ:わかります、俺もそうでした。
向井:そういうことを悶々とやっていたのが、その後の爆発に繋がるわけだよね。
アフロ:それは地方出身者が持つ、唯一の特権かもしれないですね。情報量の少なさに対して、一発の爆弾だけを持って東京に出て行く。でも昔と比べて今の若い人は、その爆弾がないから地方にいることのメリットは少ないかもしれない。
向井:でもね、若い頃というのはどんな状況でも抱えますよ。
アフロ:そっか、そうだよな。
向井:今は、自己表現がクイックにできる状況かもしれない。「俺を見つけてくれ」という思いがあったとして、それをすぐに表明もできるのかもしれない。だけどSNSだろうがYouTubeだろうが、誰も見ちゃいないことにすぐ気づくわけよ。俺なんて、私なんて、誰も見てくれていない。それは1000年前から同じだと思うよ。だから、便利なお気楽ツールでその欲が解消されることはないと思います。
アフロ:もし俺の高校時代にTwitter(X)というツールがあったとして、ポエムを投稿して“いいね”がたくさんついたら、自分の中で成仏した感情があったのかなと思ったんですけど、そんなに簡単じゃないか。
向井:そこに苛まれるよね。「昨日、盛り上がってポエムを公開してしもうたわ。なんてことをしてしまったんだ」と。そのシェイムは大事ですよ。もっとみんなが恥をさらした方がいいと思う。
アフロ:ダブルデッキを駆使していたのは、何歳の頃なんですか?
向井:宅録を始めたのが中学生の頃だから、15歳とか。
アフロ:地元で一緒にやってる友達はいました?
向井:いない。ちょっと年の離れた兄がいて、その人が音楽とか色々教えてくれた。その影響は大きかったね。
アフロ:意外とバンドを組むのは遅かった?
向井:本格的なバンド活動は、22歳でNUMBER GIRLを組むまではなかったね。それまではずっと一人で、ライブもしていなかった。
アフロ:じゃあ7年間も一人で音楽を作っていたんですね。そこから突然バンドやろうと思い立ったのは、どういう流れで?
向井:バイクの免許を取って福岡の街を行き来できるようになったら、地元でバンドをやっている人たちとの交流が生まれた。そして「バンドってこういう世界なんだ」と知ることができた。自分で録音したカセットテープを、バンドマンに聴かせるようになってさ。そしたら「この曲はなかなかよかばい」と、自分の作った曲に対してリアクションをしてくれた。そこに喜びを感じたね。より福岡でバンドをやっている人たちと付き合うようになってね。自分もライブハウスでライブをやりたい、と思うようになったわけだ。
向井さんと俺はどう違うのかを知りたい
アフロ:メンバーはどこで出会ったんですか?
向井:バンドシーン界隈の知り合いの知り合いとかさ、そういう流れだったよ。
アフロ:1人でずっとやってきたわけですよね? 声をかけるのは照れなかったですか。
向井:そこに関しては、分厚い顔の面をしとるからさ。何の経験則もないのに、良い人を見つけたら「一緒にやろう」と言える人間なんですよ。
アフロ:それでバンドを結成したと。いきなりカッコよかったですか?
向井:これだ、と思ったね。NUMBER GIRLで最初にライブをやった時は「これがバンドか」と実感したよ。4人で音を鳴らして誰かにぶつけるっていう、その根本的な喜びを知った。これをやっていきたいと思ったね。それまでは宅録したりギター弾いたりしよっただけで、メイクマネーをしようとか、ここに人生を捧げようってことはあんまり思わなかった。もっと言えば、大学受験をするのが嫌だから、逃げの行動としてギターを弾くとか、そういう側面が大きくてね。現実社会から逃れたい感覚が強かったんですよ。それがどんどん本気になっていく。NUMBER GIRLを始めたことで、マジになっていくわけだ。
アフロ:最初に褒められた時のことって覚えてます?
向井:NUMBER GIRLでオリジナル曲を作った時、自分の中で手応えがあった。その時点で実感を持っていたんだけど、福岡市内で定期的にライブをするようになって。来てくれたお客さんに、アンケート用紙を配っていたわけよ。ライブをやった後にその用紙を回収して、打ち上げの席で4人で感想を読む。厳しい評価を書いてくれる人もいれば、「またライブに行きます」「この曲がよかったです」とか具体的に感想を書いてくれる人もいた。そういう経験がなかったから、本当に嬉しくて、これは最高だと思ったよ。で、アンケートを書いてくれたお客さんに、次のライブスケジュールを送る。そしたらまた来てくれたりして、それもすごく嬉しかったですよね。これがバンドの原体験。
アフロ:東京進出のタイミングは、誰がどう作ってくださったんですか?
向井:しばらくは週2でスタジオに入っていて。それもメンバーのバイトとか仕事が終わった後だから、夜の10時とか12時からの2時間。そのスタジオの横に八剣伝という居酒屋があって、そこでリハの打ち上げをするわけ。当時、ギターの田渕ひさ子は縫製工場で働いていて、朝が早かったんだけど、深夜の居酒屋で「次のライブはこうしようや」「こういうライブの話が来とるばい」と若きバンドマンたちの肖像みたいな感じでね。そういうことを3年間ぐらいしよった。そうやって活動しながら、福岡のインディレーベルからアルバム(『SCHOOL GIRL BYE BYE』)を出した。それを聴いた東京のレコード会社の人が興味を持って、福岡までライブを観に来たんやね。
アフロ:それがEMIだ。
向井:「東京でライブをやるなら協力しますよ」と言ってくれて。そこから東京でライブをしに行くようになった。そしたらレーベルの人からも「ウチでデビューしないか?」と誘ってもらって。
アフロ:その時、向井さんはバイトをしていたんですか?
向井:多目的ホールみたいなところで、音響や照明のアルバイトをしよった。それはバンド活動のためで、雇い主の人も「バンド活動を中心にやりな」と言ってくれたね。ベースの中尾憲太郎も、ライブハウスとかリハスタでバイトをしていて。フルタイムで働いていたのは田渕さん。……ちょっと待てよ、この対談は「あなたのストーリーを聞く」シリーズなの?
アフロ:そういうわけじゃないんですけど、気になるんですよ。我々は東京でMOROHAを組んだから、田舎でUKと音楽をしたことがないんですね。だから、向井さんと俺はどう違うのかなって知りたい。「地元で磨いていた武器が、日本のど真ん中で通用すんのか?」という気持ちは、どんなだったのかなって。
向井:最初に東芝EMIの人たちのつてでブッキングしてくれたのが、下北沢SHELTERだった。対バンした人たちのことは全然知らなかったんやけど、4バンドぐらい出ていて。
アフロ:東京での初ライブは、どれぐらいお客さんがいたんですか。
向井:ライブの状況とか、お客さんがどれぐらいいたのか、対バンの人たちはどんな人たちで、どんな音だったのかっていうのは覚えていないんだ。ただ、すごく自分らの目つきが鋭かったのと、ライブに臨んだ気持ちは未だに蘇る。
アフロ:俺の初ライブは、池袋MANHOLEというライブハウスなんですけど、俺も共演が誰だったかとかは一切覚えていなくて。ただ、相方が「ギターを弾くための椅子を貸してくれ」とライブハウスの人に言ったら「椅子なんてありません」と貸してくれなくて。「じゃあ、いいです」と言って、相方があぐらで弾き始めたんですよ。
向井:そのファーストライブからスタイルが定着したわけだ。
アフロ:あぐらでギターを弾くUKを見た時に、「只者じゃない感じがするし、カッコいいじゃん」と言って。それ以来、このスタイルでライブを続けていますね。
ZAZEN BOYSのベーシスト・MIYAが新しく入ってきたのが大きい
アフロ:東京で「NUMBER GIRLがヤバイ」「カッコいい」って声がふつふつとあがり始め、ライブハウスがお客でパンパンになっていくじゃないですか。そこで成仏した感情ってありました?
向井:そこから回転速度が相当上がったよね。『止められるか、俺たちを』(※2018年に製作された、監督・白石和彌による映画作品)みたいな。そういう季節だったね。だからオーバーヒートして、エンジンが焼けついた。
アフロ:それは向井さんが?
向井:バンド全員やね。それで、ほどなくして解散になった。
アフロ:それは曲作りにおいてオーバーヒートしたのか、演奏だったり周りに対してだったり?
向井:理由はいっぱいあると思うよ。バンドって、本当に不思議で特別な組織なんだよね。スポーツのチームやったら「この大会で優勝する」とか「世界新記録を目指すために0.何秒縮めれば」という、分かりやすい目的がある。でもバンドって、そうじゃないから。「いかに目の前の客に勝つか」みたいな勢いでライブをやるにはやるけど、勝敗がハッキリ表れるかと言ったらそんなことはない。バンドは何を目指しているんだ? ということですよね。おぼろげなものだったりするし、人間同士のマインドが重なり合うものだからこそ、いろんなことが巻き起こる。その人間臭さがいいんやけどね。システマティックな組織ではないから、ある日一瞬にしてバラバラになることもある。そのまま全員が突っ走って、息切れすることもあるだろうしね。
アフロ:解散した時は落ち込みました?
向井:すぐさま次の世界を探した。ロックンロールに取り憑かれてるもんやから、自分の音を鳴らして、誰かに聴いてもらって喜びを得る快感を知ってしまった以上、それ以外はできないと思ったわけだな。じゃあ、どういう形でやるのかを探し始めたよね。そこでZAZEN BOYSをやるに至った。
アフロ:一休みして考える期間はなかったんですね。もうジェット噴射そのままに。
向井:とはいえエンジンのオーバーホールをしないといかんな、 と。
アフロ:自分を車検するみたいな?
向井:そう、自分車検が始まったよね。オーバーホールやから、一度部品を全部バラして見直さんといけないわけだ。ここの部分をこう直せばとか、オイルを差せば行けるとかじゃなくて、1回全てをバラバラにしないといけなかった。
アフロ:向井さん自身はどういう状況だったんですか?
向井:その時は「アレ? 俺、止まったのか?」みたいな。よくよく考えたら自分が先走りすぎていたなとか、思い直すこともあっただろうな。俺がバンドメンバーにも高圧的すぎたかな、とか。NUMBER GIRL再結成の時、1番気にしたのはそこ。むちゃくちゃ周りに気を遣おうと。だから再結成するに当たって、メンバーの人たちに「もう俺はギスギスしないですよ」と言った。
アフロ:「昔の俺とは違いますよ、車検しましたよ」ということか。NUMBER GIRLの向井秀徳としては、車検期間がかなり長かったわけですよね。
向井:再結成の時はそうやな。でもエンジンをかけたら1発でかかったよね。
アフロ:めちゃくちゃいい話! リハスタに集まって、音をバーンって鳴らした瞬間に手応えがあった。
向井:時間軸が歪んだぐらい、良かったね。まあ、それがなかったら再結成できないしね。「相当、手を加えなきゃいかんな」みたいな感じだったら、できなかったかもしれんね。
アフロ:もう1回バンドを始めようじゃなくて、「ちょっとスタジオに集まって音を鳴らそう」という感じでスタジオに入ったんですか。
向井:そうやね。
アフロ:向井さんが電話したんですか? 「元気? 一緒にやるかい?」って。
向井:「元気?」とかは言わんけど、「金稼ごうや」ってね。別に借金を抱えていたわけでもないけど、自分たちが音を鳴らせて、オリジナルメンバー全員が健在なうちにやろうや、って。そう思ったのは、ZAZEN BOYSのベーシスト・MIYAが新しく入ってきたのが大きい。そこで新鮮な風がぶわーって吹いたんだ。その風に乗っかってNUMBER GIRLも、もう1回やろうと思った。
アフロ:MIYAさんが吹かせたその風は、どういう風でしたか?
向井:ZAZEN BOYSという形がありつつ、メンバーも移り変わっているんだけども、コントロールしているのはThis is 向井秀徳。NUMBER GIRL以上に、1つの自我がぶっとくあるわけだ。この自我を揺らしてくれた存在というか、This isを揺らす脅威。それは全てにおいてね。ベースのサウンドもそうやし、それを鳴らす人間としての脅威。人と人のぶつかり合いをやらざるを得ない。向き合うしかない。つまり、それはバンドだなと。私としては、すごく興奮できることだったんだね。こういう人間と人間の振る合わせ合いをやりたいがために、バンドをやっていることに改めて気づいた。
アフロ:それまでのZAZEN BOYSは、とにかく向井さんのやりたいことを追求していくスタイルだった。ところが、MIYAさんが入った時に「私はこっちの方がいいと思うんだけど」みたいなアイデアのぶつかり合いが起きた、ということですか?
向井:そうではなくて、感受性の響き合い。その人が鳴らす音がそこにあったとして、私がそれに反応して、また新しい音のイメージが湧き立ち上がった。これまで私と関わったバンドプレイヤー全員そうなんやけど、それぞれ個性を持っていることに気づかされたというか。個性と個性が重なり合って、何かが生まれる喜びがあったわけだ。
アフロ:向井さんの自我が揺さぶられて、それが気持ちよかったんですね。
向井:そうです。それぞれの個性がバラバラになって、混乱状態になり「どこに行ってしまうんだ、この個性たちは」みたいな危ういバンドの音も大好きなんだけど。私が自分でやる時はどこか軸があって、コントロールして、最終的に重なることを目指したい。そうは言っても人だから、しかも個性的な人であればあるほど、人の話は聞かんしね。それがいいんですよ。でも「This isの世界はここにあります」「このぶっとい部分は無視してもらっちゃ困ります」ってことなんだよね。
向井さんの歌う“寂しい”って言葉が、俺はすごく好き
アフロ:そのバラついてる音が好きって言うのは、「グルーヴがない」とも違うんですか。
向井:バラバラから滲み出るグルーヴが現れる瞬間、というのはあるからね。
アフロ:そのバラバラっていうのは、バンドがうまくいっていない時に出る音ってことですか?
向井:それは仲が悪いってこと? リスナーとしては「ストーンズのあの時期って、すごくピリピリしていていいよね」とか、そういうのはある。でもZAZEN BOYSをやっていく上で、仲が悪かったらあんな音は鳴らせない。バンドってお互いの呼吸合わせやから。呼吸が合わないと音を鳴らせないし、全員一緒のところを見ていないと音は合わない。
アフロ:投球に例えると、上から投げる人がいたり下から投げる人がいたり、左から右からも投げる人がいるけど、みんな同じところに向かって投げているってことか。
向井:そういうことだね。
アフロ:俺、今こうやって一生懸命、言葉で説明するじゃないですか? それがいつも嫌だなと思う。すぐに言葉で説明しようとするのは、ラッパーの職業病だなって。俺ね、ある年の『りんご音楽祭』が忘れられないんです。その日、自分なりにいいライブをしたつもりだったんですけど、その後にZAZEN BOYSのステージを観て、4人が楽器で一生懸命に会話している感じがすごく良くて。あの瞬間、言葉はやわだなと思ったんだよな。言葉を使わずに、楽器から出す音のみでメンバーやオーディエンスと交流を持とうとしている姿を見た時に──言葉は最短距離でビュンと相手にメッセージとして伝わるからこそ、回り道をせずに見せる、その景色が短いと思ったんですよ。そして嫉妬しました。いいな、楽器って。
向井:ZAZEN BOYSをゼロから始める時、最初は言葉で表明しよう、しなきゃいけないと思ったわけですよ。それで「自問自答」という曲を作った。アレは新しくバンドを始める表明だよね。それと同時に、自己確認でもある。絶対に言葉を前に出して、放たなければいけないと思ったんですよ。言うなれば、それはラップミュージックのあり方。今回、12年ぶりに出したZAZEN BOYSのアルバム『らんど』に「永遠少女」という歌があるんだけど。「自問自答」を作った時と同じような気持ちで、言葉を前に出してぶちかましたい、ぶちかまさなければいけないっていう切迫感に駆られて作ったんですね。つまり「こういうことを私は思っています」と説明する歌が必要な時もある。それは「自問自答」であったり「永遠少女」だったりする。ラップミュージックっていうのは、“自己表明”の世界やから。
アフロ:自己表明をしないといけないっていうのは、どういう時に湧き出るんですか?
向井:「永遠少女」で言ったら、ギターでツーコードを鳴らして、その時にハッと思ったね。このギターコードに合う言葉を探さないといかん、と。そうしないと、自分自身に負けると思ってね。俺が俺に対して「お前、嘘つくなよ」と思ったし、自分に嘘をつきたくないから「この世はみんな嘘だらけ」という内容の歌になった。そうして何かに駆られて曲ができるのは、本来あるべき姿だと思う。その内容がどうだろうが、何かに駆られて言葉を吐き出さずにはおらんかったとかさ。それは正しいことだと思いますよ。人から見て、どんな表現であったとしても。
アフロ:ああ……そっか。
向井:あなた自身は、言葉しかないわけだろ? でも、あなたは作家ではない。ラップも歌詞じゃない? 1番プリミティブな音楽じゃないですか。声を出すっていうのは、何よりも強いんですよ。
アフロ:確かに強いです。でも、響きとかニュアンスじゃなくて、俺は言葉の意味にどうしても頼ってしまう。ZAZEN BOYSの演奏を見た時に、言葉の意味じゃなくて“擬音一発でわからせる”というのをやってみたくなった。その体験が俺は衝撃だったんです。今回の『らんど』に関して言うと、「八方美人」が好きで。俺、向井さんの歌う“寂しい”って言葉が、すごく好きだなと思った。
向井:寂しいのはお前だけじゃない、ということですよ。私もそうだと。
アフロ:向井さんは何がそんな寂しいんですか?
向井:自分が取り残されされていくような気がするんじゃないかな。自我と煩悩に取り憑かれているんだよね。俺は俗世から離れたところで1人ぼっちで生きていたい。むしろそっちの方が楽である、と思うことはない。やっぱり、どこかで俗世にしがみついていたい。それとは裏腹に、そこまで人とコミュニケーションを取りたくない自分もいる。
アフロ:俗世に対しての欲求はあるけれど、上手にマッチングできるほどの社交性はない。
向井:社交性はないですね。とはいえ年齢を重ねとるから、反社会的なコミュニケーション障害ではないです。社会的なコミュニケーションはとれるつもりだし、その努力はするよ。だけど、そんなに得意じゃないことも分かってる。
人間臭さがなくなって「私はアーティストなんで」
みたいなことを言うのは違うから、俺は
アフロ:なるほどな。ちなみに、俺が初めて向井さんと対バンしたのが2012年の渋谷O-nest(※現在はSpotify O-nest)だったんですよ。当時、MOROHAは今よりも全然売れていないし、俺は漫画喫茶でバイトしていた頃で。そんな時に、個人でイベンターをされていたシノキさんが「KIMONOS(※向井秀徳とLEO今井によるプロジェクト)とMOROHAで2マンをやりたい」と言ったの。俺はできるはずがないと思ったんだけど、「対バンが決まりました!」と言われて、めちゃくちゃビックリしたんです。向井さんの中で、MOROHAを聴いてキラリと光るものを感じたってことですかね?
向井:あなた達の音楽は、ダイレクティブな表現なんだよ。ラップミュージックのスタイルではあるが、スクラッチもなければアルティメイト・ブレイクス&ビーツもないけど、確かに生々しいと思ったんですよね。だから、すんなり刺さってきたよね。圧が強いとかじゃなくて、私はごく自然に「そういうことよな」と。言葉もビシビシ来るから、聴いていて非常に心地がいい。
アフロ:嬉しい! この前、LIQUIDROOMで向井さんと喋った時に「MOROHAといえばみんな泣いちゃう。だけどそこじゃなくて、言葉とギターによるリズムのグルーヴがある」って話をしてくれたんですよ。そう言ってもらった時に、まだ俺が気づいていない俺のラップの魅力があるんじゃないか? と思い上がれたんですよね。
向井:みんな感傷的な気分になりたいわけですよ。そうなりたいのもわかるし、感傷的な気分にさせたい歌も確かに多いと思う。もっと言えば、1本のドラマとして組み立てる曲が多い。それは嫌いじゃないんです、全くもって。俺たちを泣かしてくれよ、という時もある。でも、泣けない音楽もいっぱいある。それは“ハートがない”ってことなんだよね。その点、あなた達の音楽にはハートがあるんでしょ。だから、MOROHAを聴いている人たちの心にグサッとくるんじゃないの? 上っ面で泣かそうとすれば、どうにかなると思ったら大間違いだし、それこそ嘘だよね。
アフロ:それで言えば、俺が向井さんに泣かされたのは横顔一発撮りの「ふるさと」。アレは何かが湧き上がってきたんですか? 東日本大震災が起きたあの時、あの状況で自分のメロディーで「ふるさと」を歌おうと。
向井:あの頃は時が止まったよね。酒を飲んで日本酒の一升瓶が何本も開いた、酔っぱらった勢いで盛り上がった、そしてギターを持った。自分自身に向けてビデオをセッティングして歌った。その姿を表明した。
アフロ:割とすんなりメロディーができて、サクッと撮ったんですか?
向井:そうだね。それ以外やることがなかったよ。
アフロ:「伝えたい」って気持ちも、もちろんありますよね?
向井:自分自身が居ても立ってもいられなかった。自分の気持ちに折り合いつけなきゃ、どうしようもないなって。新型コロナのパンデミックの時もそう。やっぱり世界が止まってしまって、あの時の自分は完全に抜け殻になった。ライブが中止になったり延期になったりして、外の世界に向かえなくなった。ライブで音を聴かせる相手がいなくなって、やる気がストップした。そういう時こそ、ギターの練習とかすればいいものを、全くギターを触らんかった。完全にやる気がなくなった自分に驚いたね。ぶつける相手がいないと、俺は音楽をやる気が出ないんだって。だから1年ぐらい、本当に何もしなかったね。
アフロ:心から音楽が好きなのもありつつ、誰かに聴いてもらうとかコミュニケーションとしてぶつけることが、自分のすごく大事な部分を占めていたんだと、思い知ったってことですね。
向井:自分の目的はそこなんだな、って改めてわかった。 誰にも聴いてもらわなくていい。誰にも見せることのない言葉やポエムを書いて、もしくはギターを弾いて、これでいいんだ。これだけが私の喜びなんだ。というのは、純粋な全身芸術家ですよ。私はそういう人間じゃないって、ハッキリとわかった。
アフロ:だから寂しいんだ。
向井:つまり、自分にとって音楽はコミュニケーション手段なんだよね。
アフロ:言い換えると、それが向井さんの中の煩悩なんだ。人と繋がりたいことが煩悩。それは嫌だったりするんですか?
向井:それが人間だと思うけどね。自分はそうでよかったなと思ってるよ。人間臭さがなくなって「私はアーティストなんで」みたいなことを言うのは違うから、俺は。やっぱり今日まで音楽を続けられたのは“聴いてくれる人がいたから”というのが大きい。誰かに向けて好きなことを続けられるって、幸せなことなんだよね。
文=真貝聡 撮影=suuu