家主 田中ヤコブ 撮影=ハヤシマコ
家主の音源もボーカルの田中ヤコブのソロ音源も聴いてきて、古き良きロックを今の時代で更新する素晴らしいグッドミュージックだと思っていた。ただ、自分たちのペースをしっかりと持っている人だとも感じていただけに、去年春に初めてライブを観た時の自分たちのペース云々では無くて、ただただ目の前にいる観客に自分たちのやりたい音楽を大爆発させる姿には衝撃を受けた。田中に初めてインタビューするにあたり、音楽に対して、プロという言葉に対して、ロックという言葉に対してなど、全て聞きたいことを根掘り葉掘り聞かせてもらった。想像以上にストイックで、自分に対して厳しい視点を全く忘れていない人だった。真摯であり、誠実であり、全くおごらない……、だからこそ素晴らしい音楽を鳴らせているのだ。
――インタビューを受ける機会が増えてきていると思いますが、インタビュー自体、どのように感じられていますか?
元々インタビューは好きだったので、まぁ好きというか……、自分からひとり喋りで作品を語るのが恥ずかしいんです。だから、聞いてもらう方がありがたいです。セルフライナー的な自分語りも苦手なので、聞いてもらって喋る方がいいですね。質問してもらって、初めて考えることも多いので。自分の考えを再発見、再構築する場でもあるので、インタビューは好きです。自分はわりと曲を作る時に具体的なイベントや出来事があって作るので、インタビューで色々と聞かれてると思い出すので。
――具体的なイベントや出来事があってから、曲が出来ていくんですね。
そうですね、何かがあって歌詞の着想みたいな。ほぼほぼ愚痴になりますけどね。
――曲先、詞先なんていう言葉もありますが、ヤコブさんは曲から先に作るよりは、歌詞から先に作られる感じですか?
自分は半々ですね。メロディーがざっくりあって、ホニャホニャ歌っている言葉に合う言葉をはめていくというか。ホニャホニャの語感に合う言葉を入れていって、そこから広げていく。こないだこんな事があって嫌だったなとイベントに転嫁させていくんですが、基本的にはネガティブですね。
――その嫌なこと、ネガティブなことをイベントという言い方をするのは凄く良いなと思います。
現実で愚痴りすぎると闇落ちしていきそうで、それを曲にしてきました。ダークサイドに落ちそうなことを曲にして、闇落ちしないようにというか。
――1番最初に曲を作られたのは、いつ頃ですか?
高校2年生か3年生ですね。中学の時にブルーハーツを聴いていて、で、野球を辞めて、父親がバンドをしていたこともあって、楽器があったので自然にやるようになりました。最初は素人臭い曲しかできなくて、作っては捨てを繰り返して、人様に聴かしても恥ずかしくない曲ができた感覚は大学生の頃ですね。音楽をよく知らない人が聴いても、まぁ良い感じだねと思ってもらえるクオリティーというか。
――いわゆるプロというか、音楽で飯を食っていきたいという感覚が生まれたというのとは、また違いますか?
人に聴かせるために作っていたというよりは、自分自身が聴きたいというか、現代の音楽を聴いていてもハマれるものがなくて、文句を言っても仕方ないので、自分で作るかと。自分が聴いていても恥ずかしくないものを、まぁ、自分がリスナーでもあるので。それは今も変わっていないです。だから、こういう曲を作って欲しいとか、こういう映像のために曲を作るというのはしたことがないです。
――その考え方を聴いていると、良い意味で充分にプロだと僕は思います。
プロに入りますか(笑)? プロとかアマの感覚はわからなくて。いわゆるアマとは違うのかなとは思いますが。非アマではあるのかな?ただ、クオリティーとしてはプロと並べても恥ずかしくないものを作りたい。非アマになりたいですね。プロになっちゃうと、例えばステージが大きくなればなるほど、フットワークが重くなりそうですし。常に軽くありたいので。今はNEW FOLKというレーベルから出してもらっていて、(家主の)制作チームは歩み出しが同じだったというと言い方があれですけど、みんな同じ時期に生えてきた感じがあって。非アマ集団というか。エンジニアも元々サラリーマンで、5年くらい前からエンジニアという異色の経歴で。みんなと同じ景色を見て来たから、感覚はなんとなく共有できていて。それは傲慢だろとか、調子に乗っていないかとか、そういうところは共有できているかなと。
――音源のクオリティーの良さを大切にしていて、プロを意識しすぎない人たちのライブに独特のマイペースさを感じていたんです、今まで。でも家主のライブを観た時に、そういうマイペース過ぎる感じが無くて、プロ以上というか、プロを食ってしまうレベルくらいのガツンとした感じが凄い衝撃的でした。
ウエストランドのネタじゃないけど「いくぞ横浜!」な世界観ではないですね。観て頂いたライブが今だから言えますけど、調子が悪かった記憶があるので、ちゃんとライブが出来ていたのであれば嬉しいです。自分は元々あがり症なのでライブが怖いんです。だから、ライブを意識するというよりは、スタジオで一生懸命練習してライブで出すというシンプルなことを意識して、難しいことは考えていないですね。どこでMCするとかも考えていないですし、ライブをやっていて「いま休憩したいな~」みたいな。予定や段取りも苦手で、そこがフリーキーにやっている理由かも。ギターソロも決まったフレーズを弾くのが苦手で決めすぎないようにしているので、そこは非プロかもしれません。音源のようにライブをする美学はプロイズムを感じますけど、そこはできない。しっくりくる演奏を探しています。
――ストイックさをとても感じています、今、話を聴いていて。
自分で言うのもあれですけど、割りとストイックな方かもしれません。バンドにおいてはストイックさは無いですけど、個人的には毎日楽器を触ろうとか、日常のストイックさはあるかもです。
――その日常のストイックさが自然にバンドのストイックさに繋がっている気もします。
あえてバンドのために練習はしないですけど、バンドの曲も含めて色々な曲を家で弾いていますね。大学受験の勉強をしていたから、期末テストでも良い点を取れたみたいな。期末テストに合わせるような勉強はしないですし、期末テストに合わせられる人はプロかもですね。合理的にできる人間ではないので。
――再度話しますが、個人的には、やはり最初に観たライブの爆発力が忘れられないので、今日お話を聞いていて、色々とわかってきて興味深いです。
自分の中では音楽を作って、アルバムを作ってということが当たり前じゃないとは思っていて。CDを出せてライブができて凄いなと思っていますし、タワレコにCDがあったりすると「おー!」と思いますし。正直、そういうことが当たり前だと思わないようにしていますね。地に足はついてる、ということかもしれません。究極で言うと趣味でやっているので、その趣味に興味を持って聴いてくれて、お金を落としてくれる人がいるのは本当に有り難いことで、そこにあぐらをかいてはいけないですから。変な野心を持たないように注意しているというか、人のために何かしようという方が不誠実に感じるので。自分のために音作りするのが、リスナーに対しても誠実だと思うので。こういう曲がウケたから次もこういう曲を作ろう、というのは違うかなと。自分がリスナーとして聴いている時に、そういうことをやられると場合によっては舐められた気分になる。自分がリスナーである事について凄く考えているので、そういう姿勢に繋がるのかなと。
――以前のインタビューでロックという言葉についても話されていて、その捉え方にも誠実さをとても感じていました。
客観的に捉えていかないと、とは思いますね。所謂ロックおじさんが良くも悪くも主観的に語る「ビートルズ、ストーンズを聴け!」的な物言いがあるじゃないですか。それに対して現行ではもはやアニソン的なものがロックと捉えられていたりもするし、だから(ロックという言葉を)冷めた目で見ているかもしれません。そして改めて自分がロックというものをどう解釈しているかを冷静に見つめないといけないなと。究極、自分がどう思うかに帰結していく。物事を見極める為に俯瞰して観ています。
最近、凄くタイムリーで考えている事があって、ボカロとか歌い手さん、Vtuberのような新しいジャンルの人たちが現れてきて、そういう人たちに対しての違和感を感じていたんですけど、そこと比較して改めて自分の音楽の立ち位置を客観的に見た時に、いわゆるJ-ROCKの系譜であり、偉大な先輩方が敷いて下さったレールがあったからたまたま成り立っているだけなのではないかと。ある種既得権益的な要素もあるのかなと思いました。偉そうなことを言えるような立場では全くない。J-ROCKの系譜である自分の音楽は元々受け入れられやすい音楽なのではないかと。そういう意地の悪い解釈を自分にもしているし、太いレールに乗りながら物事を観ているのは傲慢だなと。「わしは演歌しか認めない!」みたいなおじいちゃんになりつつあるのかなと。自分が老害予備軍じゃないかなと思っています。だから、今のロックの立ち位置ってどうなんですか?と、インタビューの時にライターさんにヒアリングしたりしていますね。まずは自分に厳しくというか、自分の事を棚に上げて、人に厳しくというのは違うので。そういうところから傲慢になっていくのかなとも思いますし。そういう部分を一個一個潰していかないと。そういう感覚すら壊れたら本当の老害になるのかなと。
――そういう冷静に客観的に俯瞰に自分を厳しく律する感覚は小さな頃からありましたか?
わりと小っちゃい頃からあって、若干家庭が複雑で、じいちゃんばあちゃんに育てられたんですね。とても保守的な人たちで、基本的に否定され続けてきて、自分がやることに価値が無いのではという呪いにかけられてきたというか。それもあってか、自分を意地悪にみています。自己肯定感が全く醸成ができない家庭で育ってきました。まあ、結果としては良かったかなと。ある種、過去を克服はできているし、元来自分を認められない性質ではありましたし。
――今後のことを特に何も考えていないと、以前もインタビューで答えられていましたが、そこも変わっていないですよね。
特に何も考えていないですね。現状維持というか、自分が聴き入るクオリティーの音楽を作っていくだけです。クオリティーを下げない意味での現状維持ですね。大きな山を目指そうとするとリバウンドがあると思うので。長く飛んでいくためにも、今は軽々しく燃料を使うのを止めようみたいな。長距離走的な感覚ですね。猛ダッシュしてしまうと、体力を回復する為に、どこかで止まらないといけないですから。停滞しない為にもやり続けるという感じです。
取材・文=鈴木淳史 撮影=ハヤシマコ