より良い社会のために、いま劇場は何が出来るのか? これまでの「演じる舞台」としての劇場から、「語る劇場」へと転身を図る、あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールでは、2024年から『フェニックス・リベラルアーツ・プロジェクト』を始めると発表があった。あらゆる分野の領域を超えて、ひとつにつなぐ「リベラルアーツ」とはどういうものなのか。
プロジェクト第一弾として、2024年3月16日(土)に建築家の伊東豊雄を迎えて『「J.S.バッハ×建築」いま、劇場から考える、ニッポンの文化、芸術。』が行われる。これに先立ち2月末に行われた記者会見には、2022年に『リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる』(集英社)を出版し、プロジェクトの企画とコーディネーターを務める浦久俊彦(文化芸術プロデューサー)が出席。3月公演にゲスト出演するオルガン奏者の冨田一樹と、ザ・フェニックスホールの宮地泰史チーフマネージャーも登壇した。
宮地泰史チーフプロデューサー
宮地泰史:コンサートホール共通の問題として、聴衆の高齢化があげられます。どうしたら新しい客層が取り込めるのか。ザ・フェニックスホールは梅田のビジネス街にあります。ホールのあるこのビルにも多くビジネスマンが働いていますが、彼らが劇場に立ち寄る事はほぼありません。どうしたら彼らがホールに足を運んでくれるようになるのか。音楽を音楽として見るのではなく、他分野から音楽を俯瞰すると、従来とは違った何かが見えるのではないでしょうか。音楽、建築、科学、天文学、文学、数学、演劇、美術、哲学などあらゆる分野の領域を超えて、ひとつに繋ぐ「リベラルアーツ」。この知を、単に集客のためだけではなく、より良い社会作りに活かすべく、ザ・フェニックスホールから新たなレクチャーコンサートを提案いたします。
――「リベラルアーツ」とはどういうものでしょうか。
浦久俊彦:それを説明するには一晩語っても語り尽くせませんが、敢えて言うとすれば、「世界を読み解くための方法であり、言語」ということになるでしょうか。私はここでリベラルアーツとは何か? を語るのではなく、リベラルアーツが人類にどのように役立つのかといったことを語りたいと思っています。それこそが、これからのコンサートホールの在り方を考えるヒントになると思うのです。
「リベラルアーツ」という言葉は、西洋語がそのまま日本に輸入されたので西洋由来のものと考えられていますが、そうではありません。西洋のリベラルアーツでもある「自由七科」だけでなく、古代インドの「五明」や古代中国の「六芸」など、洋の東西を超えて古代から継承されて来た人類の英知の事です。日本の古典でもある「風姿花伝」や「葉隠」、「声明」なども広い意味ではリベラルアーツです。そしてそれらのベースには音楽があります。ここで言う音楽は、世界を解き明かすための鍵、言語のことです。音楽が言語というのは判り辛いかもしれませんね。音楽は目に見えませんが、音によって何かを伝える言語なのです。
先に挙げた言葉の意味を説明していては話が進まないのですが、「自由七科」だけは話さない訳にはいきません。リベラルアーツはその起源を古代ギリシャの「四科(quadrivium)」(数論、音楽、幾何学、天文学)という自由人が学ぶ必要があるとされた基礎科目に遡ります。それに文系の「三科(trivium)」(文法、修辞学、論理学)が付加されて「自由七科」となりました。
浦久俊彦
――本も読ませていただきました。知らないことばかりで知的好奇心をくすぐられました。紀元前6世紀ごろに活躍したギリシャの哲学者ピタゴラスが、音程を定義付けたことに驚きました。
浦久:美しく響き合う音は何故美しいのかを、数学的根拠で解明したのがピタゴラスです。耳でしか感じることが出来なかった音と音が調和する関係を、数の比率で解き明かしました。例えば、1本の弦を半分にして弾くと、オクターブ上の音が鳴ります。次に、弦を整数比である2:3で分割すると完全五度、3:4で分割すると完全四度の音が鳴ります。古代ギリシャの竪琴(全4弦)は、心地良く響くという生理的な感覚と物体の共鳴理論から、慣習的に第1弦に対して、四度、五度、オクターブで調弦されていましたが、ピタゴラスはその音程が調和する理由に数的な根拠を与えたのです。
冨田一樹:今回のテーマが「バッハ×建築」となっています。建築は数学によって美や住み心地、機能性などが計算され尽くした設計図を基に構造物を建てますが、バッハは楽譜という設計図を用いて音楽を作り出します。そこには色々な数学的要素が入っています。ピタゴラスは宇宙の摂理を数学的に解明しようとした最初の人で、その精神はバッハに受け継がれています。今回は、バッハのそういった一面が垣間見れる作品を、移動式のポジティフオルガンをホールに持ち込んで演奏致します。大変珍しく、ユニークな作品「これぞ聖なる十戒BWV679」は、モーゼの十戒がテーマということで、調性を変えて同じテーマが10回現れるフーガとなっています。学校の音楽室に飾ってある厳粛なイメージのバッハですが、こんな一面もあるのかと思って貰えると嬉しく思います。
――第1回目のゲストに伊東豊雄さんを招かれたのはどうしてでしょう。
浦久:伊東さんは日本を代表する素晴らしい建築家です。現在も『2025年日本国際博覧会大催事場』などの大型プロジェクトを手掛けておられます。伊東さんに音楽と建築がどのように繋がるのか。冨田さんが奏でる緻密にして壮大なバッハの音楽の美しさと、伊東さんが建造物に込めた美しさをつらぬくものとは何かを、語っていただこうと思っています。
冨田一樹
――伊東さんを交えたトークについてはいかがですか。
冨田:とても楽しみです。パイプオルガンは教会の中で育ってきた楽器です。元々、教会では楽器は禁止で、人間の声だけが許されていました。それを補助する意味で、パイプオルガンが徐々に導入され始め、パイプオルガンがキリスト教、教会に結び付きました。その後、時代を経て、パイプオルガンが教会と一体となって建築されるようになります。世界中の教会やコンサートホールでパイプオルガンを弾く度に思うのですが、日本の教会と、西洋の教会では響きは全く違います。その響きの違いはどこから生まれて来るのか。建築家の目線から、その辺りの事を伊東さんに聞いてみたいと思っています。
浦久:神の家(ドムス・デイ)としての教会建築は中世キリスト教にとって、もっとも神聖で重要なプロジェクトです。そこで活用されたのが、先に紹介したピタゴラスの比率で、たとえばパリのノートルダム大聖堂の設計では、十字をかたどる大聖堂の縦と横の長さは、オクターブに相当する2:1の比率で決められるなど、全体構造には整数比がふんだんに活かされています。音楽的調和と建築的なプロポーションは呼応しているともいえるのです。空間と時間というふたつの領域で存在するという意味では、建築と音楽はニア・イコールといえるかもしれません。建造物は壁で領域を仕切ることができますが、音楽も音で領域を仕切るという役割を持っていました。かつて西洋の村や街のエリア、教会の教区は、中央にそびえる教会の鐘の音が届く範囲で決められていました。教会の鐘には、住民たちに時刻や、礼拝のはじまりなどを知らせる合図のほかに、村の領域に魔物を入れないように夜に侵入する悪を朝に追い払う目的もありました。古来から鐘は、人間が暮らす共同体を守る音によるバリアでもあったという意味では、建造物による城壁と同じような役割を担っていたのです。それは、日本の寺に鐘がある意味にも通じています。
――1回目が建築家の伊東豊雄さんとオルガニストの冨田一樹さんを招いて「J.S.バッハ×建築」、2回目が脳科学者の茂木健一郎さんとピアニストの中川賢一さんを招いて「脳科学×現代音楽」というテーマで、『フェニックス・リベラルアーツ・プロジェクト』の概要が発表されています。このシリーズはずっと続いていくのでしょうか。
宮地:音楽を音楽として見るのではなく、他分野から音楽を俯瞰すると従来とは違った何かが見えると先ほども言いました。「バッハ×建築」、「脳科学×現代音楽」と少々強引な組み合わせに映るかもしれませんが、大学の講義のようではなく、エンタメとして楽しんでいただけたら。第3回以降についてはまだ決まっていませんが、壮大なプロジェクトを始めたばかりなので、何とか続けていきたいですね。
浦久:このような新しい企画は、時間をかけてそのよさを理解していただき、少しずつ小さな波を大きな波にしていく必要があると思っています。その意味では、まず第1回の「バッハ×建築」の内容が問われるでしょう。間違いなく面白い内容になると思いますが、ただ出演者が提供するコンサートではなく、観客との双方向の対話も楽しんでいただきたいので、通常のコンサートと同じ2時間ほどではとても足りないかもしれませんね。朝までみんなで語り合って、音楽も楽しむという雰囲気をいかに作りあげるか。それに、公演後にも、対話の場となるサロンのようなものを作れるといいですね。観客が入った、入らなかったと一喜一憂するのではなく、みんなで育てて行けるプロジェクトにして行きたいです。3月16日(土)は、ザ・フェニックスホールにぜひお越しください。お待ちしています。
取材・文・撮影=磯島浩彰