ピアニスト 小林愛実 (c)Shuhei_Tsunekawa
2023年の元旦、ピアニストの反田恭平と小林愛実の結婚&妊娠が、SNSで報告された。2021年の『第18回ショパン国際ピアノコンクール』の2位と4位受賞者の結婚は、大きな話題となった。
その後、小林はコンサート活動を一時休止。日本センチュリー交響楽団の『第272回定期演奏会』(2023年4月20日)の出演は取り止めとなった。そして出産を終え、小林のコンサート活動再開を受けて、4月12日(金)にザ・シンフォニーホールで行われる同楽団『第281回定期演奏会』への出演が改めて決まった。
2023年の秋から始まったリサイタルツアーで多忙を極める小林愛実に話を聞いた。
にこやかに取材に応じるピアニスト小林愛実 撮影=H.isojima
●初めて、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」に挑みます。
――日本センチュリー交響楽団の定期演奏会への出演が目前に迫っています。
個人的な事情でキャンセルしてしまい、ご迷惑をおかけしました。私も残念な思いだったのですが、改めて声を掛けて頂いた日本センチュリー交響楽団の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。予定していたモーツァルト「ジュノム」は、髙木竜馬さんが見事に演奏されたということで、髙木さんにも御礼申し上げます。今回は別の曲でということだったので、私からラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」をリクエストしました。出産を経験したこともあって、何か新しい曲に取り組みたいと思い、かねてより弾いてみたいと願っていたこの曲を選びました。今年はこの曲を弾く機会が多くなりそうですが、センチュリーさんとの演奏が最初となります。
――指揮は1年前と同じで、秋山和慶さんです。
秋山先生とはこれまで何度もご一緒していて、初共演は小学校の時だと思います。先生はとても優しく、自由に弾かせてくださいます。その上で絶対的な安心感があります。いつまでも変わらずお元気な先生と、久し振りの共演が嬉しいです。
――子供の頃から天才ピアニストとしてマスコミに騒がれていた事もあって、小さい頃から活躍を拝見しています。CDデビューが14歳だったと記憶していますが、人知れず大変な事も多かったのではないでしょうか。
ピアノは小さい頃から弾き始めて、7歳の時にはオーケストラと共演しました。CDデビューは14歳で、その前の年にはアメリカに渡ってカーティス音楽院で勉強を始めています。初めてショパンコンクールに挑戦したのが20歳の時。早くからピアノひと筋でやってきている事もあって、これまで色々な事がありました。小さい頃から多大な評価を頂き、期待されて来た事で、常に自分を超えて行くことを求められているように思って来ました。自分にはピアノしかない。ピアノしかやって来なかった。私は本当にピアノが好きなのか。ピアノを弾いていて良いのか。そんなことを考え、ピアノをやめようと思ったこともありました。
初めて挑戦したショパンコンクールが、ピアノを続けて行こうと決意させてくれました (c)Makoto Nakagawa
――その状況を、どうやって乗り越えられたのですか。
小さい頃から私の為に多くの事を犠牲にして尽くしてくれている両親を見ていたので、ピアノで恩返ししなくてはと思って来たのですが、ある時母親から「ピアノが全てではないし、貴方がやりたいことをやればいいのよ」と言われました。よほど私が辛そうに見えたのかもしれません。自分の好きなように生きてもいいんだ。その一言で気持ちが楽になりました。17歳から20歳くらいは随分悩みましたが、1度目のショパンコンクール出場の経験が大きかったですね。吹っ切れました。当初、やめる為のケジメを付けるくらいの気持ちでコンクールに臨んだのですが、ファイナルに進出しました。私以上に周囲が真剣で、これが国際コンクールかと思いました。それまで、ちゃんとした国際コンクールを受けたことが無かったのです。
――『第17回ショパン国際ピアノコンクール』の模様は『情熱大陸』(TBS系)でも取材されていました。
そうでしたね。周囲の盛り上がりとは別に、結構冷静に楽しんでいたと思います。「私はやっぱりピアノが好きなんだ。これからもピアノを続けていこう!」と決意できたことが最大の収穫でした。他のコンテスタントのことを「凄いなぁ。私にはまだまだやらないといけないことが沢山ある」と思って見ていました。コンクールは適度な緊張の中、第1次予選はとても楽しく弾けましたし、全てを出し切り過ぎて、その後完全にモチベーションが切れていました。それでも、ファイナルまで残ってコンチェルトが弾けたことは嬉しかったです。結果については、それほど悔しさは無かったですね。それよりもピアノを続けて行く決意が固まったことに満足していました。
『第18回ショパンコンクール』の結果には満足していません (c)Makoto Nakagawa
――初めて挑戦された2015年の『第17回ショパン国際ピアノコンクール』で入賞を逃したことが、再度のチャレンジを決断させたのでしょうか。
いえ、ショパンコンクールに出ることはもう無いだろうなぁと思っていました。コンクールの期間が長く、ショパンばかりを弾かないといけないですし、本当に疲れました。それでも、もう一度勉強を重ねて行くと、その成果を問いたくなるものです。何かコンクールを受けようかなと思い、先生や友達に相談したところ、やはりショパンコンクールが良いんじゃないと言われました。あまり気乗りはしなかったのですが、色々と調べているうちにコロナ禍となり、開催が1年延期になりました。念のために申し込みだけはしていたのですが、1年の延期が大きかったです。考える時間が増えたことで出場を決断しました。
――2021年の『第18回ショパン国際ピアノコンクール』は、日本人ピアニストの健闘と、反田恭平さんが2位、小林さんが4位ということもあり、大変話題となりました。結果には満足されているのでしょうか。
あまり満足はしていません(笑)。もう出ることはないし、まあいいかなという感じでしたね。私はコンクールには向いていないと思います。ストイックに向き合わないといけないですし、辛いですよ。子供も生まれましたし、毎日が大変で。自分はピアノが好きなのかどうか、なんて言っていられる状況ではありません。少し前に起こった事も覚えていないほどです。
●自分を犠牲にしても子供の為に頑張れるという、こんな気持ちは初めて。
――出産によって自分の中でのピアノの位置づけは変わりましたか。
変わりましたね。ずっと私にはピアノしかないと思っていましたし、ピアノを弾かない私って生きている意味があるのかなぁという感じだったのが、結婚して子供が生まれてピアノを弾かない時間を経験したことで、ピアノが全てでは無いことを実感しました。今は、ピアノも大事ですが、子供や夫、家族がいる事で、心に余裕が出来た気がします。昔の私は孤独だったのですね。これまでは自分の為に頑張って来たけれど、自分を犠牲にしても子供の為に頑張れるという、こんな気持ちは初めてです。
ピアノの音は変わったと言われます
――ピアノの音も変わったんじゃないですか。
昔は音が張り詰めていたのに、出産後は随分優しくなったねって言われます。気持ちがこれだけ変わったので、当然音楽も変わりますよね。子育ては大変ですが楽しいですよ。確かにピアノを弾く時間は減りましたが、ずっとこの状況が続く訳ではありません。いずれは子供が大きくなり、手を離れると思うので、今はこの状況を楽しもうと思っています。
――今回の日本センチュリー交響楽団もそうですが、出演を辞退しても、また声が掛かるというのは幸せな事ですね。
本当に有難いです。出産後、体調不良になった事もあって、7カ月ほどピアノを弾かない時間がありました。生きていてこれだけピアノを弾かないのも、これが最初で最後だろうと思って、その時間を楽しむように意識をして過ごしていました。ようやく体調も戻り、育児と両立させて、もう一度ピアノを弾こうと思えたのは、私の演奏を待っていてくださる人がいるからです。指が動くようになるための練習は大変でしたが、また皆さんの前で演奏したいという一心で、頑張ることが出来ました。
結婚相手が同業者で良かったと思っています (c)HOSOO CO., LTD
――現在リサイタルツアー中ですが、お子様はどうされているのでしょうか。
私の両親が見てくれています。現在、夫もツアー中で大変なので、全員で私の実家を拠点にしています。それが彼も子供との時間を取れて、移動も少なくピアノの練習も出来て、効率が良いと言ってくれます。私は泊まりで地方に行っていても、家にベビーカメラを付けているので、どこからでも子供の様子を見ることが出来ます。集中してピアノの練習もできますし、きっとこの形が一番良いと思います。恵まれていると思います。
●結婚相手が同業者で私は良かったと思っています。楽しいですよ。
――それにしても、『ショパン国際ピアノコンクール』の2位と4位のお二人の結婚は、皆が驚きました。
そうでしょうね。幼馴染で時にはライバルということもありましたが、二人にとっては自然な形でした。同業者だからこそ理解できる事が多く、私は良かったと思っています。本番前の精神状態や、音楽的な事でも分かり合えますし、たまに演奏会を聴きに来られると、凄く緊張します。良かったよ! と言って貰ったとしても全部見抜かれているので、どうだったと聞かない限り、細かな話はお互いにしません。専門的な話や、プログラムの曲順なども相談できるのは同業者ならでは。私は楽しいですよ。彼には良い音楽家になって欲しいと願っています。彼は色々と新しい発想を持っていて、人を引き付ける魅力もある人なので、自分の夢を実現して欲しいです。
――小林さんが描く、ご自身のピアニストとしての将来像は。
やはり世界で演奏できるようなピアニストになりたいです。その為に、今出来ることを順番にやって行こうと思っています。50年後といえば80歳前ですが、その時に夢が叶っていたらいいなぁと思います。
好きなピアニストはラドゥ・ルプーです
――好きなピアニストや、目標にしているピアニストはいますか?
ラドゥ・ルプーです。2017年にフィラデルフィアでコンサートがあった時に、カーティス音楽院のレッスン室でルプーが練習しているという情報が寮生の間で回覧されて、ピアノ科20人弱のほぼ全員が集まって、写真を撮ってもらいました。気難しそうに見えて、とても優しい方で、全員が2ショット写真を撮ってもらいました。その時のコンサートも素晴らしく、今でもはっきり覚えています。ルプーが一番好きで、他には(アリシア・デ・)ラローチャや(ウラディミール・)ホロヴィッツは、実演を聴いてみたかったですね。(サー・アンドラーシュ・)シフや(マルタ・)アルゲリッチも大好きですが、事務所が私と同じカジモトということもあって、お会いしたことがあります。
――ピアニストは自分の楽器を持たず、行った先のピアノを使用して演奏します。
最近はどこのホールにも素晴らしい楽器が置いてあるので、特に問題はありません。ずっとお世話になっている調律師の倉田尚彦さんに、スケジュールが合えば来ていただいていたのですが、先ごろお亡くなりになりました。あまりにショックで、これからどうしようかと私同様、不安に感じているピアニストが多いと思います。
ザ・シンフォニーホールでピアノを弾くのは楽しみなんです (c)Shuhei_Tsunekawa
――現在のリサイタルツアーでは、シューベルトの即興曲作品142とショパンの名曲を演奏されています。
シューベルトに取り組みたいと思いました。余り演奏会で弾いたことが無かったのですが、即興曲を弾きたいと思い、作品90と作品142で悩みましたが、作品142を採り上げることにしました。あとショパンの即興曲やポロネーズなどの名曲プログラムです。ショパンですか? 確かにコンクールに向けて集中してショパンを弾きましたが、ショパンを弾くのが嫌になった訳ではありませんので、プログラムの中で採り上げるのには特に抵抗はありません。ただ、24のプレリュードは、ちょっと距離を置きたい気持ちです(笑)。シューマンやブラームス、フランスものにも関心がありますし、協奏曲ではブラームスを弾いてみたいです。
――ザ・シンフォニーホールについては、どんな印象をお持ちですか。
何度も弾いていますが豊かな残響で、とても弾きやすいホールです。コンチェルトを弾くには、ちょうどいい大きさだと思います。楽屋にはピアノもあって快適です。
お客様とラフマニノフの素晴らしさを共有出来たら嬉しいです (c)Makoto Nakagawa
――最後に、日本センチュリー交響楽団の4月定期演奏会についてメッセージをお願いします。
久し振りに秋山先生の指揮で、日本センチュリー交響楽団の皆さんと演奏させて頂きます。私にとって初めてのラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」です。同じラフマニノフでも人気の第2番や第3番とは違った魅力のある曲です。お客様とラフマニノフの素晴らしさを共有出来たら嬉しいです。ザ・シンフォニーホールでお待ちしています。
皆さまのご来場をお待ちしております。
取材・撮影・文=磯島浩彰