今年も、この季節がやってくる――。ショパン国際ピアノコンクールに挑む若者たちを取り巻く様々な人間模様を描いた感動の物語、一色まこと原作の漫画『ピアノの森』の世界を、作品中のピアノの名曲で楽しむコンサート・ツアーが4年目を迎えた。この3~4月には、ピアニスト・ニュウニュウが同シリーズに初登場し春ツアーが行われたが、夏ツアーには、今年も、T Vアニメ版で雨宮修平役メインピアニストを務めた髙木竜馬が登場する。2024年7月13日(土)から9月21日(土)まで全13公演を開催予定、うち4公演は文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等におけるこども舞台芸術体験支援事業)対象公演となり、18歳以下は無料(同伴:半額)になる。家族揃ってクラシック音楽に親しめる機会として定着しつつあるこのコンサートを「ライフワークの一つ」と語る髙木に、ツアーを前に話を聞いた。
――「ピアノの森 ピアノコンサート」も早いもので4年目を迎えますね。
このコンサートはクラシックのコンサートが初めてというお客様も多く、僕の他のコンサートでも、『ピアノの森 ピアノコンサート』で興味を持って来た、という方が多くいらっしゃいます。クラシック音楽に親しむ一つのきっかけとして、すごくアクセスしやすい演奏会なのかなと、ひしひしと感じています。「クラシックっていいですね」とか「こんなに楽しいんですね」というお声をいただけるのがすごく楽しみで、毎年この作品のため、お客様のために弾いていたら、あっという間に4年目になっていて、びっくりしています。僕のライフワークの一つになっていますね。
大切にしているのは、『ピアノの森』という作品がそうであるように、親しみやすい内容で、しかし本格的なものをお届けする、ということです。コンクールというのは漫画に限らず色々なジャンルで取り扱いやすい題材だと思いますが、中でも『ピアノの森』の内容は本当に本格的で、ショパンコンクールの審査員の会議室でも同じようなことが行われているのではないかと思うほどです。ですから演奏もそうでありたいと強く思っていて、プログラム自体はすごく聞き馴染みのあるものをご用意していますが、その演奏は質の高いものにしなければと思っています。
――リピートしていらしてくださるお客様も増えていますね。
何度もいらしてくださっているお客様は「今年はどんなものを聴かせてくれるんだろう」という期待感をお持ちだと思います。劇的に変わるということはないにしても、僕自身毎年色んな経験をしたり、勉強したりして、少し解釈や見方が変わっている実感はありますし、同じプログラムでも、お客様にも僕自身にも飽きが来ないように、フレッシュな気持ちで舞台に上がれたらと思います。
――新しいものへの期待と、一方で風物詩を楽しみにするような気持ちをお持ちの方もいらっしゃるのでは?
風物詩!そうですね!「夏はピアノの森」とハッシュタグをつけてしまってもいいくらいですね(笑)。「このコンサートに来たら、またあの曲が聴ける」という場所になるというのも素敵なことかもしれないですね。
――今年はプログラムにメンデルスゾーンの「厳格な変奏曲」が入っていますが、選曲の意図は?
まずこの公演は、原則として『ピアノの森』の作品に出てくる曲からプログラムを選んでいます。さらに僕はツアーを通して自分も新たな学びを得たいと思っていて、毎年新しい曲を勉強して入れるようにしています。今年は阿字野壮介のカムバックピアノリサイタルで弾いた曲の中から「厳格な変奏曲」をまず決めました。そこからどのように『ピアノの森』の定番曲とうまく融合させていくかを考えたのですが、調性的にもなかなかいいものが出来たと思っています。「雨だれ」と「小犬のワルツ」で変ニ長調が続いた後にメンデルスゾーンでニ短調、「ラ・カンパネラ」で前半を締めくくり、後半は聴きやすい「別れのワルツ」で一度リフレッシュをしていただいてから、「バラード第4番」でグッとショパンの核の部分に迫ります。ある意味、ここで世界は一つ完結し、最後の盛り上がりに向けて「スケルツォ」と「ポロネーズ」をお届けするというプログラミングですね。
――「厳格な変奏曲」は先日リリースされたデビュー・アルバム『Metamorphose(変遷)』にちなんで変奏曲を選ばれたのかと。
確かに!考えていませんでしたが、そうですね(笑)。とにかくこの曲が弾きたかったんです。でも実はこの曲、ずっと好きではなかったんですよ。昔は派手でハッピーエンドみたいな曲が好きだった(笑)。メンデルスゾーンにしては珍しいほどシリアス一辺倒な曲だと思いますが、今だからこそ、内面の激情にかなり心が近づいたというか、今の自分にすごく刺さりました。お聞き馴染みのある曲ではないかも知れませんが。
――髙木さんにとって、このコンサートはどのようなものですか?
『ピアノの森』という作品の素晴らしさをまだまだ伝え続けることが僕の使命かなと思っていますし、同時に、名曲は何か心を惹きつける要素があったからこそ長く弾き続けられていると思うので、その魅力を改めてお伝えしたい。皆さんと一緒に『ピアノの森』の世界と、それぞれの作曲家の作品の世界とを旅して回って、「クラシック音楽ってこんなに楽しくて、こんなに素敵なんだ」とか、「こんなにいろんな世界を旅して回れるんだ」とか、「ピアノの森っていいな」と思っていただくことが、このツアーの究極のゴールかなと思います。
――髙木さんご自身が得られているものとは?
ツアーを通して曲への理解をさらに深めていけることは、演奏家として意義深いことです。そして、お客様の明日への活力、エネルギーにしていただけたらと思って演奏しているのですが、実は元気をいただいているのは僕の方だと強く感じるんです。拍手をいただいたり、サイン会などで声をかけていただくことも、すごく大きなエネルギーになっていて、夏を通して少し若返っていくような、「よし、これからも音楽人生を頑張っていこう」と今一度気合いを入れ直すような感覚がありますね。
――『ピアノの森』はコンクールを舞台にした物語ですが、ご自身も多くのコンクールを経験され、現在は先生として学生をコンクールへ送り出す、または審査する立場になって、感じることはどんなことですか?
皆よく頑張っているなと思いますよね。偉いなあ、と。コンクールは「必要悪」だとか言われますが、僕は全然「悪」ではなく「必要」であると思っています。自分の人生を切り開くことが出来るのは自分だけという状況、そのために寝る間も食べる間も惜しんで、人生を賭けて必死に練習しまくるって、すごく素敵なことだと思うんですよ。やはりコンクールですから順位を狙うわけですが、僕はそれを悪い事だとは思いません。最後の最後で神様が微笑むか否か、最後の本当にちょっとした差って、その「想い」だと思っていて、勝つために練習することはすごく健全なモチベーションだと僕は思っています。同時に、ものすごい勢いで練習すると、ほぼイコールで、ものすごい勢いで上手くなるんですよね。それはコンクールを受けた人が皆、身をもって実感していると思います。どんどん曲が自分の身体の中に染み込んでいく感覚です。常に恐怖と隣り合わせですし、異常な空間ですし、ものすごく苦しいですけど、そこからでしか得られない経験というものがあると思うので、学生たちがそれに挑戦をしようとしているのを見ると、全力で支えたいなと思います。
――(登場人物の)阿字野先生のような気持ちになりますか?
それはあるかも知れないですね。でもやっぱり教えることには正解がありません。一人として同じ学生はいないですし、本当に難しい。めっちゃ難しいです(笑)。
結局、一番大事なのはコンクールの後にその人がどう時間を過ごしていくかだと思います。コンクールで世に出る切符は得られても、その切符を手にして旅を続けられるかどうかはその人次第。そしてコンクールは「旅を続けていくことに耐え得る人なのか」を見るところなのだと思います。だからこそ本当に過酷。勝った人は皆、僕もそうでしたけど、苦労など微塵も見せずに「勝ちました!」と爽快に言いますよね。でも今は、教える立場になってみて、「過酷だったよ」ということは伝えたい。「みんなも過酷な思いをすると思うよ。でもその思いをした先にしか得られないものがある。あの経験が自分を形成し、音楽に向かう活力を与えてくれた」と、いい面だけではなく大変だったことも隠さずに伝えていけたらと思います。
――ご自身もそういったご経験をされたのですね。
たった1〜2週間で、1年分に匹敵するほどの経験を積んだ気がします。グリーグ国際ピアノコンクールの時、同じホストファミリーのお宅にステイしていた中国人のピアニストは残念ながらファイナルに進めず、本当に悔しかったと思うのですが、「竜馬には絶対勝ってほしい。僕はダメだったけど、この思いを託すから」と言ってくれて、本当に胸が熱くなりました。他にも、僕がファイナルに向けて練習していた時、残念ながらコンクールを終えてしまった仲間達と街でばったり出くわし、「今、ファイナルが行われる会場でコンサートを聴いてきたけど、ホールもオーケストラも素晴らしいから、絶対エンジョイ出来るよ!だからコンクールということを忘れて、頑張ってきて!僕たちは今から飲みに行くけど、竜馬はまだ練習だよね?ドンマイ!羨ましい?」と明るく言われ、それがなんだかすごく素敵で、ありがたくて……。特殊な極限状態の中でそういったことを経験し、もちろん優勝したことも人間性に大きな影響を及ぼしましたが、それと同じかそれ以上に、他のコンペティターやホストファミリーの感情に触れたことによってすごく心が豊かになった気がしていて、そういう人間的な感情の積み重ねが結果的に音楽にも影響してくるのだと実感しています。
――コンクールとは、そういった様々な人の想いが詰まったものだからこそ、一色先生が題材として選び、これほどの作品を描こうと思われたのでしょうね。
本当にそうだと思います。これは主人公、一ノ瀬海の成功物語だけではなく、雨宮修平の成長物語でもありますよね。やはり人間的に成長しなければ音楽的には成長出来ないと思うのですが、そのために何をすればいいのかというのもかなり難しい。答えはたくさんあると思いますが、自分に対しても他人に対しても、様々な感情が動く機会があって、色んな経験を積むことによって人間的に成長をしていくのだろうと思うんです。簡単に言うと、人間の幹を広げるというか、人生経験を積むということが人間的な成長、ひいては音楽的成長につながると。だから、音楽一辺倒で練習ばかりしていた雨宮修平が、嫉妬や挫折など悔しい経験を積んで一旦心が折れかかったけれど、他者に対する思いやりを学び、後日談があるとすれば、彼はきっと素晴らしい演奏家になっているのだろうと想像出来る。やはり人間的な成長を多分に促してくれるのがコンクールなのだと思います。
――お話を伺って、ますます気分が盛り上がってきました。最後に、コンサートにいらしてくださる皆様へメッセージをお願いします。
このコンサートは、『ピアノの森』の素晴らしい世界と、素晴らしい曲の世界を味わっていただきたい。演奏を通して、皆さんで一つの船に乗り、同じ感覚を共有して、一緒に巡るというのはなかなかないことだと思います。おそらくすごく暑い夏になると思いますが、素晴らしい作品を通して涼んでいただけるように、しかし僕は熱い気持ちで演奏します!今年も『ピアノの森』の世界ご一緒出来るのを楽しみにしています。
取材・文=正鬼奈保 撮影=池上夢貢