眞名子新 撮影=norico
カントリーやフォークミュージックをルーツに持つアーティスト、眞名子 新。2022年にリリースされたデビューシングル「僕らの大移動」を聴いた時、マムフォード・アンド・サンズやザ・ルミニアーズを彷彿とさせるカントリー・サウンドが日本の音楽シーンでは珍しく、非常に印象的だった。5月8日(水)にリリースされたEP「カントリーサイドじゃ普通のこと」には、そんな疾走感のあるカントリーサウンドから、伸びやかな歌声が印象的なフォーキーなサウンドまで、様々な楽曲が詰まっている。今回のインタビューでは、EPの内容はもちろん、音楽的ルーツやミュージシャンを目指したキッカケなど、様々な話を聞いた。
眞名子新
ーーまずは音楽的なルーツを教えてください。子どもの頃はどんな音楽を聴いていましたか?
幼少期は親の影響で歌謡曲を聴いていました。中学生の時に兄の影響でSUPER BUTTER DOGにはまりました。兄がKiss FMという神戸のラジオ局で流れていたSUPER BUTTER DOGを聴いて感動してハマり、その兄の影響で聴き始めたんです。そこからSUPER BUTTER DOGは活動を休止して、ボーカル・ギターの永積タカシさんはハナレグミとしての活動されて、僕もハナレグミを聴くようになりました。
ーー最初はフォークやカントリーなどを聴いていたというよりは、SUPER BUTTER DOGとハナレグミを聴いていたという感じなんですね。
そうなんです(笑)。そこから音楽にハマっていきました。ハナレグミの影響もあり、ギターと歌だけで構成された弾き語りの音楽を多く聴くようになりました。その後、アコースティックなサウンドが多かった初期の清竜人さんや、星野源さんの楽曲も聴くようになりました。
ーーその頃はまだ楽器を演奏していなかったんですか?
音楽を聴くだけで、演奏はしていませんでした。兄が持っていたギターを少し弾かせてもらうことはありましたが、それも遊びの範囲内で、本格的に演奏することはありませんでした。兄からの音楽的影響は大きく、現在でも作詞や楽曲制作に関わってもらっています。眞名子 新としての活動に欠かせない存在ですね。
眞名子新
ーーそこからどのように音楽活動へと繋がっていくのでしょうか。
高校3年生の時までずっとサッカーをやっていたんです。関西代表に選ばれるほどサッカーをしっかりやっていて、サッカー中心の生活でした。でもサッカー部を引退して受験の時に、初めて自分の人生をこれからどうしようか考えるようになり、サッカーはもういいかなとも思うようになったんです。中学生の時から音楽を聴くことや、歌うことが好きだったので、音楽の道には元々興味がありました。自分の人生なので、自分のやりたいことをやってみようと思い、大学に入った後、本格的に音楽活動を始めました。
ーー大学に入ったあとギターを始めたと。
そうです。最初はカバーを演奏していました。一番最初にカバーした曲は山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」でした。
ーーバンドは組まずにシンガーソングライターとして活動したんですか?
はい。誰かと一緒にやるのがあまり得意ではなかったので(笑)。あとサッカーは団体競技で、もしミスをしてしまっても誰かのせいにすることが可能なんですよね。今度は自分で選んだ環境で、全部自分の責任でやってみたいと思ったんです。
眞名子新
ーーこれまでの生活への反動という面もあったのかもしれませんね。
そうかもしれません。そして大学1年の夏に神戸・三宮で初めて路上ライブをしました。兄が少し遠くの歩道橋からこっそり見ていたのを鮮明に覚えています(笑)。その後、関西のライブハウスプロデュースによる、十代才能発掘プロジェクト『十代白書』というイベントに応募して、初めてライブハウスで演奏しました。最初のライブは神戸Varit.でしたね。それがキッカケでライブハウスで演奏することも多くなっていきました。
ーーその時は「神戸のあらた」として活動されていたんですよね。
はい。音楽活動も本格化していったのですが、その後入った音楽事務所での活動がうまくいかず、音楽から離れたくなるほどの気持ちになってしまい、音楽活動をやめてしまいました。ミュージシャンとして生きていくのではなく、音楽は趣味でいいと思うようになり、大学卒業後に就職しました。
ーーそうなんですね。
就職して関西で働いていました。ミュージシャンになることは完全に諦めて、会社勤めをしていたんです。そんな中、社会人2年目の時に友人に誘われて久々にライブをやることになったんです。そのライブがとても楽しくて。その後、東京に転勤することになり、東京で徐々に音楽活動を再開していきました。そしてJ-WAVEが主催するギタージャンボリーのオーディション企画『SONAR MUSIC Road to RYOGOKU』が開催されるということをライブのお客さんから聞いて、応募したらたまたま最後まで残って、しかもグランプリを獲得できたんです。
ーーいきなり(笑)。
現在のマネージャーさんが見に来てくれたりと、自分の中でとても大きい出来事となり、ここからまた音楽活動を本格的にやっていくことになりました。「神戸のあらた」ではなく、本名の眞名子 新として初めて楽曲をリリースしたのが2022年の8月でした。『SONAR MUSIC Road to RYOGOKU』の開催から5ヶ月後ですね。それが「僕らの大移動」という楽曲です。
眞名子 新 – 僕らの大移動 (Official Audio)
ーー「神戸のあらた」ではフォーキーな弾き語りサウンドが中心でしたが、「僕らの大移動」ではカントリーサウンドになっていますよね。
音楽活動をやめていた時にルミニアーズやマムフォード・アンド・サンズなどのカントリーミュージックにハマっていって、それも今の活動に繋がっていますね。あと現在のマネージャーからの影響も大きいです。谷さん(マネージャーとバンドでのドラムを兼任)と出会ってから、アコースティックギターをリズムとして捉えるようになりました。自分が好きだったルミニアーズやマムフォード・アンド・サンズなどの疾走感のあるカントリーサウンドをどうやって自分の音楽に取り入れるかを考えた時に、その視点がとても重要だったんです。「僕らの大移動」も、実は「神戸のあらた」時代から原型はあった楽曲なんですが、アレンジは大きく変えましたね。
眞名子新
ーー眞名子 新としてデビューして約2年。3rd EP「カントリーサイドじゃ普通のこと」がリリースになりました。まず、とてもいいタイトルだなと思いました。
ありがとうございます。1曲目に収録されている楽曲「ライリーストーン」が2023年の初めに出来ました。EPの中で最初に出来た曲です。疾走感のあるカントリー調の曲で、この感じのサウンドをずっと作りたいと思っていました。イメージはあったけど中々できなかった曲がここでやっと完成したんです。そしてこの「ライリーストーン」が完成した後にカントリーをベースにEPを作っていったので、カントリーというワードをEPのタイトルに入れたいと思っていました。アメリカでは凄く人気なカントリーミュージックですが、日本ではそこまでポピュラーではないなと感じていて。「アメリカでは普通だけれど、日本では普通ではないカントリーミュージック。この素晴らしい音楽のカッコよさを知ってもらいたい」という意味も込めています。
ーーアメリカでは元々カントリーの人気は高いですが、昨年はアメリカの年間チャートをカントリーシンガーのモーガン・ウォレンがシングルチャート、アルバムチャート両方で1位を獲得したり、今年はビヨンセやポスト・マローンがカントリーに接近するなど、再度盛り上がりをみせていますね。
とても嬉しいです。僕も好んでよく聴いています。
眞名子 新 – ライリーストーン【Official Music Video】
ーー「ライリーストーン」は疾走感のあるカントリーサウンドで、日本のアーティストやバンドではあまりないタッチの曲だなと思いました。
そうかもしれないですね。ルミニアーズやマムフォード・アンド・サンズからの影響も大きいと思います。
Mumford & Sons – I Will Wait (Official Music Video)
ーー「ライリーストーン」から2曲目の「月の兵士」に続いていきます。
友達とキャンプに行った時に作った曲です。夜は友達とワイワイ楽しんでいたのですが、翌朝起きてみるととても静かでそのギャップが面白いなと思い、その場で曲の原型、タネとなる様なものを作りました。
ーー作詞を担当したお兄さんは、ベトナム戦争の最中に人類が月に降り立ったときに、戦地の兵士が「戦地で戦う何万の我々より、月のたった3人に世界の目が向いている」と言ったという談話から着想を得て作詞したと、セルフライナーノーツで話しています。
同じ曲なんですが、全然アプローチが違いますよね(笑)。
ーーでも「月の兵士」からは、新さんがおっしゃっているムードも、お兄さんが話しているムードも感じ取れるような気がしています。楽曲制作はどのように行っているのでしょうか?
基本的に僕が作曲を担当して、兄が作詞を担当しています。でもメロディを先に作る、歌詞を先に作るというような決まったルールが存在しているわけではありません。曲ごとに全く違う作り方をしています。「月の兵士」では僕が先にメロディを作って、「キャンプに行った時にこう感じて曲を作り始めた」ということも兄に伝えました。兄はそれを聞いた上で作詞を始めるのですが、そのイメージを踏襲するわけでなく、兄のイメージで作詞に入る、というような作り方をしました。
眞名子新
ーー3曲目の「スターシップ」にも「月の兵士」と同じく宇宙船という言葉が歌詞に出てきますね。
これは兄のアイディアですね。「月の兵士」を作っている途中に「歌詞がリンクした楽曲があったら面白いんじゃない?」と言ってくれました。なので「スターシップ」はそのアイディアが先にあり、歌詞先行で曲を作りました。歌詞がリンクしているので逆にサウンドは違ったムードを意識しました。
ーー「スターシップ」にはアヴィーチの「Wake Me Up」を少し感じました。
兄にも言われました。リズムと最初のアルペジオの感じが確かに似ていますよね。意識したわけではないのですが、後からそう言われてみると似ているような気もします。
眞名子新
ーー「ニューアイズ」はどういう曲でしょうか?
昔、自分がライブしている時に起こった印象的な出来事がキッカケになって出来た楽曲です。
ーー「そんなに俺の歌は面白くないかい?」という歌詞が印象的です。
そのライブでは出演者が僕も含めて3人で、お客さんがそれよりも少ない2人でした。しかも自分のライブ中に2人しかいないお客さんの1人が寝ていたんです。その日を忘れないでおこうと思って記したメモを元に作った楽曲です。最初に作った歌詞はライブハウスの狭い空間がテーマのものでした。その歌詞を兄に送ったら、「今回のEPのムードとは少し違うかもしれない」と言われ、そこからまた歌詞を作り替えました。サウンド面ではボブ・ディランの楽曲「Buckets Of Rain」に影響されている面があります。サウンドがしっくりこなくて悩んでいる時にたまたまこの曲を聴いて、この感じが合うかも、と思いました。「Buckets Of Rain」のチューニングで遊びの感じで演奏してみたら結構ハマったんです。
眞名子新
ーーEPの5曲目は「一駅」です。 <家に帰ってお風呂に入って、そこから誰かに会いに行くために一駅歩く>という歌詞ですね。
眞名子 新 – 一駅【Official Music Video】
そうですね。この曲は兄がほぼ歌詞を作っているので、兄がそういう経験をして書いたんだろうなと僕も想像していました。僕の感情から出てきた歌詞ではないです(笑)。
ーーなるほど。(笑) 曲中では歯笛を使った部分もありますね。
はい、ちょっとした特技なんです。 自分でもどこで音が鳴っているのか分かりませんが、舌と上顎の間で鳴っていると思います。
眞名子新
ーーラストに収録されているのは「川沿い」です。EPではこの楽曲だけ音の感じが違って聴こえます。
この楽曲だけ録音方法を変えています。自分の近くだけでなく、自分から遠い場所にも何本かマイクを置いて録音しています。EPではこの曲だけ弾き語りだったので、他の楽曲との違いを強調したいと思っていました。マイルドに柔らかい印象にしたいという考えもあり、こういう録り方にしました。あとこの曲はEP収録曲では最後に録音した楽曲で、しかもワンテイクで録ったんです。なので「終わった〜」というような空気感も詰まっているかもしれません。
ーー確かにそういうムードも空気感に詰め込まれているような気がします。お兄さんもレコーディングの時にいらっしゃるんですか?
兄もいます。「ここをこうした方がいい」など、結構色々言われます(笑)。 僕の歌の一番いい部分を知っているのは兄なので、レコーディング中は色々と相談しますね。
ーーここからはツアーですね。
6月8日(土)の吉祥寺キチムのライブから全国ツアーを行います。全9公演で関西は6月21日(金)に京都nano、7月12日(金)に大阪noon cafeで行います。ただただ楽しみです。少し前までは緊張感もありましたが、最近は楽しみな気持ちが強くなってきました。ぜひ遊びにきてください。
眞名子新
取材・文=竹内琢也 撮影=norico