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ライブが“大嫌い”歌い手・ウォルピスカーター×ライブが“生きがい”ケントカキツバタ、新MV「ワンマンライブ」の公開記念対談

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ケントカキツバタ、ウォルピスカーター

ケントカキツバタ、ウォルピスカーター

歌い手・ウォルピスカーターと、彼の最新アルバム『余罪』収録曲「ワンマンライブ」を提供したケントカキツバタの対談が実現した。
「ワンマンライブ」は、“ウォルピスカーターのワンマンライブのテーマソング”として書き下ろされた楽曲で、6月13日(木)19時にMVの公開も予定されている。
“ライブが嫌い”なウォルピスカーターと、彼のライブを支えるバンドマスターであるケントカキツバタ。対照的な2人のライブに対する考え方や向き合い方を、「ワンマンライブ」を通して探ってみた。

 

ーーウォルピスカーターさんはアーティストであり、ケントカキツバタさんはライブにてウォルピスカーターさんをバックアップされているバンドマスターにして、最新アルバム『余罪』では「ワンマンライブ」を手掛けられているコンポーザーでもあります。そんな両者をお迎えしての対談を始めさせていただくのにあたり、まずはおふたりの“出会いの頃”について教えてください。

ウォルピスカーター:いつかのワンマンライブからだったっけ?

ケントカキツバタ:最初に僕がウォルピスさんとご一緒させていただいたのは、2019年1月1日におかえりって言え(いすぼくろ/ウォルピスカーター/Souによるユニット)がワンマン(TOKYO DOME CITY HALLでの『あけましておめでとうって言え』)をやった時ですね。

ウォルピスカーター:あぁ、あの時か! もう4年半くらい経ってるんだね。

ーーその当時、どのような会話をされたのか覚えていらっしゃいます?

ウォルピスカーター:普通にコミュニケーションを取りつつでしたけど、どうしても僕がライブに不慣れっていうのもあって、基本的にはケントさんにいつもうまく場をリードしてもらうというか、空気感を作ってもらいながらリハーサルが進んでいって、その後に本番を迎えたっていう感じでした。

ーーウォルピスさんからすると、当初からケントさんとは“やりやすかった”ことになりそうですね。

ウォルピスカーター:ケントさんって、場の空気を必要な時にちゃんとほぐしてくれる人なんです。柔らかい空気を良いタイミングで醸し出してくれるんで、確かにすごくやりやすかったです。だから、それ以降も引き続きお願いするようになったんですよ。

ケントカキツバタ:ありがとうございます!(笑)

ーーちなみに、その当時のケントさんからみたウォルピスさんはどのようなご印象だったのかもぜひ知りたいです。

ケントカキツバタ:ウォルピスさんは顔出しをされていないアーティストさんですので、最初は「どんな人なんだろう?」ってワクワクしながらスタジオに入ったんですよね。実際に話をしてみると、世代的にもそんなにズレとかなかったですし、僕もニコニコ動画とか、ボカロ文化はもともと好きなものだったので、そういった共通項を通して円滑にコミュニケーションがとれたのが嬉しかったです。

ーーというわけで、おふたりは大変良好な関係性にあると言えるのではないかと思います。ただ、ウォルピスさんの場合は以前から“ライブが好きではない”ということを公言されていらっしゃいますよね。一方、ケントさんはご自身でもバンド活動をされていて、常々ライブ活動を積極的にされているので、ライブに対しての考え方や向き合い方については、おふたりそれぞれでかなり対照的なところがありそうです。

ウォルピスカーター:だと思いますよ(笑)。

ケントカキツバタ:確かに(笑)。

ーーそこは同一見解なのですね(笑)。では、ここでお二方に率直な質問をしたいと思います。「あなたにとって、ライブとは何ですか?」

ウォルピスカーター:そうですねぇ……ファンサービスかな。

ケントカキツバタ:なるほど。そういう感覚なんですね。

ウォルピスカーター:お客さんたちがやってくれって言うからやる、みたいな。

ーージャンルを問わず、アーティストによっては「ライブこそが自分にとっての生き甲斐なんだ」と語るような方も決して珍しくはないことを思うと、ウォルピスさんのそのスタンスはどちらかといえばマイノリティなのかもしれません。

ウォルピスカーター:完全にマイノリティだと思いますよ。ライブに対して前向きではない自分からすると、いろいろ考えたりもしましたが、つまるところは「ライブ=ファンサービス」というところに落ち着いたんです。

ケントカキツバタ:僕は「ライブは生き甲斐」派閥の人間なので(笑)、10代の頃から自分で曲を作って、バンド活動をして、ライブをやって、ということをとにかく愚直にやり続けてきてるんですよ。だから、バンド活動やライブ活動のない生活っていうものが、もう想像できないくらいのレベルで生活に根ざしちゃってますね。

ーーそうした「ライブは生き甲斐」派閥の民たちは、演者のみならず観客側も含めて、先だってのコロナ禍では実にしんどい思いをしましたよね……

ケントカキツバタ:ほんとに! あれは大変でした。

ウォルピスカーター:そうですね。

ーーライブをやらない方がむしろ褒められる、くらいの時期もありましたものね(苦笑)。

ケントカキツバタ:まぁ、僕もライブをやるのが難しかった時期はそれを逆手にとるじゃないですけど、自分がやってるバンド(Orca-Luca)の方の制作に集中してたんですよ。1年で4枚くらい立て続けに出したりできたので、今となってはあれはあれで有効にエネルギーを費やすことができて良かったと思ってます。

ーーでは、さらにケントさんには別の質問もさせてください。ウォルピスカーター・バンドのマスターとして、ライブの際に重要視されているのはどのようなことでしょうか。

ケントカキツバタ:やっぱり、さっき社長も言ってくれていたんですけど、場の空気をほぐしたり、和ませたりというところはかなり意識してます。いわゆるムードメーカー的な立ち位置で、歌い手の方たちが安心してライブに臨めるような状態を作っていくように心がけてるんですよ。だから、時には照明さんや音響スタッフたちが話してる難しい細々したことを、僕が噛み砕いてアシストする場合なんかもあったりしますし。反対に、歌い手サイドの意向をスタッフ側に伝える橋渡し的なことをやるケースもありますね。

ーー楽器演奏をされたり、音をまとめていく以前の段階でも、調整役としての活躍までされているのですね。

ケントカキツバタ:実は音楽的な面での専門的なことだったり、システマティックな話は意外と僕はしてなくて、そこは僕が信頼して集めたミュージシャンたちに託していたりもしますね。誰かひとりが頑張るとかではなくて、みんなの力でひとつのライブ、ひとつのステージを創りあげていくという気持ちで向き合っているんです。

ケントカキツバタ、ウォルピスカーター

ケントカキツバタ、ウォルピスカーター

ーーそんなバンマス・ケントカキツバタさんに対して、ウォルピスさんが「さらにこういう役割を担って欲しいな」と期待しているところは何かありますでしょうか。

ウォルピスカーター:歌い手のライブでお客さんがどこを見るかって言えば、大抵はボーカルばっかりをピンでずっと見てると思うんですよ。ただ、それだけだとライブとしては持たないんですよね。

ーーそうなのですね。ウォルピスさんの場合は企業CEOという社長キャラの基本設定もありますし、公演によっては寸劇が挟まれたりもするので、見どころはたくさんあるように感じます。               

ウォルピスカーター:そういったこともやればやれるっていうのはありますよ。でも、毎回それだとねぇ。結局は持たないだろうし、お客さんたちも飽きると思うんです。じゃあ、ほかにライブで何が大事かっていうと“楽しく演奏してる人たちがそこにいる”っていうことだと思うんですよ。僕はそれをなかば演出の一部でもあると思ってますけど、ケントさんなんかは本番だけじゃなくてリハーサルからずっと楽しそうに弾いてるんですね。そして、ライブが終わった後にX(旧Twitter)で来てくれたお客さんたちの反応を見ていると、けっこう「ギターの人が楽しそうに弾いててよかった!」みたいなポストがされてるんですよ。要は、それだけボーカル以外の部分にも目を向けてもらえるくらいのパフォーマンスをしてくれてたっていうことだと思うので、僕としてはそういう部分まできっちりとこなしてくれている面でもすごく助かってます。

ケントカキツバタ:そう言っていただけると嬉しいですね。ありがとうございます! いや〜、今のところすごくピースフルな感じで対談が進んでて良かった(笑)。

ウォルピスカーター:どうかな? ここから急にバーサスモードになっていったりして(笑)。

ーーここは敢えてお訊きしますが、この4年半の間に現場でおふたりの意見が対立したことはございます?

ケントカキツバタ:ないですね、まったく。

ウォルピスカーター:僕が何を言っても、ケントさんは「わかりました! やりましょう!」って言ってくれるんですよ。いきなり「幕間に寸劇をやるんでセリフ覚えてきてください」って言っても、ちゃんと対応してくれます。

ーーミュージシャンとしてはもちろんのことですが、キャストとしての仕事まで担ってくれるとは素晴らしいですね。

ケントカキツバタ:それまでキャスト的なことをした経験はなかったんですけど、当初から社長は「ただの音楽ライブとは違う、エンタテインメントとして見せていきたい」と言ってましたし、僕が呼んできたメンバーたちとの絡みもステージでは重要なんだよということを伝えてもらった時に、それはぜひやった方がいいし、やってもきっと大事故にはならないって僕もメンバーも確信ができたんです。なんなら、みんなキャッキャしながら楽しんでたくらいです(笑)。

ーーそれは何よりでしたね(笑)。なお、各メンバーに対してリハ段階などでウォルピスさんからの演技指導が入るようなこともあったりしたのでしょうか。

ウォルピスカーター:それは多少ありました。「そこはもっとふざけましょう」とか、「ちょっとバカみたいな声出せます?」とか(笑)。

ケントカキツバタ:ありましたね! ああいうのも楽しかったです(笑)。

ーーところで。ケントさんはそうした器の大きいバンマスとしての顔のみならず、コンポーザーとしての一面もお持ちで、これまでには「斜めがけ前線」や「止まないねって言わないで」などをウォルピスさんに提供されていますよね。また、冒頭でもふれましたが最新アルバム『余罪』では「ワンマンライブ」を手掛けていらっしゃり、詞はウォルピスさんが書かれています。タイトルどおり、この曲はそれこそライブというものがひとつのテーマになっていることになるのだと思われますが、そもそもこの楽曲はどのような生い立ちを持っているのでしょう。とても気になります。

ウォルピスカーター:僕はいつも作家さんに作品をお願いする際、ざっくりしたテーマしか伝えないんですよ。というのも、大体は頼むのってボカロPさんたちが多いので、みなさん自分の世界を持ってる人が多いし、それぞれの方のキャラクター性も込みでの楽曲を展開されていることが多いからなんです。ただ、ケントさんに対しては毎回わりとカッチリしたかたちで依頼をしてきてますね。たとえば、初書き下ろし曲の時は「架空のCMソングで、登場人物はこんな感じで」っていうイメージを伝えたんですよ。そして、今回の場合は「僕のワンマンライブのテーマソングを書いて欲しい」とお願いしたんです。

ーーライブ嫌いのはずのウォルピスさんからそのオーダーが来た時、ケントさんはどのような心境で受け止められたのですか。

ケントカキツバタ:まずは、ワンマンライブのテーマソングだというからには「絶対にライブの現場でやるんだろうな」ということを想定しながら曲作りを始めました。リズムやテンポもそうですし、全体的にライブ映えしそうな曲としてのコーディネートをしていったわけです。自分としては、これまでのバンド活動で培ってきたものもここにはかなり織り込むことができたんじゃないかと思ってます。それもあって、今まで社長に提供させていただいた曲たちはキャッチーで明るめで爽やかなものが多かったんですけど、今回の「ワンマンライブ」は陰陽で言えば陰寄りでスピード感のある曲、というこれまでにはちょっとなかった雰囲気の曲になりましたね。

ーーケントさんから「ワンマンライブ」が提出されてきた時に、ウォルピスさんの感じられたファーストインプレッションはどのようなものでした?

ウォルピスカーター:ケントさんの言うとおり、これまでは明るい感じの曲が多かったんで、今までになかったケントさんの一面を感じられましたね。そして、これをどう歌おうかな?というところがとても楽しみになりましたよ。

ーーそこから「ワンマンライブ」が完成へと至るまでの間には、おふたりの間でラリーが何回か交わされることになったわけですか?

ウォルピスカーター:ですね。歌うのが楽しみだなと思いつつも、曲のテーマを「ワンマンライブ」と決めてからケントさんにオファーした以上、必然的にこれは“ライブで必ずやらなきゃいけない曲”っていうことになるわけじゃないですか。そうなった時、生まれて初めて真剣にキーの吟味というものをしました。

ーー今思うと、2019年に豊洲・PITにて開催された『2019年度 ウォルピス社“大”株主総会』では、「雨子」を歌われた直後にウォルピスさんが謝罪会見を行う一幕がありましたよね。自虐ネタ的な「このたびは“高い声”を生業としていながら、ライブでキーを下げるという事態に陥り、あまつさえトップが出ないという大失態をおかしてしまい……大変申し訳ございません!」というあの場面はよく覚えております(笑)。

ウォルピスカーター:レコーディングのことだけ考えていて良いのであれば、その時に届いたキーでそのまま歌えば良いんですけどねぇ。ライブで必ず歌うとなったら、どうすれば良いんだろう……?と悩んだ結果、だんだん自分でもよくわからなくなってきて、途中でケントさんに電話して聞いたんですよ。「C♯は使わない方がいいですよね?」「他に盛り上がるようなスケールとかメロディラインってあります?」って。僕にとっては、そういう風にガッツリとラリーしながら曲を作っていくのは初の経験でした。

ケントカキツバタ:一番時間をかけたのはサビの部分でしたよね。もちろん、ライブを前提に考えるということはキーも重要なんですけど、社長が歌う時に地声を使うのか、裏声を使うのかでも聴こえ方は変わってくるし、本人の持っているポテンシャルをライブの場でも余すところなく発揮できるようにと考えながら、メロディラインはしっかりと作り込んでいくようにしたんです。同じサビに対して、4パターンくらい作って「どれにします?」っていうやりとりをしました。

ウォルピスカーター:やったねー(笑)。いっぱい案を出してきてくれたので、それだけ真剣にこの曲について考えてくれてるんだなって感じましたし、すごく助かりました。

ーーそれだけ丹念に作り込んでいったこの曲に対し、もちろんウォルピスさんは歌詞をつけられているのですが……あろうことか「ワンマンライブ」は〈大嫌いだわ〉のパワーワードがワンコーラスめの終わりと、曲の締めくくり部分で響きわたることになります。“ワンマンライブのテーマソング”との大前提を踏まえると、その部分に限らずこの歌詞はずいぶんと衝撃的な内容ですね。

ケントカキツバタ:僕もびっくりしました。「おぉっ?!」って。確かに、社長がライブに対して前向きじゃないっていうことは知ってますけど、その姿勢を作品の中でも歌詞として爆発させてますもんね。「ついにここまで言い切ったのか!」と(笑)。

ーーケントさんからすると、「“ワンマンライブのテーマソング”を依頼しておいて、〈大嫌いだわ〉はないだろ!」とはなりませんでした?

ケントカキツバタ:あははは! まぁ、その気持ちはゼロではないかな(笑)。限りなくゼロには近いけど、完全なゼロではないかも?

ケントカキツバタ、ウォルピスカーター

ケントカキツバタ、ウォルピスカーター

ーーウォルピスさんは元来シニカルな観点をお持ちの方ですし、詞についても一筋縄ではいかない表現を多くされている方であることは重々承知しておりますけれど、「ワンマンライブ」の歌詞は完全に予想外の方向へと突き抜けている印象です。

ウォルピスカーター:この詞はあれですよ、まさに〈大嫌いだわ〉の部分から書き始めたんですよ。曲の持ってるパワーに乗せて呪詛を吐こうかなと(笑)。

ーーなんと。〈大嫌いだわ〉は結論として導き出された言葉ではなく、最初からありきのパワーワードだったのですね。しかも、全体を見わたすとライブ自体の場面よりも“そこに向かうまでの心持ち”が多く描かれているようにも見受けられます。

ウォルピスカーター:割合でいったらライブまでのことが6割、ライブのことが4割くらいですかね。AメロとBメロはライブをやってない状態で、サビはライブ中をイメージして書いているので。

ーーライブのことだけではなく、そこに向かうまでの気持ちまでつぶさに描く必要があったのだとしたら。ウォルピスさんにとって、その理由は何だったのですか?

ウォルピスカーター:ライブって、ステージ上の話だけでは完結しないじゃないですか。お客さんたちに見えるのは、もちろん当日の1〜2時間とかですけど。実際には何カ月とか半年前から準備して、いろんなスタッフさんたちも動かして、ケントさんたちにも協力してもらって、ボーカル自身もトレーニングして、たった2時間くらいのためにすごく長い時間や手間を費やすことで初めて成立するものなわけですよ。そこを蔑ろにして「ワンマンライブ」の歌詞は書けないな、と思ったからです。

ケントカキツバタ:(無言で何度も頷いてから)そこまで考えてるんだったら、それってもう「ライブ好きじゃね?」って思うんですけど(笑)。

ーー確かに(笑)。

ケントカキツバタ:だって、今の話ってプロ根性があるからこそのものですよね? ライブにかける強い気持ちの表れから出てきてる言葉だと思うから、純粋にそれって「カッコいいなぁ」って聞いてて思いました。僕自身は、個人での活動周期的に言うとバンドで月に3〜4本、自分の弾き語りライブとかも入れたら多い時は月10本とかやることもあったので、1本に対して何カ月っていうスケールで準備をすることはないですけど、たまにしかやらないライブだからこそ、半年も前から時間をかけて臨むなんて、社長の考え方や実際にやってることってめちゃくちゃストイックですよ。そこまでできる人は、ライブ好きニキっていうことで良いんじゃないですか?

ウォルピスカーター:違う、違う。ライブ嫌ニキですよ!

ケントカキツバタ:頑なですねぇ(笑)。

ーーなんでも、“好き”の反対語は“嫌い”ではなく“無関心”であるという説もあるくらいですので。“嫌い”というのは、それだけ執着があるということになるのかもしれません。

ケントカキツバタ:ですよね、きっとそういうことだと思うんですよ。

ウォルピスカーター:そんなんじゃないんで。僕はライブが大・嫌・いです!

ーーならば少し質問を変えましょう。社長はライブの何が嫌いなのです?

ウォルピスカーター:うーん……何が嫌いかって言ったら、噛みあわないんですよね。いろいろなものが。僕の活動スタンスもそうですし、元を正せば僕は歌を歌いたいというよりも、録音がしたい人間なんです。歌は好きですよ? 好きなんだけど、人前で1曲フルコーラスを歌い切ることをしたいわけじゃなくて、細かく緻密に録音していった歌をパズルみたいに組み合わせながら、ゆっくりと丁寧に綺麗な絵を作っていきたいので。そのスタイルをどんどん突き詰めていった結果、僕は“生だと絶対に歌い切れないキー”で作品を作り出しちゃったんですよ。

ケントカキツバタ:あー、なるほど。

ウォルピスカーター:それでも、いざライブをやるとなったらお客さんたちは当然“僕が音源として世に出している高い声”を期待して来る方が多いわけじゃないですか。ということは、原曲からキーは下げられない。あとは、ライブでやれる曲を探すしかなくなる。ところが、やれる曲がそもそも少ない。マイナス1でどうにかならないか、誤魔化せないか、なんとかキーが変わっていないように聴こえるやり方はないかと、ここまでには葛藤と試行錯誤を繰り返してきてですね。歌の練習とか、本番を見据えたトレーニングとか、それ以外にもいろいろと考えることが多過ぎて、ライブをやるってなると相当なストレスがかかってしまう状況になってしまうんです。それプラス、先ほどもお話ししたとおり僕はライブ=ファンサービスだと思ってますから、ファンサービスをうたっているのに、お客さんたちの求めているものを提供できないというのは……プロとして失格なんじゃないか?と。自分としてはそう思うわけです。

ーーそこまでご自身を追いつめなくても、とわたしは思いますけれども。

ウォルピスカーター:さっきケントさんの言ってた、「ライブは生き甲斐」派閥の人たちの中には“自分がライブをやりたくてやってる”という人も多いと思うから、そのスタンスであれば「キー下げちゃってごめん。でも、ライブでしか感じられないわたしの歌を楽しんでいってくれよ!」って言えるのかもしれないですよね。僕の場合、お客さんたちに料理を提供するような感じに近いものがあるので、なかなか「すみません。今そのメニューないんです」とは言いだしにくいし、そうせざるを得ない事態になるのはシェフの過失というか、ライブに関してはボーカルの過失でしかないので、そういう点も噛みあわなくなってくるんです。なんかそういう感じで、ますます「ライブやりたくないなぁ」っていう風になっちゃいました。

ーー今のお話をうかがいながら頭の中に浮かんできたのは、アルバム『余罪』に関するウォルピスさんの「四年ぶりのフルアルバムですが、実は喉潰して一回発売延期になってるので余罪っていうか罪です。」というあのコメントです。あれもまた自虐的にして赤裸々な発言でしたが、先ほどの“ボーカルの過失”というシリアスなお言葉を踏まえると、よりあのコメントが重いものとして感じられてしまいます。

ケントカキツバタ:そうですよね。

ーーそのうえで「ワンマンライブ」の歌詞を見返してみると……この内容は極めてシビアですね。

ウォルピスカーター:そうなんですよ。今の邦楽ポップスの世界もシビアだし。リスナーの耳がすごく良くなっている分、ボーカリストに求められるハードルはより上がってきてるし、ちょっとでも隙があるとアラをすぐ見つけられてしまいますから。

ーーそこはボカロ音楽文化の功罪といいますか……人間には歌えないような難易度の曲を作ることがボカロの登場で可能になり、そのボカロに負けじと生身のボーカリストたちが鍛練を重ね、20年前では考えられなかったテンポやキーのトリッキーな楽曲たちがチャートにも食い込むようになったことで、かつての“今までにはありえなかったような曲”たちは、もはや“普通にありえるもの”になってしまいましたものね。

ウォルピスカーター:そういう時代の流れにも対応していかなきゃいけないと思いますし、今のお客さんたちの耳に耐えうる歌を歌わなきゃいけないってなると……複雑なところがあるんですよ。どうしても。

ウォルピスカーター

ウォルピスカーター

ーー歌詞中の〈「ガサガサの歌でもいい」←いいワケない! バカ言ってんじゃねえぞ〉であったり、〈ガタガタの歌でも日々死にきれない〉というくだりは実に切実ですね。

ウォルピスカーター:みなさん、おっしゃるんですよ。「ライブならではの生感がいいよね!」みたいなことを。だけど、いいわけないんです。ガサガサの歌を許してくれるのなんて、その人のことを好きな人だけなんですから。

ーーだとしたら、ウォルピスさんのライブにいらっしゃるのはウォルピスさんのことを“好きな人”たちばかりのはずなので。そこは少しくらい、お客さんたちに甘えても良いのではないでしょうか。

ケントカキツバタ:うんうん。そうですよ!

ウォルピスカーター:ダメですね。そこで甘え出してしまったら、どこまでもいってしまう可能性が出てきますよ。それに、僕はお客さんたちの言葉は一切信用してないんです。いや違うな。他人の言葉を一切信用してないんですよ。あれは僕がファーストワンマン『1stワンマンLIVE ~2017年度 ウォルピス社株主総会~』を下北沢GARDENでやった時のことですけど、1曲だけ歌詞をトチっちゃったんですね。そこでつまずいちゃったことで「やべぇ」と焦ってしまい、気持ち的に「終わった……」となって、あの日は後々までけっこう引きずっちゃったんです。でも、ライブが終わった後にはみなさん「初めてのワンマンなのに良かったよ!」「全然問題なかったよ!」「あれこそ生感だよ!」って言ってくれるわけです。だけど、そんなの全部が嘘じゃないですか。

ーーいえいえ。あの初ワンマンはわたしも拝見しましたし、歌詞が飛んだのはカバー曲の「高嶺の花子さん」でしたが、大勢に影響はなかったように感じられました。初ワンマンとしては完成度の高い内容だったと記憶しております。

ウォルピスカーター:初ワンマンとしては、ですもんね。「100%良かったよ」ではないわけで。わかってます。わかってますし、お客さんたちもミスはあったけど良かったよ、って言ってくれますよ? でも、その慰めの言葉を受け容れてしまったら良くないんです。「歌詞を間違えたとこ見られて、貴重でした」とかも言ってくれるんでですけど、間違えないのに越したことはないわけですからね。

ケントカキツバタ:なんか、聞けば聞くほどライブ向きですね。社長がおっしゃるとおり、100%を目指して、遮二無二頑張ったとしても、いざ本番となって本当に100%の力を発揮出できるか?といったら、ぜいぜい80とか90にちょっと乗るくらいまでだったな、なんていうことはよくあるんです。ライブに限らず、試験とかいろんな場合にもそれは言えますしね。準備とか鍛練の段階で120だったり150を目指す勢いでいっても、必ずしも100%までいくとは限らないじゃないですか。そういう意味でいくと、社長の発言は逆に100%までのせることができるポテンシャルを持ってる人だけが発せる言葉だなって感じています。ある種アスリートっぽいですよね。

ーー近いものはありそうです。それに、直前リハーサルあたりまでは「そこそこ良い感じ」だったとしても、本番で「最高に跳ねた!」というようなライブが繰り広げられるケースもきっとあるはずですよ。

ケントカキツバタ:実際、そういうこともライブの場ではあると思います。

ウォルピスカーター:それがですね。僕からすると、リハよりも良い声が出るというのは決して望ましいことではないんですよ。

ーーどういうことですか?

ウォルピスカーター:それって自分のコンディションを調整できてないっていう証拠じゃないですか。たまたま上振れしただけで、思ったとおりのことがちゃんとできたわけではないっていうことです。それはつまりイレギュラーでしかないですよね。

ケントカキツバタ:そうなるかぁ(苦笑)。

ウォルピスカーター:上振れしただけのことを勘違いして、成功体験みたいに認識して持ち越しちゃったら、なかば偶然だった上振れを出せないまま前回のようなライブはできずに終わるっていうことになる可能性が高いですよね。それはとても良くない。僕としては、下振れを想定しつつできるだけコンディションを調整して思うとおりのライブをするのが理想ですね。でも、それが本当に難しい。

ーーそれだけ完璧主義なウォルピスさんが、この「ワンマンライブ」の歌録りをされていく際に大事にされたことがありましたら教えてください。

ウォルピスカーター:この曲は生で歌うことを想定して作ったものなので、思いっきりファルセットを入れて、裏声を使いながら原曲通りにライブで歌えるようにレコーディングをするっていうことを最も強く意識しましたね。曲によっては「もう、どうなってもいいや」みたいな気持ちで自分の限界に挑戦してレコーディングするものもあるんですけど、この曲は長尺でワンコーラスまるまる録ってみたり、なんていうこともやってみたんですよ。自分としては、初めてライブに向けてレコーディングするというのはどういうことなのか?っていうことを、ひとつひとつ勉強しながら進めていくレコーディングになりました。そして、録り終わってみて感じたのは「やっぱり、自分はライブに向いてないな。やんなくていいや」っていうことだったんですよ(笑)。

ケントカキツバタ:あははは(笑)。

ーーそして、「ワンマンライブ」のMVがあらたに公開されることになったそうではないですか。これを機に、この曲に対する注目度はきっとここから高まっていくことが予想されますよね。

ウォルピスカーター:このMVを制作するにあたり、基本的にライブをやりたくないと思っている人と、それでもライブをやってる人っていう、相反する気持ちを二面性として動画で見せられたら良いなっていう話をしましたね。

ーーアルバムのリリース時にはMV制作の予定は特になかったそうですが、ここにきてウォルピスさんたっての希望により「ワンマンライブ」のMV化が叶ったとのことで。なんだかんだで、やはり「ワンマンライブ」には思い入れと愛を持っていらっしゃるのですね。

ウォルピスカーター:「ワンマンライブ」は好きですよ。でも、ワンマンライブは好きではないです(笑)。

ケントカキツバタ:禅問答みたいになってますよ(笑)。

ーータイトルがタイトルなだけに、MVの公開タイミングでこの曲のことを知る方たちをはじめとして、きっと方々から「リアルなワンマンライブを観たい」という声があがってくると思うのですよね。

ウォルピスカーター:歌詞と曲だけだと暗めの曲ですけど、ケントさんの出してる音やMVの映像が重なってくるともう少し違った雰囲気というか、「でも、がんばってるんだ」っていう方向には聴こえそうですけどね。

ケントカキツバタ:僕がウォルピスくんに書いた曲で、MV化するのって実はこれが初なんですよ。個人的にはそこもちょっと嬉しいんです。それも、他の曲はバンバン先にMVが出てたけど、特に「ワンマンライブ」についてはそういう話もなかったんで、「作られないパターンかな」と思ってたから、このクールな感じの映像を観て「よりこの曲が伝わるMVになってて良かったな」って思いました。

ケントカキツバタ

ケントカキツバタ

ーーしつこいようですが。「ワンマンライブ」をワンマンライブで聴く機会を作っていただくわけにはいきませんか。

ウォルピスカーター:いきませんね。ライブはやらないです!

ケントカキツバタ:僕はやりたいですよ? せっかく「僕のワンマンライブのテーマソングを書いて欲しい」というあの社長から注文を、こうして曲としてかたちにしたわけですから。やりましょ、やりましょ! ライブがファンサだっていうことなら、ファンサしてあげないとファンのみんなもさみしくなっちゃいます。

ウォルピスカーター:そこは変に待たせてモヤモヤさせるよりは、堂々と「やりません!」って宣言でもした方が潔いと思うんですよ。大体、歌を聴くなら音源でも充分というか、生の方がピッチとか全然悪いですよ?

ケントカキツバタ:ライブっていうのは、目の前で“憧れていたその人が歌ってくれてる”っていう感覚がまず良いんですよ。録音した美しい歌の素晴らしさは僕もよくわかりますけど、ライブならではのその場でしか味わえない体験価値っていうのは絶対大きいです。音楽を体感できるのって、他では得難い魅力なんじゃないですかね。

ウォルピスカーター:その感覚が僕はよくわからなくて。ひとつだけはっきりしてるのは、ライブが本当に嫌いっていうことだけなんですよね。

ケントカキツバタ:この対談、どこに話を着地させれば良いんだろう(笑)。

ーー決めての説得材料があれば、ぜひケントさんからお願いいたします!

ケントカキツバタ:本音の本音を言えば、無理してまでやんなくて良いんじゃない?とは思うんですよ。自分を追い込み過ぎて、いろんなものを犠牲にして、大変なことになっちゃった仲間や友だちを今まで見てきていますしね。そうなるくらいなら、やりたくないことはやらなくていいし、立ち止まりたければそうすればいいんじゃない?とは思います。ただ、この「ワンマンライブ」の歌詞には〈誰かにとってもまた覚めない夢であるためだ〉って出てきますよね。これって、ヒップホップでいうところのパンチラインだと思うんです。すごく僕は“くらった”んですよ。

ーーその部分からは、ポジティヴなアーティストとしての矜持を感じます。

ケントカキツバタ:社長のプロ根性、プロ意識がそこにはめちゃくちゃ詰まってると思うんですよね。こう思える人は、ライブっていう場所でもライブならではの完璧っていうものを突き詰めていくことができるはずです。それも、別にひとりで抱え込まなくったっていいわけですから。「ワンマンライブ」みたいにライブで歌うことを前提にして、既存の曲をライブバージョンとしてキー調整するのも全然ありだし、僕だってそれに対応しますからね。お客さんたちも、そこはみんな許してくれますよ。いいじゃん、ちょっとくらい下げたって。

ウォルピスカーター:日本人のお客さんたちはそうかもね。でも、もしAdoさんくらい売れて海外ツアーやりますってなったら? 外国人の人しかほぼいないようなところで、音源とは違うキーで歌ったら……多分、石とか飛んでくる。

ケントカキツバタ:いやいや、そんなことないですよ。

ウォルピスカーター:なにしろ、僕自身がライブに行って幻滅したことがあるんで。音源で歌ってるとおりの高い声を聴きに行ったのに、「え?いやちょっと。上手いけど、オクターブ下で歌ってるじゃん…」ってなったもん。自分のライブではみんなにそんな想いをさせるわけにはいかない。

ケントカキツバタ:そんなこと言ったら、海外のメロコアとかパンクのバンドとかだって、超有名な人たちでも信じられないくらいキーなんてバンバン下げてるよ? 大丈夫、大丈夫。それでもみんな超盛り上がってるし、ライブだとキーとかより最後は感動で上書きされるから!

ウォルピスカーター:僕、人の意見は信用しないことにしてるんで(笑)。

ケントカキツバタ:僕の言うことは信用していいよ(笑)。だから、ライブやろ?

ウォルピスカーター:やりません! そしてね、これはこの際だから言っておきます。確かに、ライブが嫌いって公言するアーティストはそんなにいないでしょうけど、中にはいるはずなんです。でも、その人たちのほとんどは口に出せないんですよ。ライブが嫌いなんていうミュージシャンはプロ失格だの、そんなんじゃやっていけないだの、いろいろ言われますからね。でも、そろそろみんなほんとのことを言ってもいいんじゃないですか? 嫌いな人はライブが嫌い!って。

ーーそれもまたひとつの多様性、というやつですかね。

ウォルピスカーター:もっとみんな気軽に、ライブが好きだっていう人と同じように、自分はライブが嫌いだって言えるようになった方が健全ですよ。好きな人は好きなだけライブすればいいし、嫌いな人は嫌いな人でライブ以外に凌いでいく方法をうまいこと考えればいいわけなので。もっと自由に、ボーカルっていう立場から新しい発信の仕方を示していくこともできるんじゃないかな?と僕は思っています。というわけで、実はライブが嫌いだという人はここからカミングアウトすればいいんですよ。そして、孤軍奮闘している僕を助けて欲しい(笑)。

ケントカキツバタ:僕は立場上、社長が「よし、ライブするぞ!」って言ってくれないと動けないので。ファンのみなさんともども、少しでも早くその気になって欲しいなぁと願うばかりです。あとは、ここからさらに「ワンマンライブ」みたいにライブでそのまま歌える曲も増やしていきましょう!

ウォルピスカーター:それだと、ずっと呪詛吐き続けることになるかもしれないけど、大丈夫?

ケントカキツバタ:それはそれでパンクで凄くカッコ良いと思います(笑)。

文=杉江由紀
撮影=菊池貴裕

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