ブルース・スプリングスティーン、史上最も誤解された名曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の日本語字幕付MV公開
ブルース・スプリングスティーンの75歳の誕生日(9月23日)に合わせて、9月25日に発売となることが決定した、3大特典付き日本独自企画盤「ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)」(7インチ紙ジャケット仕様)。アルバムのオープニングを飾るタイトルトラック「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」はロック史上最も誤解された名曲と呼ばれ、日本でも今もなお誤解をしている人も多い同曲のミュージックビデオが日本語字幕付きで公開された。
1984年発表アルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は今年で発売から40周年を迎えたが、収録曲の中でも世界中の人々に、ブルース・スプリングスティーンのイメージを決定づけた強いインパクトを持つ曲がタイトルトラック「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」。アルバムからの3枚目のシングルとなり、全米シングル・チャートで9位を記録した、彼にとって最大の芸術的・商業的成功のひとつであり、「最も誤解されている作品」でもある。
このアルバムで初めて導入したシンセサイザーのリフとスネアを強烈に叩きつけるドラムズが推進し、たった2つのコードで繰り返される、まるでファンファーレのような賛歌的な編曲の力強いロック曲ゆえ、「米国に生まれたんだ!」と高らかに宣言する単純な愛国歌と、ロナルド・レーガン大統領を含む多くの人びとに誤解されたが、実のところは「米国に生まれたのに・・・」という現状への苦々しい思い、やりきれなさを吐き出すように歌うプロテスト・ソングであり、ベトナム帰還兵への残酷な扱いと彼らの苦悩を描いた曲だ。
この曲が生まれた背景には、前述のように、ボビー・ミュラーとロン・コビックという2人のベトナム負傷帰還兵の反戦活動家と知り合い、帰還兵の支援に積極的に協力するようになったことがある。ベトナム帰還兵は、他の戦争の退役軍人が英雄的歓迎を受けたのに対し、祖国に戻ってもほとんど無視され、多くの人が心的外傷後ストレス障害やその他の病気に苦しんでいた。ブルースは帰還兵の人たちから直接聞いた話をもとに、1981年に当初は“ベトナム”という題名でこの曲を書き始めた。
そんなところにポール・シュレイダー監督が、クリーヴランドで活動するバー・バンドの試練を描いた「Born In The U.S.A.」という映画の脚本を送ってきた。ブルースは脚本の表紙にあった題名をコーラスとして歌ってみた。結局、ブルースは映画出演の依頼を断り、その題名の歌を完成させる。その代わりに、ブルースはその映画にために「Light Of Day」という曲を書き下ろし、それがそのまま新しいタイトルとなり、主題歌となった。映画『Light Of Day(邦題「愛と栄光の日々』)』は1987年に公開された。
元々この曲はボトルネックネックギターで弾き語るブルージーなアレンジで作られており、1982年の「ネブラスカ」への収録も検討された。1995年のソロ・アコースティック・ツアーではこの曲を「これはプロテスト・ソングで、GI(兵士)のブルーズだ」と紹介し、アコースティック・ギター本の弾き語りで披露。あの賛歌的な編曲のヒット版で単純な愛国歌と誤解した人も、帰還兵の苦悩を描いた作品であると聴き間違いすることのない解釈だった。1997年に東京・東京国際フォーラムで行われた日本公演でもこのアレンジで演奏された。
9月25日に発売となる日本独自企画盤「ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)」(7インチ紙ジャケット仕様)は、「BORN IN THE U.S.A.」のオリジナル・アルバムに加え、ボーナス・ディスク3枚を追加した計4枚組。日本独自の見開き7インチ紙ジャケット仕様で、初来日時のオフショット含む未発表写真満載のフォト・ブック、初来日のドキュメンタリー的な秘話満載の詳細な日本語ブックレット付。さらに、1985年の初来日公演の「BORN IN THE U.S.A. JAPAN TOUR」のために作成された貴重なツアー告知ポスターが封入される、日本のみのスペシャル・パッケージ(完全生産限定盤)となっている。