湯木慧 撮影=菊池貴裕
湯木慧からニューアルバム『O』(7月17日発売)が届いた。前作『W』から約2年5ヵ月。新コンセプトは“RE:NATURE”――なぜ新たなコンセプトを掲げたのか。2年5ヵ月の間に湯木にどんな心境の変化があったのだろうか。「音楽はドキュメント」と語る湯木。新作『O』にはその“変化”、“葛藤”、そして“更新”していく彼女の姿と心模様が克明に刻まれている。
前作『W』と地続きで、W/O(with out~)というメッセージが込められているという『O』について湯木にインタビューした。
――2022年に発表した『W』は、5年間の活動の集大成的な一枚だったと思いますが、“次”の作品に向かうべく、“RE:NATURE”というコンセプトを掲げた理由から教えてください。
まず前段部分として、昨年私は曲が全く書けなくなってしまいました。その理由からお話しさせてもらってもいいですか? きっかけは昨年の3月の終わりにSNSに届いた一通の衝撃的なDMでした。「あなたにいじめられたことがあります。そんなあなたが命について歌っているのが嫌だ。どういうつもりですか?」という内容でした。
私という存在が誰かを傷つけていて、恨みを買う活動をしてしまっていたんだということに気づいた瞬間、目の前が真っ暗になりました。
――SNSだからきっとどこの誰だかわからない人からのメッセージですよね。
そのメッセージは、私のインタビュー記事なども読んでいるのがわかる内容で、私の音楽や記事をちゃんと読んでくれている人が、こんなにも恨みを持っているんだってびっくりして。今までそんなこと疑わずに、自分の命を削るように曲を作って、命のことを歌ってきました。今まで自分が歌を作っちゃいけない、歌っちゃいけないとか思ったことがなかったので、私という存在が誰かを、何かを傷つけていて、こんなに恨みを買う活動をしてしまっていたんだということに気づいた瞬間、目の前が真っ暗になりました。人生で初めて自分のことを心の底から信じられなくなりました。
――そのメッセージをスルーできなかった。
そのメッセージも読み返してみるとおかしな文章、気持ち悪い文章だったのに真に受けてしまって。ちょうどその時期は、楽曲作りが全然進まなくて悩んでいて、自分で自分のことを呪っていたんだなって、今思うと腑に落ちるんですけど。結局は自分が敵で、他からそういう攻撃が来た時、自分が受け入れてしまったことが全ての始まりです。
――曲が作れなくて自分自身と戦って心が弱っているタイミングに、その辛辣なメッセージを受け取ってしまったんですね。
曲が書けていなかったから、ちょっと自尊心をなくしていました。だから見張られてたのかなと思うくらい、すごいタイミングでのメッセージだったんです。曲が書けないから結構ディープなドキュメンタリー映像とかを見まくったり、自分から闇の中に進んで行くように、自分から命を触りにいくという感じのことをしていて、呪われてたんだなって今は思います。そうタイミングであのメッセージが来て、自分に隙があったから入れてしまって、飲み込んでしまって、まるで人形みたいな感じでした。自分のことを好きでいた人生だったし、自分の曲も好きだし、みなさんにいい曲って言っていただけたらそれを自信にして次につながっていたので、それが根本からひっくり返された感じで、ただ死んだように寝ている状態でした。
――周りの人からのフォローや言葉も響かないような状態だった?
色々言葉をかけていただきました。でもダメでした。疑心暗鬼になって誰のことも信じられなくなっていました。3月31日にそのメッセージを受け取って、4月の頭にはこのアルバムも含めて進行していた全てのプロジェクトをストップさせました。何もできない状態がしばらく続いて、怖くて外にも出られなくなって、曲も作ってはいけない、何かを発信することは悪だって思っていたので。
――6月にはライブ(4日/品川Club eX)がありました。あの時はどんな心持ちでステージに立っていたんですか?
ワンマンライブを中止にする勇気はないし、来て下さるかたにも申し訳ないので、ライブに向けての準備はしていました。でもサポートも入れられない、ただ歌うことしかできないので、ライブタイトルが『うたうこと』だったんです。今までの曲も歌うけれど、今までの感情では歌っていませんでした。
――ライブを終えて心境の変化はありましたか?
ライブの前から、曲を作る精神を構築しなければいけないと思って、そのためには一人になるのではなく、まず人と会って話すということをやらなければいけないと思い、やっていました。ゆかりのある秋田や大分に出かけていって、色々な人に会いました。実家にも帰ったし、表現する人ではなく湯木慧という一人の人間として、色々な人と色々な話をすることで心の中でモヤモヤしていたものが、少しずつほどけていきました。それから、ずっと一緒だったワンコを3年前に亡くしていたので、よし、犬を飼おうって思いました。時間もあったのでずっとそばにいてあげられるし、今後のパートナーとして犬を飼おうって。これは犬のために大切に育てるということはもちろんですが、自分のために生きようと思った第一歩でもありました。
――犬って無償の愛を注いでくれますよね。
考えすぎる人間は、みんなワンコを飼った方がいいです。ニコニコして接するから、まあいっかみたいな気持ちにさせてくれるんです。私は考えすぎる性格だし、一人で作業しているとどんどん闇落ちしていくほうなので、それを救ってくれたのがワンコでした。
――そこから自分の考え方とか気持ちが、明らかに外向きになった?
なっていきました。家事をして犬の世話をしながら普通の暮らしをしていたので、まだ曲作りはできていませんでした。でもワンコの散歩で外に出る機会も増えたし、散歩の途中でワンコを連れている人と話したり、違うコミュニティができたり、少し外向きになりました。犬を飼ったことと、色々な人に会いに行って、そこで何気ない会話を交わすことで元気になって、自分を取り戻すことができました。
今歌に求められているのは何か? とか、社会がどうかわからないけど、敢えて重荷になるようなことは歌わなくていいのかなと思いました。
――原点というより表現者としての根本に帰る時間だったのかなって感じます。
こういう思いを届けたい、こういう風になって欲しいとか、アーティストと言われている方たちは、若い頃に生きる目的や人生の意味を発見して、自我を確立してクリエイティブに向き合っていると思います。でも私はそれを経ないで、持っているポテンシャルだけというか、作ってきたものが気に入ってもらえて、広がっていって、それだけでここまで来てしまったので、自分が脆くなったなって思って。だからこの時間で自分のことがやっと整理できたのだと思います。
――このアルバムに入ってる曲たちを書けたことで、自分に整理がついたというか、見つめ直すことができたという感じなのでしょうか。
2022年に書いた曲も入っていますが、「LOVE ME」と「愛real life」は心に整理がついた上で書いた曲です。外側に向けて書けた曲で、新境地というか新しい自分のスタイルが入っているのがこの2曲です。曲調の問題ではなく曲の精神性です。
――「LOVE ME」はコーラスワークが印象的で、自己愛を歌っています。
誰が聴いても前を向けるというか、いい気持ちに、明るい気持ちになれる曲になればいいなと思いました。音だけ聴いていても気持ちがいいし、綺麗だな、なんか不思議な感覚だなって思ってもらうだけでいいのかなって。あのメッセージの件があってから、私の曲って重すぎ? 呪ってる?って思ってしまったこともあって、今歌に求められているのは何か? とか、社会がどうかわからないけど、敢えて重荷になるようなことは歌わなくていいのかなと思いました。
――いい空気の中で聴かせてくれる感じがしました。
新しいコンセプトとして“RE:NATURE”ということを掲げているように、今後自分が発信していきたいと思うものは自然の中で感じるような、自分を見つめ直すような空気だけど、重くはならないというか、清々しい気持ちで、ちゃんと自分と対峙できるような曲というイメージで作っていきたいし、作ってみた曲です。
――「愛real life」はバックにずっと鳥のさえずりが聞こえていて、幸せな雰囲気の中でこれから活動していくんだという意思表示なのかなって感じました。
個人的にはすごい出来事があって、私は大忙しで色々なことを片付けていたけど、でもみんなはただ待ってくれていて、何もない2年間にしてしまって……。嵐の後の曲みたいな、次に向けて新たにというより、一旦落ち着きました、答え見つけましたっていう曲なんです。
――「331」というタイトルは、あのメッセージを受け取った日のことだと思いますが、それをタイトルにした曲を作ったということは、やはり自分のことが整理できたから書けたのでしょうか?
今はあのメッセージをもらってすごくありがたかったなと思えて。“あなたが命に対して歌ってるのが嫌だ”って言ってくれてありがとうって思えるようになりました。これがなくてそのまま突き進んでいたら、いつかこういうことが起こっていたと思うし、これくらい衝撃的なことというか、自分が自分を呪うような出来事があって今があると思えるので、感謝です。結果としてはこの時間と、あった出来事全てが大事だったと思う去年一年だったので、感謝の意味を込めて「331」というタイトルにしました。
――「331」は歌とピアノ、ブレスと環境音だけというシンプルな曲になっています。
デモの段階で完成してるなという感覚があったので、それはディレクターさんとも同じ意見でした。環境音を入れようって言ってくれたのもディレクターさんで、私の息が入ってるのは、エンジニアさんが残してくれていて、みんなの無言の“いいね”がアイディアとして生かされている。本当に皆さんが作ってくれた曲というか、こういう感覚で制作したのは初めてかもしれません。今までは私が全部アイディアを出して、私が決めるというのが当たり前でした。もちろんみなさんも助けてくれていましたが、今回のアルバム制作は共同作業という感覚が強くてあって、すごく楽しかったです。
――この曲を歌えたことが、アルバムの強さにつながっているというか、シンガーソングライターとして違うフェーズに入ったという感じがします。リスタートですよね。
本当にそうです。でもリスタートしたって言いすぎてて(笑)、私が言うリスタートは軽すぎるから、もっと重みがある言葉で表したいんだけど、見つからないんですよね。だから曲で示していこうと。これからのリリースされる楽曲と今後の活動で、これがターニングポイントだったということが後々わかればいいかなと思います。
自分から不幸集めをしちゃダメなんです。フラストレーションでいい曲を作るフェーズではない、新しい道を開拓しなければいけない。
――「輪」は戦争の歌だということを、セルフライナーでも書いています。
アルバムが『O』というタイトルになった理由もこの曲があったからなんです。元々「未完成の満足」というタイトルで、「331」よりも前に書いた曲です。ちょうど結婚して主婦として普通に生活している中で、これ、ぬるま湯に浸かってるのかな? とか、色々考えたりとかしていて“満足”ということがまずテーマとしてあって。みんな満足を恐れているのではないだろうか? って。私だけではなくて、それが世の中で起こっていることの全ての原因になっているのでは? と、壮大なことを妄想して戦争の曲になりました。例えば満月はすぐに欠けてしまうけど、今その瞬間にきれいだなって思うことが大切で、過去も未来もなくて今は今でいいという思いが大切なのでは、と思いました。
――結婚して、いわゆる普通の夫婦の生活を送る中で満足を感じながらも、満足を恐れていた。
そうなんです。私自身も満足を恐れる第一人者であったんです(笑)。幸せならそれでいいじゃんっていう話なのに、幸せになっちゃったから曲が作れないとか、嫌なことにばかり目を向けて、不幸集めみたいなことをしてしまう。不幸なことがないとお前は曲が書けないのかっていう話なんですよ。そこにも立ち返るきっかけになったというか。
――人の不幸は蜜の味という言葉があるくらいです。
そうだと思います。でもそれを打破してやろうと思ったこともエネルギーになっていて、不幸ではない環境にいるのにいい曲作ってやるぞと思って「愛real life」や「LOVE ME」を書いたんです。“それを聴いて助かりました”がゴールじゃないというか、そういう人にも届けるから「LOVE ME」という曲になりました。だから自分から不幸集めをしちゃダメなんです。フラストレーションでいい曲を作るフェーズではない、新しい道を開拓しなければいけないって神様に言われているようでした。
――「YOU」は「魚の僕には」の第一稿ということですが、「魚の僕には」(2022年12月21日配信)の発売タイミングでインタビューした時に「最初は幸せな人が幸せな歌を歌っている、ただのウザい感じの曲だった」と言っていましたが、それが「YOU」だった?
そうです。「YOU」を提出したけどなんか違うなって感じになって。それも不幸集めというかパートナーが見つかって結婚して、二人とも健康で生活しているのに、悲しいところはどこだろう?って掘り下げていって「魚の僕には」になっていくという……。だから「YOU」がよかったし「YOU」でよかった。でもわかるんです「331」が心に刺さる、いい曲って言われることも。でもそういうことって生きていれば普通に降りかかってくるものです。メッセージをもらったことも然りで、自分から歩み寄ったものではなくて、嫌なことや悲しいことがあったりした時、その時にいい曲を作ればいいと思う。でもそれ以外のところで創作を続けるためのマインドというか、技術を手に入れたという感じです。だから「331」みたいな曲を作る機会をいただけたならって素直に思えます。
――「YOU」もチェロが効いていて、幸せな歌なんだけどしっかり地に足がついてるといういうか、どっしり感も感じます。第一稿からの「魚の僕には」への流れも面白い。
「YOU」は元々旦那さんと私で作って、デモのアレンジは旦那さんがやってくれて、明るめの曲調とアレンジでした。でも市川(和則)さん(羊毛とおはな)の解釈で落ち着いたアレンジにしてくれました。
――「春に僕はなくなる」の全てを一掃する桜吹雪は美しい、心の大掃除は春の風がしているのかもしれない、という解釈は、春という季節に感じる儚さやせつなさの背景にはそういう理由があるのかもしれないと目から鱗でした。
考えすぎなんですよね、きっと(笑)。この曲を残して私はいなくなりました。元々「春」というワンコーラスだけできていた曲があって、それこそ曲が作れない時期に入っていたので、春だからこの曲を引っ張り出してきた作ったという悲しき裏側がある曲です。でももっともっと色々な人に聴いて欲しい曲なんです。
――前作『W』も今回の『O』も、現在進行形の自分を曝け出している、いい意味で“人間くさい”作品という部分は共通していると思いました。
そこはこれからも変わらないと思います。
取材・文=田中久勝 撮影=菊池貴裕